ときの忘れものの写真応援団長・原茂さんが、明日26日から始まる「植田実写真展-空地の絵葉書」によせる期待を掲示板に書き込んでくれました。例によって、勝手に転載させていただきます。
因みに植田先生が実際に使っていらっしゃるのはキャノンだそうです。
<ライカを持ったアッジェ? 植田実写真展への期待 原茂>
当代随一の建築の目利き植田実さんが写真の目利きでもあることはかねてから伺っていましたが、ついにご自身が写真家としてデビュー(!)されたことは写真好きにとって実に嬉しい限りです。
そもそも雑誌「建築」の時代から撮影助手も兼ねておられた(「植田実のエッセイ 本との関係11」)とのことですし、「都市住宅」時代の、「『あおり』を効かせた正統的な建築写真」ではなく「スナップ写真を撮るような気軽さで、複数の空間の間の関係を写し取ろうとし」「内部空間と外部との関係を伝える」(花田佳明『植田実の編集現場』ラトルズ、2005年、71-2頁)と評される写真使いは伝説の域です。雑誌一冊を丸ごと写真のみで構成した「都市住宅7501『総特集 駅前スコープ』」(1975年1月号)は、「都市住宅7301『特集 鳥瞰的ー東京に住んでいる人々の場所』」(1973年1月号)と並んで、現在では「写真集」として評価されるに至っています。(じっさい私が『駅前スコープ』を神保町で見つけたのは建築書専門の「南洋堂」ではなく写真集専門の「魚山堂」ででした)。宮本隆司、牛腸茂雄、平地勲(『アパートメント』平凡社、2003年)、鬼海弘雄(『集合住宅物語』みすず書房、2004年)といった、一緒に組んだ写真家の名前を挙げるだけでも、植田先生が写真家の目利きでもあったことは一目瞭然でしょう。
まして、名著『真夜中の家』(住まいの図書館出版局、1989年)の「都市写真集を買うとき」で高梨豊『町』にオマージュを捧げ、「東方へ-奈良原一高『光の回廊-サン・マルコ』」と「仮面と生-奈良原一高」で奈良原一高を(凡百の写真評論家が赤面しながら裸足で逃げ出すような広さと深さと密度で)論じ、「充填と空隙ーウィンザー・マッケイ」で、山田脩二のニューヨークの写真に磯崎新の指摘(磯崎新「山田脩二の『日本村』」「流行通信」1980年1月号)を引きながら触れ、「摩天楼の肖像写真ーラインハルト・ヴォルフ」では、ひょんなことからヴォルフの『ニューヨーク』の写真展を実行委員の一人として開くに至った経緯が明らかにされるに至っては、ご自身の写真展に期待しない方が無理というものです。
すでにHP上で公開されている作品を拝見しても、作品が、「都市写真」の系譜に属するもので(というより「写真」それ自体が「都市」のものともいえるものなので、それはそのまま写真の正統に属しているということですが)、WEB上の印象だけで言ってもいいのなら、ウォーカー・エバンス、ロバート・フランク、リー・フリードランダー、高梨豊、(アラーキーとしてではない都市写真家としての)荒木経惟といった名前が思い浮かびます(自分の好きな写真家の名前を列挙しただけという気もしますが……赤面)。そして、一言で言えと言われれば「ライカを持ったアッジェ」といったところでしょうか。植田先生がライカで写真を撮っているのかどうかはわからないのですが、作品を拝見しながら、もしアッジェがライカを手にしていたらこんな写真を撮ったのではという思いが消えません。もっとも、今回の展示はヨーロッパの、しかもどちらかと言えば古都といった場所がほとんどなので、アメリカやアジアや日本の作品が並ぶとまた違った印象を受けることになるのかも知れません。WEB上ではなく、早くこの目で拝見したいと思うことしきりです。(はらしげる)
◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展-空地の絵葉書」を開催します(※会期中無休)。
画廊では植田実サイン入り本を販売しています(送料無料)。
『都市住宅クロニクル』第Ⅰ巻・第Ⅱ巻
花田佳明『植田実の編集現場 建築を伝えるということ』
因みに植田先生が実際に使っていらっしゃるのはキャノンだそうです。
<ライカを持ったアッジェ? 植田実写真展への期待 原茂>
当代随一の建築の目利き植田実さんが写真の目利きでもあることはかねてから伺っていましたが、ついにご自身が写真家としてデビュー(!)されたことは写真好きにとって実に嬉しい限りです。
そもそも雑誌「建築」の時代から撮影助手も兼ねておられた(「植田実のエッセイ 本との関係11」)とのことですし、「都市住宅」時代の、「『あおり』を効かせた正統的な建築写真」ではなく「スナップ写真を撮るような気軽さで、複数の空間の間の関係を写し取ろうとし」「内部空間と外部との関係を伝える」(花田佳明『植田実の編集現場』ラトルズ、2005年、71-2頁)と評される写真使いは伝説の域です。雑誌一冊を丸ごと写真のみで構成した「都市住宅7501『総特集 駅前スコープ』」(1975年1月号)は、「都市住宅7301『特集 鳥瞰的ー東京に住んでいる人々の場所』」(1973年1月号)と並んで、現在では「写真集」として評価されるに至っています。(じっさい私が『駅前スコープ』を神保町で見つけたのは建築書専門の「南洋堂」ではなく写真集専門の「魚山堂」ででした)。宮本隆司、牛腸茂雄、平地勲(『アパートメント』平凡社、2003年)、鬼海弘雄(『集合住宅物語』みすず書房、2004年)といった、一緒に組んだ写真家の名前を挙げるだけでも、植田先生が写真家の目利きでもあったことは一目瞭然でしょう。
まして、名著『真夜中の家』(住まいの図書館出版局、1989年)の「都市写真集を買うとき」で高梨豊『町』にオマージュを捧げ、「東方へ-奈良原一高『光の回廊-サン・マルコ』」と「仮面と生-奈良原一高」で奈良原一高を(凡百の写真評論家が赤面しながら裸足で逃げ出すような広さと深さと密度で)論じ、「充填と空隙ーウィンザー・マッケイ」で、山田脩二のニューヨークの写真に磯崎新の指摘(磯崎新「山田脩二の『日本村』」「流行通信」1980年1月号)を引きながら触れ、「摩天楼の肖像写真ーラインハルト・ヴォルフ」では、ひょんなことからヴォルフの『ニューヨーク』の写真展を実行委員の一人として開くに至った経緯が明らかにされるに至っては、ご自身の写真展に期待しない方が無理というものです。
すでにHP上で公開されている作品を拝見しても、作品が、「都市写真」の系譜に属するもので(というより「写真」それ自体が「都市」のものともいえるものなので、それはそのまま写真の正統に属しているということですが)、WEB上の印象だけで言ってもいいのなら、ウォーカー・エバンス、ロバート・フランク、リー・フリードランダー、高梨豊、(アラーキーとしてではない都市写真家としての)荒木経惟といった名前が思い浮かびます(自分の好きな写真家の名前を列挙しただけという気もしますが……赤面)。そして、一言で言えと言われれば「ライカを持ったアッジェ」といったところでしょうか。植田先生がライカで写真を撮っているのかどうかはわからないのですが、作品を拝見しながら、もしアッジェがライカを手にしていたらこんな写真を撮ったのではという思いが消えません。もっとも、今回の展示はヨーロッパの、しかもどちらかと言えば古都といった場所がほとんどなので、アメリカやアジアや日本の作品が並ぶとまた違った印象を受けることになるのかも知れません。WEB上ではなく、早くこの目で拝見したいと思うことしきりです。(はらしげる)
◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展-空地の絵葉書」を開催します(※会期中無休)。画廊では植田実サイン入り本を販売しています(送料無料)。
『都市住宅クロニクル』第Ⅰ巻・第Ⅱ巻
花田佳明『植田実の編集現場 建築を伝えるということ』
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