本日も小野隆生展開催中です。
昨日、福井県大野の瑛九顕彰展のご案内をしたばかりですが、大野の小コレクター運動のリーダー堀栄治さんの訃報が飛び込んできました。
堀さんは久保貞次郎先生の唱導した創造美育運動に参加した教師の一人でした。
瑛九の晩年を支えた木水育男さんが組織した頒布会の中心メンバーであり、自らも大野で瑛九の作品頒布会を独自に組織し、大野に多くの瑛九作品をもたらした大功績者でした。
亭主も若い頃から堀さんの支援を受け、何度も大野通いをしたものです。

2006年大野の堀さん宅にて
堀栄治さんと社長
瑛九没後、堀さんは瑛九周辺の作家たちー池田満寿夫、泉茂、オノサトトシノブ、北川民次、ヘンリー・ミラー、キムラ リサブロー、靉嘔たちを支援し続けました。
中でも靉嘔先生の作品頒布には精力的に取り組み、美術館はもちろんギャラリーすらない人口僅か3万5千人ほどの山間の町で、靉嘔やフルクサスの大展覧会を組織しました。
ニューヨークと福井の小都市を直結させるような試みが実現したのも堀さんの長年月にわたる活動の成果でした。
また、私たち瑛九ファンにとっては貴重な文献となる『福井創美の歩み』(1990年初版、1997年第3版発行)を著し、1948年(昭和23)から1993年(平成5)までの福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録を公開されました。
たとえば、1954(昭和29)11月2日3日の項目をそのまま引用してみましょう。
<11月2日 久保コレクション「西洋版画展」(だるま屋)(ポスター制作 渡辺)
・前売り券を競争して売る 純利益金四万六千円(入場七千人)
・純益が久保氏の予想を大きく上回ったので、堀、久保氏との賭けに勝ちピカソのリトグラフを金三万円で入手する
・久保氏、瑛九来福 山内旅館泊 会期中仲間が交替で展覧会場で不寝番をする
谷口、自転車盗難に遭う
11月3日 久保、瑛九、繊協ビルで座談会 席上、堀の提唱により希望者に瑛九のエッチングを特別安く頒けて貰うことになる(75点)
これが福井に瑛九の作品が入るさきがけとなる。瑛九が初めて訪れた福井で同志的愛情に触れたと言っている意味は深く、その友情は生涯変わることなく益々大きく発展していった>
現代美術の普及に生涯をささげ、このような数字を含む詳細な日録を残された堀さんの功績は忘れることはできません。

2004年5月8日~16日に多田記念大野有終会館で開催された「虹のふるさと大野 靉嘔展」のオープニングにて。靉嘔先生と社長。

同展に展示された現代版画センター時代にエディションした名作「透明な波ースリランカ」の前で社長

同展にて、中央が靉嘔先生、右のベレー帽が堀栄治さん

2006年3月10日~13日に大野市誓念寺と平成大野屋の二会場で開催された「福井フルクサス4人展」オープニングにて、社長

同展オープニングにて靉嘔先生と出品作家、参加者たち。ベレー帽が堀さん

同展オープニングでスピーチする亭主と靉嘔先生
堀さん、長い間、ありがとうございました。
堀栄治さんのご冥福を祈り、堀さんの大好きだった靉嘔の作品をご紹介します。

靉嘔「会話・比翼の鳥」
1980年
シルクスクリーン
48.0×95.0cm
Ed.100 サインあり

靉嘔「山水」
1977年
シルクスクリーン
57.0×36.0cm
Ed.150 サインあり
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昨日、福井県大野の瑛九顕彰展のご案内をしたばかりですが、大野の小コレクター運動のリーダー堀栄治さんの訃報が飛び込んできました。
堀さんは久保貞次郎先生の唱導した創造美育運動に参加した教師の一人でした。
瑛九の晩年を支えた木水育男さんが組織した頒布会の中心メンバーであり、自らも大野で瑛九の作品頒布会を独自に組織し、大野に多くの瑛九作品をもたらした大功績者でした。
亭主も若い頃から堀さんの支援を受け、何度も大野通いをしたものです。

2006年大野の堀さん宅にて
堀栄治さんと社長
瑛九没後、堀さんは瑛九周辺の作家たちー池田満寿夫、泉茂、オノサトトシノブ、北川民次、ヘンリー・ミラー、キムラ リサブロー、靉嘔たちを支援し続けました。
中でも靉嘔先生の作品頒布には精力的に取り組み、美術館はもちろんギャラリーすらない人口僅か3万5千人ほどの山間の町で、靉嘔やフルクサスの大展覧会を組織しました。
ニューヨークと福井の小都市を直結させるような試みが実現したのも堀さんの長年月にわたる活動の成果でした。
また、私たち瑛九ファンにとっては貴重な文献となる『福井創美の歩み』(1990年初版、1997年第3版発行)を著し、1948年(昭和23)から1993年(平成5)までの福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録を公開されました。
たとえば、1954(昭和29)11月2日3日の項目をそのまま引用してみましょう。
<11月2日 久保コレクション「西洋版画展」(だるま屋)(ポスター制作 渡辺)
・前売り券を競争して売る 純利益金四万六千円(入場七千人)
・純益が久保氏の予想を大きく上回ったので、堀、久保氏との賭けに勝ちピカソのリトグラフを金三万円で入手する
・久保氏、瑛九来福 山内旅館泊 会期中仲間が交替で展覧会場で不寝番をする
谷口、自転車盗難に遭う
11月3日 久保、瑛九、繊協ビルで座談会 席上、堀の提唱により希望者に瑛九のエッチングを特別安く頒けて貰うことになる(75点)
これが福井に瑛九の作品が入るさきがけとなる。瑛九が初めて訪れた福井で同志的愛情に触れたと言っている意味は深く、その友情は生涯変わることなく益々大きく発展していった>
現代美術の普及に生涯をささげ、このような数字を含む詳細な日録を残された堀さんの功績は忘れることはできません。

2004年5月8日~16日に多田記念大野有終会館で開催された「虹のふるさと大野 靉嘔展」のオープニングにて。靉嘔先生と社長。

同展に展示された現代版画センター時代にエディションした名作「透明な波ースリランカ」の前で社長

同展にて、中央が靉嘔先生、右のベレー帽が堀栄治さん

2006年3月10日~13日に大野市誓念寺と平成大野屋の二会場で開催された「福井フルクサス4人展」オープニングにて、社長

同展オープニングにて靉嘔先生と出品作家、参加者たち。ベレー帽が堀さん

同展オープニングでスピーチする亭主と靉嘔先生
堀さん、長い間、ありがとうございました。
堀栄治さんのご冥福を祈り、堀さんの大好きだった靉嘔の作品をご紹介します。

靉嘔「会話・比翼の鳥」
1980年
シルクスクリーン
48.0×95.0cm
Ed.100 サインあり

靉嘔「山水」
1977年
シルクスクリーン
57.0×36.0cm
Ed.150 サインあり
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