「少女と夏の終わり」感想
石山修武 建築家
少女と夏の終わりについて、その筋書きや役者群についてはチラシやパンフレットに任せる。
9月21日のポレポレ東中野、劇場公開初日に観た感想だけを記したい。映画館で映画を観るのは久し振りだった。近くのネコオヤジとバンドマンと連れ立って出掛けた。ネコオヤジもバンドマンもわたくしも高齢者である。ジジイと呼ばれて何不足ない種族でもある。ネコオヤジはネコと相思相愛の怪人であり、70前で、ソバ屋の前の2階建に住んでいる。ネコは「その名前はヨセ」の忠告にもかかわらずチイという。わたくしは勝手にタマと呼んでいる。バンドマンは大企業の引退者でFOLK DREAMERSなるバンドを結成して公演なぞもこなしている。バンドの名前の如くの洋犬をこれも飼っている。まだバンドの名前が良くない「代えろ」の暴言は吐いていない。知り合って間もないのだ。わたくしの家、つまり石山友美監督の家でもあるが、その隣りの3階建の家に住んでいる。
ネコオヤジの見終っての印象は「チョッとムズカシかったなあ。俺には」であった。バンドマンは「イヤー、ビックリしました。本格的な映画でスゴイ」と絶讃であった。わたくしの感想にそれは近かった。娘の映画を絶讃するマヌケオヤジを承知で、わたくしも仲々やるわい、と初めて想った。
娘は実は建築家になってもらいたかった。親の勝手になるような子ではないのは知っていたが、その資質は充分過ぎる位にあると眺めていた。だから映画作りになんてなりやがってと気持の奥にはわだかまりもあって、それで第一作とやらをそれでも観に出掛けたのであった。だから率直な感想の前のつぶやきに似た無念さは「やっぱり建築家になればイイ建築できたのになあ」であった。それくらいに建築的な表現に良く似ていた。実は建築というのも社会演劇そのものであり、群集劇の典型でもある。今更、手からこぼれた夢をなつかしんでも仕方ないから、それはそれでアキラめるしか無いなと映画の背景をわたくしなりに遠く眺めていた。映画は、それを観る人間それぞれに、それぞれ異なる観かた、受け取りかたが出来るものである。複製芸術の典型的な商品でもある。
「少女と夏の終わり」に入ってゆきたい。宮沢賢治の『風の又三郎』は山村の自然を背景に描かれた少年達の社会劇であった。賢治の鉱物好みもあり、鉱山や鉱山技士らしきが登場し密漁者も出てきたりするが、山村の廃校にも似た小学校の男の子達の社会が描かれていた。その安定した小宇宙「小学校」に一人の転校生高田くんがやってくる。小学生の頃の転校生はいつの時代にも、何処でも異人(まれびと)である。宮沢賢治の『風の又三郎』はある安定したように視える場所への一人の少年の来訪と、アッという間の消失退去が及ぼすさんざめきの詩であった。賢治は今の石山友美監督とほぼ同年令で世を去った。「少女と夏の終わり」は石山友美監督の30半端の年令でしか描けぬ、少年ならぬ少女の物語りである。物語りの場所も東北の自然の中の小学校ならぬ、大都市近郊の山村の中学校だ。主人公は高田少年の代りに、二人の少女に置き換えられている。
その置き換えをより意図的に行ったのが唐十郎の「唐版風の又三郎」であった。ここでは主人公は男女二人となっている。しかし実は、唐は李礼仙という女の役者の中に両性具有を視ていた。女性役者が男女を演じ分ける宝塚演劇の不思議を視ていたのである。石山友美は当然脚本も入念に構築しているから、二人の大人と少女と境界を漂う、いわば異人(まれびと)を二人の少女として、つまり鏡像として表現して見せたのである。
今は宮沢賢治が描いてみせた少年達の放課後の不在、その本来の清冽な寂寥感は時代には内在していない。人口減少格差社会の拡大、そして東日本大震災、福島第一原子力発電所事故と厄災は社会に襲いかかり続けているが、若い人達はそれに対抗する意志と情熱に欠けるばかりのように見受けられる。ブーム、ファッションとしての漫画、オタク文化も引き潮となり表現者はすでに逃げ場を失っているかに見える。
「少女と夏の終わり」の脚本は大震災、福島原子力発電所事故の直前に書き了えられていたと聞く。サブカルチャーとしての少女漫画、アニメーションも又、それ等の現実の過酷さとは無縁である。石山友美のこの映画はしかし、そんな現実の中、アポリネールが時代の趣向(グウ)と直観したり、ワルター・ベンヤミンがアウラと指摘したり、つまりは時代精神、時代の風の中に確実に在る。センチメンタルな叙情からも、感傷的な美、すなわち今の言葉で言えばビジュアルへの偏向からも絶縁していると思われる。第一作にして石山友美は表現者の孤立の予感の只中に居るのである。少女の物語りと都市に近い自然の背景を使った映画表現の核はこの表現者=作家の孤立感への身体の身近さであろう。資質としか言い得ようが無い。
わたくし自身は今の20代30代の少年少女達の気持の動きのようなモノに対しては違和感を持ち続けてきた。しかしこの映画をみて、その物語りの諸々にその作家にとっては必然とも思われる孤絶感とも視えるモノを視、あるいは知覚した。そしてその本体に恥しながら、いささかの感動さえ覚えたのである。こんな時は妙に人間関係を恥ずかしがったりモジモジ照れたりする愚は犯してはならない。イイモノはイイ、非常に良いと言わねばならない。
女性作家が少女世界を主に据えて、都市に近い山と森林の背景の力を描いたのは映像文化のみならず、初めての事なのではあるまいか。そんな意味でも我々は実に新鮮なモノに久し振りに対面したのである。
映画の終末、少女の一人は風の又三郎の如くに何処かの町へ去り、もう一人は本来去るのが得策であろうに、走って古い集落に逃げ帰る。川の流れには神話の降臨の如くに七色に燦然と輝く木の葉の無数が流れ来たる。美しいシーンである。本来の物語りはこの少女達の一瞬の荘厳の後に始まるモノなのでもあろうが、その一瞬の美は物語りとしても映像としても実に良く描かれていた。
ここ迄の達成は次作を困難なモノに自然にするであろう。しかし女流作家に良くありがちな時間を追っての一部作、二部作……にならぬようにと期待したい。
(いしやまおさむ)
*石山修武「アルチ村日記(世田谷村日記)」より転載
『少女と夏の終わり』
ポレポレ東中野にて公開中
9月21日(土)~10月4日(金) 16:50
10月5日(土)~10月11日(金) 19:00


Last Days of Summer/2012
監督:石山友美
出演:菅原瑞貴 上村愛
東京国際映画祭
石山友美監督インタビュー
石山友美『少女と夏の終わり』に寄せて
石山修武 建築家
少女と夏の終わりについて、その筋書きや役者群についてはチラシやパンフレットに任せる。
9月21日のポレポレ東中野、劇場公開初日に観た感想だけを記したい。映画館で映画を観るのは久し振りだった。近くのネコオヤジとバンドマンと連れ立って出掛けた。ネコオヤジもバンドマンもわたくしも高齢者である。ジジイと呼ばれて何不足ない種族でもある。ネコオヤジはネコと相思相愛の怪人であり、70前で、ソバ屋の前の2階建に住んでいる。ネコは「その名前はヨセ」の忠告にもかかわらずチイという。わたくしは勝手にタマと呼んでいる。バンドマンは大企業の引退者でFOLK DREAMERSなるバンドを結成して公演なぞもこなしている。バンドの名前の如くの洋犬をこれも飼っている。まだバンドの名前が良くない「代えろ」の暴言は吐いていない。知り合って間もないのだ。わたくしの家、つまり石山友美監督の家でもあるが、その隣りの3階建の家に住んでいる。
ネコオヤジの見終っての印象は「チョッとムズカシかったなあ。俺には」であった。バンドマンは「イヤー、ビックリしました。本格的な映画でスゴイ」と絶讃であった。わたくしの感想にそれは近かった。娘の映画を絶讃するマヌケオヤジを承知で、わたくしも仲々やるわい、と初めて想った。
娘は実は建築家になってもらいたかった。親の勝手になるような子ではないのは知っていたが、その資質は充分過ぎる位にあると眺めていた。だから映画作りになんてなりやがってと気持の奥にはわだかまりもあって、それで第一作とやらをそれでも観に出掛けたのであった。だから率直な感想の前のつぶやきに似た無念さは「やっぱり建築家になればイイ建築できたのになあ」であった。それくらいに建築的な表現に良く似ていた。実は建築というのも社会演劇そのものであり、群集劇の典型でもある。今更、手からこぼれた夢をなつかしんでも仕方ないから、それはそれでアキラめるしか無いなと映画の背景をわたくしなりに遠く眺めていた。映画は、それを観る人間それぞれに、それぞれ異なる観かた、受け取りかたが出来るものである。複製芸術の典型的な商品でもある。
「少女と夏の終わり」に入ってゆきたい。宮沢賢治の『風の又三郎』は山村の自然を背景に描かれた少年達の社会劇であった。賢治の鉱物好みもあり、鉱山や鉱山技士らしきが登場し密漁者も出てきたりするが、山村の廃校にも似た小学校の男の子達の社会が描かれていた。その安定した小宇宙「小学校」に一人の転校生高田くんがやってくる。小学生の頃の転校生はいつの時代にも、何処でも異人(まれびと)である。宮沢賢治の『風の又三郎』はある安定したように視える場所への一人の少年の来訪と、アッという間の消失退去が及ぼすさんざめきの詩であった。賢治は今の石山友美監督とほぼ同年令で世を去った。「少女と夏の終わり」は石山友美監督の30半端の年令でしか描けぬ、少年ならぬ少女の物語りである。物語りの場所も東北の自然の中の小学校ならぬ、大都市近郊の山村の中学校だ。主人公は高田少年の代りに、二人の少女に置き換えられている。
その置き換えをより意図的に行ったのが唐十郎の「唐版風の又三郎」であった。ここでは主人公は男女二人となっている。しかし実は、唐は李礼仙という女の役者の中に両性具有を視ていた。女性役者が男女を演じ分ける宝塚演劇の不思議を視ていたのである。石山友美は当然脚本も入念に構築しているから、二人の大人と少女と境界を漂う、いわば異人(まれびと)を二人の少女として、つまり鏡像として表現して見せたのである。
今は宮沢賢治が描いてみせた少年達の放課後の不在、その本来の清冽な寂寥感は時代には内在していない。人口減少格差社会の拡大、そして東日本大震災、福島第一原子力発電所事故と厄災は社会に襲いかかり続けているが、若い人達はそれに対抗する意志と情熱に欠けるばかりのように見受けられる。ブーム、ファッションとしての漫画、オタク文化も引き潮となり表現者はすでに逃げ場を失っているかに見える。
「少女と夏の終わり」の脚本は大震災、福島原子力発電所事故の直前に書き了えられていたと聞く。サブカルチャーとしての少女漫画、アニメーションも又、それ等の現実の過酷さとは無縁である。石山友美のこの映画はしかし、そんな現実の中、アポリネールが時代の趣向(グウ)と直観したり、ワルター・ベンヤミンがアウラと指摘したり、つまりは時代精神、時代の風の中に確実に在る。センチメンタルな叙情からも、感傷的な美、すなわち今の言葉で言えばビジュアルへの偏向からも絶縁していると思われる。第一作にして石山友美は表現者の孤立の予感の只中に居るのである。少女の物語りと都市に近い自然の背景を使った映画表現の核はこの表現者=作家の孤立感への身体の身近さであろう。資質としか言い得ようが無い。
わたくし自身は今の20代30代の少年少女達の気持の動きのようなモノに対しては違和感を持ち続けてきた。しかしこの映画をみて、その物語りの諸々にその作家にとっては必然とも思われる孤絶感とも視えるモノを視、あるいは知覚した。そしてその本体に恥しながら、いささかの感動さえ覚えたのである。こんな時は妙に人間関係を恥ずかしがったりモジモジ照れたりする愚は犯してはならない。イイモノはイイ、非常に良いと言わねばならない。
女性作家が少女世界を主に据えて、都市に近い山と森林の背景の力を描いたのは映像文化のみならず、初めての事なのではあるまいか。そんな意味でも我々は実に新鮮なモノに久し振りに対面したのである。
映画の終末、少女の一人は風の又三郎の如くに何処かの町へ去り、もう一人は本来去るのが得策であろうに、走って古い集落に逃げ帰る。川の流れには神話の降臨の如くに七色に燦然と輝く木の葉の無数が流れ来たる。美しいシーンである。本来の物語りはこの少女達の一瞬の荘厳の後に始まるモノなのでもあろうが、その一瞬の美は物語りとしても映像としても実に良く描かれていた。
ここ迄の達成は次作を困難なモノに自然にするであろう。しかし女流作家に良くありがちな時間を追っての一部作、二部作……にならぬようにと期待したい。
(いしやまおさむ)
*石山修武「アルチ村日記(世田谷村日記)」より転載
『少女と夏の終わり』
ポレポレ東中野にて公開中
9月21日(土)~10月4日(金) 16:50
10月5日(土)~10月11日(金) 19:00


Last Days of Summer/2012
監督:石山友美
出演:菅原瑞貴 上村愛
東京国際映画祭
石山友美監督インタビュー
石山友美『少女と夏の終わり』に寄せて
コメント