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杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」
第67回 2021年10月10日
スイスの建築教育

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この秋から、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)でデザインアシスタントをすることになりました。ETHは今から約10年前に交換留学生として勉強して以来の関わりになります。

スイス国内で建築を学ぶことのできる代表的な大学は3校あります。ドイツ語圏のチューリッヒにあるETH、フランス語圏のローザンヌにあるEPFL、そしてイタリア語圏のメンドリジオにあるAccademia di architetturaです。

ETHでは約350人の建築学科一年生がいます。今年は例年(300人程度)よりも多くの学生が入学しました。それは昨年、感染症の拡大で対面授業が中止されたため、いくらかの学生は高校卒業と大学入学との間に一年間の休みを取って、状況の改善を待っていたことの影響もあると聞きました。ともあれ一学年で300人超えは、かなりのマンモス大学ということになります。

チューリッヒ中央駅から直通のスクールバスで20分ほど、Hönggerbergという小高いところに大学キャンパスがあります。ここは理系キャンパスで、建築学科は中でも大きな割合を占めます。

350人の学生は15人のデザインアシスタントがそれぞれ担当する設計アトリエに振り分けられます。つまり、1つのアトリエで24人くらいの学生に教えることになるわけです。


月曜日の午後に設計の授業があり、火曜日には午前中に建築構法の授業、そして午後にまた設計の授業。その二日間のカリキュラムをアシスタントと教授で詰めていきます。

僕が大学一年生だった頃の授業では、まず製図版を用いて製図練習をする。例えば安藤忠雄さんが設計した「住吉の長屋」の図面をトレースしたり、アクソノメトリックなどの描き方などの製図の基本を学びました。

今ここでETHの学生に教えるのは設計課題ですが、同じ授業の枠組みで手書きの製図ではなく3DモデリングソフトRhinocerosを学びます。二次元製図のCAD(製図ソフトArchiCad、3Dも可能)を教えるのは後期から。驚くことに、三次元からスタートするのです。

はじめに3Dソフトウェアを教えるのは、それが建築製図としての役割をはたす以前に、またプレゼンテーションツールとして活用する以前に、何より設計スタディのツールだからです。実際に手を動かして、素材を切った貼ったで建築の空間をつくっていく作業は設計アトリエでも行いますが、それを画面上でも行うわけです。
そうして一年生の早いうちから3Dをツールとして身につければ、いわゆる建築設計のみならず、デジタルファブリケーションの分野にもジャンプしやすいからなのです。デジタルファブの分野で世界トップレベルにあるETHでは、そうした視野も入れてのカリキュラムのテコ入れです。

また画面上での作業は、リモートで授業を行い課題を提出しなければならなかった昨年の状況下では、特に重宝されたと聞いています。(最終的な提出物がデジタルである場合、デジタルで設計を行うことは効率が良いからです) このコロナ下の状況は授業の方向性すら、少なからず変えてしまったということになります。

とはいえ、建築設計の最終目的が実際に「現実世界で建築を建てること」であるならば、設計の途中、どこかで建築プロジェクトが画面から飛び出して、現実にかたちをもつ必要性があるはずです。
その「リアルなもの」を作り出す訓練をするためにも、設計アトリエでは実際にスケッチを描き、手でモデルを作りながら設計を進めていくことをメインに教えていくことになります。


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アトリエの様子を見ていきましょう。それぞれのアトリエには人数分の机があります。学生たちは他の授業の合間を見つけてはここで設計課題を進めていきます。
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すぐ隣には提出物を展示するちょっとしたプレゼンブースがあります。

一年生の授業は基本的にドイツ語です。僕もドイツ語で教え始めることになりました。外国から来るプロフェッサーアーキテクトが行う設計スタジオは英語の場合もあります。以前友人が、ETHの建築教育は母国語ドイツ語の言葉を使って発展してきたために、英語に翻訳していくとその真意において正確さに欠けてしまうことがある。と言っていました。たしかに、言語は1対1で翻訳できるものではありません。その過程で多少のニュアンスが変わってしまう可能性だってあるのは、誰もが経験したことがある事実です。


課題の設定は学期が始まる前に教授とアシスタントチームで行います。前期授業はじめの五週間は特別に設けられた言わばProbezeit(試用期間)。課題が矢継ぎ早に出されます。

はじめの課題は「スペース」でした。粘土と画用紙が与えられ、空間をつくり、それをピアノ線を使って切り、断面スケッチも描きます。設られた共有フォトブースで制作した粘土模型をiPhoneで撮影し、学内のプリンターで印刷する。それらを即日で提出するという、かなりハードルの高い課題です。

はじめの五週間は、こうした即日課題が毎回続きます。週二回の授業で十の課題をこなす。僕からしてみたら、なんで入学したての学生をはじめからこんなに大変な状況にもっていくのだろう。。。と。


それを理解するために、少し視点を変えてスイスの教育システムを振り返ります。

スイスでは、高校の卒業試験に合格して得られる大学入学資格を取れば、基本的にどこの大学のどの学科にも入学できます。(医学部や芸術大学を除く) 高校生のうちから、進学する学部と学科専攻をあらかじめ決めて、大学を選ぶ日本の大学受験とはプロセスが異なっています。

そうして入学してきた学生たちの中には、建築学科では何を学べるのか、また主な就職先となる建築設計事務所での仕事について、まだまだ知らない人が多くいるのも確かです。
(僕自身、建築学科のことや建築家の仕事について、こういうものだろうと高校生の時に思い描いていたのと比べると、良くも悪くもギャップがありました)
もし、建築学科での教育が自分のやりたい仕事と結びつかない。もしくは建築家の仕事が思っていたものと違った。という新しい認識に結びつくとすれば、その舵取りはできるだけ早いほうが良い。そういう意図をもって、この学期はじめの五週間で、できるだけ建築の楽しさと厳しさを凝縮して教えるという意図をもってのカリキュラムなのです。

実際、五週間後までには10%程度の学生が進路変更をするといいます。さらに学期末では10%くらいの学生が残念ながら落第することになり、来年また授業を取り直さなければならない。
日本の大学は、少なくとも僕が経験した限りでは、入学してしまえば卒業するのはそれほど困難ではなかった。でもスイスの大学は、入学してからが大変なのです。

これから定期的に、ETHの建築教育についても紹介していきたいと思っています。
すぎやま こういちろう

杉山幸一郎 Koichiro SUGIYAMA
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。”建築と社会の関係を視覚化する”メディア、アーキテクチャーフォトにて隔月13日に連載エッセイを綴っています。興味が湧いた方は合わせてご覧になってください。



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