前回石山修武先生の版画のサインに関連して、随分と余計なおしゃべりをしてしまいました。
何人もの方からメールで感想をいただきました、ありがとうございます。
版画の版元というのは、単なる美術品の流通過程を担っているだけではなく、リスキーで悲喜こもごもあるのだとちょっと愚痴ってみたかたったわけです。
 版画技法にもリトグラフ、シルクスクリーン、銅版、木版など多種ありますが、作家が最も直接的に「版」に向かい合わなければならないのが銅版画です。金属相手だからやり直し(彫り直し)がきかない。版に向かっての描画だけは刷り師の助けも受けられない。スケッチがうまいか下手か一目瞭然です(左右逆版になるのでごまかせない)。一番作家の力量が問われる技法ですね。
それだけに、版元としては「天才の名作」を生むべく最大限の努力をはらわなければなりません。
専門の版画家は別として、私たちのように建築家に版画をつくらせようとすれば、いつお呼びがかかってもいいように、常に版画工房と連絡を取り合って「版」を準備するのはもちろんですが、作家(建築家)がいつ思い立っても「版に描画」できるよう、複数の「版」を予め作家のもとへ届けておきます。
 例えば磯崎新先生にはもう何年もかけて取り組んでいただいている連刊画文集『百二十の見えない都市』という大プロジェクトがありますが(完成すれば三百数十点の大連作となる)、超多忙で海外出張の多い磯崎先生が相手だから、アトリエ、自宅、別荘、果ては主張先の海外のホテルにまで「版」を持ち込むことになります。もちろん持ち込んだからといって版画が生れるわけではない、空しく朽ちていく「版」も少なからずあります。銅版技法の中で一般的な(比較的とっつきやすい)エッチングの場合、グランドという防蝕剤(アスファルト、蜜ロウ、松脂などの混合)を塗った「版」にニードルという針状のペンで描画するのですが、そのグランドが長くほっておくと乾燥して駄目になってしまう。磯崎先生の場合、歩留まりが悪く、数十枚持ち込んだ銅版がまっさらなまま戻ってくることも珍しくありません。リトグラフの版の場合も同様です。

それにしても、私がエディションを手がけた建築家たち、磯崎新、安藤忠雄、石山修武の緒先生の凄いところは、人前でさっさ、どんどん、絵を描いていく。
石山銅版制作
銅版(エッチング)の版を制作する石山修武先生

磯崎新リト制作1
連刊画文集『百二十の見えない都市』のリトグラフの版を制作する磯崎新先生

私、30数年この仕事をしていますが、アトリエで画家が絵を描くのをそばでじっと見ている機会はそうはありませんでした。普通の(?)画家は、制作している様をあまりオープンにはしてくれません。
ところが建築家というのは、そもそもチームで仕事をするせいか、無防備なほど、描く姿を平気でさらしてくれます。つまりいつも公開制作みたいなものです。

20080805石山サイン ところで石山修武先生の連作『電脳化石神殿』32点のサインですが、昨日世田谷美術館で石山先生に160枚していただきました。
青山から手でぶら下げていったのですが、さすがに版画用紙は重い!