私たちの宝物のひとつに、小さな細長い紙箱があります。中にはちびた鉛筆。

 <「お別れの会」をすませてから、なにか手を動かしている方が気持が落ち着くと思い、私は主人があちこちに溜めておいた短くなった鉛筆の下端を少し削り、そこにクニオと名前を書いて小箱に入れ、一人で「鉛筆供養」をした。お隣の歌人や受験期のお子さんを抱えたお宅では、「おまじない」(お守り)にこのちびた鉛筆を下さいとおっしゃる方もあり、主人は「お役にたてば」と喜んでお分けしていた。
 「字を書く手」にも書いたように、主人は最初のころから原稿は鉛筆でなければ書けない人だったので、長いあいだ一緒に仕事をして下さった親しい担当編集者の方たちにも、同じようにして記念の印に三本ずつ鉛筆をさしあげようと考えた。ある画廊の方が東急ハンズでちょうどよい大きさの細長い箱をみつけて下さったが、ただの白い蓋では淋しいと思い、同じ画廊で出版された磯崎新さんの手彩色版画のパンフレットを切り抜いて貼ることにした。これらの版画は、『栖すみか十二』と題した磯崎さんの著書に挿絵として使われている。それは、世界の著名な建築家が設計した自邸や住宅を訪れて書かれたエッセイ集であり、中には著者自ら設計されたヴェネツィア沖の小島にあるルイージ・ノーノ(作曲家)のお墓も含まれている。さらに、ライト設計のミシガン湖畔にある小住宅に関連して、それを見る前に建てられたにもかかわらず、地形の特徴や内部の空間構成が私たちの山荘にそっくりだったのに驚いたとも書かれている。筆を何度も洗いながら、版画に淡いデリケートな色を塗っていらした日の「イソさん」の仕事ぶりを、お隣のアトリエで見物していた私は、チビ鉛筆の箱に貼るにはこれしかないと思ったのである。

・・・・・辻佐保子『辻邦生のために』新潮社、より>

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辻邦生展チラシ表辻邦生展チラシ裏
 小説家の鉛筆が私たちの手許に来たのは以上のような次第なのですが、辻邦生(ほんとうはシンニュウの点が二つなのですが、パソコンにはないのでごめんなさい)先生が亡くなったのは1999年7月29日でした。
 私たちも幾度か辻先生には原稿をいただいており、お亡くなりになった数日前には軽井沢の磯崎新先生の山荘に伺う機会がり、そこで辻先生にお目にかかっていたばかりなので、その直後の急逝には驚きました。
 あれから10年。
いま軽井沢高原文庫では「辻邦生展~豊饒なロマンの世界~」が開催されています(~11月3日、会期中無休)
8月22日には、辻佐保子先生と磯崎新先生の対談があります(参加料:大人1500円、学生800円。定員:180名 要予約)。
 久しぶりに軽井沢の緑の中で、辻先生の姿を偲びたいと思います。

磯崎新ルイジノーノ
磯崎新 Arata ISOZAKI
「栖十二 挿画40(ルイジ・ノーノの墓)」
銅版・手彩色・アルシュ紙 サインあり
イメージサイズ:15.0×10.0cm
シートサイズ:38.0×28.5cm
A)手彩色(Ed.8)  
B)単色版(Ed.27)

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