今日12月24日はジョナス・メカスさんの満91歳のお誕生日です。
遠く東京の空から、「メカスさん お誕生日おめでとう!」とメッセージを送ります。

ジョナス・メカス (自)伝記的ノート

誕生 1922年12月24日 夜明け寸前 日曜日
星座 カプリコーン(山羊座)
生地 リトアニアのセメニスキアイ(20家族、約100人の住む村ラトビアとの国境まで20マイル、人口5000の町ビルザイから15マイル)
言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし)

両親 エルズビエータ・メカス
    婚前の姓/ヤシンスカス
    1887年3月19日生、1983年2月12日歿。
   ポヴィラス・メカス
    1869年生、1951年歿。農夫、大工
兄弟 エルズビエータ 1911年12月19日生、農婦
   ポヴィラス 1914年1月14日生、死亡 獣医
   ぺトラス 1915年5月15日生 農夫
   アドルファス 1925年9月30日生 映画作家/作家


1928-32 野や森で家畜の世話をする。
1932 ラウザディスキスの小学校入学。(4マイルを徒歩で通う)
1933 夏の間、牧童として働く。
    冬、ラウザディスキスの小学校に通学。
1934 夏、家畜の世話と野良仕事。
    冬、小学校3年。
1935 夏、家畜の世話と野良仕事。
    冬、小学校4年。
1936 5月、小学校(4年制)卒業。
  夏~秋、近隣の村ネシウナイにて雇人として働く。初めての映画を観る(ディズニー、パットとパタション、そしてメロドラマ)初めて詩を出版。
1937 夏、野良仕事。
    冬、パピリスの学校で5学年目に就学(5マイルの距離を専ら自転車で通う)、学校新聞を編集する。
(以下略)

上掲のメカスさんの誕生から幼少時代の履歴は、亭主が編集に携わったメカスさんの初めてのカタログコチラに詳細)にご自身が書かれたものです。

1922年に生まれたメカスさんに亭主が会ったのは1983年の春でした。
メカスさんが61歳、亭主が38歳でした。
2005年11月に書いた文章(版画掌誌第5号編集後記)を再掲させていただきます。
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 1983年春、石田了一さんが刷った「KIKU」と「LOVE」6種1200枚あまりを抱え初めてニューヨークへ渡った。現代版画センターのアンディ・ウォーホル全国展のための数十頁もの契約書をウォーホルと交わし、版画にサインを貰って一段落したある晩、友人の木下哲夫さんの紹介でジョナス・メカスさんのアパートを訪ねた。
当時メカスさんは市から旧裁判所の建物の提供を受け、映画美術館の建設を進めていたが資金難で計画は立ち往生していた。木下さんは日本でも応援しようと、ちょうどウォーホルとの交渉で渡米する私にメッセージを託したのだった。版元の私にできるのは作家に版画をつくってもらい展覧会を組織し売ることである。
その年の秋、大韓航空の格安チケットでメカスさんを招いた。ホテル代を節約して世田谷や奈良の友人宅に泊めてもらい、版画7点を制作し(刷り=岡部徳三)、原美術館でジョナス・メカス映画美術館建設賛助「アメリカ現代版画と写真展-ジョナス・メカスと26人の仲間たち」展を開催した。

 この7点の版画が、その後メカスさんが精力的に発表することになる「フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画」制作のきっかけになった。
撮影した16mmフィルムから、数コマを抜き出し「版」にするというアイデアは、私たちがシルクスクリーン制作のために提案したのだが、スポンサー役の私が破産してしまったのでメカスさんは版画のかわりに写真の連作を次々とつくり出したというわけだ。
今回9年ぶりに来日し、映画『ウォルデン』からニューヨークに絞った写真30点をときの忘れものの個展で発表した。19世紀アメリカの思想家H.D.ソーローの著作『ウォルデン、または森の生活』からタイトルをとったこの映画は、1964年から68年に撮影され、日記的な記録映像を集成し、メカス独自の「日記映画」が実現された記念すべき最初の作品である。最初の版画以来20数年を経て、再び版画を手がけ、版画掌誌に初めての写真作品を提供して下さったことは望外の喜びである。
メカスさんの益々の健康と活躍を祈りたい。

  千の破片に砕けようとしていたわたしを抱きとめ
  新しい暮らしをあたえてくれた街
  わたしの正気を守ってくれた街、ニューヨーク
  30点の映像はわが街ニューヨークに捧げるラブ・レター
  愛しい街、ニューヨーク
  わたしは今よそにいる
  ほかにも愛しい街はいくつもある
  しかしニューヨークに寄せるこの愛は
  いつまでも変わることがないだろう

    ジョナス・メカス

    「わが街ニューヨークに捧げるラブ・レター」(木下哲夫訳)

メカスさん2005年10月
ときの忘れものにて。
左から、木下哲夫さん、亭主、メカスさん、尾立麗子

綿貫不二夫 (版画掌誌第5号編集後記より)
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 亭主がメカスさんに初めてお会いし、日本にお招きしたのは上掲の通り1983年である。あれからちょうど30年がたった。
1983年というのは亭主と社長にとってはいま思い起こすと実に稔り多い年だった(もっともそれは今だから言えることで、当時は悪戦苦闘、連戦連敗であげくに1985年に倒産してしまった)。
先ず草間彌生先生の版画を7点エディションした(カタログレゾネNo.14~20)。幾度も書いたが泣きたいくらい売れなかった。黙って買ってくれた秋田の町医者Fさんのことは雑誌『彷書月刊』に書いたことがある。山と残っていたのが20年たってからやっと売れ出した。
次にアンディ・ウォーホルに会い、「KIKU」連作3点をエディションした。これはさすがに半分くらいは売れた(でもつい数年前まで残っていた)。
ウォーホルとの契約のために初めて海外に行き、NYでジョナス・メカスさんに巡り会い、7点のシルクスクリーンをエディションした。
そして磯崎新先生の12点からなる大判連作「還元」をエディションした。
僅か1年の間に草間先生、ウォーホル、メカスさん、磯崎先生(呼称が違うのはなぜかしら)の版画を次々とエディションできたことは、当時の私たちの無鉄砲な若さと時代のめぐり合わせとしか思えない。今はとてもそんなエネルギーはない。

4人のうち、ウォーホルだけが早世し、草間先生(84歳)、メカスさん(91歳)、磯崎先生(82歳)は健在で、旺盛な制作活動を展開している。

先日来日されたピップ・チョドロフさんの情報によれば、来年秋、メカスさんの来日展が実現できるかも知れません。
そうなったらときの忘れものの総力を挙げて歓待しましょう。
重ねて、メカスさん、91歳のお誕生日、おめでとうございます。どうぞお元気で!

◆ときの忘れものは2013年12月18日[水]―12月28日[土]クリスマスに91歳を迎えるジョナス・メカスさんの新作を中心に「ジョナス・メカスとその時代」展を開催しています。
案内用
会期中、メカスの映像作品を毎日18時より(26日のみ17時から)上映します。
映像はDVDからプロジェクターを使っての上映です。
入場無料、予約は必要ありませんが、メカスさんのフィルムアーカイブへの支援カンパ箱を用意しますので、ご協力ください。