新人スタッフのアートフェア挑戦記6(最終回)
第六回 釜山からの報告(最終日) 新澤悠

BAMA 2012、釜山からの帰路より第六信をお送りします。
六日という日々も、過ぎてみれば早いもので、少々拍子抜けしております。
とは言え、全てを十全にこなしてのことでは勿論なく、商売とは関係ない部分でのドタバタを経てのことなのですが。
最終日ということで気が緩んだのか、フェア最後の朝は前日よりも寝坊してしまい、朝食を取り損ねる有様。幸か不幸か、人の入りは本日もそれ程でもなかったので、お昼は一旦部屋を閉めて、通訳スタッフに薦められたホテル二階のレストランへ。食べ放題のビュッフェでお値段は一人6000ウォン。安い! ビュッフェの常で味はそこそこでしたが、前日の晩御飯が侘しかった身にはありがたく、お腹いっぱいに食べました。しかしここで食べたチジミが今回の韓国滞在で食べた唯一の韓国らしい食べ物のような…
空腹も満たされ、意気揚々と部屋に戻った自分でしたが、その後も来客はあれどお買い上げはなく、そのまま午後の八時になってBAMA2012は終わりを迎えました。
月曜日は7時40分のバスに乗って空港に向かうので、荷造りは晩の内に済ませておかねばなりません。お客様への納品時に梱包材を使ってしまい、足りるかどうか不安でしたが、作品の数自体が減っていたので梱包自体は問題ありませんでした。ですが、収納物が減ったせいで、今度は荷物が隙間だらけになるという問題が。着替えやら丸めたメモ用紙を詰めて誤魔化しましたが、まさかこんな事に悩む羽目になるとは。
さて、荷造りも片付いたし晩飯にしようと時計を見れば、時間は9時。まぁ昨日のスーパーならまだ飲食店も空いているだろうとノンビリ歩いて行くと、なんと建物全体が閉まっている。ガイドじゃ24時間営業って書いてあったじゃないかー! 慌てて近くの飲食店を回ってみるも、全て営業終了と言われる始末。閉店早過ぎだろうと途方に暮れましたが、いかにも海外系列と言わんばかりのパン屋がまだやっており、結局そこで惣菜パンを5つほど購入しました。お値段合計9000ウォン。食べ放題の方が惣菜パンより安いとか色々おかしいですよ…。
かくして、ある意味自分らしいオチらしきものが付いて、釜山最後の夜は過ぎて行きました。
明けて翌月曜日。流石に今日は寝坊したらマズいと体もわかっているのか、目覚ましを設定した時間より早く起床。昨日はともかく一昨日はこうして起きれれば良かったのに、などと益のない考えをしながら身支度をして、忘れ物がないかをチェックしてホテルを出発。と言っても、空港まではホテル前のバス停で待つだけなんですが。バスレーンをパラリンピック協会のバス二台が占拠していて、バスが自分に気付かず通り過ぎたらどうしよう、等と気の小さいことを心配していましたが、勿論そんなこともなく止まってくれて、朝の渋滞に巻き込まれつつも無事空港に到着しました。
早い時間に着いたので、チケットカウンターも待ち時間なし。行きは2kg分の超過料金を取られましたが、軽くなった今回なら! と、こっそり意気込んでスーツケースとダンボールケースをベルトコンベヤーに乗せると、重量表示は25kg。…なんで変わってないの。ああ、これはまた超過料金かなーと思っていると、特に何も言われずに搭乗券を渡され、そのまま荷物は貨物室へ。「おいおいそれでいいのか」と思いつつ、藪をつついて蛇を出すのもなんだしと流すことにしました。損はしてませんしね! しかし、この後パスポート審査を通り、免税店を冷やかしているとアナウンスで自分の名前が。まさか荷物の重量が問題に!? とビビりながらカウンターに向かうと、渡されたのは預けた荷物の半券でした。チケットカウンターの時点で受け取ってないことに気付こうよ自分…。
最後までトラブル、とまでは言いませんが、ミスだらけのアートフェア初挑戦記でしたが、どうにか終われそうです。飛行機の窓から、一週間ぶりの日本を見下ろしながらこの文章を締めさせていただきます。六回に渡り、自分の稚拙な文章に目を通して頂き、ありがとうございました。
(2012年6月11日 しんざわゆう)
日曜の展示風景。
持っていった作品の半分以上が売れてしまったので、スペースを縮小しました。


*画廊亭主敬白
この一週間は内に光嶋裕介展、外に釜山のアートフェアとスタッフたちにとってはてんてこ舞いの日々でした。
釜山は準備らしい準備もせずに、無謀にも新人・新澤悠を送り出したのですが、結果オーライで、費用対効果を計算すると今までで一番利益率の高いフェア出展となりました(笑)。
大番頭不在のいま、悠長なことは言っていられない。
売上げはそう多くはなかったのですが、なにせブース代(含・宿泊代)が10万円と安い、輸送費ゼロ、旅費も3万円ほど。つまり、草間彌生作品を一点売れば経費が出ちゃう、う~む、今までのフェア出展マニュアルは考え直さねば。
ともあれ伝票の書き方もろくに知らない新人が幾人ものお客に作品を買っていただくことができた、初年兵教育にもなったし、本人も国境を越えて行く美術品の不思議さを学んだことでしょう。
一方、疾風怒濤の勢い、大盛況の光嶋裕介展が先週土曜日に終了しました。
銅版画集8セットは完売、単品を含めると130点以上の作品が売れました。亭主の記憶でもこれほど短期間にたくさん売れた版画は珍しい。社長はこれから発送の手配でたいへんです。
お買いあげいただいたお客様には心より感謝いたします。
最終日はオープニングかと見まごうほどの来場者で、光嶋さんの人気に今更ながら驚いた次第です。
夕方、神戸から内田樹先生が到着するや帰りかけた人たちも内田先生を囲んでまた盛り上がり、スタッフは慌ててピーコックにワインを買いに走り、予定外のクロージング・パーティとなりました。
2週間の個展の大成功を祝う乾杯の挨拶はもちろん内田先生。夜遅くまで宴は続きました。

内田樹先生(左)と光嶋裕介さん
2012年6月9日
ときの忘れもの

内田樹先生を囲んで
2012年6月9日
光嶋さんの銅版画は引き続き画廊でご覧になれます。どうぞ見逃した方、次回企画の折にでもお声をかけてください。
建築家・光嶋裕介さんの前途に幸いあれ!
第六回 釜山からの報告(最終日) 新澤悠

BAMA 2012、釜山からの帰路より第六信をお送りします。
六日という日々も、過ぎてみれば早いもので、少々拍子抜けしております。
とは言え、全てを十全にこなしてのことでは勿論なく、商売とは関係ない部分でのドタバタを経てのことなのですが。
最終日ということで気が緩んだのか、フェア最後の朝は前日よりも寝坊してしまい、朝食を取り損ねる有様。幸か不幸か、人の入りは本日もそれ程でもなかったので、お昼は一旦部屋を閉めて、通訳スタッフに薦められたホテル二階のレストランへ。食べ放題のビュッフェでお値段は一人6000ウォン。安い! ビュッフェの常で味はそこそこでしたが、前日の晩御飯が侘しかった身にはありがたく、お腹いっぱいに食べました。しかしここで食べたチジミが今回の韓国滞在で食べた唯一の韓国らしい食べ物のような…
空腹も満たされ、意気揚々と部屋に戻った自分でしたが、その後も来客はあれどお買い上げはなく、そのまま午後の八時になってBAMA2012は終わりを迎えました。
月曜日は7時40分のバスに乗って空港に向かうので、荷造りは晩の内に済ませておかねばなりません。お客様への納品時に梱包材を使ってしまい、足りるかどうか不安でしたが、作品の数自体が減っていたので梱包自体は問題ありませんでした。ですが、収納物が減ったせいで、今度は荷物が隙間だらけになるという問題が。着替えやら丸めたメモ用紙を詰めて誤魔化しましたが、まさかこんな事に悩む羽目になるとは。
さて、荷造りも片付いたし晩飯にしようと時計を見れば、時間は9時。まぁ昨日のスーパーならまだ飲食店も空いているだろうとノンビリ歩いて行くと、なんと建物全体が閉まっている。ガイドじゃ24時間営業って書いてあったじゃないかー! 慌てて近くの飲食店を回ってみるも、全て営業終了と言われる始末。閉店早過ぎだろうと途方に暮れましたが、いかにも海外系列と言わんばかりのパン屋がまだやっており、結局そこで惣菜パンを5つほど購入しました。お値段合計9000ウォン。食べ放題の方が惣菜パンより安いとか色々おかしいですよ…。
かくして、ある意味自分らしいオチらしきものが付いて、釜山最後の夜は過ぎて行きました。
明けて翌月曜日。流石に今日は寝坊したらマズいと体もわかっているのか、目覚ましを設定した時間より早く起床。昨日はともかく一昨日はこうして起きれれば良かったのに、などと益のない考えをしながら身支度をして、忘れ物がないかをチェックしてホテルを出発。と言っても、空港まではホテル前のバス停で待つだけなんですが。バスレーンをパラリンピック協会のバス二台が占拠していて、バスが自分に気付かず通り過ぎたらどうしよう、等と気の小さいことを心配していましたが、勿論そんなこともなく止まってくれて、朝の渋滞に巻き込まれつつも無事空港に到着しました。
早い時間に着いたので、チケットカウンターも待ち時間なし。行きは2kg分の超過料金を取られましたが、軽くなった今回なら! と、こっそり意気込んでスーツケースとダンボールケースをベルトコンベヤーに乗せると、重量表示は25kg。…なんで変わってないの。ああ、これはまた超過料金かなーと思っていると、特に何も言われずに搭乗券を渡され、そのまま荷物は貨物室へ。「おいおいそれでいいのか」と思いつつ、藪をつついて蛇を出すのもなんだしと流すことにしました。損はしてませんしね! しかし、この後パスポート審査を通り、免税店を冷やかしているとアナウンスで自分の名前が。まさか荷物の重量が問題に!? とビビりながらカウンターに向かうと、渡されたのは預けた荷物の半券でした。チケットカウンターの時点で受け取ってないことに気付こうよ自分…。
最後までトラブル、とまでは言いませんが、ミスだらけのアートフェア初挑戦記でしたが、どうにか終われそうです。飛行機の窓から、一週間ぶりの日本を見下ろしながらこの文章を締めさせていただきます。六回に渡り、自分の稚拙な文章に目を通して頂き、ありがとうございました。
(2012年6月11日 しんざわゆう)
日曜の展示風景。持っていった作品の半分以上が売れてしまったので、スペースを縮小しました。


*画廊亭主敬白
この一週間は内に光嶋裕介展、外に釜山のアートフェアとスタッフたちにとってはてんてこ舞いの日々でした。
釜山は準備らしい準備もせずに、無謀にも新人・新澤悠を送り出したのですが、結果オーライで、費用対効果を計算すると今までで一番利益率の高いフェア出展となりました(笑)。
大番頭不在のいま、悠長なことは言っていられない。
売上げはそう多くはなかったのですが、なにせブース代(含・宿泊代)が10万円と安い、輸送費ゼロ、旅費も3万円ほど。つまり、草間彌生作品を一点売れば経費が出ちゃう、う~む、今までのフェア出展マニュアルは考え直さねば。
ともあれ伝票の書き方もろくに知らない新人が幾人ものお客に作品を買っていただくことができた、初年兵教育にもなったし、本人も国境を越えて行く美術品の不思議さを学んだことでしょう。
一方、疾風怒濤の勢い、大盛況の光嶋裕介展が先週土曜日に終了しました。
銅版画集8セットは完売、単品を含めると130点以上の作品が売れました。亭主の記憶でもこれほど短期間にたくさん売れた版画は珍しい。社長はこれから発送の手配でたいへんです。
お買いあげいただいたお客様には心より感謝いたします。
最終日はオープニングかと見まごうほどの来場者で、光嶋さんの人気に今更ながら驚いた次第です。
夕方、神戸から内田樹先生が到着するや帰りかけた人たちも内田先生を囲んでまた盛り上がり、スタッフは慌ててピーコックにワインを買いに走り、予定外のクロージング・パーティとなりました。
2週間の個展の大成功を祝う乾杯の挨拶はもちろん内田先生。夜遅くまで宴は続きました。

内田樹先生(左)と光嶋裕介さん
2012年6月9日
ときの忘れもの

内田樹先生を囲んで
2012年6月9日
光嶋さんの銅版画は引き続き画廊でご覧になれます。どうぞ見逃した方、次回企画の折にでもお声をかけてください。
建築家・光嶋裕介さんの前途に幸いあれ!
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