「激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953」

大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)  2018年

 

 このたび『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画1928-1953』を国書刊行会から出版いたしました。日本にシュルレアリスムの美術がまとまったかたちで紹介されたのが1928年。その後の四半世紀に、日本の画家たちはシュルレアリスムから刺激を受けながら、何を生み出してきたのかを、古賀春江、福沢一郎、矢崎博信、浅原清隆、靉光、瑛九、北脇昇、鶴岡政男、岡本太郎、山下菊二らの作品を中心に考察したものです。
本の題名には少々こだわりがあります。「日本のシュルレアリスム」という言い方は、慎重に避けました。この言い方には、本家のシュルレアリスムというものがフランスにあって、日本のそれは一種の亜流である、という前提がつきまといます。シュルレアリスムに限らず、日本の近代美術はこれまでずっと、「日本の印象派」「日本のキュビスム」「日本のフォーヴィスム」というように、西洋の亜流、模倣として、一段低いもののように見られてきたのではないかと思います。
私はどうしてもこうした従来の捉え方に抵抗がありました。彼らの作品に、西洋からの影響があることは、もちろんまちがいありません。けれども、彼らには彼らなりの、固有のモティベーションがあったのではないか。そこに目を向けずに、ただ西洋の模倣と片づけて思考停止していては、彼らは浮かばれないのではないか。ずっとそう考えてきました。そこで、彼らが当時の社会との間にどのような緊張関係をもち、そしてそれに対して自身のヴィジョンをどのように示そうとしたのか、そのためにシュルレアリスム(のある一部分)からどのようにヒントをもらいつつ、自らの表現を組み立てていったのかということを、ひとつひとつの作品から読み解いていく作業を続けてきました。実際のところ、彼らがやりたかったことは、本家のシュルレアリスムとは全然ちがってしまっているといっていいでしょう。それでいいじゃない、だからこそおもしろいでしょう、と私は声を大にして言いたい。このたびの本は、そうした取り組み、二十数年分のまとめです。
正直なところを申し上げれば、私自身、彼らの作品に興味をもったいちばん最初の動機は、単純に見た目の不思議さ、おもしろさでした。これは本書の「あとがき」でも告白しておりますが、中学2年生のときに、地元の美術館で開かれていた展覧会で古賀春江の《窓外の化粧》を見て「おお、かっこいい」と思ってしまったわけです。同じ頃、ダリとかエルンストにも興味を持ちました。中学生の頭ですから、美術史の流れや影響関係などはわかりません。最初のうちは、イメージのおもしろさで古賀もダリも同列に興味をもって見ていたように記憶しています。
もう一歩踏み込んで、彼らのことを知りたいと思うようになったのは、大学で美術史を勉強し始めてからのことでした。ちょうど私が大学一年生のとき、練馬区立美術館で靉光の回顧展が開かれました。そこで《眼のある風景》と《自画像》に、完全に参ってしまったのです。それ以来、靉光は私の中で完全に別格の画家となりました。卒論で彼について書こうと、いろいろ調べていくうちに、彼に限らず、昭和戦前期にシュルレアリスムの影響を受けた画家たちが周囲から受けた抑圧のひどさを知りました。そして考えたのです。どうして彼らは、こんなに周囲からひどい扱いを受けてまで、シュルレアリスムに惹かれ、そこから表現のヒントを得ようとしたのだろう。単に見た目のかっこよさや、新しい流行に飛びつく、といった気持ちでは、とてもではないけれども、この抑圧には耐えられないのではないか。彼らには、抑圧に耐えてまで、シュルレアリスムから何かを得たいと思う切実な欲求があったのにちがいない、と。私たちがいま、考えるべきは、そうした彼らのモティベーションの由来を明らかにすることと、その固有のモティベーションが、もともとのシュルレアリスムからどれだけ逸脱しているかを見極め、その逸脱ぶりに、新しい表現の可能性を読み取ることなのではないでしょうか。
こうした研究のスタンスは、美術館に就職してからますます強まりました。私が東京国立近代美術館に就職したのは1994年。それから今日まで、1995年の阪神淡路大震災、2001年のアメリカのテロ、2011年の東日本大震災など、世界を揺るがす事件が続くにつれ、美術と社会との関係についても、人々の関心は高まってきたように思われます。しかし一方では、少数派の意見に対して不寛容な空気が広まりつつあるように見えるのも、これまた事実でしょう。こんな状況の今だからこそ、あらためて彼ら、1930年代、40年代に、社会との緊張関係の中で、ものを言おうとした画家たちのことを考え直さなければならないと確信します。おそらく多くの方々は、この本で取り上げられている画家たちのことを、あまりご存じないのではないかと思います。それくらい、彼らは半ば歴史に埋もれつつあります。でも、あらためてひとつひとつの作品を見直してみてください。一見、シュルレアリスムの模倣のように見える作品に隠されていたメッセージが読み解けたら、とたんにその作品は別の輝きを見せてくれるはずです。こんなおもしろい画家たちがいたのだ、ということを、ひとりでも多くの方に知っていただきたい。そして彼らが伝えたかったことに思いを馳せていただきたい。筆者の切なる希望です。
おおたに しょうご

 

大谷省吾(おおたにしょうご)
1969年茨城県生まれ。筑波大学大学院博士課程芸術学研究科中退。1994年より東京国立近代美術館に勤務。現在、同館美術課長。博士(芸術学)。「北脇昇展」(1997年)、「地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画」(2003年)、「生誕100年 靉光展」(2007年)、「麻生三郎展」(2010年)、「生誕100年 岡本太郎展」(2011年)、「瑛九1935-1937闇の中で「レアル」をさがす」(2016年)、「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」(2019年)などを企画。著書『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』(2016年 国書刊行会)。

 

『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』


国書刊行会 発行

2016年

21.7x17.0cm

664P



目次(抄):
第一部 一九二八~三六年 都市の近代化、その光と影の中で
・第一章 概観一九二八~三六年 シュルレアリスム受容の初期過程
・第二章 超現実主義と機械主義のはざまで 古賀春江、阿部金剛を中心に
・第三章 福沢一郎とその影響 社会風刺としてのコラージュ、行動主義
第二部 一九三六~四五年 戦時下に画家が見つめたもの
・第一章 概観一九三六~四五年 危機の中の探究
・第二章 ダリの紹介と地平線の絵画
・第三章 靉光《眼のある風景》をめぐって 「物」へのまなざし
・第四章 紙の上の実験 表出される性と死
・第五章 シュルレアリスムから「図式」絵画へ 北脇昇
第三部 一九四五~五三年 戦後の現実に直面して
・第一章 概観一九四五~五三年 「前衛」の再編
・第二章 戦後の代表作を、戦前との関係から読み直す 福沢一郎、鶴岡政男、北脇昇
・第三章 岡本太郎の「対極主義」の成立とその展開
・第四章 ルポルタージュ絵画 山下菊二《あけぼの村物語》を中心に