私の人形制作第61回 井桁裕子

焼き物いったん終了。そして、森田かずよさんとの出会い


暑い夏がついにやってきてしまいました。
私は秋に生まれたせいか暑さに弱く、毎年この時期は苦労してしまいます。
さっそくヘトヘトになっている皆様も多いと思いますが、どうか熱中症などにご注意してお過ごしください。

5月には陶のこと(というか「なま肉」写真)について書きましたが、もう室内で1250度の高温を発生させる窯を焚くのは難しくなり、二ヶ月半ほどの「焼き物月間」が終わりました。
仕上がらなかったものも700度の素焼きまでは終えてあり、釉薬を使う高温の本焼きは秋までお休みです。

私がもともと作っていた球体関節人形は、正面図と側面図を描いて立方体の芯材を削りだし、それをもとに造形します。あるいは油土原型から張り子を起こします。いずれにせよ見通しの立ちやすい作業でした。
設計図を立方体の芯材に写し取る、それは人形が単純な形なのでできることです。
複雑なねじれがあったり入り組んでいる形を作る場合、紙に展開図を描く事はできません。
結局、盛り上げと乾燥にとても時間のかかる桐塑でずいぶん試行錯誤してしまったのです。
この経験で、次に「難しい形」を作るには陶土で小さい習作を作ってからにしよう!と、私はやっと学習したのでした。
陶土では、その造形のスピーディーさを生かして、自分の頭の中にあるものを実際に三次元に存在させてみる実験的な作業に取り組む事ができます。
この二ヶ月半の陶土での造形はそういった意味で、昨年から取り組み始めた作品のための習作が主な目的のはずでした。
しかしあまり理性の縛りの無い悦楽的なものを作るほうに気が乗ってしまい、寄り道の多かった「焼き物月間」でした。

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昨年からずっと肖像の作品として取り組んでいるモデルの方とは、大阪の森田かずよさんのことです。
陶土でも桐塑でもずっと「試作」し続けて、あっという間に1年が過ぎてしまいました。

森田さんの存在を知ったのは、2012年4月のはじめ、Facebookからでした。
大阪の京谷裕彰さんと、奈良のアートシーンで活躍するやまもとあつしさんが、
「義足の女優・ダンサー 森田かずよさんからのお願いです。」との説明付きで森田さんの投稿を紹介したものを読んだのです。

 「フィギュアとか造形とか粘土とかそういったものをされている方で私の身体の模型を作ってくれる人いないでしょうか?そんなに大きな物でなくて。体幹障害とか側湾って言葉で説明するのが難しい(特に私の身体は)。(後略)」

この話の該当者と思われる私は、ちょっと気になりましたが、大阪にも造形を手がける良い人がいるだろうと思って見過ごしていました。
するとその日の晩に、やはりFacebookでやりとりのあった京谷さんからメールが届きました。
改めて投稿を知らせてくれて、森田さんに会ってみてはどうかというのでした。
私はその年の11月にときの忘れものでの個展の予定があったので、それが終わらなければ新しいことには取りかかれないという事情もあり、そもそも全く知らない方なのだし、そういわれてもやはりやや腰が引けていました。
しかし、結局はその4月の終わりに私がアート京都に行く事になっていたので、そこでちょうど良く作品も見てもらいながら、森田さん、京谷さんと会う事ができたのでした。

*森田かずよオフィシャルサイト
http://www.convey-art.com

森田かずよさんは1977年に先天性側湾症、二分脊椎症、その他たくさんの大きな障害を負って生まれてきました。
右手の指は4本で、曲がったままの右肘。
肋骨も右は3本欠けています。
右脚の膝から下は太い方の骨がなく、長さも短いので義足を着けています。
仙骨も欠損しています。
側湾症は、ただ横に曲がっているのではなく、ねじれながら立体的に曲がっています。
右の骨盤が脇の下のほうにぐっと近づいていて、細い右腕がお尻の上に乗って半分抱えるような様子です。
もし他の人が真似をするとしたら、背中を強くそらしたまま顔は前を見て右に体を強く曲げる、といったような形になるのでしょうが、もちろんそれはやってみてもできません。
誕生した当時は、首に近い背骨に大きく穴が開いていて、脊髄が見えそうな状態だったそうです。
それは脊髄髄膜瘤とのことで、そこから感染が起きて赤ちゃんのうちに亡くなるだろうと医師に宣告され、ご家族も覚悟されていました。ところがその恐ろしい傷口に皮が張ってふさがり、かずよさんはたくましく生き延びていったのです。
単に生き延びるというだけのことではなく、パワフルで知的な個性をもったかけがえのない存在として。

11月から12月にかけての個展を終えて、翌年1月。
私は年明け早々に森田さんに連絡して、会ってもらう事になりました。
森田さんが欲しいくらいの小さい「フィギュア」、それだけでなくもっと何か、この出会いを作品にしたいという希望が湧いていました。
もはや逡巡は無かったのですが、まだその難しさに私はあまり気付いていませんでした。
私は新しい取り組みに向かうときにはどうしてか、自分がどんなことでもできると気楽に思い込んでいるのです。
(続く)
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参考文献:森田登代子著「明日へひょうひょう 重度障害者のムスメとともに生きて」/向陽書房

テレビ東京「生きるを伝える」(2014.1.18放送)
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikiru/movie250.html

(いげたひろこ)

◆井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。