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井桁裕子のエッセイ−私の人形制作
第32回 「Self portrait doll と金木犀」1 2012年2月20日
初めてときの忘れものに私が作品を持ち込んだのは、2009年の秋でした。
それは、とある事情があってお客さんから私の手元に帰って来たばかりの球体関節人形でした。
11月の「TCAF2009」に出品してもらうのに、間に合うものがそれしかなかったのです。
顔にヒビが入り、指が折れたりしていたその人形を、1ヶ月ほどかけて修復しました。
そして名前を「金木犀」と改めて名付けました。
新橋のアートフェア会場で、「金木犀」は初めて外の世界を見る人のように椅子に座っていたのです。

修復のときに、顔を変えたつもりでした。
頬やあごを削り、目を少しぱっちりさせました。
しかし、見た人からは私本人に似ていると言われてしまい、そう言われると返事に困りました。
それもそのはずで「金木犀」の、もとの作品タイトルは「セルフポートレート」でした。
当時、腱が傷ついて曲がったままの人差し指まで同じに作った自分の肖像だったのです。
多少削ったくらいではそれほど印象を変えられないのでしょう。

実はセルフポートレートという作品はもう一つありました。
1996年に制作したもので、それを作った私はまだ20代の終わりでした。
「金木犀」は2007年にそれを模して作ったものだったのでした。
それについてはいろいろと事情がありました。

作品の成り立ちをそんなに説明する必要はないと思うのですが、また、我ながら寝言のような文章だという自覚もあるのですが、記憶を言葉にするのが私には新鮮で、ただそれだけの動機で書こうと思います。

写真:金木犀/2007年




1996年、その頃は私にはまだ二人だけの家庭があって、会社勤めをしながら人形を作っていました。
人形よりも絵がきちんと描きたかったので、友人同士でヌードデッサンなどやったりしていました。
大学ではデザイン科出身だった私は、そもそも基礎的な人体デッサンをほとんどやっておらず、着衣でもヌードでもとにかく人物のデッサンをしたかったのです。
某私鉄沿線の広い貸しギャラリーが、友人たちとのたまり場になっていました。
ある時、その貸しギャラリーでとある写真家と知り合いになり、作品制作に協力してモデルになったことがありました。

自分の身体というものがなんだか私にはよく判りませんでした。
自分をとても大きく、フランケンシュタインのようにぎこちなく感じていたのです。
実際に今よりは体重がやや重かったし、身長も日本人女性の平均より多少高いのですが、当時の写真をみてもそんなにすごく大柄というほどではありません。
しかしなぜか女性用の服では体が入らないと思い込んでいて、洋服はジーンズショップに行って男物の中から探していました。
そのように自己イメージがおかしくなってしまう心の病気があるということは、ずっと後になって知った事です。

写真のモデルをするといった場合もあまり実感が無く、なんとなく「まあいいか、」と思ってヌードでの撮影もしました。
後から思う事でしたが、それが作品として成立する質のものだったら、その後違う展開があったと思うのですが、どう見ても半端なものになってしまいました。
もちろん始めからポルノ的な意味のヌードではないのですが、それゆえに意味が必要だったというか、つまり服を着ていない点にあまり意味がなかったように思います。
その写真は私が拒否したので発表される事はありませんでした。
しかしその「事件」で家庭がぎくしゃくしたのをきっかけにして、結局しばらく後に、私は一人で生きて行く事にしてしまいました。
今まで普通だった同じ暮らしができなくなってしまったのです。

口にした言葉だけが人の耳に聞こえるように、人から見えるものは私の外側だけです。
外側というのは社会と接している自分の態度や見た目であり、そういう、外に接している部分に責任がとれていないということはよくわかったのです。
しかし、ここで私が新しく気付いたのはそのことではなくて、そのおおもとでした。
簡単にいうと、私は、他人からは見えない個人的な事は、他人にはどうでもいい事なので自分でも大切にしなくて良いと思っていたのです。
しかし、自分を大事にできない人は、心ある周囲の人を不幸にするのです。
自分が出会う大切な事や大切な人を大切にしていくために、自分の中にその土台を作らないといけないのでした。

さしあたって、私は見える自分、存在している自分を確認したいと思いました。
自分の身体について把握し表現する必要がありました。
表現というのが違和感を感じられるかもしれないのですが、写真の事がわだかまりとなっていました。
自分の身体を取り戻さなくてはならないという気がしたのです。
今は私の観念でしかない、感覚の集合でしかない身体を、模型を作って空間の中に存在させてみたら何か判ると思いました。
他人に見せて共感してもらう目的で作るものではありません。
人形という様式は、「私は私の身体を認識し所有している」という意味の作品を作るのに、偶然でしたがとても適切でした。
自分本体のことをこんなに純粋に真剣に考えたのは初めてでした。
いつも「自分が何をするか」という外側のことばかりで、自分そのものについて考えなかったのです。
この試みによって、私はやっと社会との関わりの正しい糸口を見つけられるような気がしました。

私は人形を作り始める前に自分をいろいろなふうに採寸してみました。
腕や脚などの長さや太さだけでなく、位置関係の比率も出してみました。
たとえば黄金比が本当にへその所かというのも計ってみました。
肋骨が何本あってどんな角度で回り込んでいるのか。肩甲骨はどんな形か。
美術解剖学の本を見ながら検証しました。
欧米の本の翻訳なので、描かれている絵は西洋人の身体です。
それもあって解剖図という「地図」は「現地」と微妙に異なるので、そこがまた面白く思えました。

そうして身体の機構についての発見を重ねるうちに私は少しずつ重みのある実感を掴んでいきました。
言葉にするのは難しいのですが、ちょっと感覚的に言うと、
誰でも年齢に関わり無く、自分の身体とは赤ちゃんや柔らかい子猫を抱いているようなもので、にもかかわらず無造作に生きているのだ、というようなことです。
それはとても幸せな実感でした。

写真:Seif portrait doll/1996年 撮影/Mario.A

(続く)
(いげたひろこ)

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