前川千帆は、まちの新しさを描いた。
 ずっとそう思ってきた。ただ懐かしいというより、懐かしさを次々に脱ぎ捨てて、さらに澄んだ懐かしさを身にまとうまちの姿を追っていた。「新東京百景」のなかでもそのストレートな描写は格別だし、ほかにも「屋上庭園白木屋」(1933年)などを見ると、建築家たちのモダン追求にらくらくと歩調をそろえている感覚が、当時は一般にどう受け止められていたのか想像もつかなくなる。新宿や渋谷より浅草がはるかにモダンだった。子どものとき辛うじてその現場を目撃できた。短く思えた時代である。
 千帆はアールデコに近いといったほうが、いくらでも拡げられてしまう懐かしさに紛らわされずにすむ。だがこんどはスタイルとして見なされかねない。画家自身には迷いはない。「版画浴泉譜」をはじめとして描きつくした日本各地の温泉風景では、田舎からも都会からも自立している時間を、平明に臨場的にとらえている。老若男女が出入りし、ひとりに、そのひとりも去り、朝夕が移り日が変わるなかで、湯はゆったりと流れ続ける。この純正の場を奪う者があるとすれば、それは観光化だろう。画家はそこまで暗示的に描き切って、だが告発はしていない。モダン建築以上にシンプルな、絶えず動きのある言葉でただ語っている。
 私が初めて出した本のしおりに一文を寄せて下さった石井桃子さんの、作家・翻訳家として果たされた厖大な仕事の回顧展が世田谷文学館で催された( 2 0 1 0 年2月-4月)、その展示の一画にかつての仕事場の様子が、再現ではないが、実際に使われていた資料や図書や身のまわりの小品がそれとなく飾られていた。その壁に千帆の温泉木版画のひとつが架けられていて驚いたのである。バートンの『ちいさいおうち』やポターのピーター・ラビット、ミルンの『クマのプーさん』を翻訳されているときも、石井さんは温泉の絵を見やることがあったのだろうか。意外だったがすぐに納得した。石井さんこそはるかに長く深く、前川千帆とその時代を生きておられたのだ。(2021)

U 「あ 思い出した」 『Uコレクション展2021年11月26日[金]―12月11日[土]ときの忘れもの)カタログ所収
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上掲のエッセイは発表当時は「U」とだけ筆者は署名されましたが、11月3日、Uこと植田實(植田実)先生が静かに旅立たれました。享年90でした。

本日11月17日は前川千帆(1888年10月5日 – 1960年11月17日)の命日です。
追悼の心をこめて植田先生のエッセイを再録いたします。

トリミング_0772前川千帆
《日本風景版画 軽井沢之部 避暑期の旧軽井沢》
木版 
16.5×23.5cm 
昭和4年(1929)
版上サインあり

 

1_前川千帆
前川千帆
おばあさんと孫の入浴
1950
木版
12.1×10.4cm/13.0×11.5cm
Ed.700
 

 前川千帆(1888-1960)
京都生まれ。1906年頃から雑誌への投稿がはじまる。挿画のほか俳句や短歌、小文も手がけ、しばしば掲載された。1907年浅井忠、鹿子木孟郎につき、手ほどきを受ける。1911年上京。1917年に日本最古のアニメーション映画「なまくら刀」を幸内純一とともに制作。1922年日本創作版画協会会員に推挙される。漫画家として名を成すかたわら木版画を手がけ、清澄な彫摺と躍動感のあるユーモラスな造形により独自の作風を拓いた近代日本を代表する創作版画家である。

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館出版局編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。
1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。
磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998~)に企画編集として参加。
2025年11月3日死去(90歳)。

植田実先生は美術館や画廊の展覧会に足繁く通い、数多くのレビューを執筆してくださいました。お読みいただければ幸いです。

植田実のエッセイ
「美術展のおこぼれ」
  「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」(全14回)
  「手紙 倉俣さんへ」
  「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」

●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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