没後60年 ル・コルビュジエ 建築讃歌」はおかげさまで大好評のうちに、昨日終了しました。
この一年、没後60年記念に相応しい小展をと準備を重ね、海外からも多くの作品を将来しました。
アートフェア東京の余波と、いくつかの新聞に掲載されたおかげでしょうか。思いもかけない多くのお客様にご来場いただきました。
パリからコルビュジエ財団の方が来廊されたのは嬉しいサプライズでした。
ありがとうございました。

本日は日曜なのでブログ休刊日なのですが、掲載予定の記事が多くて・・・
公約破りですいませんが、お付き合いください。

群馬県人ならだれもが知る上毛かるたの一枚に「心の燈台 内村鑑三」というのがあります。
内村鑑三(1861年3月23日〈万延2年2月13日〉 - 1930年〈昭和5年〉3月28日)は新渡戸稲造らと札幌農学校に学んだ明治を代表する思想家で、福音主義信仰と時事社会批判に基づく無教会主義を唱え、生涯を講演と執筆、キリスト教布教に捧げました。

標高815mの高原嬬恋村から高崎高校に入学して最初にできた友人がテニス部の同僚内海孝幸君でした。高崎二中出身のシティボーイで、山猿の亭主には眩しい存在だった。
テニス部では二軍だった二人はやがてマンドリンに夢中になり、愛好会だったマンドリン・ギター愛好会を部に昇格させた。内海君が初代部長、亭主が指揮者を務めます。
高崎高校には既に名門の吹奏楽部(ブラバン)と合唱部があり、マンドリンやギターなんて軟弱だというのが先生たちの評価。そんな空気に反発して猛練習に励んだ。電灯もない真っ暗な教室での練習が終わり、自転車で帰宅する途中に公園があり、売店で牛乳を買って飲んだ。買い食いなどしたことのない田舎者の亭主(そもそも嬬恋村にそんな店はなかった)それだけで不良になった気分でした。
烏川のほとりにあった城址公園には石碑があり、内村鑑三の漢詩が刻まれていました。

上州無知亦無才
剛毅木訥易被欺
唯以正直接萬人
至誠依神期勝利

上州無知また無才
剛毅木訥にして欺かれやすし
ただ正直をもって萬人に接す
至誠神によって勝利を期せん

毎日通るので自然に覚えて、60数年経ったいまも「ジョウシュウムチマタムサイ ゴウキボクトツニシテアザムカレヤスシ」と口に出る。

軽井沢にケンドリック・ケロッグ設計による内村鑑三を記念した教会があるというので、先日社長と二人で行ってきました。

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石の教会・内村鑑三記念堂
https://www.stonechurch.jp/
内部は撮影禁止でした。
軽井沢のような風土には石の建造物というのは、なかなか難しいいなあというのが率直な感想でした。

●本日のお勧め作品はル・コルビュジエです。
コルビュジエ ポートレートル・コルビュジエ
《Portrait》
1960年
リトグラフ
シートサイズ:76.2x64.8 cm
版上サインあり
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●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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