柳沢信氏のオリジナルプリントを見るのは今回が初めてだ。
年譜をみると、柳沢氏は1958年に22歳でデビューして以来、作品の発表は主にカメラ雑誌を通じて行われたようである。今回の個展は6回目で、日本を代表する写真家の一人として、美術館の展覧会でも何度も出品されているが、それでもグループ展の開催数は10回程度だから、氏のオリジナルプリントに接する機会は貴重だと思う。
また、このような言い方を氏は嫌うかもしれないが、以前の5回の個展は写真愛好家に「展示して見せる」ことを目的としたギャラリーの展示である。「画廊」でコレクターや美術愛好家に向けて開催する初めての個展と言っていいかもしれない。
私は1978年に発行された写真集「都市の軌跡」を見たときの、心がどよめくような感覚が忘れられない。それは柳沢氏の被写体に対する態度と間合いの独特さのためだ。
柳沢氏はある対談で、「モノにも人格のようなものがあるような気がする。」と話している。氏は自らの気配を消して、誰にも気づかれずに、ただ見ることに集中する。徹底的に観察する。ある瞬間シャッターを押し、たまたまその場に居合わせたモノも人もすべて合わさった風景がフィルムに定着する。このときに風景の中に紛れていた「何か」が前面に現われるのだ。もしこの「何か」に人格があったとしたら、知らないうちに自分の気づかぬところまで、観察され記録されてしまったことに慄然とするに違いない。
さて、今回展示されたのは1993年2月から3月にかけてイタリアで撮影された作品である。写真集「写真・イタリア・柳沢信」に収録され、現時点での最後の連作だという。
「写真に言葉はいらない。」というのはデビュー当時から一貫している柳沢氏の姿勢である。このシリーズの作品も、見る者が被写体に何か余分な意味を見出したりしないよう、象徴的なものは注意深く除けている。したがってこれは単に「イタリアで撮影された写真」で、「イタリアを表現しようとした写真」ではない。石畳や建物の様子からヨーロッパ風なのは感じられるが、例えばチンクェ テッレ (No.22)やマドンナ デイ カンピーリオ (No.7)など、日本にもありそうな風景だ。どこで撮影されたとしても、「何か」はそこに写っている。この言葉にならない「何か」が柳沢氏の作品の本質なのだ。


氏は体調不良のため、6ヶ月の予定だったイタリア旅行を1ヶ月ちょっとで切り上げ帰国する。その後、咽頭癌と食道癌が発見され7月に摘出手術、喉に穴をあけた。そのため息を止められなくなって、シャッターを切れなくなったそうだ。確かに息を止めなくては「何か」に気づかれて逃げられてしまう。それ以来、新作の発表はないようだ。
展示された作品には、イタリアから帰国後、手術を受けるまでの数ヶ月間に柳沢氏本人がプリントしたヴィンテージプリントと、2007年に氏の奥様がプリントしたモダンプリントの2種類がある。サインは今回の個展のために入れたそうだが、柳沢氏が焼いたものと区別するため、ヴィンテージプリントにはフルネーム、モダンプリントはイニシャルのみが入れられている。
ヴィンテージプリントには、上記の写真集に印刷されているものと随分印象が違うものがある。写真の場合、撮影時と時間が経ってからでは、作家本人の作品に対しての解釈が変化する場合もあるし、印刷原稿は人に依頼することもあるだろう。今回の場合、私には写真集のトーンは「普通」で、ヴィンテージプリントの方がより柳沢氏らしく感じられる。
価格はヴィンテージプリントの方がモダンプリントの倍近くする。しかし柳沢氏の作品をコレクションに入れるなら、気に入ったイメージのヴィンテージプリントがいいと思う。トーンの好みやきっちり漢字で書かれたサインだけでなく、プリントがそらないように氏が独自に凝らした工夫など、手術前の時期にも関わらず、淡々と仕事をする柳沢氏らしさが伝わってくる。しかも数が限られているのだ。自分のものにした時のうれしさは倍以上だろう。
(おおかわらりょうこ)

◆画廊亭主敬白
前回に続き、大河原さんにご執筆いただきました。
ときの忘れものが写真に本格的に取り組み始めてまだ数年です。
もちろんその前から、瑛九、ジョナス・メカスなどの印画紙の作品を扱ってはいました。
瑛九のフォトデッサンは得意中の得意ですし、ジョナス・メカスの写真はそもそもが私たちが1983年にエディションしたフィルムをもとにした版画がきっかけで制作されたものでした。
しかし、彼らは「写真家」ではなく、その印画紙作品は瑛九なりジョナス・メカスの表現の一部でしかありません。
私たちが「写真作家の写真」を売ろうと決心するまでは、長い時間がかかってしまいました。
随分おくての出発ですが、幸いこの2年間に開催した細江英公、井村一巴、イリナ・イオネスコ、ジョック・スタージス、そして今回の柳沢信たちの個展はいずれもお客様に好評で、私たちの予想以上の売り上げも獲得することができました。
何より嬉しいのは未熟な私たちを指導して下さる細江英公先生はじめ、多くの方々の助言と励ましです。今回の柳沢信展について書いていただいた大河原さんにもたくさんのことを教えていただきました。
これからも皆さんの声を謙虚にうかがいながら、優れた写真作品の紹介に努めたいと思います。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
年譜をみると、柳沢氏は1958年に22歳でデビューして以来、作品の発表は主にカメラ雑誌を通じて行われたようである。今回の個展は6回目で、日本を代表する写真家の一人として、美術館の展覧会でも何度も出品されているが、それでもグループ展の開催数は10回程度だから、氏のオリジナルプリントに接する機会は貴重だと思う。
また、このような言い方を氏は嫌うかもしれないが、以前の5回の個展は写真愛好家に「展示して見せる」ことを目的としたギャラリーの展示である。「画廊」でコレクターや美術愛好家に向けて開催する初めての個展と言っていいかもしれない。
私は1978年に発行された写真集「都市の軌跡」を見たときの、心がどよめくような感覚が忘れられない。それは柳沢氏の被写体に対する態度と間合いの独特さのためだ。
柳沢氏はある対談で、「モノにも人格のようなものがあるような気がする。」と話している。氏は自らの気配を消して、誰にも気づかれずに、ただ見ることに集中する。徹底的に観察する。ある瞬間シャッターを押し、たまたまその場に居合わせたモノも人もすべて合わさった風景がフィルムに定着する。このときに風景の中に紛れていた「何か」が前面に現われるのだ。もしこの「何か」に人格があったとしたら、知らないうちに自分の気づかぬところまで、観察され記録されてしまったことに慄然とするに違いない。
さて、今回展示されたのは1993年2月から3月にかけてイタリアで撮影された作品である。写真集「写真・イタリア・柳沢信」に収録され、現時点での最後の連作だという。
「写真に言葉はいらない。」というのはデビュー当時から一貫している柳沢氏の姿勢である。このシリーズの作品も、見る者が被写体に何か余分な意味を見出したりしないよう、象徴的なものは注意深く除けている。したがってこれは単に「イタリアで撮影された写真」で、「イタリアを表現しようとした写真」ではない。石畳や建物の様子からヨーロッパ風なのは感じられるが、例えばチンクェ テッレ (No.22)やマドンナ デイ カンピーリオ (No.7)など、日本にもありそうな風景だ。どこで撮影されたとしても、「何か」はそこに写っている。この言葉にならない「何か」が柳沢氏の作品の本質なのだ。
氏は体調不良のため、6ヶ月の予定だったイタリア旅行を1ヶ月ちょっとで切り上げ帰国する。その後、咽頭癌と食道癌が発見され7月に摘出手術、喉に穴をあけた。そのため息を止められなくなって、シャッターを切れなくなったそうだ。確かに息を止めなくては「何か」に気づかれて逃げられてしまう。それ以来、新作の発表はないようだ。
展示された作品には、イタリアから帰国後、手術を受けるまでの数ヶ月間に柳沢氏本人がプリントしたヴィンテージプリントと、2007年に氏の奥様がプリントしたモダンプリントの2種類がある。サインは今回の個展のために入れたそうだが、柳沢氏が焼いたものと区別するため、ヴィンテージプリントにはフルネーム、モダンプリントはイニシャルのみが入れられている。
ヴィンテージプリントには、上記の写真集に印刷されているものと随分印象が違うものがある。写真の場合、撮影時と時間が経ってからでは、作家本人の作品に対しての解釈が変化する場合もあるし、印刷原稿は人に依頼することもあるだろう。今回の場合、私には写真集のトーンは「普通」で、ヴィンテージプリントの方がより柳沢氏らしく感じられる。
価格はヴィンテージプリントの方がモダンプリントの倍近くする。しかし柳沢氏の作品をコレクションに入れるなら、気に入ったイメージのヴィンテージプリントがいいと思う。トーンの好みやきっちり漢字で書かれたサインだけでなく、プリントがそらないように氏が独自に凝らした工夫など、手術前の時期にも関わらず、淡々と仕事をする柳沢氏らしさが伝わってくる。しかも数が限られているのだ。自分のものにした時のうれしさは倍以上だろう。
(おおかわらりょうこ)

◆画廊亭主敬白
前回に続き、大河原さんにご執筆いただきました。
ときの忘れものが写真に本格的に取り組み始めてまだ数年です。
もちろんその前から、瑛九、ジョナス・メカスなどの印画紙の作品を扱ってはいました。
瑛九のフォトデッサンは得意中の得意ですし、ジョナス・メカスの写真はそもそもが私たちが1983年にエディションしたフィルムをもとにした版画がきっかけで制作されたものでした。
しかし、彼らは「写真家」ではなく、その印画紙作品は瑛九なりジョナス・メカスの表現の一部でしかありません。
私たちが「写真作家の写真」を売ろうと決心するまでは、長い時間がかかってしまいました。
随分おくての出発ですが、幸いこの2年間に開催した細江英公、井村一巴、イリナ・イオネスコ、ジョック・スタージス、そして今回の柳沢信たちの個展はいずれもお客様に好評で、私たちの予想以上の売り上げも獲得することができました。
何より嬉しいのは未熟な私たちを指導して下さる細江英公先生はじめ、多くの方々の助言と励ましです。今回の柳沢信展について書いていただいた大河原さんにもたくさんのことを教えていただきました。
これからも皆さんの声を謙虚にうかがいながら、優れた写真作品の紹介に努めたいと思います。
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