井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第21回
『フィルム 私たちの記憶装置』
1月23日はジョナス・メカスの命日。去年の今頃は最低気温マイナス十数度、雪がしんしんと降り続く韓国・光州へメカスさんの展示を観に行っていた。その帰り道に訪れた福岡市総合図書館でフィルム・アーキビストの松本圭二さんにお話を伺えたことは得難い経験として今も心に刻まれているが、今回はそんな記憶をたどりながら、映画の保存や修復に関する証言を集めたドキュメンタリー映画『フィルム 私たちの記憶装置』(2021年)を紹介したい。
作品を観終えて、まずはその情報量の多さに圧倒された。再生ボタンを押したその瞬間から世界各国の作家やアーキビストの語りが次々に展開されるのだが、そのどれもがいちいち聞き逃せない内容なので、メモを取るのを途中で諦めてしまったくらいだ。この映画を3年がかりで完成させたスペインのイネス・トハリア・テラン監督は映画保存の専門学校を修了したのち、複数のフィルムアーカイブでの実務経験を経て本作を制作したのだという。
だから同作について書く場合、どこから何を書き始めるかが非常に悩ましいのだけれど、既に失われてしまった映画が膨大にあるという事実が、まずは心に突き刺さった。1930年代には各国に映画保存機関が誕生し始めたものの、それでも「世界の無声映画の8割が失われている」という。フィルムは人体と同じ有機物質だから腐敗していくのが当然で、「視聴覚遺産の大半はいまも消滅の危機に瀕している」そうだ。劇中に登場したジョナス・メカスも「(映画が)100本あるのに10本しか保存できない」とこぼす。


加えて『フィルム 私たちの記憶装置』は、映画の保存や修復の過程において、各国のアーカイブが直面している問題にも焦点を当てている。アジアの資金力不足(「復元は先進国の概念です」)、アフリカの電気供給不足、中南米の無関心、ブラジルやカナダの政治との闘い、インドの湿度の高さ(「1964年にはすでに映画遺産の7~8割が失われていた」)などなど……世界各地のアーキヴィストたちがそれぞれの言語で語る課題は、どれも生々しく深刻に響く。
さらに映画作家がプリントを1本しか作っていない場合はどう作品を守るのか、産業映画や教育映画、短編、記録映画まできちんと網羅し保存できるのか、新しい技術であるほど劣化が速まる保存メディアをどう更新していくのか(劣化開始までの目安はフィルム50年、ビデオテープ20年、ハードドライブ5年、データテープ3年、DVDのような光ディスクは2年だという)、アーカイブに伴うエネルギー消費が環境に悪いなど、懸念点を挙げればキリがない。


それでもなお、世界各地にいつの時代も、自己破壊的なフィルム/脆い芸術である映画を守ろうとする人たちがいる。ある時はナチス当局の検閲で燃やされないように缶を取り替え(いまだにタイトルと中身の違う缶が見つかるそうだ)、デジタル移行にともない現像所が廃業するとなれば街中のゴミ収集場からフィルムを拾い、ネズミの死骸と遭遇しながら倉庫の床を踏み分ける。身元不明の映画があれば世界中から識者を招き、ロケ地、ナンバープレート、ファッションなどから情報を探るアーカイブもあるそうだ。ジョナス・メカスは言う。「愛するものは死に物狂いで守る 簡単なことです」。


人々の生活ぶりや街並みが、フィルムの回されたまさにその時の生々しさで蘇るのだから、映画/映像を観終えた後で観客が持ち帰り得る情報の多さは計り知れない。第二次世界大戦中に日系アメリカ人の収容所で撮影された映像や、大恐慌時代の移民労働者のリアル、ナチスの暴徒に襲われたウィーンのユダヤ人商店や、アフリカのアパルトヘイト抵抗運動。中には思わず目を背けたくなるような映像もあるだろうが、チリの映画監督パトリシオ・グスマンは「加害の事実を人に伝える証言は必須」だと断言する。
『風と共に去りぬ』の冒頭に後年「奴隷制を追認」「人種差別的な描写」と注意書きが付されたように、フィルムが守られ続けた先で初めて、価値観が大きく変化してきた事実に気付かされることもあるのだ。実際2021年のこの映画にすら、2024年の今観ると複雑な感情にならざるを得ない情報がいくつか含まれていた。劇中でとあるアーキビストが言った「世の中何も変わらない、良くならないと思っていたら昔の映画を見てほしい」という言葉は、映画を作ったり守ったりする人だけでなく、映画を鑑賞する人、ひいてはこの社会で暮らす一人ひとりにも重くのしかかっている。なぜなら私たちが今目にしている光景は、常に未来から見つめ直される可能性を秘めているのだから。
僧侶が手書きで書物を転記した時代から時は流れ、今やDNAへの動画保存も現実味をおびてきたという2020年代。これからどのように技術が変化し、どんな映画が発掘、保存されていくのか。いち映画ファンとして、現代を生きる一人の人間として、引き続き注目していきたい。
●作品概要
『フィルム 私たちの記憶装置』
監督:イネス・トハリア・テラン
カナダ・スペイン/2021年/120分
神戸映画資料館のvimeoから、1,400円で72時間レンタル可能(日本語字幕付き)
https://vimeo.com/ondemand/film2021
●追記1
劇中、映画監督のマーティン・スコセッシが文化保存を使命とした「映画財団(The Film Foundation)」を立ち上げ、900本を超える映画の復元を支援したことが伝えられているが、この連載で以前取り上げた『WANDA』のプリント修復も同組織によって行われている。また、ジョナス・メカスが「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」を立ち上げるための資金集めに奔走していることを伝える『美術手帖』第516号(1983年)の特集記事(監修:飯村昭子)には、メカスの個人映画保存事業を全面的に支持したスコセッシによるメッセージ「喜びと勇気を与える」が掲載されている。
●追記2
『フィルム 私たちの記憶装置』でスコセッシが訪れている『ボローニャ復元映画祭』こと『チネマ・リトロバート映画祭』の特集上映が、2月4日(日)まで国立映画アーカイブで開催中。ときの忘れものブログの執筆者である太田岳人さんが、同ラインナップの中にジョナス・メカスの出演作『マハゴニー(フィルム#18)』があることを教えてくれました。ハリー・スミスがマルセル・デュシャンの通称「大ガラス」を数学的に分析して制作したのだという同作の上映は、2024年1月25日(木) 18:30 と2月4日(日) 12:30の2回のみ。なんとか時間を作ってぜひ観に行きたいものです。
なお、ときの忘れものでは2023年の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞したジョナス・メカスのDVD / Blu-rayボックス「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売中。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2024年3月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
《作品9》
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
『フィルム 私たちの記憶装置』
1月23日はジョナス・メカスの命日。去年の今頃は最低気温マイナス十数度、雪がしんしんと降り続く韓国・光州へメカスさんの展示を観に行っていた。その帰り道に訪れた福岡市総合図書館でフィルム・アーキビストの松本圭二さんにお話を伺えたことは得難い経験として今も心に刻まれているが、今回はそんな記憶をたどりながら、映画の保存や修復に関する証言を集めたドキュメンタリー映画『フィルム 私たちの記憶装置』(2021年)を紹介したい。
映画の発掘、復元、上映に並々ならぬ情熱を傾けるフィルムアーキビストたちが世間の注目を集めることは滅多にないが、ジョナス・メカス、ケン・ローチ、ヴィム・ヴェンダースといった映画作家の声、そして欧米、アジア、アフリカから集めた夥しい数のアーカイバル・フッテージとともに、映画を文化遺産として救済する人々の地道な取り組みが鮮やかに照射される。
(神戸映画資料館ウェブサイトより)
作品を観終えて、まずはその情報量の多さに圧倒された。再生ボタンを押したその瞬間から世界各国の作家やアーキビストの語りが次々に展開されるのだが、そのどれもがいちいち聞き逃せない内容なので、メモを取るのを途中で諦めてしまったくらいだ。この映画を3年がかりで完成させたスペインのイネス・トハリア・テラン監督は映画保存の専門学校を修了したのち、複数のフィルムアーカイブでの実務経験を経て本作を制作したのだという。
だから同作について書く場合、どこから何を書き始めるかが非常に悩ましいのだけれど、既に失われてしまった映画が膨大にあるという事実が、まずは心に突き刺さった。1930年代には各国に映画保存機関が誕生し始めたものの、それでも「世界の無声映画の8割が失われている」という。フィルムは人体と同じ有機物質だから腐敗していくのが当然で、「視聴覚遺産の大半はいまも消滅の危機に瀕している」そうだ。劇中に登場したジョナス・メカスも「(映画が)100本あるのに10本しか保存できない」とこぼす。


加えて『フィルム 私たちの記憶装置』は、映画の保存や修復の過程において、各国のアーカイブが直面している問題にも焦点を当てている。アジアの資金力不足(「復元は先進国の概念です」)、アフリカの電気供給不足、中南米の無関心、ブラジルやカナダの政治との闘い、インドの湿度の高さ(「1964年にはすでに映画遺産の7~8割が失われていた」)などなど……世界各地のアーキヴィストたちがそれぞれの言語で語る課題は、どれも生々しく深刻に響く。
さらに映画作家がプリントを1本しか作っていない場合はどう作品を守るのか、産業映画や教育映画、短編、記録映画まできちんと網羅し保存できるのか、新しい技術であるほど劣化が速まる保存メディアをどう更新していくのか(劣化開始までの目安はフィルム50年、ビデオテープ20年、ハードドライブ5年、データテープ3年、DVDのような光ディスクは2年だという)、アーカイブに伴うエネルギー消費が環境に悪いなど、懸念点を挙げればキリがない。


それでもなお、世界各地にいつの時代も、自己破壊的なフィルム/脆い芸術である映画を守ろうとする人たちがいる。ある時はナチス当局の検閲で燃やされないように缶を取り替え(いまだにタイトルと中身の違う缶が見つかるそうだ)、デジタル移行にともない現像所が廃業するとなれば街中のゴミ収集場からフィルムを拾い、ネズミの死骸と遭遇しながら倉庫の床を踏み分ける。身元不明の映画があれば世界中から識者を招き、ロケ地、ナンバープレート、ファッションなどから情報を探るアーカイブもあるそうだ。ジョナス・メカスは言う。「愛するものは死に物狂いで守る 簡単なことです」。


人々の生活ぶりや街並みが、フィルムの回されたまさにその時の生々しさで蘇るのだから、映画/映像を観終えた後で観客が持ち帰り得る情報の多さは計り知れない。第二次世界大戦中に日系アメリカ人の収容所で撮影された映像や、大恐慌時代の移民労働者のリアル、ナチスの暴徒に襲われたウィーンのユダヤ人商店や、アフリカのアパルトヘイト抵抗運動。中には思わず目を背けたくなるような映像もあるだろうが、チリの映画監督パトリシオ・グスマンは「加害の事実を人に伝える証言は必須」だと断言する。
『風と共に去りぬ』の冒頭に後年「奴隷制を追認」「人種差別的な描写」と注意書きが付されたように、フィルムが守られ続けた先で初めて、価値観が大きく変化してきた事実に気付かされることもあるのだ。実際2021年のこの映画にすら、2024年の今観ると複雑な感情にならざるを得ない情報がいくつか含まれていた。劇中でとあるアーキビストが言った「世の中何も変わらない、良くならないと思っていたら昔の映画を見てほしい」という言葉は、映画を作ったり守ったりする人だけでなく、映画を鑑賞する人、ひいてはこの社会で暮らす一人ひとりにも重くのしかかっている。なぜなら私たちが今目にしている光景は、常に未来から見つめ直される可能性を秘めているのだから。
僧侶が手書きで書物を転記した時代から時は流れ、今やDNAへの動画保存も現実味をおびてきたという2020年代。これからどのように技術が変化し、どんな映画が発掘、保存されていくのか。いち映画ファンとして、現代を生きる一人の人間として、引き続き注目していきたい。
●作品概要
『フィルム 私たちの記憶装置』
監督:イネス・トハリア・テラン
カナダ・スペイン/2021年/120分
神戸映画資料館のvimeoから、1,400円で72時間レンタル可能(日本語字幕付き)
https://vimeo.com/ondemand/film2021
●追記1
劇中、映画監督のマーティン・スコセッシが文化保存を使命とした「映画財団(The Film Foundation)」を立ち上げ、900本を超える映画の復元を支援したことが伝えられているが、この連載で以前取り上げた『WANDA』のプリント修復も同組織によって行われている。また、ジョナス・メカスが「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」を立ち上げるための資金集めに奔走していることを伝える『美術手帖』第516号(1983年)の特集記事(監修:飯村昭子)には、メカスの個人映画保存事業を全面的に支持したスコセッシによるメッセージ「喜びと勇気を与える」が掲載されている。
●追記2
『フィルム 私たちの記憶装置』でスコセッシが訪れている『ボローニャ復元映画祭』こと『チネマ・リトロバート映画祭』の特集上映が、2月4日(日)まで国立映画アーカイブで開催中。ときの忘れものブログの執筆者である太田岳人さんが、同ラインナップの中にジョナス・メカスの出演作『マハゴニー(フィルム#18)』があることを教えてくれました。ハリー・スミスがマルセル・デュシャンの通称「大ガラス」を数学的に分析して制作したのだという同作の上映は、2024年1月25日(木) 18:30 と2月4日(日) 12:30の2回のみ。なんとか時間を作ってぜひ観に行きたいものです。
なお、ときの忘れものでは2023年の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞したジョナス・メカスのDVD / Blu-rayボックス「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売中。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2024年3月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
《作品9》2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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