井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第23回

『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』


春のある日、私はニナ・メンケスという人に出会えた興奮で、強風の中をドキドキしながら歩いていた。何の予備知識もない状態で観た1本のドキュメンタリーが、これからの映画体験を決定的に変えてしまうかもしれなかった。

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特集上映「ニナ・メンケスの世界」ビジュアル

1980年代から映画監督として活動してきたニナ・メンケスは「家賃を払い続けるため」、カリフォルニアの大学で20 年以上にわたって教鞭をとってきた人でもあるのだという。『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』(2022年)は、そんな彼女の講演「セックスと力:映画の視覚言語」に基づいて制作されたドキュメンタリーで、映画史に横たわる「Male Gaze=男性のまなざし」を、文献や証言、実際の映像、そして自身の体験に基づいて検証していく内容だ。

1940年代から2020年代まで、様々な映画からの抜粋の中には、ヒッチコック、コッポラ、タランティーノ、キューブリック、ゴダール、スコセッシ、ヴェンダース、スパイク・リーなどなど、誰もがその名を耳にしたことのある監督たちの作品が多数登場する。ニナ・メンケスはそれらの映画で描かれる女性の姿といくつかの条件(フレーミング、カメラの動き、照明……)を照らしあわせていくのだけれど、その過程で、ある法則がくっきりと浮かび上がるのだ。

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『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』 ©BRAINWASHEDMOVIE LLC

その法則とは、一言でいえば「女性が力を持たない客体化された対象として映されている」というものだ。もちろん引用される作品の一つひとつにはそれぞれに単純でない文脈があって、それらの一部を切り抜き、一緒くたに批判することには危うさも伴う。けれどこんなふうに明快に可視化されなければ、「Male Gaze」とはどんなものなのかや、映画の中にどのようにして適応される場合があるのか、体の一部だけをスローモーションで映すような手法がなぜ女性にばかり向けられてきたのかという問いを自力で立てられただろうか。誰もが絶賛してきた「名作」を注意深く見つめ、自分の意見を表明することを恐れず、観客がさまざまな可能性に思いをはせる第一歩をつくってくれたニナ・メンケスに、私は感謝したいと思った。

わざわざ補足するのも野暮な気がするけれど、この映画は過去のさまざまな表現を糾弾するよりも、一辺倒な歴史の中で、どんな抵抗や刷新の方法がありえたのか/ありえるのかということに関心を抱いているように思う。それにこれから先、また暗闇の中で性差別的な表現に出会ってしまったとしても、この映画を観た後なら「常になんらかのヒョウ柄の衣服をまとって」いるというニナ・メンケス(*)と共に、今より心強い気持ちでモヤモヤの原因を追究できるような気がするのだ。

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『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』 ©BRAINWASHEDMOVIE LLC

「異性愛者の男性が女性のお尻を撮影したいなら“そんなことするな”などと言うつもりはありません。私はただ事実を指摘したいのです」とニナ・メンケスは言う。そしてその事実の指摘がなぜ重要なのかと言えば、映画が実生活にもダイレクトに影響を及ぼすものだからだ。精神分析医のサチコ・タキ-リースは、「Male Gaze」に満ちた映画を観た観客が、そのまなざしの対象と自らのギャップに「自分自身を失ったような虚無感」を感じることがあると指摘し、弁護士のキャスリーン・タールは「女性の客体化は雇用にも影響します」と断言する。劇中では数十年にわたる研究の結果、性的対象化をするメディアに触れると性暴力を行う率が高くなると結論付けた2014年の論文や、トップ250の映画のうち女性監督の作品がたった8%であったという2018年の統計も紹介されている。ちなみに「Japanese Film Project」の調査によれば日本国内でも、2021年に劇場公開された作品のうち監督の女性比率は12%と、いまだ低い割合なのだそうだ。

学生時代、映画の製作については自分の理想を実現するため主体性をもって取り組めたけれど、ロマンチックな話になると主体でありつつセクシーでいるという方法がわからなかったというニナが、映画の製作を続けながら何十年もかけて力強い講義を練り上げ、若い世代に語りかけている様子をみるとそれだけで胸が熱くなるのは、今日本で生活をしている自分にも彼女の悩みが無関係ではないからだ。私も他者からのまなざしにおいてはもちろん、自分の中にさえ「Male Gaze」の影響を感じた経験がある。呪いの根強さを感じているからこそ、こうして毅然と、時間をかけて抵抗を続ける人の存在に励まされる。

最近はフェミニズムへのバックラッシュが起きているのも肌で感じていたから、そんなタイミングでこの力強い映画に出会えたことも嬉しかった。「フェミニズムの第一歩は見ること/見るがいい 私も見返すから」というアニエス・ヴァルダの力強い言葉を胸に、他者の要求に応えるだけでない主体的なまなざしを手に入れたいと切に願う。「人は常に自己発見の過程にいる」と自分に言い聞かせながら。



*今回の特集によせられた山﨑博子さんのコメントを参照

いどぬま きみ

●特集上映「ニナ・メンケスの世界」
5月10日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
上映作品:
『マグダレーナ・ヴィラガ』(製作・監督・脚本・撮影:ニナ・メンケス/1986年/90分)
『クイーン・オブ・ダイヤモンド』(監督・脚本・製作・撮影:ニナ・メンケス/1991年/75 分)
『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』(製作/監督:ニナ・メンケス/2022年/107 分)
https://ninamenkesfilmfes.jp/

井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2024年7月22日掲載予定です。

●本日のお勧め作品は舟越直木です。
舟越直木《1997.APRIL 7》 (1)舟越直木「1997.APRIL 7
1997年 ドローイング
マットサイズ:82.0×66.0cm
サインあり
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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