奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発」展も本日が最終日です。
案内状600
ときの忘れものは開廊以来、連続して瑛九展(及びその関連展)を開催してきましたが、今回は奈良美智と瑛九が24歳のときに初個展を開催したおりに制作した作品をご紹介しています。

1959年生まれの奈良美智が名古屋のSpace to Spaceで初めての個展を開き、故郷弘前で初の展覧会(ギャラリー・デネガで二人展)を開いたのは1984年(昭和59)、24歳のときでした。
そのときの出品作品2点と、高校時代の作品1点を今回出品しています。


1911年生まれの杉田秀夫が、印画紙による新たな表現を模索し100点にのぼるフォトデッサン(フォトグラム)を携えて宮崎から上京し、初めて瑛九と名乗り、銀座の紀伊國屋画廊でフォトデッサンによる初個展を開いたのは1936年(昭和11)、やはり24歳のときでした。

瑛九の最初期の作品をご紹介します。
●瑛九『眠りの理由』より
瑛九・眠りの理由より
瑛九のデビュー作ともいえるのが1936年に制作発表されたフォトデッサン作品集『眠りの理由』10点組ですが、ときの忘れものが所蔵しているのは残念ながら1点欠けており9点です。

●瑛九「プロフィール」フォトデッサン
瑛九「プロフィール」瑛九
プロフィール」1936年頃 
フォトデッサン 27.7×22.7cm
裏面にサイン、タイトルの記載あり

年代の正確な特定はできませんが、サインの書き方、印画紙の種類とサイズ、作品の内容から類推すると、1936年の瑛九上京時に持参した最初のフォトデッサン類の一点かと推測されます。

●瑛九「愛のデッサン集より」  
瑛九「愛のデッサン集より」
瑛九「愛のデッサン集より
1935年 ペン・紙 
紙サイズ:21.4×14.6cm

裏面に「1935年作(愛のデッサン集)」と記載があります。
黒と赤いインク(ペン)で描かれた<愛のデッサン集>と名づけた一連の作品がどのくらいあるのか、まだよくわかりませんが、宮崎県立美術館の1996年の回顧展「魂の叙情詩 瑛九展」図録98ページに4点が掲載されています(出品番号262、263、264、267)。サイズもほぼ同じですから宮崎県立美術館所蔵作品と同じ連作の中に一点に間違いないでしょう。

●瑛九「作品-B(アート作品・青)」
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「作品-B(アート作品・青)」
1935年 油彩(ボード)
29.0×24.0cm(F3号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.19
※久保貞次郎『美術の世界2 瑛九と仲間たち』(1985 冬至書房新社)口絵掲載

瑛九の油彩作品として確認できる最も初期のものです。

●瑛九「菓子器」「果物」
qei_paper_kashiki瑛九
菓子器
1938年 水彩・紙
27.1×24.1cm サインあり
※裏に「昭和十三年六月五日 瑛九氏 小此木、古谷君ト共ニ真岡へ最初ノ訪問 新館ニテ菓子器ヲ写ス」と記載あり

qei_paper_kudamono瑛九
果物
水彩・紙
24.2×27.2cm サイン及び印あり

これら2点の水彩画は、久保貞次郎の旧蔵作品で、年代を特定できる珍しい作品です。
特に「菓子器」の作品裏の、恐らく久保先生による裏書が重要です。
1935年12月に宮崎を訪れた久保先生が瑛九と初めて会い、以後親交が続きますが、東京の久保邸ではなく、栃木県真岡市の久保邸を瑛九が訪ねたのが1938年6月5日だったことが確認できる重要な作品です。しばらく真岡に滞在した瑛九は<風景画を描いたり、長谷川三郎、オノサト・トシノブらと墨絵や歌や俳句を作る。>(宮崎県美図録年譜より)ことになりますが、その最初の作品ということになります。

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瑛九 Ei-Q
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

◆ときの忘れものは、「奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発」展のカタログ(B5判、15ページ、執筆:三上豊、出品作品図版:15点、参考図版:27点)を刊行しました。
価格;1,000円(税込、送料無料)。

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◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催します。