磯崎新『栖十二』より第五信チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス]
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、各作品と事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
第五信はチャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス](1902-03年 ヘレンズバラ)です。
磯崎新『栖十二』第五信パッケージ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画15》
チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画16》
チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画17》
チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
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第五信・事務局連絡
一九九八年一一月二四日群馬県・伊香保郵便局より発送
第五信はお手元に届きましたか。
梱包と発送のときに、今回の事務局連絡担当の私が東京を空けていたものですから、失礼をしてしまいました。このように別便で後送する次第です。
しかも、東京に戻ってきたら風邪につかまったらしい。それでもヒル・ハウスのことも頭から離れないので、寝床のなかで、小川守之さんの『建築家マッキントッシュ』(相模書房)を読み返したりしました。この本、自分も建築家である小川さんがマッキントッシュを歴史的存在ではなく、あくまで身近な建築家として、率直にまた具体的に語っているのがなかなかおもしろく、また日本人の書いたマッキントッシュ論として多分いちばん量もまとまっている、読みでもあるのです。
小川さんはロンドンの建築事務所で働きはじめて半年、満を持してといった感じでグラスゴーに向かいます。この「グラスゴー美術学校」の章から、俄然文体にも生気があふれてくるのですが、それを裏づけるようなある記事のはなしから始まる。
「しかし、強烈な印象を植え付けたのは、『都市住宅』七一年九月号の「近代建築入門」というシリーズであった。それまでに磯崎新+原広司の対談形式で、すでにアドルフ・ロースとオットー・ワグナーが紹介されていた。このマッキントッシュの号は、何しろ今までモノクロの写真でしか見たことがなかった、グラスゴー美術学校とヒル・ハウスをカラー写真で見せてくれた。モノクロの何だかはっきりしない今まで見てきた写真と、このカラーの磯崎さんが実際に行って撮ってきたという写真との違いは大きかった。これらの建物がぐっと身近に迫ってきて、ますます想像力をかきたてられた。特にグラスゴー美術学校の図書室で、縦長な窓のある西面の近接写真、石の彫塑的な力強い量塊、「ヘン・ラン」と呼ばれる日当りのよいガラス張りの通路に学生達がたむろしている写真、そしてヒル・ハウスのあの細かい正方形に分割された窓、門扉の鉄細工、それらのものが目に焼きついた。
当時は、建築史の本以外で、こうしていわゆる近代建築以前の建物を、カラー写真で見る機会は未だ少なかった。ウィーンのオットー・ワグナーの郵便貯金局にしても、このシリーズでぐっと身近になったものだった。このすぐあとあたりから、加速度的に、海外の建築についての情報が増え出したような気がする。」
またもや手前味噌で申しわけないのですが、最初読んだとき思いもかけぬこの一節にぶつかって驚いたのは、この磯崎さん撮影のカラーポジ(それも6×6サイズ!)をレイアウトしながら編集の私も感じていたことを、そのまま小川さんが克明に語っているからでした。私もこの時、マッキントッシュ詣での衝動を得ていたに違いありません。それから約一〇年後にまとめられた著書を、私は今から数年前に初めて読んで、自分のグラスゴー行きを遅まきながら現実にうつし、ついでに、小川さんが「見た時の感動は忘れられない」と書いているキャッスル・ハワードの霊廟に立ち寄り、さらにはケルトの渦巻模様をアイルランドに求める旅につなげたのでした。
ヘレンズバラの駅から、ゆるやかではあるけれども長い長い坂道を二、三〇分のんびり歩いて辿りついた、青空の下の修復された真新しい白色のヒル・ハウスの印象は、今回の磯崎さんの語り口とヘンに気分が合っています。突然、マリリン・モンロー・チェアとマッキントッシュのラダーバック・チェアが並ぶ写真が磯崎さんのもとに送られてくる。そうなった事情がじつに軽妙に語られるのですが、ヒル・ハウスをこの目で見たとき、建築史のなかの記念碑的作品といった性格が一瞬に脱け落ち、不思議なエレメントの集積があるだけといった生々しさに、それは結びつくように思えたのです。
さらに、磯崎さんはこの二本の椅子をヴァン・アイクの描いたアルノルフィニィ夫妻にたとえている。これは単にハイバック・チェアから人体を連想したというだけではなく、それが置かれた空間の変質が暗に言われている。あの「闇の空間」(『建築文化』一九六四年五月号)のなかにもこの肖像画は登場していますが、その中心に置かれた凸面鏡によって「空間の実像と虚像が奇妙に入り乱れはじめ」、「空間に二つの焦点が生じた」と指摘しています。
マッキントッシュが近代の展開という枠から外れてしまうようにみえること。そこに例えばラッチェンズに触れたときに近代建築を相対化してしまう地平を見ている磯崎さんの目がたしかにあり、さらにはスペインの港ラ・コルーニヤのガラス張り出窓を見ていて、不意にヒル・ハウスの出窓を見ていた自分自身を思い出す。つまりイギリスの窓を外に開けてしまい、一方マッキントッシュの草花模様の源泉をいい当ててしまう磯崎さんの目があります。それは近代建築氏の厳選といったパースペクティブのなかではない。より直截的な源泉です。このことは誰もあんまり指摘していなかった。こうした離れ業がエピソディカルな語り口によってこそ巧妙に戦略的になしとげられています。
今回のエッチングはドローイング・ルーム(この家では機能としては居間に近いようです)のアルコーブが描かれています。その出窓の表情に、マッキントッシュという名を越えた、さまざまなシーンが見えてしまうのは当然です。
ついでに。
マリリン・モンロー・カーブ定規については、『建築』六七年四月号の磯崎特集でモンロー宛の書簡という体裁で書かれています。この雑誌の特集号も私の担当だったのですが、透明アクリルのケースに収められた二本の蛍光アクリルの定規はじつに美しかった。このセットは一応マルチプル・アートみたいに売られることも考えられていて、一〇〇ドルの値段がついていました。あれは本気だったのかどうか。
綿貫チームは、第五信の発送のために、伊香保のハラ・ミュージアム・アークまで行ってきたようです。この建物をまた見るために、東京にいなかった私を当然置いてきぼりにして、うまい理由をつけて出掛けていった綿貫さんたちがちょっとうらめしい。
(文責・植田)
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「栖十二」第五信の中に収まる磯崎先生の書き下ろしエッセイの小冊子、銅版画、青焼き図面の貼られたパッケージなどがすべて揃ったのが1998年11月23日。

セットの作業が大急ぎで進行。当時の事務室の壁にはウォーホルの果物シリーズがかかっていました。

35通完成した「栖十二」第五信をギャラリーの床に並べて。

翌11月24日、快晴の伊香保に駆け上り、磯崎新設計のハラ・ミュージアムアークにて。

3mを越す巨大なウォーホルのキャンベルスープ缶の前で記念撮影。

伊香保郵便局の前で。いつもダンボール箱に35通を詰めて持ち込んでいました。

伊香保郵便局より発送完了。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
住まい学大系第100巻『栖すみか十二』も頒布しています(2,600円)。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、各作品と事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
第五信はチャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス](1902-03年 ヘレンズバラ)です。
磯崎新『栖十二』第五信パッケージ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画15》チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画16》チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
磯崎新〈栖 十二〉第五信より《挿画17》チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス] 1902-03年 ヘレンズバラ
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第五信・事務局連絡
一九九八年一一月二四日群馬県・伊香保郵便局より発送
第五信はお手元に届きましたか。
梱包と発送のときに、今回の事務局連絡担当の私が東京を空けていたものですから、失礼をしてしまいました。このように別便で後送する次第です。
しかも、東京に戻ってきたら風邪につかまったらしい。それでもヒル・ハウスのことも頭から離れないので、寝床のなかで、小川守之さんの『建築家マッキントッシュ』(相模書房)を読み返したりしました。この本、自分も建築家である小川さんがマッキントッシュを歴史的存在ではなく、あくまで身近な建築家として、率直にまた具体的に語っているのがなかなかおもしろく、また日本人の書いたマッキントッシュ論として多分いちばん量もまとまっている、読みでもあるのです。
小川さんはロンドンの建築事務所で働きはじめて半年、満を持してといった感じでグラスゴーに向かいます。この「グラスゴー美術学校」の章から、俄然文体にも生気があふれてくるのですが、それを裏づけるようなある記事のはなしから始まる。
「しかし、強烈な印象を植え付けたのは、『都市住宅』七一年九月号の「近代建築入門」というシリーズであった。それまでに磯崎新+原広司の対談形式で、すでにアドルフ・ロースとオットー・ワグナーが紹介されていた。このマッキントッシュの号は、何しろ今までモノクロの写真でしか見たことがなかった、グラスゴー美術学校とヒル・ハウスをカラー写真で見せてくれた。モノクロの何だかはっきりしない今まで見てきた写真と、このカラーの磯崎さんが実際に行って撮ってきたという写真との違いは大きかった。これらの建物がぐっと身近に迫ってきて、ますます想像力をかきたてられた。特にグラスゴー美術学校の図書室で、縦長な窓のある西面の近接写真、石の彫塑的な力強い量塊、「ヘン・ラン」と呼ばれる日当りのよいガラス張りの通路に学生達がたむろしている写真、そしてヒル・ハウスのあの細かい正方形に分割された窓、門扉の鉄細工、それらのものが目に焼きついた。
当時は、建築史の本以外で、こうしていわゆる近代建築以前の建物を、カラー写真で見る機会は未だ少なかった。ウィーンのオットー・ワグナーの郵便貯金局にしても、このシリーズでぐっと身近になったものだった。このすぐあとあたりから、加速度的に、海外の建築についての情報が増え出したような気がする。」
またもや手前味噌で申しわけないのですが、最初読んだとき思いもかけぬこの一節にぶつかって驚いたのは、この磯崎さん撮影のカラーポジ(それも6×6サイズ!)をレイアウトしながら編集の私も感じていたことを、そのまま小川さんが克明に語っているからでした。私もこの時、マッキントッシュ詣での衝動を得ていたに違いありません。それから約一〇年後にまとめられた著書を、私は今から数年前に初めて読んで、自分のグラスゴー行きを遅まきながら現実にうつし、ついでに、小川さんが「見た時の感動は忘れられない」と書いているキャッスル・ハワードの霊廟に立ち寄り、さらにはケルトの渦巻模様をアイルランドに求める旅につなげたのでした。
ヘレンズバラの駅から、ゆるやかではあるけれども長い長い坂道を二、三〇分のんびり歩いて辿りついた、青空の下の修復された真新しい白色のヒル・ハウスの印象は、今回の磯崎さんの語り口とヘンに気分が合っています。突然、マリリン・モンロー・チェアとマッキントッシュのラダーバック・チェアが並ぶ写真が磯崎さんのもとに送られてくる。そうなった事情がじつに軽妙に語られるのですが、ヒル・ハウスをこの目で見たとき、建築史のなかの記念碑的作品といった性格が一瞬に脱け落ち、不思議なエレメントの集積があるだけといった生々しさに、それは結びつくように思えたのです。
さらに、磯崎さんはこの二本の椅子をヴァン・アイクの描いたアルノルフィニィ夫妻にたとえている。これは単にハイバック・チェアから人体を連想したというだけではなく、それが置かれた空間の変質が暗に言われている。あの「闇の空間」(『建築文化』一九六四年五月号)のなかにもこの肖像画は登場していますが、その中心に置かれた凸面鏡によって「空間の実像と虚像が奇妙に入り乱れはじめ」、「空間に二つの焦点が生じた」と指摘しています。
マッキントッシュが近代の展開という枠から外れてしまうようにみえること。そこに例えばラッチェンズに触れたときに近代建築を相対化してしまう地平を見ている磯崎さんの目がたしかにあり、さらにはスペインの港ラ・コルーニヤのガラス張り出窓を見ていて、不意にヒル・ハウスの出窓を見ていた自分自身を思い出す。つまりイギリスの窓を外に開けてしまい、一方マッキントッシュの草花模様の源泉をいい当ててしまう磯崎さんの目があります。それは近代建築氏の厳選といったパースペクティブのなかではない。より直截的な源泉です。このことは誰もあんまり指摘していなかった。こうした離れ業がエピソディカルな語り口によってこそ巧妙に戦略的になしとげられています。
今回のエッチングはドローイング・ルーム(この家では機能としては居間に近いようです)のアルコーブが描かれています。その出窓の表情に、マッキントッシュという名を越えた、さまざまなシーンが見えてしまうのは当然です。
ついでに。
マリリン・モンロー・カーブ定規については、『建築』六七年四月号の磯崎特集でモンロー宛の書簡という体裁で書かれています。この雑誌の特集号も私の担当だったのですが、透明アクリルのケースに収められた二本の蛍光アクリルの定規はじつに美しかった。このセットは一応マルチプル・アートみたいに売られることも考えられていて、一〇〇ドルの値段がついていました。あれは本気だったのかどうか。
綿貫チームは、第五信の発送のために、伊香保のハラ・ミュージアム・アークまで行ってきたようです。この建物をまた見るために、東京にいなかった私を当然置いてきぼりにして、うまい理由をつけて出掛けていった綿貫さんたちがちょっとうらめしい。
(文責・植田)
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「栖十二」第五信の中に収まる磯崎先生の書き下ろしエッセイの小冊子、銅版画、青焼き図面の貼られたパッケージなどがすべて揃ったのが1998年11月23日。

セットの作業が大急ぎで進行。当時の事務室の壁にはウォーホルの果物シリーズがかかっていました。

35通完成した「栖十二」第五信をギャラリーの床に並べて。

翌11月24日、快晴の伊香保に駆け上り、磯崎新設計のハラ・ミュージアムアークにて。

3mを越す巨大なウォーホルのキャンベルスープ缶の前で記念撮影。

伊香保郵便局の前で。いつもダンボール箱に35通を詰めて持ち込んでいました。

伊香保郵便局より発送完了。
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◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
住まい学大系第100巻『栖すみか十二』も頒布しています(2,600円)。
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