画廊では「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催中ですが、昨日からは新たに広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで「THE・JPADS・PHOTOGRAPHY SHOW Christmas Photo Fair」が始まりました。ときの忘れものは尾形一郎 尾形優、植田正治、ジョック・スタージス、アンドレ・ケルテス、エドワード・スタイケンの写真作品を出品しています。
毎日13時~19時まで、亭主とスタッフの尾立、秋葉が交替で会場につめていますので、ぜひお出かけください。

磯崎新『栖十二』より第四信アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)]

磯崎新銅版画展 栖十二」の出品作品と、それが誕生した1998年夏から翌1999年9月にかけてのイベント(書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送する)のドキュメントを、事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
18日に続く第4回目は、アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)]です。
第4信より挿画12_A磯崎新〈栖 十二〉第四信より《挿画12
アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)] 1559-60年 ヴェネツィア西郊

第4信より挿画13_A磯崎新〈栖 十二〉第四信より《挿画13
アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)] 1559-60年 ヴェネツィア西郊

第4信より挿画14_A磯崎新〈栖 十二〉第四信より《挿画14
アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)] 1559-60年 ヴェネツィア西郊


第四信・事務局連絡
一九九八年一〇月二〇日東京・外苑前郵便局より発送


 第四信をお届けします。

 今回磯崎さんが取り上げたのは、アンドレア・パッラディオ『ラ・マルコンテンタ』、ニコロとアルヴィーゼのフォースカリ兄弟のためのヴィッラです。因みに「ヴィッラ」は磯崎さんの版画の処女作の名称でもあります。
 この『栖十二』は版画と書簡による連刊画文集ですが、磯崎さんが”建築家でありながら”長年にわたり版画制作に並々ならぬエネルギーを注いできたことは、書簡受取人の皆様なら良くご存知のことと思います。
 先日お届けした第三信を投函したのは新宿区の神楽坂郵便局からでした。地下鉄神楽坂駅の階段をのぼり、地上に出て直ぐ右手のビルの二階にかつての磯崎アトリエがありました。このアトリエから磯崎さんの最初の版画作品「ヴィッラ」シリーズが生まれました。シルクスクリーンの刷りを担当したのは、当時三〇歳の若い刷り師、今回のパッケージを刷っている石田了一さんでした。以来、磯崎さんのシルクによる版画やコンペ出品作品は全て石田さんの刷りによるものです。
 磯崎さん自身の回想によれば、
 「はじめて版画をつくったのは一九七七年で、もちろん版画センターのすすめによるものだ。建築家の私に版画をつくらせるなど、どこで思いついたのか、つい聞きそびれてしまったが、それ以来深入りしてしまいつつある。有難かったのは、サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に突然えらばれながら、どういうメディアで表現しようか、と迷っていたときのことだ。綿貫さんが、それも版画でやったらどうですか、とすすめてくれた。だが、大きい展覧会だから作品も大きくなりますよ、というと、いいですよ、世界最大の版画にしたらいい、と平然たるものだった。必ずしも彼に成算あってのことだったとも見うけなかったが、その気迫にたよって、立体と組合わさった版画ができた。とにかくばかでかく、こんなあほらしく手のかかる仕事はめったに手がける人はいないだろう。」(一九八二年『堀内正和・磯崎新展』図録、西田画廊)というような始末で、今思い出しても冷や汗ものでした。
 当時、現代版画センターという版画の版元を主宰していた綿貫の依頼で版画「ヴィッラ」シリーズが誕生したのですが、ちょうど同時期にサンパウロ・ビエンナーレへの出品が決まり、磯崎さんの回想にあるように超大型の版画「空洞としての美術館I、II」をシルクスクリーンで急遽制作することになりました。二点のサイズは縦がともに一一〇cm、横が四八〇cmと三六〇cmという、未だかつてないギネスブック級の版画でした。完成に至るまでにはいくつもの難関があったのですが、先ず直面したのが、刷る紙がないということでした。今でこそ版画用ロール紙が輸入されて、相当大きいサイズの版画制作が可能ですが、その頃は日本中探しても五mの版画用紙などありません。輸入をまつ時間的余裕もなく、あちこち絵の具や製紙メーカーを訪ねて見つけたのが泰西名画の高級複製画に使われているロール状のキャンバスでした。これなら一〇m以上の長さが可能です。紙の問題をクリアして、さて次に困ったのが五mもの版画を刷る場所が無いということでした。刷り師の石田さんの工房は中野刑務所の塀沿いにあった木造アパートの六畳間でしたから(今は府中に広くて立派な工房をもっています)、こんな大きなものは無理です。思案のあげく、磯崎さんに相談すると、「それならここで刷ればいい」と、今では考えられませんが、アトリエのスタッフ全員に数日間のお暇を出し、磯崎アトリエを臨時の版画工房にしてしまいました。椅子を机の上に積み上げ、製図台など全部窓際に寄せて、刷り台を設置出来る広い空間をつくり、石田さんたちは何日も徹夜して三〇版を越える版画を刷り上げたのでした。夜になると宮脇愛子さんがサンドイッチを差し入れてくれたのも懐かしい思い出です。
 かくして神楽坂のアトリエで完成した巨大版画はサンパウロ・ビエンナーレの開幕ぎりぎりに送られたのですが、出品の窓口だった国際交流基金はそんな大きな作品だとは予想もしていなかったとみえ、その航空運賃が出せず、かわりに磯崎さんがご自分の招待切符を運賃にあてたとか。

 話があらぬ方へ飛んでしまいましたが、今回の第四信パッケージ中面青焼図面は、本文に登場する故貝島明夫氏の自邸です。現実のインザキ・ヴィッラ・シリーズのはじまりでした。
 第四信のお届けは前回から少々間が空いてしまいました。磯崎さんが九月のマカオ、今月に入ってからはアメリカ、ヨーロッパと出張続きで、まとまった時間を確保できないのも事実ですが、本文冊子、銅版画、パッケージなど、何人も職人さんたちによる少部数の手作りで、それらの作業が並行して進むように段取りするのが結構たいへんです。お気付きになっていらっしゃるでしょうが、パッケージを包む紐(凧糸)も、毎回「ときの忘れもの」のスタッフが自宅の鍋で手染めしています。
 ということで、磯崎さんは今テルアビブあたり、第五信はさらに遅れるかも知れませんが、何とぞご容赦いただきますよう。(文責・綿貫)
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栖十二磯崎サイン刷り上った銅版画とパッケージ表紙にもサインをする磯崎新先生。
1998年8月からの一年間は磯崎新先生の版画制作が最も集中的になされた時期でした。
グランドを挽いた銅版をアトリエから歩いて直ぐの白井四子男さんの版画工房から10枚単位でお持ちすると、あっという間にニードルで描かれた版が何枚も出来上がって来る。間髪を入れず試刷りをして磯崎先生に見ていただき、「今月の一点」を選んで直ちに本刷りする。
刷り上るたびに、世界中を飛び回っている磯崎新先生を捕まえてサインをしていただく。
版の準備~描画~試刷り~本刷り~サインという一連の流れを一ヶ月の間におさめ、それを一年間ほとんど変わらぬペースで繰り返したわけですから、まさに奇跡の一年でした。
その綱渡りのようなスケジュール調整を、40数年間磯崎先生の秘書をつとめ、今秋(2011年9月)亡くなられた網谷淑子さんが一手に引き受けてくださいました。

栖十二vol4第四信パッケージ
書き下ろしエッセイを印刷した小冊子と銅版画を収めたパッケージも磯崎新先生によるスケッチがシルクスクリーン(刷り:石田了一)で刷られた「美術作品」でした。もちろん限定番号と磯崎新先生のこれは愛用の万年筆によるサインがされています、文字通り磯崎新先生から書簡受取人35人への私信でした。
色とりどりの記念切手がデザイナー(北澤敏彦さん)の指示で決められた位置に貼られ、毎月違う色に染められた紐(凧糸)で縛られて完成した「美術品」を郵便局に運び込み、「書留」のスタンプを捺してもらい(これも絵にかからぬよう郵便局員さんに場所を指示して)郵送しました。

084名札ここまでは、私たちが完璧に管理(監視)できたのですが、問題は思わぬところから発生しました。
第一信を受け取った書簡受取人のおひとり北海道札幌の上遠野徹さんから電話があり、「書留の配達証が、スケッチの真ん中にべたりを貼られ、配達人によって無残にはがされ、絵が台無しになってしまった」と嘆かれてしまいました。
完璧を期したつもりが、配達の場面までは想定できなかった。
慌てて思案し、左のような名札をつけることにしました。さぞかし配達する局員さんも驚かれたことでしょう。

028栖十二第四信名札付け
名札付け作業

029栖十二第四信
名札がつけられた第4信35通。背後のケースの中には井上翠の陶オブジェ。

030栖十二第四信外苑前〒
第四信の発送は、ときの忘れものの最寄の外苑前郵便局から。

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◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。
磯崎新展
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示しています。
住まい学大系第100巻『栖すみか十二』も頒布しています(2,600円)。