三上豊「今昔画廊巡り」
第10回 ルナミ画廊
銀座2丁目5番地4、木造2階建て、1階はカメラ屋さん、左側の階段を上がり、右手のドアを開けるとルナミ画廊があった。画廊は、1988年10月には銀座4丁目8番地三越裏近くのビルの3階に移転、98年夏に閉廊する。現在の2丁目5番地4だが、当時の面影といえば街路樹だけであろうか。
1963年開廊時の住所表示は銀座2丁目4で、壁面は30メートル、「1日5000円及び画廊企画」とある。中央通りには都電が走っていた。66年には6000円に、83年には6日間135000円となっていく。
オーナーは二紀会で活躍した画家並河弘(1909―79)。弘の兄は日大の英文学の教授でジャズ評論などでも活躍、その息子の萬里はシルクロードの写真で知られる。開廊記念展は並河の企画で「新進作家展」、赤穴宏、上野憲男、小野州一、志賀健藏、高橋秀、みのわ淳、滝瀬弘が出品した。この当時「読売アンデパンダン」がなくなり、作家たちは街や地方に発表の場を求めてもいた。ルナミ画廊は60年代の貸画廊の熱気をもったスペースだった。熱違いだが、ある作家が夏に個展をしたとき、クーラーがないため氷柱を立て、ついでにビールを冷やしたこともあったという。60年代に数回個展をしている画家海老塚市太郎の息子は彫刻家耕一、やはりルナミで発表をし、親子で縁があるほどの歴史も見える。私が画廊回りを始めた70年代半ば、画廊の床が少し傾いていたような記憶があるのだが。
ルナミという名称は「並河」を「ナミリバー」へ、仏語風に訛って「ルナミ」となった説がある。開廊以来、「看板娘」として実際の運営に当たったのが弘の娘恵美子、21歳だった。彼女は武蔵野美術短大で商業デザインを学び、自由美術展に入選するなどしていた。1963年5月号の『芸術生活』のコラム欄「国内トピックス」では、お顔写真も半ページで掲載され、「夜7時には閉めて、その後は若い芸術家たちのたまり場所にしたい」と語る。たまり場的なエネルギーはジャンルを超えて沸騰する。評論家の石崎浩一郎の呼びかけではじまる「プライベート・フィルム・ギャラリー」では、城之内元晴、高林陽一、金坂健二、大林宣彦らの個人映画が上映され、音楽やパフォーマンスへと広がっていき、さらに日本での先駆けとなる「インター・メディア」展へ発展する。おそらく美術の枠を超えたクロスメディアの企画の先駆けの場といえよう。
並河恵美子さんは、60年代末には渋谷西武など他のスペースの企画にも関わる。70年代には9年間インドネシアなどで過ごし、画廊運営にはブランクがあったが80年には復帰し、83年、オーストラリア現代美術展の企画などを15の画廊と組んで開催していく。こうした海外交流を画廊レベルで数多く続けたことはルナミ画廊の特色といえよう。またメディアの発信も積極的で、80年から85年41号まで隔月で発行された機関紙『ルナミジャーナル』は、閉廊時1冊にまとめられたが、作家や評論家が原稿を寄せ、貴重なドキュメントとなっている。また86年から画廊の年次展として「ルナミ・セレクション」を開催し、その図録をバイリンガルで制作、海外のアートセンターに送っていた。
並河さん不在のルナミの70年代といえばトキノリコさんがいる。70年代初頭に週1で入り、しばらくして週4のシフトになり、閉廊まで画廊を支えていった。彼女は現在外苑前で「トキ・アートスペース」を運営している。事務所から「こんにちは」と顔をだすトキさんの変わらぬ姿をみると、ふとルナミ画廊を思い出すのだ。
取材協力=トキノリコ
画像提供=東京文化財研究所 3、4、5
参考文献=画廊の系譜展図録 2012 足利市立美術館 篠原誠司編

1 現在の銀座2丁目5の4番地あたり

2『美術手帖』掲載の広告 1963年

3『並河弘追悼展』(1979年)パンフより、左が制作中の並河氏

4『ルナミジャーナル』

5『ルナミセレクション展』図録 左側に出品者一覧

6 オーストラリア現代美術展 関係者への礼状 1983年
(みかみ ゆたか)
■三上 豊(みかみ ゆたか)
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964-1998』、『秋山画廊 1963-1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。
・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2024年3月28日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、金坂健二です。
≪無題 03≫
1968
ゼラチンシルバープリント
35.5x23.7cm
*瀬木愼一旧蔵 「アンディ・ウォーホル展」(1989年 愛知県美術館、石川県立美術館)出品展示作品。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第10回 ルナミ画廊
銀座2丁目5番地4、木造2階建て、1階はカメラ屋さん、左側の階段を上がり、右手のドアを開けるとルナミ画廊があった。画廊は、1988年10月には銀座4丁目8番地三越裏近くのビルの3階に移転、98年夏に閉廊する。現在の2丁目5番地4だが、当時の面影といえば街路樹だけであろうか。
1963年開廊時の住所表示は銀座2丁目4で、壁面は30メートル、「1日5000円及び画廊企画」とある。中央通りには都電が走っていた。66年には6000円に、83年には6日間135000円となっていく。
オーナーは二紀会で活躍した画家並河弘(1909―79)。弘の兄は日大の英文学の教授でジャズ評論などでも活躍、その息子の萬里はシルクロードの写真で知られる。開廊記念展は並河の企画で「新進作家展」、赤穴宏、上野憲男、小野州一、志賀健藏、高橋秀、みのわ淳、滝瀬弘が出品した。この当時「読売アンデパンダン」がなくなり、作家たちは街や地方に発表の場を求めてもいた。ルナミ画廊は60年代の貸画廊の熱気をもったスペースだった。熱違いだが、ある作家が夏に個展をしたとき、クーラーがないため氷柱を立て、ついでにビールを冷やしたこともあったという。60年代に数回個展をしている画家海老塚市太郎の息子は彫刻家耕一、やはりルナミで発表をし、親子で縁があるほどの歴史も見える。私が画廊回りを始めた70年代半ば、画廊の床が少し傾いていたような記憶があるのだが。
ルナミという名称は「並河」を「ナミリバー」へ、仏語風に訛って「ルナミ」となった説がある。開廊以来、「看板娘」として実際の運営に当たったのが弘の娘恵美子、21歳だった。彼女は武蔵野美術短大で商業デザインを学び、自由美術展に入選するなどしていた。1963年5月号の『芸術生活』のコラム欄「国内トピックス」では、お顔写真も半ページで掲載され、「夜7時には閉めて、その後は若い芸術家たちのたまり場所にしたい」と語る。たまり場的なエネルギーはジャンルを超えて沸騰する。評論家の石崎浩一郎の呼びかけではじまる「プライベート・フィルム・ギャラリー」では、城之内元晴、高林陽一、金坂健二、大林宣彦らの個人映画が上映され、音楽やパフォーマンスへと広がっていき、さらに日本での先駆けとなる「インター・メディア」展へ発展する。おそらく美術の枠を超えたクロスメディアの企画の先駆けの場といえよう。
並河恵美子さんは、60年代末には渋谷西武など他のスペースの企画にも関わる。70年代には9年間インドネシアなどで過ごし、画廊運営にはブランクがあったが80年には復帰し、83年、オーストラリア現代美術展の企画などを15の画廊と組んで開催していく。こうした海外交流を画廊レベルで数多く続けたことはルナミ画廊の特色といえよう。またメディアの発信も積極的で、80年から85年41号まで隔月で発行された機関紙『ルナミジャーナル』は、閉廊時1冊にまとめられたが、作家や評論家が原稿を寄せ、貴重なドキュメントとなっている。また86年から画廊の年次展として「ルナミ・セレクション」を開催し、その図録をバイリンガルで制作、海外のアートセンターに送っていた。
並河さん不在のルナミの70年代といえばトキノリコさんがいる。70年代初頭に週1で入り、しばらくして週4のシフトになり、閉廊まで画廊を支えていった。彼女は現在外苑前で「トキ・アートスペース」を運営している。事務所から「こんにちは」と顔をだすトキさんの変わらぬ姿をみると、ふとルナミ画廊を思い出すのだ。
取材協力=トキノリコ
画像提供=東京文化財研究所 3、4、5
参考文献=画廊の系譜展図録 2012 足利市立美術館 篠原誠司編

1 現在の銀座2丁目5の4番地あたり

2『美術手帖』掲載の広告 1963年

3『並河弘追悼展』(1979年)パンフより、左が制作中の並河氏

4『ルナミジャーナル』

5『ルナミセレクション展』図録 左側に出品者一覧

6 オーストラリア現代美術展 関係者への礼状 1983年
(みかみ ゆたか)
■三上 豊(みかみ ゆたか)
1951年東京都に生まれる。11年間の『美術手帖』編集部勤務をへて、スカイドア、小学館等の美術図書を手掛け、2020年まで和光大学教授。現在フリーの編集者、東京文化財研究所客員研究員。主に日本近現代美術のドキュメンテーションについて研究。『ときわ画廊 1964-1998』、『秋山画廊 1963-1970』、『紙片現代美術史』等を編集・発行。
・三上豊のエッセイ「今昔画廊巡り」は毎月28日の更新です。次回は2024年3月28日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、金坂健二です。
≪無題 03≫1968
ゼラチンシルバープリント
35.5x23.7cm
*瀬木愼一旧蔵 「アンディ・ウォーホル展」(1989年 愛知県美術館、石川県立美術館)出品展示作品。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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