「奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発」展が昨日より始まりました。
いやはや朝から晩まで、ひっきりなしに来廊者が絶えず、奈良さんの人気の凄さを再確認しました。
ほとんどがときの忘れものは恐らく初めての若い方々。路地裏の狭いギャラリーにさぞかし驚かれたことでしょう。
ソウルのKIAFに出展中のスタッフからは、TSUYUさんの注目度がとても高いこと、はやくも仕事の話が舞い込んできたとのニュースが入ってきました。嬉しいですね。
さて今回、ときの忘れものが瑛九はともかく、奈良美智さんの初期作品を出品するので、意外に思われた方も多いでしょう。
小さな作品はいくつか扱ったことはあるものの、本格的なタブローを展示するのは初めてです。
なぜ、ときの忘れものに奈良さんの作品が入ってきたのか。
今から30数年前、1974年に日本初の本格的な版元、現代版画センターを創立した亭主は、カルトンケースに大量の版画作品を詰め込み、電車に揺られ日本中を行商して歩いていました。
会員制をとっていたので、全国に散らばる会員の方を訪ね歩き、また見知らぬ町に降り立ち駅の公衆電話(携帯なんて無い時代)で地元の電話帳をひっくり返し、画廊や画材店に片っ端かた電話をかけまくり「東京から版画をもってきたので見て欲しい」と飛び込み営業を続けていました。
たいがい電話の段階でにべもなく断られ、たとえ会えても瑛九やオノサト・トシノブなどの版画を扱ってくれるところはほとんどありませんでした。
青森県の弘前に初めて行ったのはそんな旅の途中でした。
200枚もの版画を詰め込んだカルトンケースを3個も下げて、手がちぎれそうになってもなかなか売れない。荷物が減らなくて泣きたくなるような行商でした。
弘前の町の一角で小さな画廊をやっているKさんが暖かく迎えてくれ、何点かの作品を買ってくださったときは、まさに地獄に仏、嬉しくて嬉しくて、今でもその折りのことを思い出すと胸が一杯になります。
Kさんはそれからもずっと作品を買い続けてくれました。
いつも手紙でご案内すると、折り返し電話がかかってきます。もちろん津軽弁です。
「弘前のKです。あれとこれをいただきますから送ってください。」
棟方志功や関野準一郎などの木版がお好きのようでしたが、亭主が押し売りするウォーホルのKIKUも、草間彌生さんも買ってくださいました。
現代版画センターが倒産して、10年のブランクの後、ときの忘れものを開廊すると、以前と同じように取引を再開してくれました。
2006年2月、Kさんは亡くなります。87歳でした。
Kさんが亡くなる前後に、別の出会いが弘前との縁を繋げてくれました。奇しくも瑛九がきっかけでした。
本展の出品作、瑛九のフォトデッサン作品集『眠りの理由』(10点のうち1点欠)の旧蔵者は宮崎のSさんというかたです。今から60年ほど前、高校生のSさんは瑛九にエスペラント語を教わっていました。
私が初めて宮崎を訪ねたのは瑛九没後15年ほど経ってからでしたが、瑛九の兄正臣さんはじめご家族、友人、エスペラントの教え子たちが皆さんご健在でした。亭主はSさんにことのほかお世話になりました。Sさんの甥のM君が東京の大学に進んだので、亭主のところに行くように言われたのでしょう。M君は仲間と良くときの忘れものに遊びにきていました。その一人が弘前の石場旅館の跡取り息子でした。
石場君が東京の勤めを辞めて旅館を継ぐことになったとき、私たちは弘前建築ツアーを組み、それがきっかけで、この春亭主は「前川國男の建物を大切にする会」に招ばれ弘前で講演をしました。
その会場にKさんのお嬢さんがいらっしゃっていました。
きけば、Kさんは奈良美智さんはじめ地元の若い人たちの作品を随分と買ってあげていたようです。
奈良さんは高校時代からKさんの画廊に出入りしており、1984年、24歳のときに名古屋で初個展、すぐ弘前でも三浦孝治さんと二人展を開催したときには、Kさんが初めての展覧会を喜び、大きな作品を買ってあげたのでした。
亭主は30数年もお世話になりながら、そんなことは全く知りませんでした。
というわけで、ときの忘れものの壁に、奈良さんの高校時代の作品、そして初個展出品作2点が瑛九の作品群とともに展示されることになりました。
今回の展覧会は、若造の版元を支えてくれ、若い作家たちに暖かな眼を注ぎ続けたKさんへのせめてもの恩返しと思い、企画した次第です。
ちょっと気張ってカタログもつくりました(1,000円)。
今日も、明日も開廊していますので、ぜひご高覧ください。
©Yoshitomo NARA
奈良美智「SANCHAN WITH SHARK"IN THE ROOM"」
1984年
油彩・キャンバス
130.0×130.0cm サインあり
*初個展出品作
©Yoshitomo NARA
奈良美智「Fire Engine, with fire fighter」
1984年
油彩・キャンバス
92.0×73.0cm サインあり
*初個展出品作
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■奈良美智 Yoshitomo NARA
1959年青森県弘前市に生まれる。画家・彫刻家。青森県の高校を卒業後、武蔵野美術大学入学。同大学中退後、愛知県立芸術大学および大学院修了。美術系予備校講師を経て1988-1993年渡独ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍。1993年現代ドイツを代表するアーティストA.R.ペンクに師事しマイスターシュウラーを取得ケルンに在住し創作活動を展開。1994年からケルンにて制作活動し、2000年8月、ケルンを離れ日本を拠点に創作活動を展開。1995年名古屋市芸術奨励賞受賞。
1998年カリフォルニア大学ロサンゼルス分校(UCLA)、アメリカにて3ヶ月間の客員教授。2000年東京在住。2005年から栃木在住。ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど国際的に活躍し、日本の現代美術の第二世代を代表するひとり。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られている。
18日(土)までの短い会期ですが(会期中無休)、どうぞお出かけください。
◆ときの忘れものは、2010年9月11日(土)~18日(土)「奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発」展を開催しています(*会期中無休)。

ときの忘れものは開廊以来、連続して瑛九展(及びその関連展)を開催してきましたが、今回は奈良美智と瑛九が24歳のときに初個展を開催したおりに制作した作品を展示します。
1959年生まれの奈良美智が名古屋のSpace to Spaceで初めての個展を開き、故郷弘前で初の展覧会(ギャラリー・デネガで二人展)を開いたのは1984年(昭和59)、24歳のときで した。
1911年生まれの杉田秀夫が、印画紙による新たな表現を模索し100点にのぼるフォトデッサン(フォトグラム)を携えて宮崎から上京し、初めて瑛九と名乗り、銀座の紀伊國屋画廊でフォトデッサンによる初個展を開いたのは1936年(昭和11)、やはり24歳のときでした。
半世紀を隔てて、二人が自ら画家として出発したときに制作した作品を展示し、その後の活躍を予感させる才能のきらめきをさぐります。
カタログ(B5判、15ページ、執筆:三上豊、出品作品図版:15点、参考図版:27点)を刊行します。価格;1,000円(税込、送料無料)。
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◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催します。
10月1日(金)17時~18時半、宮脇愛子さんを囲んでのレセプションを開催します。ぜひお出かけください。
また10月16日(土)17時より、巌谷國士さんを講師にギャラリー・トークを開催します(*要予約(参加費1,000円/1ドリンク付)
参加ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さい。
Tel.03-3470-2631/Mail.info@tokinowasuremono.com
いやはや朝から晩まで、ひっきりなしに来廊者が絶えず、奈良さんの人気の凄さを再確認しました。
ほとんどがときの忘れものは恐らく初めての若い方々。路地裏の狭いギャラリーにさぞかし驚かれたことでしょう。
ソウルのKIAFに出展中のスタッフからは、TSUYUさんの注目度がとても高いこと、はやくも仕事の話が舞い込んできたとのニュースが入ってきました。嬉しいですね。
さて今回、ときの忘れものが瑛九はともかく、奈良美智さんの初期作品を出品するので、意外に思われた方も多いでしょう。
小さな作品はいくつか扱ったことはあるものの、本格的なタブローを展示するのは初めてです。
なぜ、ときの忘れものに奈良さんの作品が入ってきたのか。
今から30数年前、1974年に日本初の本格的な版元、現代版画センターを創立した亭主は、カルトンケースに大量の版画作品を詰め込み、電車に揺られ日本中を行商して歩いていました。
会員制をとっていたので、全国に散らばる会員の方を訪ね歩き、また見知らぬ町に降り立ち駅の公衆電話(携帯なんて無い時代)で地元の電話帳をひっくり返し、画廊や画材店に片っ端かた電話をかけまくり「東京から版画をもってきたので見て欲しい」と飛び込み営業を続けていました。
たいがい電話の段階でにべもなく断られ、たとえ会えても瑛九やオノサト・トシノブなどの版画を扱ってくれるところはほとんどありませんでした。
青森県の弘前に初めて行ったのはそんな旅の途中でした。
200枚もの版画を詰め込んだカルトンケースを3個も下げて、手がちぎれそうになってもなかなか売れない。荷物が減らなくて泣きたくなるような行商でした。
弘前の町の一角で小さな画廊をやっているKさんが暖かく迎えてくれ、何点かの作品を買ってくださったときは、まさに地獄に仏、嬉しくて嬉しくて、今でもその折りのことを思い出すと胸が一杯になります。
Kさんはそれからもずっと作品を買い続けてくれました。
いつも手紙でご案内すると、折り返し電話がかかってきます。もちろん津軽弁です。
「弘前のKです。あれとこれをいただきますから送ってください。」
棟方志功や関野準一郎などの木版がお好きのようでしたが、亭主が押し売りするウォーホルのKIKUも、草間彌生さんも買ってくださいました。
現代版画センターが倒産して、10年のブランクの後、ときの忘れものを開廊すると、以前と同じように取引を再開してくれました。
2006年2月、Kさんは亡くなります。87歳でした。
Kさんが亡くなる前後に、別の出会いが弘前との縁を繋げてくれました。奇しくも瑛九がきっかけでした。
本展の出品作、瑛九のフォトデッサン作品集『眠りの理由』(10点のうち1点欠)の旧蔵者は宮崎のSさんというかたです。今から60年ほど前、高校生のSさんは瑛九にエスペラント語を教わっていました。
私が初めて宮崎を訪ねたのは瑛九没後15年ほど経ってからでしたが、瑛九の兄正臣さんはじめご家族、友人、エスペラントの教え子たちが皆さんご健在でした。亭主はSさんにことのほかお世話になりました。Sさんの甥のM君が東京の大学に進んだので、亭主のところに行くように言われたのでしょう。M君は仲間と良くときの忘れものに遊びにきていました。その一人が弘前の石場旅館の跡取り息子でした。
石場君が東京の勤めを辞めて旅館を継ぐことになったとき、私たちは弘前建築ツアーを組み、それがきっかけで、この春亭主は「前川國男の建物を大切にする会」に招ばれ弘前で講演をしました。
その会場にKさんのお嬢さんがいらっしゃっていました。
きけば、Kさんは奈良美智さんはじめ地元の若い人たちの作品を随分と買ってあげていたようです。
奈良さんは高校時代からKさんの画廊に出入りしており、1984年、24歳のときに名古屋で初個展、すぐ弘前でも三浦孝治さんと二人展を開催したときには、Kさんが初めての展覧会を喜び、大きな作品を買ってあげたのでした。
亭主は30数年もお世話になりながら、そんなことは全く知りませんでした。
というわけで、ときの忘れものの壁に、奈良さんの高校時代の作品、そして初個展出品作2点が瑛九の作品群とともに展示されることになりました。
今回の展覧会は、若造の版元を支えてくれ、若い作家たちに暖かな眼を注ぎ続けたKさんへのせめてもの恩返しと思い、企画した次第です。
ちょっと気張ってカタログもつくりました(1,000円)。
今日も、明日も開廊していますので、ぜひご高覧ください。
©Yoshitomo NARA奈良美智「SANCHAN WITH SHARK"IN THE ROOM"」
1984年
油彩・キャンバス
130.0×130.0cm サインあり
*初個展出品作
©Yoshitomo NARA奈良美智「Fire Engine, with fire fighter」
1984年
油彩・キャンバス
92.0×73.0cm サインあり
*初個展出品作
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■奈良美智 Yoshitomo NARA
1959年青森県弘前市に生まれる。画家・彫刻家。青森県の高校を卒業後、武蔵野美術大学入学。同大学中退後、愛知県立芸術大学および大学院修了。美術系予備校講師を経て1988-1993年渡独ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍。1993年現代ドイツを代表するアーティストA.R.ペンクに師事しマイスターシュウラーを取得ケルンに在住し創作活動を展開。1994年からケルンにて制作活動し、2000年8月、ケルンを離れ日本を拠点に創作活動を展開。1995年名古屋市芸術奨励賞受賞。
1998年カリフォルニア大学ロサンゼルス分校(UCLA)、アメリカにて3ヶ月間の客員教授。2000年東京在住。2005年から栃木在住。ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど国際的に活躍し、日本の現代美術の第二世代を代表するひとり。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られている。
18日(土)までの短い会期ですが(会期中無休)、どうぞお出かけください。
◆ときの忘れものは、2010年9月11日(土)~18日(土)「奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発」展を開催しています(*会期中無休)。

ときの忘れものは開廊以来、連続して瑛九展(及びその関連展)を開催してきましたが、今回は奈良美智と瑛九が24歳のときに初個展を開催したおりに制作した作品を展示します。
1959年生まれの奈良美智が名古屋のSpace to Spaceで初めての個展を開き、故郷弘前で初の展覧会(ギャラリー・デネガで二人展)を開いたのは1984年(昭和59)、24歳のときで した。
1911年生まれの杉田秀夫が、印画紙による新たな表現を模索し100点にのぼるフォトデッサン(フォトグラム)を携えて宮崎から上京し、初めて瑛九と名乗り、銀座の紀伊國屋画廊でフォトデッサンによる初個展を開いたのは1936年(昭和11)、やはり24歳のときでした。
半世紀を隔てて、二人が自ら画家として出発したときに制作した作品を展示し、その後の活躍を予感させる才能のきらめきをさぐります。
カタログ(B5判、15ページ、執筆:三上豊、出品作品図版:15点、参考図版:27点)を刊行します。価格;1,000円(税込、送料無料)。
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◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催します。
10月1日(金)17時~18時半、宮脇愛子さんを囲んでのレセプションを開催します。ぜひお出かけください。
また10月16日(土)17時より、巌谷國士さんを講師にギャラリー・トークを開催します(*要予約(参加費1,000円/1ドリンク付)
参加ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さい。
Tel.03-3470-2631/Mail.info@tokinowasuremono.com
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