ときの忘れもの ギャラリー 版画
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大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」
第27回 2015年4月1日

(画像をクリックすると拡大します)

桜の季節がやってきた。わざわざ花見をしなくても花の姿がおのずと目に入ってくるこの時期、満開の図が脳裏に浮かび記憶の像と重なり合う。シールを貼ったごとくにピタッと一致するさまは異様で、まるで時間の存在が消えている場所にまぎれ込んだかのようだ。

とここまで書いて、これは実際の桜ではなく、桜花を写したこの写真がもたらした感覚であるのに気がついた。写真のディテールを見てみよう。奥へとつづく小径の両側に花が咲き乱れている。低い位置に咲いているのは桜ではないだろう。コデマリか。その上の枝が下向きに垂れているのが桜だが、モノクロだから色が消えて「花」という生き物になっている。人種が消えて人間というまとまりになったように。

このように花が等価な存在になり、一部の隙もなく視界を埋めているシーンは、桜にしかありえない。どうころんでもほかの花を連想しようがないのだ。隙間を恐れるように咲き急ぐ桜の神経症的なありさまが、わたしたちの記憶の奥深くに根を張っている証拠だろう。

満開状態の桜は奥行きがなく、小さな花をみっしりと咲かせた密度の高さからフラットな画面になる。この写真も小径の部分を手で隠してみるとそれがわかる。どの枝が手前でどの枝が奥にあるかわからず、枝がくねっているので一層遠近が曖昧になり、カオスの様相を呈している。

それならば、ホンモノの満開の桜を見上げているときはどうだろうか。花の姿よりも、むしろ時間の推移が強く迫ってくるのではないか。息を吹きかけるだけで散ってしまいそうな花びらに、刻一刻と変化する時間が際立ち、この瞬間がつぎの瞬間へと移行するさまに気持をもっていかれる。花よりも時間を見ているような、時の移ろいを味わっているような奇妙な感覚にひたる。

これと似た体験をするのは、現実の川を見ているときだ。川面を凝視していると、川を見ているという実感は薄れていく。かたちの変化が早すぎて目で追えず、追おうとすればするほど流れが際立ち、ふだんは意識しない時間の推移にのみ込まれてしまうのだ。

花見のときもおなじである。桜の木の下に座っていると、花の姿をめでるよりも、花がもっている時間に全身を開きたくなる。すると、ふだんは気を払わない時間の動きが妙にはっきりと立ち上がってきて、愉し怖しという感覚になる。

この写真では、満開の桜の平板さが中央の小径で切り裂かれているのがミソだろう。これが遠近を生みだし、空間を出現させている。小径の先に妖しい世界が待っているようであり、コデマリがくねくねした枝を振ってどうぞ、どうぞと手招きしているのが、これまた怖い。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
杉浦正和
「櫻花行」OUKAKOU
2014年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:31.1x21.1cm
シートサイズ:50.8x40.6cm

杉浦正和 Masakazu SUGIURA(1960-)
1960年 京都に生まれる。
1983年 大阪芸術大学写真学科卒業

2004年 「ルモンタージュ」プレイスM(東京)/Early gallery(大阪)
2005年 「見返り横丁」富士フォトギャラリー(京都)
2005年 「第二のルモンタージュ」Early gallery(大阪)/プレイスM(東京)
2006年 「御島 ON-SHIMA」Early gallery(大阪)
2007年 「御島 ON-SHIMA」プレイスM(東京)
2008年 「麗春」ギャラリー蒼穹舎(東京)
2009年 「麗春」Satellite gallery(京都)
2009年 「POPOL」北浜ギャラリー(大阪)/エイエムエスギャラリー(京都)
2009年 「ルモンタージュ」ギャラリー蒼穹舎(東京)/Sfera Exhibition(京都)
2009年 写真集『ルモンタージュ』(蒼穹舎)刊行
2010年 「ルモンタージュ」アートスペース東山(京都)
2011年 「見返り横丁」ギャラリー蒼穹舎(東京)
2012年 「見返り横丁」ナダール(大阪)
2012年 「Cuba」フジフォトサロン(大阪)/エイエムエスギャラリー(京都)
2013年 「櫻狩」ギャラリー蒼穹舎(東京)
2015年 「櫻花行」ギャラリー蒼穹舎(東京)/ギャラリー722(岡山)/1839 Contemporary Gallery(台北)

2007年〜 KYOTO PHOTOGRAPHY EXHIBITION GALLERY MARONIE(京都)
2012年 10×10 JAPANESE PHOTO BOOKS NY I.C.P (NY)
2013年〜 PHOTO STREET SUPER SESSION (姫路)
2014年 TAIWAN PHOTO 2014(TAIPEI)
2014年 SEOUL PHOTO 2014(SEOUL)

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大竹昭子 Akiko OHTAKE
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。
主な著書:『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『ソキョートーキョー[鼠京東京]』(ポプラ社)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『日和下駄とスニーカー―東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)、『NY1980』(赤々舎)など多数。

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