ヤノベさんと松本竣介

       深野一朗


昨年初に「アート宣言」をして、これからはアートを楽しもうと決意した矢先に我が国を襲った未曾有の災害。
今回の地震がこれまでと違うのは、それが原発を壊し、放射能を漏出させたことです。
甚だ不謹慎に思われるかも知れませんが、「原発事故」、「放射能漏れ」で真っ先に考えたアーティストがヤノベケンジさんでした。

磯崎新さんや倉俣史朗の原風景が敗戦後の焼け跡と瓦礫の記憶だったのに対し、65年生まれのヤノベさんの原風景は大阪万博の会場跡地にありました。
未来は廃墟。世代も年齢も親子ほど違う磯崎さんとヤノベさんが、大阪万博を契機に同じヴィジョンを共有していたことが面白い。
サヴァイバル。
これがヤノベさんの作家活動のテーマでした。その集大成ともいえるのが、アトムスーツ・プロジェクトです。ガイガー・カウンター付きの放射能防護服「アトムスーツ」を著たヤノベさんが、子どもの頃に感じた「未来は廃墟」を追体験するために旅をするプロジェクトです。
ところが、チェルノブイリを訪れたヤノベさんは、そこで自らの活動を見直さざるを得ない経験をします。そこには事故後もなお現地に留まり、極力普通の生活を続けようとしている人びとが居ました。そのような場所に、独りだけ防護服に身を包み、こうやって話している自分とは何なのか。
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(以下、2007年発行「トらやんの大冒険」あとがきより)

1997年6月、私は放射能防護服「アトム・スーツ」に身を包み人類史上最悪の原発事故を起こしたチェルノブイリを訪れた。
大阪万博跡地で幼少を過ごした体験から「未来の廃墟への巡礼」をコンセプトに、アートで社会問題を提示する。それがただ安っぽい正義感と浮ついた功名心にとらわれていた事に気付くのに左程の時間はかからなかった。

その地に足を踏み入れたとたんロマンチックな幻想は粉々に打ち砕かれる。
廃墟となった街の、朽ち果てた観覧車や映画館を見ているうちはまだ平気だった。動揺が走ったのは高放射能濃度で居住を禁止されている区域の森に住む人々に出会ってしまった時である。住み慣れた村に戻って来た老人、母親と二人で住まざるを得ない3歳の少年。防護服の私を歓迎する人なつこい森の住人達の笑顔とは裏腹に、ヘルメットの中の私の顔は困惑に歪んでいた。
あれから10年。作品を作り発表を続けた行為は、あの日出会ってしまった人々への答えを求めるあがきみたいなものである。表現の名の下に人間の魂を忘れかけていた若き日の自分を更生させる格闘の旅でもある。その旅はいまもまだ終わらず、あの時拾い上げた人形と壁に描かれた太陽とともに、まだしばらくは続けて行く事になるだろう。

(以上、2007年発行「トらやんの大冒険」あとがきより)

サヴァイバルからリヴァイバルへ。
ヤノベさんは活動のテーマを大きく切り替えました。
「子供たちに未来を与えられるものを作りたい」

そんなヤノベさんが、震災と原発事故を受けて、いったいどんな表現をするのか。
僕はそのときを待ちました。

2011年7月に山本現代で開催された『アトムスーツ・プロジェクト:大地のアンテナ』展はやや拍子抜けするものでした。それは10年前に制作されたものだったのです。
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(写真は山本現代さんのブログより拝借しています。)

震災からわずか4ヶ月。新作など発表できるはずもありません。ヤノベさんの作品はスケールが大きく、プロジェクト・クラスのものがほとんどです。しかも、原子力、放射能というものを一貫して扱ってきたヤノベさんです。僕のみならず、誰もがその動向に注目していました。本人の意向とは無関係に高まる「期待」。わずか4ヶ月で「答え」など出せるはずがないのです。

しかしその3ヵ月後、僕は早くもヤノベさんの「答え」を東京で見ることが出来ました。青山の岡本太郎記念館で公開された『サン・チャイルド』です。
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右手に持つ太陽は、岡本太郎の太陽であり、ヤノベさんがチェルノブイリの幼稚園で見た、子どもが描いた太陽の絵がモチーフになっています(上掲写真参照)。希望のシンボルです。

館内には小さなフィギュアも展示されていましたが、それを見たときには不覚にも泣きそうになってしまいました。

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傷だらけの顔で、目を見開いて、上を見上げるこども。左手には頭から外したヘルメットが乗ります。もうヘルメットが必要ない世界。津波で親を失ったこどもたちのことがオーバーラップして、胸に迫るものがありました。
これはヤノベさんの最高傑作ではないでしょうか。

ところで、この『サン・チャイルド』を見たとき、ある既視感を覚えました。

松本竣介の『立てる像』(1942年)です。

今年生誕100年を迎えるこの夭折画家の傑作は、鎌倉の神奈川県立近代美術館に行けば大概見ることが出来ます。現在は「生誕100年展」で全国を巡回しており、おなじみときの忘れものさんのブログでは、植田実先生が建築の専門家らしい独自の視点で竣介の新たな世界を切り開いています。

竣介の『立てる像』については植田先生に譲るとして、僕はこの絵をはじめて観たときにも、ある種の既視感を覚えたものです。

それは、プラハで観た税関吏ルソーの『私自身:肖像=風景』(1890年)です。
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ルソーはほかにも立像を描いていますが、自身を描いたこの一枚はなかでも有名なものです。

ルソーと竣介の立像は自画像ですが、ヤノベさんの『サン・チャイルド』は子どもです。
ただ、これは太陽の子、太郎の子であり、太郎の子=ヤノベさん自身でもありますから、自画像でもあるのです。
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(サン・チャイルドはいま、「福島現代美術ビエンナーレ」のメイン会場・福島空港で展示されています。)

では、ヤノベさんがサン・チャイルドを制作するうえで、ルソーはともかく、少しでも竣介を意識したでしょうか。
ヤノベさんはインタヴューでサン・チャイルドを、「岡本太郎によって生み出された作品」であり、「ミケランジェロのダビデ像がモチーフになっている」と語られています。当然、竣介の名前は一切出てきません。

日頃より竣介の名を口にしている奈良美智さんと違って、きっと本当にヤノベさんの頭には竣介のことはなかったのだと思います。

植田先生の「竣介論」には次のようなくだりがあります。

今回展で、前期第4部に「街と人:モンタージュ」というタイトルでくくられている作品について、ゲオルゲ・グロッスからの影響が指摘されていることを知って驚いた。朝日晃の『松本竣介』(日動出版部 1977)にくわしく語られている(朝日の表記はゲオルゲ・グロース)。また今回展図録でも有川幾夫によればジョージ・グロス(という表記になっている)と野田英夫の影響が見られるとは佐々木一成が指摘するところだとある。その資料を直接たしかめてはいないが、グロッスの影響は確定されているといっていいのだろう。

植田先生はグロスからの影響についてより慎重に検討されていますが、ことモンタージュにおいては、野田英夫の影響が明らかにあったことについては、前にブログで書きました。もっとも、グロスの影響と野田の影響を比較しても、結局それは同じことともいえます。アート・ステューデンツ・リーグの夏期学校で野田は、ジョージ・グロスの指導を受けており、その野田が二科展に出品した『帰路』と『夢』に、竣介は強いショックを受けたのですから。

竣介は池袋モンパルナスの茶房「コティ」に出入りし、小熊秀雄に野田との面会を切望していましたが、遂に二人は顔を合わせることはありませんでした。

野田とともに、ディエゴ・リベラの壁画制作の助手を務め、野田が密かにライバル視していた画家に、ベン・シャーンがいます。(二人はいっときNYの同じアパートに住んでいました。)

つい先日まで回顧展が巡回していたので、ご覧になった方も多いと思います。

このベン・シャーンの晩年の代表作に『ラッキー・ドラゴン』(1960年)があります。
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1954年の第五福竜丸被爆の事件をテーマにしたシリーズです。

実はヤノベさんにも、同じタイトルの『ラッキードラゴン』(2009年)という作品があります。
ドラゴンが口から火を吹きながら、大阪の河川を行き来する夢のある作品です。

美しい映像と音楽を是非ご覧になってください。


ベン・シャーンと同様、ヤノベさんも第五福竜丸には縁がありました。第五福竜丸の悲劇を描いた岡本太郎の壁画『明日の神話』(1970年)が30数年ぶりに発見されたのは、ちょうどヤノベさんの総決算とも言うべき『メガロマニア』展の最中でした。その展覧会に来た第五福竜丸展示館の館長の要請で、ヤノベさんが2004年に第五福竜丸の横に展示した作品が『森の映画館』です。

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そして2009年に大阪で行われたアート・イベントのために制作したのが『ラッキードラゴン』。

いうまでもなく、第五福竜丸の「福」と「竜」であり、ベン・シャーンの作品タイトルをそのまま借りています。

実はベン・シャーンの『ラッキー・ドラゴン』は、福島県立美術館がコレクションとして収蔵しています。ベン・シャーン研究の第一人者として知られる学芸員の荒木康子さんは、2010年に「胸さわぎの夏休み」展で、ベン・シャーンとヤノベさん、ふたりのラッキー・ドラゴンを合わせて展示するという企画をキュレーションされています。

震災後のいまとなっては、そのような企画展が福島で行われていたという事実に、予言めいたものを感じてしまいます。

ヤノベさんとベン・シャーン、ベン・シャーンと野田英夫、野田英夫と松本竣介。

ヤノベさんの『サン・チャイルド』に竣介の『立てる像』の影を見るのは、やはりこじつけでしょうか・・・・。
(ふかのいちろう)