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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第22回 「井桁裕子―私の人形制作 第22回」 2011年4月20日
前回、版画家の渡辺千尋さんのこと、そして吉本大輔さんの公演のチラシを送ってもらったことを書いたのでした。
2006年の暮れでした。
公演を観に行ったのは12月24日、麻布die pratzeという小劇場です。
私はほぼ正面の前から二列目に陣取っていました。
すぐ斜め前に撮影を準備している人がいて、ふと後ろを振り返るとせりあがるような客席は満席でした。
その撮影者は、実は写真家の鬼海弘雄氏だったと後で知りました。
カメラのごま粒のような赤い光の点を残して、やがて劇場内はすっぽりと闇に閉ざされてしまいました。

〜〜
闇の中心に何か息づく塊がからみあっている。
そのかたまりの隙間に青い光が灯る....。
それが男と女のからみあった裸体とわかった瞬間、それはどのようにか判らないほど激しく複雑にもつれながら転げ回る。
激しく床に打ちつけられぶつかりあう肉体の重い音がせわしなく続く。
そこに、この地底のような闇を引き裂いて、バイオリンの独奏、バッハのシャコンヌが高く響き渡る。
諍い睦み合う肉体が消え、また闇に沈んだ舞台の虚空に観客は泣き叫ぶようなバイオリン・ソロを聞いている。
すると、ふいに舞台の奥に、白い大蜘蛛のようなものが現れる。
沈黙。
長い時間を緊張したまませめぎあうように変化する陰影。
筋肉の一筋一筋が波打ち、刻々とその起伏を変えていくかと思えば、山が崩れるように一気に躍動して床をのたうちまわる。
その繰り返しの中で時間の感覚が失われていく。
ずっと床をいざるようにしていた身体が、やがてついに立ち上がる。
原始の存在のようだった何者かが突如人間の視点を持って動き始める。
魂そのものだったような裸の肉体は、みるみるうちに過剰な装飾の中に埋もれるようにして、頭だけが小さく突き出して、それがゆっくりとこちらを向く。
もう一度、胸を引き裂くようなバイオリンの独奏。
シャコンヌはときに乱れ、金属的なピアノの連打や思考を停止したような太鼓の軽はずみなリズムに置き換わる。
炎のような光の中、それは分厚い壁のようにふくれあがりながら狂気の痙攣を続け、声もなく哄笑し続ける。またしてもこれは人間ではない。

〜〜
私は、かつてこれほどに激しい身体を見たことがありませんでした。
劇場の明かりがつくと、私は小さな日記帳を出して急いでスケッチを描きました。
こういうスケッチはただ、興奮してうなり声や鼻息をどこかの留守電に吹き込んでいるような事です。
しきりに描いている割には、あとで見て記憶がありありと蘇るとか、そういうことはまずないというのが真相です。

この日が最終日だったので、もう一度観に来ることはできません。
帰りに受付で、次の公演も絶対に知らせてください!と言い残すだけでは収まらず、私はまた渡辺さんに切々たる感想文を書き送ったような気がします。
あるいは電話で話をしたような気もするのですが、ともかく私は「あの人にもう一度ぜひお会いしたい」と訴えたに違いないのです。
渡辺さんは、「毎年、うちでやる新年会に大輔さんも来るから、紹介してあげるよ」と言ってくださったのです。






写真撮影:志ん弥、えみ/2007年7月「エロスとタナトス」(草月ホールにて再演)

〜〜
年が明けて、2007年1月2日、私は渡辺さんのお宅へ伺いました。
冬らしい風情も豊かな中庭があり、版画の仕事場も見せていただき、すばらしい御馳走も並び、もちろんそこには蒼々たる方々がいらしていたのです。
そして、吉本大輔さんにこんなに早く再会できたことがその全てにまして私には重要だったのでした。
しかも、次はいつになるかわかりません。
ご挨拶と一緒にさっそく、人形のモデルになって頂きたいのです!とお願いしました。
快諾の返事を聞き、私は本当に嬉しくなりました。

ずっと、桐礎で球体関節人形ではない自分なりの造形を試してみたかったのです。
そのための核になる何かが必要だったのですが、それを見いだせずにいました。
立体の制作は人形以外やったことのない私にとって、これは新しい技術も必要になる大きな挑戦のような気がしました。
モデルがすばらしすぎて、自分の造形が負けてしまうんじゃないか、という重大な事はそのときはちっとも思いつかなかったのです。

その半年後の6月に、私は個展を決めていました。
すでに仕上げなくてはならない作りかけの作品があり、それを終わらせないと新しいものにかかれません。
この恐るべき人物に取り組む大仕事に対して、たった数ヶ月しかない準備期間。
私は果たして納得のいく作品を作れるのか、冷静になると疑問でした。

しかしその時の私は舞い上がらんばかりでした。
制作の事になると、なぜこうも楽天的なのか自分でも不思議なのですが。

次回に続く。(いげたひろこ)

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