『幸せのアコーディオン』
石原輝雄
家族で南仏からパリへ短い旅行をした折、カンヌのホテル付近をブラパチ散歩していると老人が小さな袋を手に提げパン屋から出てきた。朝の早い時間で、焼き立ての細長いパン(バケットより小ぶりなのでフルートかフィセル)が小さな袋から飛び出している。パンと老人のバランスが可愛げでありながら孤独感も漂い、わたしは自宅に置いているマン・レイの展覧会カタログを思い浮かべた。

それは、フエルト製のボードに青く塗ったバケット(石膏)を貼り付け緑のリボンで留めたもので、『回転扉』の連作を紹介する。カタログというよりアーティスト・ブックの範疇とされ、一般的には『パン・パン(Le pain peint)』と呼ばれ、マン・レイの芸術感を強く反映する人気のオブジェとして近年は展覧会に出品されることも多い。しかし、本作にはアレクサンダー・イオラスの名が中扉下段に記されているだけで展覧会や書誌の情報は無く、制作年、部数とも不明。なので、これを補足したいと考えた。お付き合いいただけたら嬉しい。
1. イオラス画廊
サイト(注1)によるとアレクサンダー・イオラス(1908-1987)はエジプト生まれのギリシャ系アメリカ人。メトロポリタン・オペラハウスで『椿姫』を踊ったダンサー。芸術への関心を幼少期から持ち絵画への「愛」は、パリの画廊で観たジョルジョ・デ・キリコの作品が最初だったという。美術業界に進出したのは踊りをやめた30代後半で、キリコの他にマグリットやエルンストなどのシュルレアリスム系画家を扱うと共にアンディ・ウォーホルの初個展を開催。ヌーヴォー・レアリスムやアルテ・ポーヴェラの作家も扱い、米国と欧州をつなぐネットワークを構築。彼の名を冠した画廊はニューヨークからパリ、ミラノ、マドリッド、アテネと広がった。黄金期は1965年~1976年とされる。
マン・レイの展覧会は、1959年11月にニューヨークで「1912年からの絵画、コラージュ、オブジェ」を紹介した後、写真作品を中心に1973年~1975年にかけてミラノ、パリ、ニューヨーク、マドリードで開催。さらにアテネで版画作品の展示を行っている。これらはマン・レイが積極的に再制作をした最晩年にあたり、イオラスは同業のイルファーノ画廊などとも連携しながら、新しい商材を市場に提供したのだった。

展覧会のカタログに不可欠な会場や会期の記載が無いことから、本作を「商品見本帳」と位置付けても良いように思う。各会場で重要顧客にプレゼント、なんて場面を想像するのも楽しいではないか。部数は300とされるが実数は不明、反響をみての制作ではなかったかと推測する。
2. パン・パン(Le pain peint)
本作を特徴付ける表紙のバケットは、1958年にマン・レイが古くなったパンを青く塗ったところから生まれた。パリに戻りフェルー街のアトリエで隠遁者のように暮らした彼の日常を垣間見るようでわたしには興味深い。作者は「オブジェを造る時には二つのものが必要だ」と言っているが、パンと青い塗料も詩的な組み合わせと考えたい。フランス語の『パン・パン(Le pain peint)』は消防車のサイレンを表すオノマトペで、「火事の後に子供たちが通りを走っているように聞こえる」と研究者のアルトゥーロ・シュヴァルツは述べている。わたしもアトリエでインタビューに応えたマン・レイが楽しそうに「パン・パン・パン・パン・パン・パン」と連呼する動画(注2)を観たが、付いて走っていた子供時代の興奮を蘇らせたかも知れない。同音異義語から題名はフランス語でなければならないと作者は強く主張したとも聞く。尚、最初のものはネズミに食べられてしまい、後に石膏、ポリウレタン、ブロンズなどで再制作された。
ここでわたしは英語の題名『ブルー・ブレッド(blue bread)』からの私的な連想にふれたい。ひとつは、1957年に「黄金よりも高貴な青」として用いられ始めたイヴ・クラインのブルーに繋がる色調。さらに、食品と青色がカビを連想させるミステリー。前述のネズミではないが、マン・レイの仕事は言葉遊びのユーモアに、現代人に必須の孤独を忍ばせる。作者は『favourite food for blue birds (青い鳥の好物)』と題名に補足したが、1965年10月に女友達ロザリンド・ジェイコブス宅(ニューヨーク)での夕食会でクッペの形をした張り子の箱に彩色した『ブルー・ブレッド(blue bread)』を贈った時、内側に「青パンは青ひげの好物、全部食べました。ありがとう」と献辞を入れた。パン(Blue bread)とひげ(Blue Beard)は繋がりますな、恐ろしい殺人鬼と幸せを見付ける青い鳥、イメージの連鎖が複雑に絡み合いオブジェが詩の高みに昇る。これだから、マン・レイ作品の探求はやめられません(笑)。
3. 回転扉
本作の魅力は1910年代のニューヨークで「疑似─科学的な抽象の作品」として制作したさまざまな色の切り抜きからなる『回転扉』10点が、美しいシルクスクリーンで再制作され、ダニエル画廊での個展(第3回、1919年)会場と同じような体験がアコーディオンを奏でるように楽しめるところにある。折本にする着想は作者が自伝で連作の題名を「蝶番でスタンドに取付けられたので、回転させていちどきに見ることができたからである」(千葉成夫訳『セルフポートレイト』美術公論社、1981年 75頁)としたところからだと思われた。『回転扉』はパリでポシュワール版画、ハリウッドで油彩、トリノでシルクスクリーンになった後、本作で初心に戻った。作者、お気に入りの青春の仕事なのである。



プライベート・プレス、銀紙書房でも折本形式で『フェルー街』(1984年)と『マン・レイとの遠近法』(2001年)を上梓した。折本の場合は畳んだ長い紙が自由気ままに広がるので書容設計が難しい。ボードに紙の両端を貼付け書物の形でキープすると楽しさがなくなり、書棚に折目が現れると美しくない。経本のように平置と割り切れば解決するかもしれないが、生活の場に違和感が伴う。本作からの引用が随所に散りばめられたときの忘れもの刊本の『マン・レイへのオマージュ』(2010年)は、宮脇愛子の作品とマン・レイとの交流を総革で包む新境地を示し、装丁家の端正な仕上げに驚かされた。
画家は磯崎新と結婚した宮脇に「ありがとう──新しい愛子、貴女にお会いするため日本へ旅行できるといいのに」と中扉に献辞して本作を贈った。磯崎が雑誌『都市住宅』(鹿島研究所出版会)の表紙でテキストを付し、本作を紹介したのは1973年10月号。同年春にはマン・レイの手にあったと思われる。



それにしても心躍る楽しい仕掛け。バケットは鳥の好物で啄む姿が目に浮かぶ、それを青く塗ることで翼が広がり、人が手にとり遊ぶ。凡夫のわたしなどは「大般若」と唱え経本をパラパラさせる転読の折など、本堂の青畳に座しながら本作を思い浮かべる。マン・レイのありがたい言葉として読経するのです。
4. アダムとイヴの「愛」の日々
改めて本作を手にとった。緑のリボンを優しく解いてやると中扉の次に油彩『薔薇の木』(1938年、イルファーノ画廊蔵)複製。楽園のアダムとイヴが緑色の奇妙な薔薇の木陰で大型の貨物船らしきものを警戒している。花弁は人の身体より大きく、裸体の二人が次頁から続く領地を守ろうとしている様子。槍を手にするアダムが世の中に憤るマン・レイを想起させる。

『回転扉』の踊りは演奏順を大きく入れ替え「オーケストラ」から始まり「長距離」「道化」「会議」「伝説」「デカンタ」「若い娘」「蜻蛉」「コンクリートミキサー」「影」までの十曲。赤、青、黄の三原色が軽やか。そして、緑青に覆われた特大のブロンズ彫刻、『プリアポスの文鎮』(生殖の神)が、アダムとイヴの「愛」の夜を象徴させ続き、物語は『マルキ・ド・サドの想像的肖像』で大団円を迎える。わたしは貼り込まれた桃を三個並べた言葉遊びのポスター『桃風景(PECHAGE: peche + paysage)』を広げ、作者の人生を追体験した充実感に酔うのだった。バカですね。

幸せな日々に似つかわしい本作は、マン・レイからの最高の贈り物。前述した宮脇カップルには「新しい生活」を、ジェイコブス夫妻には4月の日付で「日々の糧を分かち合うために」と献辞した。近年の本作人気は閉塞した世相を希望に変える「若さ」の色彩故ではないかと思う。『パン・パン(Le pain peint)』と『回転扉』が、これほどに共鳴する場を他に知らない。

自宅のものにマン・レイの献辞は無いけど(当然)、マン・レイの大回顧展(1982年)を観覧してパリ旅行から戻った若い友人が、「結婚祝い」にプレゼントしてくれた経緯から、中扉の余白に「愛」の生活への献辞が記されていると夢想してしまう。それは、新婚旅行で『プリアポスの文鎮』(写真)を買い求めた偶然と、ジュリエットに招かれたフェルー街のアトリエで高さ101センチの特大版を見た驚きに繋がる。ブロンズ彫刻は本作の実制作を担当したセルジオ・トシのエディションで取扱画廊がイオラス、マン・レイもアトリエに置いた限定3部だったと本稿の準備段階で知った。
5. パダン・パダン(padam padam)
さて、本稿冒頭の旅行はマン・レイと1991年に亡くなったジュリエットの墓参りを家族揃ってしたいと願った旅程だった。未亡人はマン・レイの彫刻『平面卵』を墓碑に選び「呑気にしているけれど、無関心ではいられない」という夫の口癖を刻み、並んで「この次も一緒に」と書き添えている。わたしはマン・レイに熱中してきた人生の幸せを泉下の二人に報告。──と、本稿を結びたいところだが、墓碑は2019年に「家を失った酔っぱらい」によって壊され、以降、修復されず今日に至っている。

回転することで理想的な球体を得る『平面卵』と、広げられ波打つことで幸せを紡ぐ折本との関係から「私をおいかけ、せまりくる足音」を聴く。そう、名曲「パダン・パダン(padam padam)」。アコーディオンは主旋律と和音伴奏を同時に演奏できる楽器。「青パン」が鍵盤の飾りに見えないか。モンパルナス墓地にエディット・ピアフが来てくれたら、わたしは『(パン・パン)Le pain peint』を大きく押し引きし伴奏するだろう。幸せは涙の上に浮いている。
[注1] 「ALEXANDROS IOLAS」https://iolasofficial.com 閲覧: 2024年5月6日
[注2] 「Man Ray interview(1972) with keith Dewhurst」
https://www.youtube.com/watch?v=aEaldosICdI
閲覧: 2024年5月6日
[メモ] 挿図写真はときの忘れもののコレクションをスタッフが撮影したものを使わせて頂いた。記して感謝申し上げます。
(いしはら てるお)
●本日のお勧め作品は、マン・レイと宮脇愛子です。
マン・レイ
《回転扉(Pain Peint)》
1973年
Alexandre Iolas出版
H24.0×W17.0×D3.0cm
19ページ
図版:13点(シルク10点)
付属ポスター:82.0×48.0cm
宮脇愛子『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(シルクスクリーン入り小冊子、DVD付き)
限定25部(番号・サイン入り)
ときの忘れもの 発行
折本形式(蛇腹)、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログをご覧ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
石原輝雄
家族で南仏からパリへ短い旅行をした折、カンヌのホテル付近をブラパチ散歩していると老人が小さな袋を手に提げパン屋から出てきた。朝の早い時間で、焼き立ての細長いパン(バケットより小ぶりなのでフルートかフィセル)が小さな袋から飛び出している。パンと老人のバランスが可愛げでありながら孤独感も漂い、わたしは自宅に置いているマン・レイの展覧会カタログを思い浮かべた。

それは、フエルト製のボードに青く塗ったバケット(石膏)を貼り付け緑のリボンで留めたもので、『回転扉』の連作を紹介する。カタログというよりアーティスト・ブックの範疇とされ、一般的には『パン・パン(Le pain peint)』と呼ばれ、マン・レイの芸術感を強く反映する人気のオブジェとして近年は展覧会に出品されることも多い。しかし、本作にはアレクサンダー・イオラスの名が中扉下段に記されているだけで展覧会や書誌の情報は無く、制作年、部数とも不明。なので、これを補足したいと考えた。お付き合いいただけたら嬉しい。
1. イオラス画廊
サイト(注1)によるとアレクサンダー・イオラス(1908-1987)はエジプト生まれのギリシャ系アメリカ人。メトロポリタン・オペラハウスで『椿姫』を踊ったダンサー。芸術への関心を幼少期から持ち絵画への「愛」は、パリの画廊で観たジョルジョ・デ・キリコの作品が最初だったという。美術業界に進出したのは踊りをやめた30代後半で、キリコの他にマグリットやエルンストなどのシュルレアリスム系画家を扱うと共にアンディ・ウォーホルの初個展を開催。ヌーヴォー・レアリスムやアルテ・ポーヴェラの作家も扱い、米国と欧州をつなぐネットワークを構築。彼の名を冠した画廊はニューヨークからパリ、ミラノ、マドリッド、アテネと広がった。黄金期は1965年~1976年とされる。
マン・レイの展覧会は、1959年11月にニューヨークで「1912年からの絵画、コラージュ、オブジェ」を紹介した後、写真作品を中心に1973年~1975年にかけてミラノ、パリ、ニューヨーク、マドリードで開催。さらにアテネで版画作品の展示を行っている。これらはマン・レイが積極的に再制作をした最晩年にあたり、イオラスは同業のイルファーノ画廊などとも連携しながら、新しい商材を市場に提供したのだった。

展覧会のカタログに不可欠な会場や会期の記載が無いことから、本作を「商品見本帳」と位置付けても良いように思う。各会場で重要顧客にプレゼント、なんて場面を想像するのも楽しいではないか。部数は300とされるが実数は不明、反響をみての制作ではなかったかと推測する。
2. パン・パン(Le pain peint)
本作を特徴付ける表紙のバケットは、1958年にマン・レイが古くなったパンを青く塗ったところから生まれた。パリに戻りフェルー街のアトリエで隠遁者のように暮らした彼の日常を垣間見るようでわたしには興味深い。作者は「オブジェを造る時には二つのものが必要だ」と言っているが、パンと青い塗料も詩的な組み合わせと考えたい。フランス語の『パン・パン(Le pain peint)』は消防車のサイレンを表すオノマトペで、「火事の後に子供たちが通りを走っているように聞こえる」と研究者のアルトゥーロ・シュヴァルツは述べている。わたしもアトリエでインタビューに応えたマン・レイが楽しそうに「パン・パン・パン・パン・パン・パン」と連呼する動画(注2)を観たが、付いて走っていた子供時代の興奮を蘇らせたかも知れない。同音異義語から題名はフランス語でなければならないと作者は強く主張したとも聞く。尚、最初のものはネズミに食べられてしまい、後に石膏、ポリウレタン、ブロンズなどで再制作された。
ここでわたしは英語の題名『ブルー・ブレッド(blue bread)』からの私的な連想にふれたい。ひとつは、1957年に「黄金よりも高貴な青」として用いられ始めたイヴ・クラインのブルーに繋がる色調。さらに、食品と青色がカビを連想させるミステリー。前述のネズミではないが、マン・レイの仕事は言葉遊びのユーモアに、現代人に必須の孤独を忍ばせる。作者は『favourite food for blue birds (青い鳥の好物)』と題名に補足したが、1965年10月に女友達ロザリンド・ジェイコブス宅(ニューヨーク)での夕食会でクッペの形をした張り子の箱に彩色した『ブルー・ブレッド(blue bread)』を贈った時、内側に「青パンは青ひげの好物、全部食べました。ありがとう」と献辞を入れた。パン(Blue bread)とひげ(Blue Beard)は繋がりますな、恐ろしい殺人鬼と幸せを見付ける青い鳥、イメージの連鎖が複雑に絡み合いオブジェが詩の高みに昇る。これだから、マン・レイ作品の探求はやめられません(笑)。
3. 回転扉
本作の魅力は1910年代のニューヨークで「疑似─科学的な抽象の作品」として制作したさまざまな色の切り抜きからなる『回転扉』10点が、美しいシルクスクリーンで再制作され、ダニエル画廊での個展(第3回、1919年)会場と同じような体験がアコーディオンを奏でるように楽しめるところにある。折本にする着想は作者が自伝で連作の題名を「蝶番でスタンドに取付けられたので、回転させていちどきに見ることができたからである」(千葉成夫訳『セルフポートレイト』美術公論社、1981年 75頁)としたところからだと思われた。『回転扉』はパリでポシュワール版画、ハリウッドで油彩、トリノでシルクスクリーンになった後、本作で初心に戻った。作者、お気に入りの青春の仕事なのである。



プライベート・プレス、銀紙書房でも折本形式で『フェルー街』(1984年)と『マン・レイとの遠近法』(2001年)を上梓した。折本の場合は畳んだ長い紙が自由気ままに広がるので書容設計が難しい。ボードに紙の両端を貼付け書物の形でキープすると楽しさがなくなり、書棚に折目が現れると美しくない。経本のように平置と割り切れば解決するかもしれないが、生活の場に違和感が伴う。本作からの引用が随所に散りばめられたときの忘れもの刊本の『マン・レイへのオマージュ』(2010年)は、宮脇愛子の作品とマン・レイとの交流を総革で包む新境地を示し、装丁家の端正な仕上げに驚かされた。
画家は磯崎新と結婚した宮脇に「ありがとう──新しい愛子、貴女にお会いするため日本へ旅行できるといいのに」と中扉に献辞して本作を贈った。磯崎が雑誌『都市住宅』(鹿島研究所出版会)の表紙でテキストを付し、本作を紹介したのは1973年10月号。同年春にはマン・レイの手にあったと思われる。



それにしても心躍る楽しい仕掛け。バケットは鳥の好物で啄む姿が目に浮かぶ、それを青く塗ることで翼が広がり、人が手にとり遊ぶ。凡夫のわたしなどは「大般若」と唱え経本をパラパラさせる転読の折など、本堂の青畳に座しながら本作を思い浮かべる。マン・レイのありがたい言葉として読経するのです。
4. アダムとイヴの「愛」の日々
改めて本作を手にとった。緑のリボンを優しく解いてやると中扉の次に油彩『薔薇の木』(1938年、イルファーノ画廊蔵)複製。楽園のアダムとイヴが緑色の奇妙な薔薇の木陰で大型の貨物船らしきものを警戒している。花弁は人の身体より大きく、裸体の二人が次頁から続く領地を守ろうとしている様子。槍を手にするアダムが世の中に憤るマン・レイを想起させる。

『回転扉』の踊りは演奏順を大きく入れ替え「オーケストラ」から始まり「長距離」「道化」「会議」「伝説」「デカンタ」「若い娘」「蜻蛉」「コンクリートミキサー」「影」までの十曲。赤、青、黄の三原色が軽やか。そして、緑青に覆われた特大のブロンズ彫刻、『プリアポスの文鎮』(生殖の神)が、アダムとイヴの「愛」の夜を象徴させ続き、物語は『マルキ・ド・サドの想像的肖像』で大団円を迎える。わたしは貼り込まれた桃を三個並べた言葉遊びのポスター『桃風景(PECHAGE: peche + paysage)』を広げ、作者の人生を追体験した充実感に酔うのだった。バカですね。

幸せな日々に似つかわしい本作は、マン・レイからの最高の贈り物。前述した宮脇カップルには「新しい生活」を、ジェイコブス夫妻には4月の日付で「日々の糧を分かち合うために」と献辞した。近年の本作人気は閉塞した世相を希望に変える「若さ」の色彩故ではないかと思う。『パン・パン(Le pain peint)』と『回転扉』が、これほどに共鳴する場を他に知らない。

自宅のものにマン・レイの献辞は無いけど(当然)、マン・レイの大回顧展(1982年)を観覧してパリ旅行から戻った若い友人が、「結婚祝い」にプレゼントしてくれた経緯から、中扉の余白に「愛」の生活への献辞が記されていると夢想してしまう。それは、新婚旅行で『プリアポスの文鎮』(写真)を買い求めた偶然と、ジュリエットに招かれたフェルー街のアトリエで高さ101センチの特大版を見た驚きに繋がる。ブロンズ彫刻は本作の実制作を担当したセルジオ・トシのエディションで取扱画廊がイオラス、マン・レイもアトリエに置いた限定3部だったと本稿の準備段階で知った。
5. パダン・パダン(padam padam)
さて、本稿冒頭の旅行はマン・レイと1991年に亡くなったジュリエットの墓参りを家族揃ってしたいと願った旅程だった。未亡人はマン・レイの彫刻『平面卵』を墓碑に選び「呑気にしているけれど、無関心ではいられない」という夫の口癖を刻み、並んで「この次も一緒に」と書き添えている。わたしはマン・レイに熱中してきた人生の幸せを泉下の二人に報告。──と、本稿を結びたいところだが、墓碑は2019年に「家を失った酔っぱらい」によって壊され、以降、修復されず今日に至っている。

回転することで理想的な球体を得る『平面卵』と、広げられ波打つことで幸せを紡ぐ折本との関係から「私をおいかけ、せまりくる足音」を聴く。そう、名曲「パダン・パダン(padam padam)」。アコーディオンは主旋律と和音伴奏を同時に演奏できる楽器。「青パン」が鍵盤の飾りに見えないか。モンパルナス墓地にエディット・ピアフが来てくれたら、わたしは『(パン・パン)Le pain peint』を大きく押し引きし伴奏するだろう。幸せは涙の上に浮いている。
[注1] 「ALEXANDROS IOLAS」https://iolasofficial.com 閲覧: 2024年5月6日
[注2] 「Man Ray interview(1972) with keith Dewhurst」
https://www.youtube.com/watch?v=aEaldosICdI
閲覧: 2024年5月6日
[メモ] 挿図写真はときの忘れもののコレクションをスタッフが撮影したものを使わせて頂いた。記して感謝申し上げます。
(いしはら てるお)
●本日のお勧め作品は、マン・レイと宮脇愛子です。
マン・レイ《回転扉(Pain Peint)》
1973年
Alexandre Iolas出版
H24.0×W17.0×D3.0cm
19ページ
図版:13点(シルク10点)
付属ポスター:82.0×48.0cm
宮脇愛子『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(シルクスクリーン入り小冊子、DVD付き)限定25部(番号・サイン入り)
ときの忘れもの 発行
折本形式(蛇腹)、表裏各15ページ
サイズ:18.0×14.5cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログをご覧ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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