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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第16回 2022年10月12日
中国語圏の「未來主義/未来主义」100周年

太田岳人


「ときの忘れもの」でのドメニコ・ベッリ展のような例外を除き、日本で未来派誕生100周年の記念企画展が行われなかったことを、私は未だに残念に思っている。そうした思いが自分になお残る理由は、ちょうどその頃、台湾と中国の双方で未来派を紹介する展覧会が開催されていたからである。ご存じの通り、海峡を挟んだ双方には別々の政体と社会秩序が存在しているが、そうした中で前者が2009年に「飆未來:未來主義百年大展」(台北)を、後者が2010年から11年にかけて「未来主义之路展」(北京・広州)をそれぞれ開催したのを見て、私は「同じ東アジアなのに」というさみしさを味わった。海外スターが日本でコンサート・ツアーを行うとなると、なぜ自分の住む都市(それなりの規模があるはずの)が素通りされるのだと嘆くファンの声がSNS上でも決まって散見されるが、自分もそんな感じである。

もちろん、熱心なスターの追っかけは手元に資金がある限り(なくても)自分で動くわけで、私も台北の展覧会には二泊三日の旅程を取った。2009年7−10月に国立中正紀念堂附属ギャラリーで開かれた「飆未來」展は、現在もイタリアの未来派研究を牽引するひとりであるマウリツィオ・スクディエーロの監修によるもので、彼が台北に送り込んだ143点の作品の質は、同時期にイタリアで開催されていた数多くの回顧展と比較してもまったく劣らない内容であった。カタログ【図1】に収録された、各種トピックスを扱った6本の論考の書き手には、同年に亡くなった未来派研究の第一世代であるマリオ・ヴェルドーネのそれなども入っており、最初期、後続世代、抽象主義的傾向、ポスト・ボッチョーニ的傾向、「航空絵画」、ファッションと造本という6つのテーマ設定も、未来派運動の歴史総体を把握しやすくしている。

図1 台北の未来派展カタログ
図1:「飆未來:未來主義百年大展」展覧会カタログ、2009年。
表紙の作品はジャコモ・バッラ《イタリア万歳の叫びの諸形態 Forme Grido W l’Italia》、1915年(キャンバスに油彩、36×47cm、個人蔵)。
※筆者蔵

台湾行きは自分にとっては初めてのアジア旅行であったが、同展が非常に充実していたせいもあり、当地の風物については月餅や甘い味のついた緑茶など以外あまり記憶にない。その代わり、展覧会の土産コーナーにそろっていた「未来派グッズ」【図2】は、イタリアの美術館にはないその豊富さで印象に残った。定番の絵ハガキや封筒に加え、封緘用シールなどにも未来派作品をあしらったものが用意されていたし、色鮮やかなアクリル製キーホルダーは友人にも好評であった。未来派の作品の図像を一通り使ったトランプなどは、おそらく台湾でしか制作されていないのではなかろうか(何かもったいない気がして、いまだに開封していない)。

図2 台北店のみやげもの、トランプとシール
図2:「飆未來:未來主義百年大展」の展覧会みやげ、トランプと封緘シール。
封緘シール5種にあしらわれた作品は、左列上からカルロ・カッラ(1881−1966)《馬と騎士Cavallo e Cavaliere》(1915年)、アントニオ・マラスコ(1896−1975)《光の多様性Molteplicita di luci》(1932年)、ベネデッタ・カッパ(1897−1977)《岩礁と海のリズムRitmi di rocce e mare》(1929年頃)、ロベルト・バルデッサーリ(1894−1965)《ルーゴ駅の汽車Treno alla stazione di Lugo》(1916年)、ピッポ・リッツォ(1897−1964)《タバコを吸う女Donna che fuma》(1920年)。
※筆者蔵

一方、北京の中国美術館(2010年9−10月)と広州の広東美術館(2010年12月−2011年3月)の二カ所を巡回した「未来主义之路展」は、私のローマ留学の準備と滞在の時期に重なっており、実際に行くことはできなかった。先日私は遅ればせながら、中国関連の書籍を専門とする東方書店に、北京美術館版の展覧会カタログ【注1/図3】を注文したのだが、これと台湾の未来派展カタログの違いは興味深かった。北京展の内容は、美術商のサブリナ・ラッファゲッロという人物の監修によるものである。カタログの大きさと厚みは一回り小さく、論考は監修者の巻頭総論と後書きのみである。全体は5つのテーマに分かれていて、作品の主な提供元には著明なコレクターであるチルッリ夫妻の所蔵品(現在は財団化)なども含まれているが、ポスターの部においては、未来派の系譜に属する作品というよりは、単に飛行機などの乗り物が描かれているだけのものも多く収録されている。また、未来派からの影響を受けた「当代(=現代)」まで含まれているなど、未来派の回顧展としては若干の水増し感はある【注2】。

図3 北京の未来派展カタログ
図3:「未来主义之路」展覧会カタログ(中国美術館展版)、2010年。
表紙の作品はジャコモ・バッラ《空間の線Linee spaziali》、1929年(キャンバスに油彩、77×77cm、アルテ・チェントロ画廊)
※筆者蔵

ただし、この展覧会はもともと、イタリア北西部のアレッサンドリアで行われた「A+B+C/F=Futurismo」展の内容を、そのまま中国に持ち込んだものらしいので、作品の選定に中国側の未来派認識の水準が影響しているわけではない【注3】。カタログにある当時の在北京イタリア大使のコメントには、2010年はイタリアと中国の国交樹立40周年にあたり、同年に上海で開催された万博への参加もあって、イタリア側でも「中国の年」と位置づけられているという言及がある。純粋な「未来派展」として見ると物足りないが、広義の「イタリアのモダン」を提示しそれを売り込むという意味では、むしろこの内容の方がふさわしくあり、イタリアからの「伊中友好」イヴェント企画としてはちょうどよいものであったことがうかがえよう。

「飆未來」展および「未来主义之路」展のカタログは、双方とも文献一覧がついていない。これが単なる紙数の問題による省略なのか、特筆すべき(中国語圏での)研究や紹介の歴史が今のところないという判断によるものかは分からないが、今後もそうした状況が続くとは思われない。現在、北京の清華大学美術博物館では「伊中文化・観光の年」を記念するイヴェントとして、「未来派的宇宙」展が行われているが、公式サイトを見る限り、今回の展覧会にはチルッリ財団が全面的に協力し、学術評議員もキュレーションに加わることで、10年前の展覧会より内容を高めているようである。上海なり台北なりにいる富裕なコレクターが未来派作品を大々的に購入するという話だけでなく、今後は中国語圏における研究の水準もまた、見逃せなくなっていくかもしれない。

―――――

【注】
注1:ウェブ上の映像で確認する限り、カタログの中国美術館版と広東美術館版の表紙は別の絵画が使われており、中身にも何らかの修正がなされている可能性がある。ただ東方書店のルートでは、前者と比べて後者の仕入れ価格が2倍以上する模様だったので、今回は前者のみを購入した。

注2:イタリアでの「A+B+C/F=Futurismo」展のカタログは存在しているらしいのだが(同国の国立図書館の検索でも出てくる)、小規模な展覧会のものかつISBNがついていないこともあってか、古書検索サイトでも出物が見つからなかった。

注3:台湾の展覧会カタログにはない美点として、中国のカタログでは「未来派創立宣言」をはじめとする、12本の未来派の宣言の中国語翻訳が付録となっていることは、基本的資料の紹介という点で評価に値するだろう。

(おおた たけと)

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は2022年12月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学で非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。E-mail: punchingcat@hotmail.com


*画廊亭主敬白
ちょっと古いtwitterからですが、
<《美術市場の評価は、瑛九が圧倒的に高く、オノサトへの評価は涙が出るほど低い。》。都現美でまとまった形で展示されたのを見ましたが、瑛九に比べると気の毒なほど看過されている作家。群馬では公民館や街の喫茶店に掛けられているのを見ることがありました。久しぶりに桐生へ行きたいものです。(20220430/fansworthさんのtwitterより)>
《 》内の言葉は亭主の愚痴からの引用ですが、ただいま開催中の第31回瑛九展、まだ三日目にもかかわらず赤丸多数(お客様に感謝!)。高くても安くても瑛九は売れます。対するに盟友オノサトはどんなに安くても売れない。亭主の生きているうちにオノサトで蔵を建てることはできるでしょうか(熱烈願望)。

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