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荒井由泰のエッセイ「マイコレクション物語」
第5回 「アートフル勝山の会」活動とマイコレクション その2  2012年8月21日
バブル時代、版画を含め、アートが高騰したが、バブルの終焉とともに、多くの作品が大幅に値下がりする事態に直面した。
私のコレクションにおいても、バブルに少なからず影響を受けたことは今となれば、後悔はないがほろ苦い思い出だ。ニューヨークに出張の際、1988年だが、ドナルド・サルタン(Donald Sultan)と出会い「ブラックレモン」に衝撃を受けた。銅版画には手が出なく、「ブラックレモン(パリ・レビュー)」(1987年、シルクスクリーン)を購入した。この作品をきっかけに、今まであまり関心のなかったアメリカの作家の作品をコレクションに加えることになる。ドナルド・サルタン、ロバート・モスコビッツ(Robert Moskowitz)、ジョー・アンドー(Joe Andoe)の作品だ。価格の上昇で、欲もからみ、ついつい購入金額が増える図式であった。よくある話である。ドナルド・サルタンの8点セット(花とフルーツのポートフォリオ)を1990年に手に入れたが、結局2002年にニューヨークで売却し、長谷川潔とデマジエールの作品に姿を変えた。環境変化はコレクションに様々な影響を与える。なかなか一途にとはいかないものだ。

Donald Sultan
"The Paris Review"
1987

一途と言えば、柄澤齊とともに、コレクションを継続してきた作家がいる。それは野田哲也だ。好みから言えば、フィッチとの出会いもあって銅版画が好きだったが、シルクスクリーンと木版を組み合わせた野田作品がなぜか心を捉えて離れなかった。日記シリーズはとてもプライベートな題材だが、私自身のなかにスーと入り込む。木版とシルクの組み合わせという魔法が関係しているかもしれない。ニューヨークのAAAギャラリーでの購入、池田満寿夫作品との交換やアートフル勝山の会による企画展(1984、2001)によって、着実にコレクションが充実し、現在50点近くになった。最新のものは2006年作の日記:9月21日で定年退職通知書を持つ自画像だ。いつもエスプリが効いていて、心憎い。野田先生の人柄とともに私の愛すべき作品群だ。

野田哲也
「日記2006年9月21日」

90年代の「アートフル勝山の会」活動を振り返ると、地元福井出身の土屋公雄(1991)、難波田龍起(1991)、舟越桂(1993)、田井雄二(1994)、小野隆生(1995、97、98)、木村利三郎(1997)、吉原英雄(1998)、磯崎新(1999)等を招待して展覧会を開催した。

1999
磯崎新展
中上邸イソザキホール
前列中央の帽子姿が磯崎新先生
その右が荒井さん、左が中上光雄さん

また、物故作家としては1997年に「瑛九作品集」(日本経済新聞社刊)の発売を記念して「瑛九作品展」を開催し、油彩やフォトデッサンを含め、25点を展示した。瑛九は晩年、経済的に困窮するなか、命を削りながらすばらしい作品を残しているが、その時代、支えていたのが福井で創美活動・小コレクター運動を推進していた先生方であったことはあまり知られていない。福井で何回か瑛九頒布会が行われ、売れた代金が瑛九の作品制作と生活を支えた。「小コレクターの会運動」の志を実行した我がふるさとの先輩達を誇りに感じている。
90年代の私にとってのトピックスは舟越桂及び小野隆生との出会いだ。彫刻も含め、舟越作品には大いに惹かれるものがあった。木彫の遠くを見つめる孤独な眼の魅力が版画にも感じ取れた。1990年の西村画廊の展覧会で銅版画を購入したのが最初のコレクションであった。ぜひとも「アートフル勝山の会」主催の展覧会をやりたいと思い、お願いしたら断られることがないであろう人脈を探索した。たどり着いたのは盛岡第一画廊の上田さんであった。中上先生の奥様とともに、盛岡までお願いに出かけ、幸いにも舟越さんに勝山まで足を運んでもらうことに成功した。版画だけでは迫力に欠けるというので、上田さんから初期の木彫もお借りすることもできた。また、第一画廊で舟越桂の最初の版画セット(銅版画3点)とも出会い、小品の割に高価であったが、作品のすばらしさに惚れ込んでコレクションに加えた。企画展は新作版画のセット(10点)を画廊からアートフル勝山の会が買い取る形での作品展示となったが、おかげさまで全作品が地元に納まった。私のコレクションにはこのうちの2点が仲間入りしている。

1993
舟越桂氏とともに

1993
舟越桂展

舟越桂
「北からの音 State1」
1990

舟越桂
「教会とカフェのためにI」
1987

もう一人の素晴らしいアーティストとの出会い(縁)があった。小野隆生である。彼は舟越の1歳年上で、舟越と同じく岩手県の出身である。彼は20代のはじめにイタリアに渡り、絵画の勉強をしている。その後絵画の修復も学び、修復の仕事もしていた。1976年に銀座の現代画廊で最初の個展を行い、80年代以降は銀座のギャラリー池田美術等で個展を開催してきた。私にとっては無名の作家であった。ときの忘れものの綿貫さんの強力な推薦があり、開催の運びとなったが、彼の描く不思議な雰囲気の存在感のある人物像は私を魅了した。アートフル勝山の会での最初の企画展は1995年で新作のコンテやテンペラとともに、ときの忘れもの・盛岡第一画廊・アートフル勝山の会で共同エディションして制作した版画集(4点セット、限定35部)も展示した。この版画集が小野隆生の最初の版画集でもあった。小野夫妻を囲む記念レセプションでは小野の追求するダンディズムも含め、彼の魅力的な人間性にも触れることができ、大フアンとなった。以後1997年、1998年、2003年と計4回の企画展を開催したが、それとともに私のコレクションも充実していくことになる。

1995
小野隆生展
左から綿貫令子、三上豊さん(現和光大学教授)、小野隆生夫妻、西田考作さん(奈良・西田画廊)、中上さんご夫妻、荒井さん

1995
小野隆生新作展
中上邸イソザキホール

小野隆生
「女性像」
1983

小野隆生会場前にて

実は、「アートフル勝山の会」活動と瑛九は切っても切れない関係にある。1997年にときの忘れものの協力を得て「瑛九作品展」を開催した折、日本経済新聞社の最終面の文化欄に「北陸の里に現代美術の輪」というタイトルで寄稿するチャンスを得たが、そこで「この活動は創美活動のブレインであり、アートのすばらしさを地方の人々に伝えた瑛九の人間性と芸術が原点にあり、彼を敬愛してやまなかったわが先輩達が瑛九を物心両面から支えてきた歴史の影響を色濃く残しており、それが誇りでもある。」旨を書いた。また、小コレクター運動の志であり、先輩から聞いた話でもあるが「作家を支持することは、作家を誉めることでなく、黙って買うこと」の言葉も紹介させてもらった。瑛九が原点と言いながら、私のコレクションには瑛九作品がない。というのは近くに瑛九の名作がコレクションされており、それを越えるコレクションは無理だと感じたからだ。私自身は瑛九とは違うアーティスト達のコレクションに集中することになる。
「瑛九」をご縁とした「アートフル勝山の会」は会員や先輩達の協力のおかげで、無事21世紀を迎え、活動が続いた。

(あらい よしやす)

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