ブログも丁度半ばあたりかと、湯の話などで暫しお寛ぎくだされ。

第6回「ベタも絵のうち」(2024年6月)で紹介した雌阿寒(野中)温泉。
ここは濃い硫黄泉なので、空気より重い硫化水素ガスの対策がしっかり施されている。
湯の投入口やスリット壁など、趣だけでなく、理にかなった造りになっている。
木の枕とケロリン桶だけの素朴な浴舎(写真は2018年)、残念ながら今はもう無い。
宿も2025年に焼失してしまった。

以下、半世紀ほど前に記した、時代がかった湯の指南書を発見。

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『闇雲流露天派入門』
 温泉を好んだ父の遺志、というよりは私の意志、というよりむしろ今は意地で、険しき道程を母なる地球のヘソが沸かす「処女水」(バージンウォーター)を求めて、闇に紛れ、雲に任せて、車を走らせて行くのを常とし、味は炭酸泉、手触りは重曹泉、香は硫黄泉、そして湯は自然無垢の露天の湯壺を極みとします。

 まず、風呂嫌いの者こそが、この門下生の資格に値します。
山奥の湯にまで来て、仕舞湯(しまいゆ)に決まって現われる雑貨屋の親爺の如く、身体の隅々までシャボンをつけまくる必要はないのであって、ただただ、湯に浸かって六根清浄、水虫の足に湯の華なんぞをこびりつかせて土産に持ち帰るのが粋というものです。

 闇雲流は、もちろん案内書にも精通した上で、山師さながら五感を働かせて、湯の所在を探す苦労を喜びとしなければいけません。探すことに手こずるほどに探し当てた湯は、温かく身体を包み、手こずりの果てのみすぼらしい湯の情け無さもまた、身に沁みて良いものです。
 そしてまた、湯けむりの情趣は、料金に反比例するということが解れば、もうあなたは湯師とよばれるでありましょう。

 自然の湯壺がなかったならば、粗末な小屋掛けの雪見風呂、それが無理ならば、部落の古びた共同浴場、一歩譲って、由緒ある旅籠の湯を拝借します。それも望めないならば、十歩後退、せっかく足を運んだのだから、タイル張りの温泉会館にでも浸かりましょう。それにさえも見捨てられたら、そこはもう、神は許しても私は許さぬ裏切りの湯だ。

 闇雲流はまた、ハシゴ湯を習わしとします。三度の飯より五度(たび)の湯、下の根(カクシドコロ)も乾かぬうちに、湯から湯へと巡るのですから、ふやけた根性が、一層ふやけて緑の風に心地よいのです。
冬の湯めぐりが辛いのは、寒さのせいではなく、厚着の衣装の着脱であって、特に連れが女性の場合は往生するのです。
下着は質素、上着も簡素で脱ぎやすい服でいらっしゃい、というのはレントゲン検査の日の女学生の心得と同じです。

 闇雲流湯めぐりの門は開かれ、身体に合わせ湯、心に打たせ湯、ただ、ヤミクモに入ることをお勧めします。
 湯には、あたりがあっても、はずれはないのです。

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風呂上がりにベビーパウダー?

いえいえ、このままでは、文字通りのフログで終わりそうなので、刷りの話を。

鶴田一郎 1994年刷り「リリー」から 顔の一部分

作品は45版41色48度刷り、眉・髪の毛だけで10版以上使っている。
このような試し刷りや、多色刷りの位置合わせの時など、まだ乾ききっていないインク面のべたつきを抑えるのにベビーパウダーが重宝する。

 鶴田作品では71版のもあったりして、刷りもまたヤミクモだったのかも知れない。

(いしだ りょういち)

■石田了一(いしだ りょういち)
シルクスクリーン刷り師・石田了一工房主宰
1947年北海道根室生まれ、1970 年美學校で岡部徳三氏に師事。1971年、宇佐美圭司展(南画廊)で発表された<ボカシの 40 版>の版画で工房をスタート。これまでにアンディ・ウォーホル、安藤忠雄、磯崎新、草間彌生、熊谷守一、倉俣史朗、桑山忠明、五味太郎、菅井汲、関根伸夫、田名網敬一、寺山修司、鶴田一郎、萩原朔美、毛綱毅曠、元永定正、脇田愛二郎、脇田和 他 ,様々なジャンルのアーティストのシルクスクリーン作品を手掛ける。

●連載「刷り師・石田了一の仕事」は毎月3日の更新です。次回は12月3日を予定しています。どうぞお楽しみに。

「西田考作さんを偲んで、西田画廊旧蔵ポスター展」
会期:2025年11月5日(水)~15日(土) *日曜・月曜・祝日は休廊
主催・会場:ときの忘れもの
出品作品:荒木経惟、磯崎新、大竹伸朗、加納光於、桑原甲子雄、田名網敬一、福田繁雄、森村泰昌、
アンディ・ウォーホル、トニ―・クラッグ、パウル・クレー、アドルフ・ゴットリーブ、
フランク・ステラ、セバスチャン、サム・フランシス、ヨーゼフ・ボイス、
ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグ、マーク・ロスコ、ジョアン・ミロ、他
ホームページに全出品作品の額付き特別価格を公開しています。