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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第3回 2020年08月12日
未来派のメディア

太田岳人


前回の記事で私は、未来派=マリネッティとシュルレアリスム=ブルトンの間にある、類似および相違について書いた。両者の類似点をもう一つ挙げるとすれば、それぞれの長期にわたる展開において、常に自己の芸術運動のメディアが組織されたことが挙げられるだろう。

シュルレアリスムの歴史を研究しようとする人は、パリ・ダダの結成以前の『リテラチュール』に始まり、もっとも名高い『シュルレアリスム革命』や『革命に奉仕するシュルレアリスム』、さらには第二次世界大戦期の『VVV』、その後の『シュルレアリスム・メーム』へと至る、指導者が編集に携わった時代ごとの雑誌を一度は確認しなければならないであろうが、未来派にも同様のことが言える。数年前、日本においても西野嘉章が、書誌学的見地から多くのイタリアの未来派メディアを紹介した前衛芸術雑誌・新聞の研究書を出版しており【注1】、この点に興味のある方にはぜひ一読をおすすめしたい。

さて、マリネッティは未来派の発足以前から国際文芸誌『ポエジーア』を運営していたが、同誌の出版元であった「ポエジーア出版部」は、その休刊後にもマリネッティが立ち上げた「未来派運動指導部(Direzione del Movimento Futurista)」の機関として、1940年代まで活動を継続していくことになる。「未来派運動指導部」のレーベルのもと、パンフレットから一枚ビラまで、様々な形式をとった芸術宣言が発信された。

シュルレアリストのそれと比較して、未来派のメディア戦略は自己宣伝の機動性、速報性の獲得といった点がより重視されていると私は考えるが、後者の運動はさらに、運動の外部の隔週刊・週刊のメディア(雑誌・新聞)にも自身を売り込むだけでなく、時にはそうした事業を吸収することすら試みた。フィレンツェの『ラチェルバ(Lacerba)』(1913−1915)は、早くからキュビスムの動向にも通じていた批評家・画家アルデンゴ・ソッフィチ(1879−1964)らが運営していた隔週刊誌であったが、彼が一時的に未来派運動に取り込まれたことで、同誌は初期の未来派全体における機関誌に準ずる機能を帯びるようになった。マリネッティは雑誌の値下げとともに、発行部数を万単位にまで膨らませたことによって、掲載される未来派のメッセージを大衆層にもアピールすることに成功したとされている。また、こうした彼らの旺盛な活動はパリの芸術家の興味も引いたようで、ソッフィチが手がけた同誌の特徴的な題辞、第一面の上半分をまるまる覆う巨大な「Lacerba」の文字は、未来派の外部にいたパブロ・ピカソが描いた、綜合的キュビスムのある作品にも登場している【図1】。

202008太田岳人図1:ピカソ図1:ピカソ《パイプ、グラス、新聞、ギターと「ヴュー・マール」のボトル:『ラチェルバ』》、1914年春(キャンバスにパピエ・コレ、油彩、チョーク、73.2×59.4cm、グッゲンハイム・コレクション、ヴェネツィア)
Otto Didier (a cura di), Futurismo: avanguardia-avanguardie. Milano: 5 continente, 2009より。


マリネッティ個人の強い影響下で編集される、未来派全体の機関誌的性格を持つメディアとしては、ローマの週刊紙『フトゥリズモ(Futurismo)』(1932−1939/途中で『サンテリア(Sant'Elia)』、さらに『アルテクラツィア(Artecrazia)』と改題)【図2】まで、断続的に系譜をたどることができる。一方、1920年代以降において新たに注目されるのは、後継世代が自分のイニシアティヴで小規模ながらも定期刊行物を発行し、未来派の芸術を豊かにしようとした試みである。代表的なのは、エンリコ・プランポリーニの編集した芸術雑誌『ノイ(Noi)』(1917‐1919、1923−1925)であろう。日本では特に、第二期の同誌が、神原泰や村山知義といった日本の「未来派」=前衛芸術家を紹介したことで知られている【図3】。1930年代にもプランポリーニは、より若きフィッリア(1904−1936)と共同で『スティーレ・フトゥリスタ(Stile futurista)』(1934−1935)【図4】を編集するなど、イタリア国外の芸術動向の摂取に非常に積極的であった。

202008太田岳人図2:『フトゥリズモ』図2:『フトゥリズモ』1933年4月16日号
Vivien Greene (ed.), Italian Futurism 1909-1944: reconstructing the universe. New York: Guggenheim Museum, 2014より。

202008太田岳人図3:『ノイ』図3:『ノイ』1923年5月号(通巻第二期第2号)
セゾン美術館他(編)『未来派 1909−1944』(東京新聞社、1992年)より。

202008太田岳人図4:『スティーレ・フトゥリスタ』図4:『スティーレ・フトゥリスタ』、1935年9月号(通巻第11−12号)
筆者所有の同誌復刻版(curato da Luciano Caruso, Firenze: SPES, 1991)より。

こうした歴史的な芸術雑誌は、ヨーロッパの古書市場においては1巻につき少なくとも数百ユーロの値が今でこそつくが、同時代的にはほとんど黒字にはならないし、出版費用を集めることすら大変である。1930年代にシュルレアリストの『ミノトール』を手掛けたアルベール・スキラは、印刷屋への支払いに追われるたびに、富裕な家の生まれのポール・エリュアールが母に1000フランをせびって、それで飲み食いした残りを業者に持って行くことで、毎回勘弁してもらったものだと懐かしんでいる【注2】。また、フランスの研究者アンリ・ベアールによるブルトンの伝記【注3】を読むと、時代ごとの雑誌の運営資金の工面の苦労への論及に合わせて、ブルトン自身も若き日には生活のため、ガリマール出版での編集、美術コレクションの売買、またコレクターのアドバイザーといった雑仕事をこなしていたことも指摘されている。

同じ前衛的な芸術運動のカリスマ的リーダーであっても、マリネッティに関する伝記的記述には、こうした金銭に関する問題が意外なほど話題にのぼってこない。彼がエジプトのアレクサンドリアに生まれたのは、ミラノで民事弁護士として成功した父が、さらなるチャンスを求めて北アフリカに上陸したことによるが、彼の父母および兄はいずれも「未来派創立宣言」が発せられる1909年以前に世を去っていた。私の手持ちの文献には、マリネッティの父が残した具体的な財産の中身や、その運用の実態についての情報は見つからなかったものの、確実にその財布の中身はブルトンより余裕があったことだろう。断続的ではあれ、隔週刊・週刊ペースでのより費用のかかる規模の出版活動にも介入することのできる条件が、マリネッティにはあったのである。彼が死去した後、未来派に参加した作家たちから買い取ったままになっていた大量の同じ本が残されたという話も、西野氏の著作には引用されている。前回の記事で言及した、芸術運動の指導者を描いた肖像作品の多さの理由もまた、リーダーの影響力に加え、その金銭的パトロンとしての余裕にも求められるかもしれない。

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注1:西野嘉章『前衛誌 未来派・ダダ・構成主義[外国編]』(全2巻、東京大学出版会、2016年)。

注2:アルベール・スキラ「『ミノトール』の発行者として』」(山下俊一訳)、『ミノトール 復刻版』別冊付録(みすず書房、1986年)。

注3:アンリ・べアール『アンドレ・ブルトン伝』(塚原史・谷昌親訳、思潮社、1997年)。

おおた たけと

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は10月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

*画廊亭主敬白
太田さんの三回目となる「よりみち未来派」いかがでしょうか。
長期にわたる展開において、常に自己の芸術運動のメディアが組織された>という冒頭の言葉は20世紀の前衛美術運動を振り返る意味で示唆的ですね。
年中無休のブログですが、夏休み中(9日〜17日)の原稿は猛烈編集者に変身(成長)した伊丹が容赦なく催促を繰り返したおかげで滞りなく予約掲載となりました(なのでスタッフは安心して休暇中)。執筆者の皆さんには感謝いたします。
本日の太田先生はじめ幾人かの方は大学で教鞭をとっておられ、この春から突如始まったリモート授業とやらの準備でご苦労なさっているようです(伊丹からの原稿催促に対し、その準備に疲労困憊されている様子が返信メールにうかがえました)。教室での対面ではなく、パソコンやスマホの画面越しの授業とはいったいどういうものなのでしょうか。先生たちも大変でしょうが、新入生たちは同級生や教師にも顔を合わせて会ってはいないわけで、楽しかるべき大学生活の前途に同情します。
彼らに良き出会いが訪れることを祈るばかりです。


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