つい先日、熱烈なファンレターを掲示板に書き込んでくださった原茂さんが、今度はさらに重厚なる植田実写真論を執筆してくださいましたので、以下に転載させていただきます。

植田実『都市住宅クロニクル』を写真集として読む~原茂

 70枚もの画像がHPにアップされ、「読売新聞、朝日新聞で紹介され、会期前に画廊を訪ねていらっしゃる方もいるほどの反響がすでに起きてい」る植田実展がなかなか始まらない(!)ので、予習のつもりで植田先生の本を手にしてみての報告です。

都市住宅クロニクル I 表紙 植田実が写真家であるということは、その本を写真集として読むことができるということです。そう思って改めて手に取ってみると、 『都市住宅クロニクル』が実に面白い「写真集」であることが分かります。

 『都市住宅クロニクルⅠ』には(私の数え方が間違っていなければ)表紙のカラー写真9枚を含めて246枚、『Ⅱ』には同じく254枚の写真が収められています。『Ⅰ』には建築写真家の村井修さんが撮影したものが11枚、『Ⅱ』にはレーモンド設計事務所提供の「霊南坂レーモンド自邸(竣工時)」(79頁)、建築家川澄明男氏提供の「スカイハウス」(83頁)、松井晴子氏提供の、先生が土浦亀城自邸を訪問した際の若き植田先生(!)のスナップ(240頁)がおさめられているものの、「写真は原則として私のスナップしたものに限った」(「あとがき」『Ⅱ』448頁)とあるように、二巻で486枚もの写真が収められた大部の「写真集」ということになります。

 これが「写真集」だというのは、その486枚の写真が、説明のための「図版」としてではなく、ひとつの表現として成立しているからです。それは、他の写真と比べてみるとはっきりします。例えば『Ⅰ』の始めに収められた「住宅診断」に使用されている村井さんの写真ですが、(恐らく)大型の三脚に据えられた大判のビューカメラを使用し、「あおり」を使って水平と垂直をきっちりと出し、光を全体にまわして隅々まではっきりと描写されています。余計なものは注意深く排除され、写っているものはすべて隅々まで考えられて配置されたものばかりです。「建築家の設計時における意図を明確に表現する」建築写真として、文句の付けようのない仕上がりです。

 一方、植田先生の写真は、三脚を立てたりせず、手持ちの小型(35ミリの一眼レフ)カメラで撮られた「スナップ」です。水平と垂直がきっちり出ていなかったり、建物が上すぼまりになったり、余計なものが写り込んだりしています。けれどもそれが魅力となっています。それは決して「災い転じて」ではありません。むしろそれは、意識的に選び取られたもののように思えます。乱暴な譬えが許されるなら、写真館の大型カメラによる演出・修正写真を排して、ライカによるスナップという手法で肖像写真に(というより日本の写真史に)革命を起こした木村伊兵衛を思わせると言ったら言い過ぎでしょうか。

都市住宅クロニクル I p48-49 植田先生の写真は『Ⅰ』の48頁、「群馬県立近代美術館全景」(!)から始まります。もちろんそこに写っているのが群馬県立近代美術館の全景であることは間違いありません。けれどもそれは私たちがそのタイトルからイメージするものとはずいぶん異なったものであることもまた確かです。左から右に伸びる道路と広大な前庭がほとんど画面の下半分以上を占め、美術館はむしろその広大な何もない空間の奥にぽつんと立ちつくしているといった風情です。画面左端の建物にははっきりとレンズの収差のためのゆがみが見て取れ、路上右手から伸びる影と前庭に一人立っている白シャツの男の子(?)の姿もあって、一種異様な、この世とも思えない雰囲気を漂わせています。もちろん、35ミリカメラで可能な限り水平垂直を出そうとすれば、思い切り引いて、遠くから標準レンズに近い焦点距離のレンズで撮る必要があるのは分かります。けれどもその場合には、誌面に掲載する時には画面の下をばっさりカットして、建物だけをトリミングして使うのが普通のやり方ではないでしょうか。この何もない空間は、仕方なしにではなく確固とした必然性を持って存在しているのです。

 そして、この異世界を思わせる空間は、次頁の「群馬県立近代美術館エントランスホール」でよりはっきりとあらわされてきます。ホールの奥から入口を覗いた一枚ですが、「ホール」とタイトルがつけられながら、最も強く印象を残すのは画面の三分の一を黒々と占める壁面とそのディテールです。点光源が二列に連なり、その下にスピーカーボックスのようなものが二つ取り付けられ、その下にライフラインパイプの開口部らしきものが一列に並んでいます。「ようなもの」「らしきもの」というのは私が実際に群馬県立近代美術館を訪れたことがない(!)からですが、よく考えればそいういう人たちのためにこそ、それが何であるのか分かるように撮るのが建築写真のはずではないでしょうか。開口部からの自然光だけで撮られた(ように見える)この一枚の黒々とした写真からは、そもそも「群馬県立近代美術館エントランスホール」がどのような構造をしているものなのか一向に分かりません。そこには、摩訶不思議な一種異様な空間の広がりがとらえられているだけです。ホール中央、逆光のなかに黒々とシルエットを残す後ろ姿の女性の姿は、この空間の前に立ちつくす私たち自身の姿です。

 そして、それこそが植田先生がとらえようとしたものであることは、「構造から構成へー群馬県立近代美術館を中心に」という、この写真に「添えられた」言葉から明らかになります。「群馬は……とくにめだつものもないがらんとした倉庫だ。しかし内外をあちこち歩いているうちに、建築としてのある不可解さ、どこからともなく謎をかけられてくるような漠然とした不安を感じ始める。次第にスフィンクスのような建築に表情を変じてくる」。ここでは、写真は説明のための図版として言葉に従属してはいません。言葉と拮抗し、言葉から自立して存在しているのです。そしてこの二枚の写真は、磯崎新の「群馬県立近代美術館」がいかなるものであるかの最も雄弁な言い表しであるだけでなく、そもそも「美術館」という存在がなにものであるかの言葉によらない定義になっています。ここに写っているのが「群馬県立近代美術館」であることが分かっても分からなくても、この写真は見るものの目を奪い、その財布から何人もの福沢先生を連れ去っていく(!)に違いないのです。

 次頁の「エーゲ海、ミコノス島での磯崎新。わたしの方はこれがはじめての海外旅行。1972年」も同様です。この写真が「おもしろい」のは、単に左端に写っている上半身裸でサンダル履きの人物が磯崎新だからではありません。もちろんそれが分かれば一層興味深い写真となることを否定はしません。けれども、そんなことが分からなくてもこの写真は十二分に魅力的です。画面左から右に、小高い丘のざらりとした地面、石膏で型取りされたような家の屋根とスチレンボードで作られたようなミコノス島の町並み、きらきらというよりはむしろもったりとしたエーゲ海、そこにすっと伸びる岸壁と桟橋、ホリゾントを垂らしたように見える空が手前から段々に重ねられ不思議なリズムが刻まれ、それをすっぱり断ち切るかのように黒々とした電柱が二本突き立っています。左端の人物に相対するように屹立した電柱の中程に取り付けられた街灯のシンバルのような丸いシェードが、人物のかぶっている広幅の丸い帽子の鍔、さらにそれを地面に移した丸い影と響き合い、電柱から傘の骨のように下に向かって四方八方に伸びる電線の作る三角形が、人物が右手に吊しているカメラのストラップが作るトライアングル、さらにはニコンFのかのプリズムケースの三角錘と共鳴しています。かのアンリ・カルティエ=ブレッソンの傑作「サン=ラザール駅裏」を彷彿とさせる(?)、一瞬にして考え抜かれた見事な構図です。そして、その上で、一本の柱が建築の始まりであるという説を頭に入れ、ここが、ギリシャのミコノス島であることを確認し、その一本の柱に敢然と相対峙しているのが磯崎新ということになって、そこで二重三重に「おお」と言うことになるのではないかと思うのです。さらに、その立ち姿がミケランジェロの「ダビデ像」を思わせるといったら、これはさすがに言い過ぎですね。

都市住宅クロニクル I p50-51 「ときの忘れもの」の2008年01月29日00:13 のブログ「植田実のサイン入り『都市住宅クロニクル』」には、「この本には写真・図版等が各巻約400点おさめられていますが、中でもお宝映像は植田さん撮影による建築家たちの写真です。たとえば、エーゲ海にたたずむ上半身裸の磯崎新先生(41歳!)。たとえば、壱岐の坂道を歩く少年のごとき原広司先生(35歳)。たとえば、兵庫県立こどもの館にて、植田さんのカメラバッグの番をしながら(植田さんは建物の周りを巡っているので)ひとり考えごとをしている安藤忠雄先生(48歳)」とあり、「それらは名編集者として建築家たちに寄り添い、彼らの建築に愛情を注ぎ続けてきた植田さんしか撮れない『その一瞬』の写真です」とコメントされているのはまさにその通りなのですが、それらの写真が魅力的なのは、その写真を撮ったのが「名編集者」であるだけではなく「名写真家」だからであり、『都市住宅クロニクル』にはそれ以外にも沢山の「お宝」が眠っていることをぜひ知っていただきたいと思います。

 建築界にとってだけではなく写真界にとっても「お宝」であった植田実の写真作品を掘り出して下さった「ときの忘れもの」様に感謝です。 (はらしげる)


*画廊亭主敬白
植田先生は携帯も持たなければ、メールもパソコンもやりません。ときの忘れもののホームページも見たことがありません。原稿もすべて手書きです。だから上掲の原さんの文章は私たちがプリントして差し上げるのですが、「こんなにほめられたことはないよ」と照れていました。

さて、一昨日から始まった「植田実写真展-空地の絵葉書」はおかげさまで大盛況で、初日開廊するやいなや齋藤裕さんが来廊、こちらが慌てふためく間もなく、黒川哲郎さん、横河健さんなど次々とスター建築家や写真家がいらっしゃり、いまさらながら植田先生の幅広い人脈と魅力を思い知った次第です。
貧乏画廊にはめったにないことですが、初日売れた点数が二桁に!(目標は全70点完売)。
出品リストに明記した通り、価格がスライドします。
Ed.1-2 シート26,250円/額付33,600円
Ed.3-5 シート42,000円/額付49,350円
Ed.6-7 シート63,000円/額付70,350円
つまり最初の二点は26,250円ですが、三枚目からは42,000円にスライドします。

既に以下のNo.15「バース」と、No.49「バルセロナ郊外」は各2点が売約になりましたので、次のご注文の方は42,000円となりますので、予めご了承ください。

15バース植田実 No.15「バース Bath, United Kingdam
1991年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
3/7~5/7は、シート42,000円

49バルセロナ郊外植田実 No.49「バルセロナ郊外 Barcelona, Spain
1986年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 15.9×24.4cm
Ed.7 サインあり
3/7~5/7は、シート42,000円

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

上掲2点以外は、今のところすべてシート26,250円です。

額装については二種類の額を用意しています。
植田実額正方形
正方形(39.7×39.7cm)
価格:12,600円

植田実額長方形
長方形(39.7×30.7cm)
価格:7,350円


植田実展DM◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展ー影の空地」を開催しています(※会期中無休)。

1月30日(土)17時よりギャラリートーク(講師:植田実・大竹昭子)を開催しますが、既に予約で定員に達しました。同日トーク終了後の18時から、お二人を囲み懇親パーティを開催します。どなたでも参加できますが、17時~18時の間はギャラリートークの予約者以外は入場できませんので、18時以降にご来場ください

画廊では植田実サイン入り本を販売しています(送料無料)。ぜひお申し込みください。
植田実『都市住宅クロニクル』第Ⅰ巻・第Ⅱ巻
花田佳明『植田実の編集現場 建築を伝えるということ

◆ときの忘れものではWEB展覧会と題して毎月ネット上での展覧会を開催しています。1月16日~2年1月15日は「品川工展」です。