<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第20回

KW_Untitled_1968
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写真から「1960年代」の空気を感じとる。
写っている女性の服と、髪型と、化粧のせいである。
1967年、ツイッギーというモデルがイギリスからやってきた。
ブロンドのショートヘアーに、お人形のように小さな顔。アイメイクが異様に濃く、とくに下のまつ毛が強調されていた。手足は小枝にように細くてポキンと折れてしまいそう。男の子でも女の子でもない中性的な雰囲気は当時としては物珍しかった。

写真の女性は、一斉を風靡したそのモデルのイメージを彷彿とさせる。
「小枝のような」を意味するツイッギーの体型よりだいぶ太めだし、顔も大きくてエラが張っているが、開閉のたびにバサバサと音のしそうなくらい大きな付けまつ毛が、ほかならぬあの”小枝さん”を想わせるのだ。

上目遣いをしているような、泣きべそをかいているような表情をしている。ツイッギーにもそんなイメージがあったのを思い出すが、きっと長い下まつ毛のせいだろう。
これが強調されると、そう見えるのだ。

女性が座っている場所は道路である。歩道ですらない。
駐車している車のあいだを人が抜けていくような小路に、椅子を出して腰かけている。
客待ちをしているバーの女性だろうか。
着ているのは、脱ぐのに三秒とかからないような簡単なワンピース。もしかしたら娼婦だろうか。

頭の背後には「さわだ」の文字がある。
ちょうどその位置に電信柱の看板が写り込んだわけだが、これがあるのとないのとでは写真の印象は異なる。
ざわめく巷の気配はこれがなくして充分には伝わってこないし、じっと見ていると彼女の名が「さわだ」のような気がしてくるのだ。

「さわだ」さんは椅子に座ったまま、撮影者を正視する。足の組み方は大胆だが、体の前で合わせた腕のしぐさには、媚びる一歩手前のような緊張が出ている。
写真を見る者が計らずも惹き付けられるのは、そこだ。
居直りきれない恥じらいのようなものが愛らしい。

右腕に見える斑痕はたぶん種痘の痕だろう。路上のツイッギーは一皮むけば貧しい。それは当時の日本の貧しさであり、貧しさゆえの生命力でもあるのだ。
気になるのは、フラッシュライトに照らし出されたアスファルトに付着した丸い染みだ。
チューインガムの跡だろうか。
それにしても多い。くちゃくちゃと噛んで、ところ構わずペッと吐く。
そのしぐさにも60年代がにおい立つ。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
渡辺克巳
「Untitled」
1968(Printed in 1980's)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ: 53.5x35.5cm
シートサイズ: 56.0x46.5cm

渡辺克巳 Katsumi WATANABE(1941-2006)
1941年岩手県盛岡市生まれ(2006年逝去)。定時制だった岩手県立盛岡第一高等学校に通う傍ら、毎日新聞盛岡支局にて事務補助員を務め、その間に写真の魅力を知ります。高校を卒業して上京した後は、東條会館写真部に勤務し、スタジオ撮影の技術を身に付けました。その後、1965年から新宿で手札1組200円のポートレート写真の請負を稼業にする「流しの写真屋」を始め、多くの人々、場所を撮影し続けました。1973年には写真集『新宿群盗伝66/73』を上梓。74年には東京国立近代美術館で開催された「十五人の写真家」展にも出展し、作品への評価も高まります。「流しの写真屋」を辞めて以降は、焼き芋屋や写真館経営なども経験しながら、フリーランスの写真家へと転身。国内外を問わず、各地に撮影へ出掛けますが、その間も一貫して新宿を撮影し続けました。

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●展覧会のお知らせ
六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで「渡辺克巳」展が開催されています。長年に渡って渡辺克巳が撮り続けた新宿の作品シリーズから14点の作品が展示されています。

会期:2014年8月23日[土]~9月13日[土]
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム(東京・六本木 AXISビル)
日・月・祝日休廊

渡辺克巳は、「流しの写真屋」として1960年代の後半から70年代の初頭まで、新宿を舞台に水商売の女性やゲイボーイ、ヤクザなど、そこを行き交い、そこで商売をする様々な人々を写真に収めてきました。「流しの写真屋」とは、カメラを片手に新宿を歩き、頼まれれば被写体の姿をカメラに収め、現像・プリントを行って翌日には写真を届けるということを稼業にする、当時においても特異な存在だったと言えます。渡辺によって撮影された人々は、新宿を舞台に生きる各々の姿を、自信を持って知らしめるように、様々なポーズを取ってカメラの前に立っています。なかには、それらの写真を郷里に送り、自身の近況報告にかえるということもあったようで、被写体たちにとっても、貴重な写真であったことをうかがい知ることができます。

70年代以降、安価な自動露出カメラが普及しはじめると、より多くの人々がカメラを持つようになり、仕事として「流しの写真屋」を続けていくことは困難になります。しかし、それ以降も渡辺は、新宿という街、そこに生きる人々を被写体に、膨大な数の作品を制作し続けました。人々のポートレートの他にも、コマ劇場前の騒乱から路地裏で遊ぶ子供たち、空き缶が山のように集積する場所まで、新宿中をくまなく捉え続ける写真家は、移りゆく新宿の姿を記録し続ける観察者として、その街に寄り添い続けてきました。渡辺克巳のライフワークとなった新宿の初期作品群を、この機会に是非ご高覧ください。(同展HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。