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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第29回 2018年08月10日
アルプスから都市へ、そしてその逆

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とても嬉しいことに、建築やデザインの仕事に携わる人と知り合うと≪ブログ読んでいますよ≫と声をかけてもらえることがあります。人口約1000人のスイスアルプスの村ハルデンシュタインで設計活動している僕にとって、その飛び道具の効果は単純に大きな驚きであり、時として≪自分はこんな辺鄙なところで何をやっているんだろう。。このままで大丈夫なのだろうか。。≫と思い返してしまう僕に、日本の社会や人とまだまだつながっているという事実を教え、心を穏やかにしてくれます。(冗談のようで本当です笑) ここへ来て丸四年が経ちました。いつかは日本でも仕事をしたいと思っている僕にとって、そうしたつながりはとても大切なのです。

≪始めに質問したいこと≫
新しくピーターズントー事務所へ就職したインターンやアーキテクトは事務所パーティなどで≪穏やかな≫ズントーを見つけては、常に聞きたかった質問を投げかけます。皆が始めに決まって聞くことは、なぜこのハルデンシュタインという村で設計活動をしているのか。ということです。(ネット上に公開されているいくつかのインタビューでもそうした質問がされているのを見ることができます)

ズントー曰く、学生時代を過ごしたアメリカから帰国して来た後、ハルデンシュタインから車で約10分ほど離れたクール市の≪地域の集落を調査し保存修復を専門とする部署≫へ就職したこと、また後に妻となる恋人がエンガーディーン地方(クール市と同じグラウビュンデン州にある地域、サンモリッツなど観光地として有名) 出身であったこと。などの実際的な理由があったからだそうです。
とはいえ、ハルデンシュタインを住まいと仕事の拠点とし始めた当初は、こんなに長く居続けることは想定していなかったと言います。海外へ仕事で出張した帰り、チューリッヒ空港から車でハルデンシュタインまでの道を走る時にはいつも、≪なんで私はこんな地方へ行かなければならないのか。。≫と後悔とも取れる思いをずっと持っていたそうです。そうした気持ちを克服するまでには約10年かかったと、生真面目な顔をして応えていたのが印象的でした。

≪ロールモデル≫
いつであったか、スイス老舗の家具メーカーであるHorgen GlarusのあるGlarus(グラールス)という村で設計活動をしている建築家と知り合った時に、彼が自身の拠点を15年住んでいたチューリッヒからグラールスに移して来たばかりだということを聞きました。彼はその土地出身というわけではありませんでしたが、チューリッヒという大都市では全ての物事がスムーズに運び、都市がこの自分に求めてくるものがなかった。ことなどを理由に決断したようでした。詳しくは
チューリッヒから電車で1時間ほど離れたこの場所を見つけたために引っ越し、設計活動をスタートしたとのこと。彼はまた、ズントーの存在が大きかったとも言います。
あまり注目されていないことですが、ズントーがスイス建築家に影響を与えた最も大きなことの一つは、彼がチューリッヒやバーゼルなど大都市ではなくハルデンシュタインという小さな村を拠点とし、それでも世界中にプロジェクトを抱え、建築家として成功を収めることができる。という事実を実践して示したことでした。当時は誰もが成功するために大都市へ行かなければならないという価値観があったようです。(考えてみれば、日本で人口1000人くらいの村にそんな建築事務所があったら、確かにそれは驚くべきことです)

そうして人口約6000人のグラールスに住み始めた彼にとっての初めの困難は、スタッフを集めることだったと言います。若い建築家はスイスの大都市で建築教育を受けそこで働き始める。卒業後に遊ぶところが少なく旧知の友人もいない、都市に比べれば不便なところもある小さな街へ引っ越してくることは、確かに少しハードルが高いことです。僕自身、東京からクールへ引っ越して来るのには、少しなりとも勇気が要りました。

日本でも知られているヴァレリオ オルジアティも自身のために建てたポルトガルにあるヴィラに一年のうち半年くらい滞在し、そこから地元フリムス(Flims)にある設計事務所のスタッフとスカイプなどでやり取りをしていると聞きます。建築はその場にしか建たないものだけれど、設計は世界中のどこでも行うことができるし、よほど辺鄙な場所へ行かない限り安定したネット環境に囲まれている昨今では、クライアントやスタッフとのコミュニケーションはいつでもどこでもできます。むしろ世界中にプロジェクトを抱える建築家にとっては、自身が四六時中その現場にいることができない代わりに、いかに現地の協力者と円滑かつ精確なコミュニケーションができるかということが良い建築を建てる条件の一つになります。そうした≪信頼をもとにしたチームプレー≫が前提の建築家の仕事にとって、自分が仕事をする場所はどこでもいい。もはや唯一の障害は時差だけなのかもしれません。
(むしろ時差のある各国の拠点事務所を利用した眠らない設計事務所を作ることもできますが。。)


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≪インターナショナルな小さな村≫
僕たちの事務所では7月1日現在、16カ国の大都市からやって来た、インターンも含めて計30人くらいの事務所スタッフがハルデンシュタインで働いています。ただ僕たちスタッフにとっては、その場所はどこでも良かったかもしれない。僕自身、スイスという国は学生時代に過ごし慣れていたものの、もしズントー事務所が、例えばブラジルにあったとしてもそこへ行っただろうと思います。ともあれ、結果としてハルデンシュタインはその人口比率からすれば、稀に見るインターナショナルな村になったのです。
春になると羊やヤギの群が山頂の草を食べるために事務所のすぐ裏山へ、カラカラと鈴の音を鳴らして登って行きます。夏場になると村中が緑で生い茂り、様々な匂いがします。秋の紅葉はいわゆるポストカードの絶景で、なんだか嘘っぽい感じすらします。冬は本当に寒くてスキーなど外出をしないと性格が暗くなってしまいそうです。
また大都市とは流れている時間感覚が全く違います。チューリッヒへ行けば急いでいなくとも周りに合わせて無意識せかせかと歩いてしまう僕がいる一方、ハルデンシュタインでは昼休みにすぐ裏の山へ昼食を持ってハイキングなんていうのも、日常茶飯事に行うことができます。
スタッフは皆、今まで自分が住んで来た都市とのギャップをむしろ喜び、日々の小さな発見を楽しみながら仕事をしています。

実は僕のブログ記事を多くの人に読んでもらえるようになったのは、いくつかのメディア、とりわけarchitecturephoto.netでの紹介がきっかけでした。(度々紹介していただき、どうもありがとうございます。)
その主宰者である後藤連平さんが半年前ほどに出版された≪建築家のためのウェブ発信講義≫という本を先日時間をかけて読んでみました。
淡々としながらも読み易いリズムで全体の文章が綴られ、読み終わった後、とてもわかり易くて実用的な講義を聞いたような充実感を得ました。何より僕が常々感じていた、どうやったらこの特異な状況を大きなアドヴァンテージとして活用することができるだろうか。ということへの的確な示唆とアドヴァイスを教えてもらったように思います。これから自分ができることの可能性、その多様さを知ることで新しいことにチャレンジする勇気が湧いてくる。その感覚を皆さんも本を手に取って読み体験してみてはいかがでしょうか。
すぎやま こういちろう

■杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。



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