今日から2月。
日本列島を猛烈な寒波が襲い、各地で大雪の模様です。
311の被災地の皆さんはきっと辛い思いと、寒さに震えていることでしょう。
このところ関東でも地震が多い、明日はわが身と思う毎日です。

このブログは「365日毎日更新」なので、原稿の手配が結構たいへんです。
植田実さんはじめ、大竹昭子さん、井桁裕子さん、山田陽さん、深野一朗さん、小林美香さんなどの連載執筆者のご協力がありますが、それでも月に20日以上は亭主が拙い文章をつづることになります。
当日ぶっつけで書くこともありますが、多くの場合、感銘を受けた展覧会や作品、作家の話題などそれなりに準備して必死に原稿を書き、上掲の皆さんの合間合間に予約投稿(毎日午前零時に更新予約)しておきます。
無知無才の亭主の愚痴やら駄文が続くとアクセスは急減する。
人気連載の小林美香さんが毎月2回(10日と25日)執筆してくださるので、そのときは急上昇するというのが毎月のパターンであります。

「あららカウンターが壊れたのかしら」
昨日朝、自宅のパソコンをつけてブログをチェックしたら、アクセス数が尋常ではない。
昨日の亭主の投稿は「石岡瑛子さん逝く」でした。
新聞で亡くなられたのを知り、無念の思いで昔の思い出を書きました。
亡くなられたのは21日ですから、亭主の投稿が速報ということでもありません。
念のためGoogleとYahooで検索すると70万件もの中で「ギャラリーときの忘れもの 石岡瑛子さん逝く」がトップ頁に出ている、驚きました。
どうやら、一昨日30日夜10時から、石岡さんが初めてドキュメンタリーの取材に応じた「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組がNHKテレビで再放送されたことに起因するらしい。我が家にはテレビはありませんので、そういう番組があったことも再放送のことも知りませんでした。
ブログへのアクセスが一日3000人を超えたことなど初めてです。
それだけ石岡さんの才能を惜しむ方たちが多かったのでしょう。
あらためて石岡さんのご冥福をお祈りする次第です。

サラリーマン・コレクターという言葉はもはや普通名詞ですが、小泉清さんは美術界では有名人なので知っている方も多いでしょう。
論客であり、何年か前、ギャラリー椿さんでコレクション展を開きその過激なコレクションが注目された。
わが小野隆生の大コレクターでもあります。
自ら公言されている通り、「現存作家のヌード(裸婦)」というポリシーなので、このところとんとご無沙汰でした(つまり、ときの忘れものでヌードを展示する機会があまりない)。
今回は正真正銘「裸婦は美しい」展なので久しぶりに来ていただきました。
小泉さん曰く
昔の金持ちは学校を作ったり、病院をつくったりした。そういう文化的土壌のもとにコレクションがあったけれど、戦後は<金持ちの在り方>を根こそぎ崩してしまった。近年の日本のアートマーケット不振の原因はそこらあたりにあるのではないか。」
至言ですね。

せっかくツイッターで小泉さんに誉められた「銀塩写真の魅力Ⅲ/裸婦は美しい」から出品作品をご紹介しましょう。
植田正治の「砂丘ヌード」。この作品を見て直ぐに作者を言える方は相当の植田ファン。
いわゆる「植田調」ではありません。
菊池武夫のために撮った「砂丘モード」や、愛妻とのコラボレーション「妻のいる砂丘風景」とは異なる作風です。
植田正治
植田正治
「砂丘ヌード」
1950年(Printed later)
ゼラチン・シルバー・プリント
24.2×21.7cm
サインあり

植田正治は、1950年ごろ集中して「砂丘ヌード」を撮影しています。
1951年秋には、植田のほか杵島隆、田賀久治らが参加して、鳥取砂丘ヌード撮影会が催されました。またこの年、日本カメラの「ヌード新作集」に作品が掲載され、「砂丘ヌード」が第2回富士フォトコンテストのプロの部で3等に入選するなどしています。
この作品は、「砂丘ヌード」シリーズのなかでも、ソフトフォーカスで撮影されていて、少し趣を異にしています。通常のレンズで撮った作品は、体のラインがシャープに出ていて、トルソとしての美しさや量感を強調していますが、この作品は、温かなぬくもりを感じさせてくれます。

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植田正治
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005~2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。
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◆ときの忘れものは、2012年1月27日[金]―2月4日[土]「銀塩写真の魅力Ⅲ/裸婦は美しい」を開催しています。
魔方陣
20世紀の銀塩写真を中心とするアナログ写真は、デジタルカメラの進化により、いまや消え行く運命にあります。
本展では「裸婦」をテーマに、中山岩太、ベッティナ・ランス、福田勝治、細江英公、大坂寛、植田正治、五味彬、服部冬樹、ジョック・スタージス、井村一巴、カリン・シェケシー、ヤン・ソーデック、カート・マーカス、ウェイン・メイザーの美しいモノクロームプリントを展示します。

次回企画展のご案内
ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催します(※会期中無休)。
メカス展
それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS
1922年リトアニア生まれ。ソ連次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領。強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走、難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命。16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネツィア映画祭で最優秀賞受賞。83年初来日。89年NYにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立。2005年ときの忘れものの個展のために4度目の来日。

2月のWEB展は「靉嘔展」です。