現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く

ときの忘れものでは15日から「具体 Gコレクションより」を開催するので、連日カタログの編集校正、会場の設営準備(今回は強力助っ人・浜田さんの力が入っていてちょっと凝ります)、出品作品の調整(いまだ出品予定作品が届かない)などに追われています。
でも具体をやるなら、見ておかねばならない展覧会がある。
関西の「具体」に対するに関東の「実験工房」。
海外でも評価の高まっている二つの対照的なグループ。

そもそも今回の「具体 Gコレクションより」をこの時期に無理やり「やれ」と押し込んできたのは石山修武先生であります。片や海の向うで「具体展(グッゲンハイム美術館)」が開かれ、800年の歴史を誇る古都鎌倉では「実験工房展(神奈川県立近代美術館)」が開催されている。
二つの大展覧会にあわせて青山の極小スペースに「具体」コレクションを展示しようなどという大それた試みは、実験工房の山口勝弘先生と具体コレクションのG氏をともによく知る石山先生の深謀遠慮に違いない。抗するすべもなく亭主と社長はご厚意を無条件に受け入れたのでした。

NYは遠いが、鎌倉は電車で一時間、何としても行かねばならぬ。
20130306実験工房展2013年3月6日
鎌倉の美術館入り口

というわけで横須賀線に揺られ鎌倉まで行ってまいりました。
あそこには前庭に小さな池があるのですが、初めてボートが浮かんでいるのを見ました。
いえ、カップルではなく、池の掃除の作業員らしい。
大辻清司

20130124実験工房展 中

現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く
会期=2013年1月12日(土)-3月24日(日)
会場=神奈川県立近代美術館 鎌倉

 このブログでは土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」を連載中ですが、「実験工房」(Jikken Kōbō/Experimental Workshop)の名付け親は瀧口修造です。
1951年に美術、音楽、照明、文学などジャンルを超えた若い作家たちが集まって結成されました。
このグループの特筆すべき点は、アートを大きく捉え、美術、音楽、照明、文学などジャンルを超えたグループとして結成し、さまざまな活動を展開したことです。
メンバーには造形作家の大辻清司[1923-2001]、北代省三[1921-2001]、駒井哲郎[1920-1976]、福島秀子[1927-1997]、山口勝弘[1928-]、作曲家の佐藤慶次郎[1927-2009]、鈴木博義[1931-2006]、武満徹[1930-1996]、福島和夫[1930-]、湯浅譲二[1929-]、ピアニストの園田高弘[1928-2004]、詩人・評論家の秋山邦晴[1929‐1996]、さらに照明家の今井直次[1928-]、エンジニアの山崎英夫[1920‐1979]が名を連ねました。
その精神的指導者が「実験工房」の名付親、詩人・美術批評家の瀧口修造でした。
実験工房展
『現代への扉 実験工房展 戦後芸術を切り拓く』図録
2013年

鎌倉の会場はそう広くないので、カタログ掲載作品のすべてが展示されているわけではないようでしたが、ガラスケースに展示されたおびただしい資料類は圧巻でした。
グループとしての活動がおおむね終了する1957年頃までの間に、当時の先端を行く実験精神にあふれ造形、音楽、ダンス、演劇、映像作品が展開され、そのときの案内状、プログラム、ポスターなど、よくぞ保管しておいてくれたと賛嘆するほどたくさんの資料、写真が展示されています。
はがきやプログラム、ポスターなどはカタログにたとえ掲載されていても、実物を見ないと当時の水準がいかに高かったかは理解できない。
大辻清司、北代省三の写真(ゼラチン・シルバープリント)の美しさにもため息がでました。
それらは実験工房のある意味記録として撮影されたのでしょうが、半世紀後の私たちが見ると、美術作品としてまさに「盗んでも欲しくなる」写真でした。

展覧会の概要については、実験工房特設サイトに詳しく出ていますので、ご参照いただくとして、亭主としては個人的に嬉しい発見が二つありました。
ともに駒井哲郎先生に関連することです。

●一つは、1953年駒井哲郎先生と湯浅譲二さんが共同制作した「ミュージック・コンクレート」が短い映像でしたが、再制作されて会場で上映されたことです。
亭主は1991年5月に資生堂ギャラリーで開催された「没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展」の企画をお手伝いし図録も編集しました。そもそもは改装中だった資生堂ギャラリーの再開記念に何か相応しい企画をと依頼され、1953年に資生堂で初個展を開いた駒井先生の没後15年記念の回顧展にしたらどうかと提案したのでした。
当初は定石通り、白と黒の造形に応じた駒井版画のモノクロの代表作で構成するつもりでした。
ところが、偶然なのですが、同じ銀座の某画廊で会期も同じく「駒井哲郎展」が開催されることを知り、こりゃあ困ったと思いました。せっかく資生堂ギャラリーの再開記念の華やかなニュースにしたいと意気込んでいたのに、そこから歩いても行ける画廊で同じような展覧会が開かれるとあっては企画者としては面目が立たない。
そのときひらめいたのが、亭主が駒井先生の最後の新作展(1975年秋)で扱った色彩豊かなモノタイプ作品のことでした。
あちら(某画廊)はきっとモノクロの代表作を展示するに違いない、だったらこちら(資生堂)は輝くばかりの色彩作品で壁面を埋め尽くそう。
駒井先生の周辺はきっと「邪道」だと非難するかも知れないが、もともと駒井先生の色彩版画は1953年の資生堂での初個展の折に初めて発表されたという因縁もある。
駒井のコの字も存じなかった担当課長さんを言いくるめ、短時間のうちに、芸大からは油彩を、昔のお客様からはモノタイプを、当時社長になったばかりの福原義春さんからは名作「黄色い家」などを借りまくりました。
幸運にもちょうどその頃、新潮社から駒井家に雑誌の表紙に使われた美しいモノタイプ作品がまとめて返却されたのを聞いて、それも全点お借りしました。
極めつきは、駒井夫人が「こんなのもあるのだけれど」と出してきてくれたのが15枚の第5回実験工房発表会におけるミュージック・コンクレート「レスピューグより」の色彩豊かな原画でした。
komai_catalogue_1991_kaikoten
亭主が編集した
「没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展」図録
1991年 資生堂ギャラリー

駒井哲郎回顧展 23P
同図録22-23ページ
駒井哲郎
実験工房のミュージック・コンクレートのための原画

上掲のように各作品は16.5×12.5cm(正確にはサイズはまちまち)前後の小品でグアッシュやパステルで描かれてしました。
そのおり、湯浅譲二さんにもお会いして、当時の様子を伺いました。
もし可能ならば、ぜひミュージック・コンクレートの再制作をと湯浅さんにも相談したのですが、時間切れでそこまではいきませんでした。
これらの原画は資生堂の展覧会で再び陽の目をみ、その後福原コレクションに加わり今は世田谷美術館に収蔵されています(今回に実験工房展にも展示されています)。

湯浅さんの回想によれば

……私達は当時始(ママ)めて出来たオート・スライドを手にして、造形、音楽が協力してインターメディア的作品を発表することになった。私は駒井さんと組んで、ロベール・ガンゾの詩による「レスピューグ」を制作した。
(中略)
駒井さんは赤や青、オレンジや黒などの色紙の上に絵具でイメージを画き、それをスライドにし、私は、フルートとピアノをもとにして、テープの逆回転などを利用しながら、日本では殆ど最初といっていい、ミュージック・コンクレートを作った。
何日間もの連続徹夜での制作の末に開かれたコンサートの日に、会場の第一生命ホールで私はヘルツ・ノイローゼで倒れ、友人が薬局に走ってくれたりするあわただしさの中に、駒井さんはアルコールを大部入れて現われた。(後略)

湯浅譲二
 1974年『プリントアート』第17号より
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●もう一つの大発見は、今回の実験工房のカタログに亭主にとっては涙の出るような貴重な写真が掲載されていたことです。

これについては長くなるので、続きは次回に(鎌倉の会期は3月24日まで)。
せっかくですので、ときの忘れもののコレクションから、実験工房メンバーの作品をご紹介します。
先ずは、今回の展覧会にも多数の作品と資料を提供された山口勝弘先生。
山口勝弘「夜の進行」600
山口勝弘 Katsuhiro YAMAGUCHI
夜の進行
1981年
シルクスクリーン
イメージサイズ:47.0×40.0cm
シートサイズ:63.0×49.0cm
Ed.50 鉛筆サインあり

DSCF0075
山口勝弘 Katsuhiro YAMAGUCHI
赤い街
1981年
シルクスクリーン
イメージサイズ:36.0×54.0cm
シートサイズ:49.0×63.0cm
Ed.50 鉛筆サインあり

DSCF2979山口勝弘先生と亭主。
2013年6月25日銀座・ギャラリーせいほう「宮脇愛子展」オープニングにて。

駒井ある風景
駒井哲郎
「ある風景」
1969 銅版
15.0×9.5cm
Ed.500 サインあり

02
福島秀子 Hideko FUKUSHIMA
作品
1956年
水彩・紙
67.5x53.0cm サインあり

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