栗田秀法「現代版画の散歩道」
第11回 日和崎尊夫

日和崎尊夫「詩画集 緑の導火線」より 1
イギリスの幻想詩人ディラン・トマス(1914-1953)の詩集『緑の導火線』(真鍋博章訳)に収められた「緑の導火線をつらぬいて花をはしらせる力が」の最初の連である。トマスは、版画家・日和崎尊夫(1941-1992)が23歳の時にその訳詩集から大きな衝撃を受けたとされる詩人で、この版画家は不惑を超えて詩画集『緑の導火線』(1982)でこの詩人の表現世界に真っ向から格闘しようとした。日和崎の詩画集としては、『星と舟の唄』(1966)、『卵』(1970)、『水夢譚』(1977)、『FURESIMA』(1980)に続くもので、その掉尾を飾るものとなった。
この『緑の導火線』には10の詩編に一つずつ版画が添えられている。そのうちの半数はこの版画家の作品の中では写実性が強いもので、残りの作品では日和崎ならではの濃密な幻想世界が展開している。ここでは冒頭の《緑の導火線をつらぬいて花をはしらせる力が》をじっくり見てみよう。
輪切りになった版木の一部には割れ目が鋭く入り、画面に緊張感を与えている。その割れ目の先端にはやや大きな花びらが刻まれ、それをやや大きな円が取り囲み、その隙間には花壇よろしく数本の花が咲いている。世界図を思わせる全体の画面は大きく上下の二つに分かれ、さらに下部は割れ目により二つに分かれている。上部には黒い余白部分が多く、空か天を暗示しているのであろうか、周縁部は花の装飾モチーフがちりばめられているが、暗部には円形の物体が浮遊している。下部には、山岳や海に見えなくもない部分を除くと、びっしりと植物に埋め尽くされている。
この詩全体では、自然界を貫く普遍的な力と、その力が人間の生と死にどのように作用するかが探求されている。「ぼくは唖なのでねじけた薔薇に言ってやれない」には人間の無力と沈黙が託され、「ねじけた薔薇」や「冬の熱病」の言葉には不可避な死と腐敗が暗示されている。ある意味でこの世のはかなさを伝える「ウァニタス画」に通ずる世界であるが、日和崎の画面にはむしろ生命感の横溢が際立っている。モチーフがぎっしりと描かれつつも、この作家に特有の放射状に配列された細かい刻線の力によるものであろうか、個々の対象物には萌え出る生命力のようなものが宿っている。そこにこそ、この作家の真骨頂が感じられることだろう。
無邪気な天邪鬼(柄澤齊)とも称される日和崎尊夫は、独学で木口木版画の技術を体得し、日本版画協会展で新人賞を受賞するまでになった。その後強いノイローゼに苛まれるようになり、『老子』や『法華経』の耽読からカルパ(劫)の概念に行きつき、1968年辺りに独自の作品世界を確立し、1969年のフィレンツェ国際版画ビエンナーレで金賞を受賞するなど、一連の「KALPA」と題された作品群によって現代を代表する版画家のひとりに目されるようになったことはよく知られている。木口木版画を駒井哲郎の銅版画の詩的世界に比肩できる表現媒体に高めた功績はいくら強調しても足りないであろう。かつて岡田隆彦が星雲になぞらえ、部分的に地と図が入れ替わるそのオールオーヴァーな画面は見る者の視線を自由に泳がせるものであり、鑑賞者を飽きさせることはない。
なお、この詩画集は、版画も機械刷りという点で理想の書物造りが目指されたことでも注目される。その実現のために19世紀イギリスの平圧印刷機が取り寄せられ、英文活字は日本を代表する欧文組版工・高岡重蔵が担当した。小型の廉価版の詩画集『緑の導火線』が2015年に沖積舎から刊行されているので、まずはそれを手に取り、詩を味わいつつ版画を楽しんでほしい。機会があれば、原作のもつ紙の風合いや、活字の美しさ、刷りの見事さもぜひ堪能していただきたい。
(くりた ひでのり)
●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は4月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。
■栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など
●本日のお勧め作品は日和崎尊夫です。
「詩画集 緑の導火線」より 6
1982年
木口木版/日和崎尊夫
シートサイズ:40×29.5cm
限定200部
直筆サインあり
発行/大陸の対話社
*レゾネNo.417
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第11回 日和崎尊夫

日和崎尊夫「詩画集 緑の導火線」より 1
緑の導火線をつらぬいて花をはしらせる力が
ぼくの緑の年をはしらせる 木の根を枯らす力は
ぼくの破壊者だ
だがぼくは唖なのでねじけた薔薇に言ってやれない
ぼくの青春もおなじ冬の熱病にねじ曲げられていると
ぼくの緑の年をはしらせる 木の根を枯らす力は
ぼくの破壊者だ
だがぼくは唖なのでねじけた薔薇に言ってやれない
ぼくの青春もおなじ冬の熱病にねじ曲げられていると
イギリスの幻想詩人ディラン・トマス(1914-1953)の詩集『緑の導火線』(真鍋博章訳)に収められた「緑の導火線をつらぬいて花をはしらせる力が」の最初の連である。トマスは、版画家・日和崎尊夫(1941-1992)が23歳の時にその訳詩集から大きな衝撃を受けたとされる詩人で、この版画家は不惑を超えて詩画集『緑の導火線』(1982)でこの詩人の表現世界に真っ向から格闘しようとした。日和崎の詩画集としては、『星と舟の唄』(1966)、『卵』(1970)、『水夢譚』(1977)、『FURESIMA』(1980)に続くもので、その掉尾を飾るものとなった。
この『緑の導火線』には10の詩編に一つずつ版画が添えられている。そのうちの半数はこの版画家の作品の中では写実性が強いもので、残りの作品では日和崎ならではの濃密な幻想世界が展開している。ここでは冒頭の《緑の導火線をつらぬいて花をはしらせる力が》をじっくり見てみよう。
輪切りになった版木の一部には割れ目が鋭く入り、画面に緊張感を与えている。その割れ目の先端にはやや大きな花びらが刻まれ、それをやや大きな円が取り囲み、その隙間には花壇よろしく数本の花が咲いている。世界図を思わせる全体の画面は大きく上下の二つに分かれ、さらに下部は割れ目により二つに分かれている。上部には黒い余白部分が多く、空か天を暗示しているのであろうか、周縁部は花の装飾モチーフがちりばめられているが、暗部には円形の物体が浮遊している。下部には、山岳や海に見えなくもない部分を除くと、びっしりと植物に埋め尽くされている。
この詩全体では、自然界を貫く普遍的な力と、その力が人間の生と死にどのように作用するかが探求されている。「ぼくは唖なのでねじけた薔薇に言ってやれない」には人間の無力と沈黙が託され、「ねじけた薔薇」や「冬の熱病」の言葉には不可避な死と腐敗が暗示されている。ある意味でこの世のはかなさを伝える「ウァニタス画」に通ずる世界であるが、日和崎の画面にはむしろ生命感の横溢が際立っている。モチーフがぎっしりと描かれつつも、この作家に特有の放射状に配列された細かい刻線の力によるものであろうか、個々の対象物には萌え出る生命力のようなものが宿っている。そこにこそ、この作家の真骨頂が感じられることだろう。
無邪気な天邪鬼(柄澤齊)とも称される日和崎尊夫は、独学で木口木版画の技術を体得し、日本版画協会展で新人賞を受賞するまでになった。その後強いノイローゼに苛まれるようになり、『老子』や『法華経』の耽読からカルパ(劫)の概念に行きつき、1968年辺りに独自の作品世界を確立し、1969年のフィレンツェ国際版画ビエンナーレで金賞を受賞するなど、一連の「KALPA」と題された作品群によって現代を代表する版画家のひとりに目されるようになったことはよく知られている。木口木版画を駒井哲郎の銅版画の詩的世界に比肩できる表現媒体に高めた功績はいくら強調しても足りないであろう。かつて岡田隆彦が星雲になぞらえ、部分的に地と図が入れ替わるそのオールオーヴァーな画面は見る者の視線を自由に泳がせるものであり、鑑賞者を飽きさせることはない。
なお、この詩画集は、版画も機械刷りという点で理想の書物造りが目指されたことでも注目される。その実現のために19世紀イギリスの平圧印刷機が取り寄せられ、英文活字は日本を代表する欧文組版工・高岡重蔵が担当した。小型の廉価版の詩画集『緑の導火線』が2015年に沖積舎から刊行されているので、まずはそれを手に取り、詩を味わいつつ版画を楽しんでほしい。機会があれば、原作のもつ紙の風合いや、活字の美しさ、刷りの見事さもぜひ堪能していただきたい。
(くりた ひでのり)
●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は4月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。
■栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など
●本日のお勧め作品は日和崎尊夫です。
「詩画集 緑の導火線」より 61982年
木口木版/日和崎尊夫
シートサイズ:40×29.5cm
限定200部
直筆サインあり
発行/大陸の対話社
*レゾネNo.417
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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