芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第7回

第7話 ピレネーを越えてスペインの道へ ~サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからロンセスバージェスまで~


9/28(Fri) Saint-Jean-Pied-de-Port ~ Roncesvalles (26.5km)

 毎年8月から9月にかけてスペインではブエルタ・ア・エスパーニャが開催される。約一ヶ月の間、スペイン国内をめぐる自転車レースはジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスと並んでグラン・ツールと呼ばれる世界最高峰の自転車レースである。2014年はシェリー酒で有名なヘレス(そもそもヘレスの英語読みがシェリー)からスタートし、スペイン南部のアンダルシア地方を巡り、パンプローナからブルゴス、そしてア・コルーニャを通り、サンティアゴ・デ・コンポステーラで幕を閉じる。最終日には現在改修中の大聖堂を背に盛大な表彰式が行われた。優勝したスペイン出身のアルベルト・コンタドールが表彰台の上で巡礼者の格好をするシーンがあった。サンティアゴ・デ・コンポステーラをイメージさせるものといえばやはり巡礼者であり、まさにその姿が全世界に放送された瞬間であった。

 スペインではサンティアゴ巡礼路のことをEl Caminoと呼ぶ。スペイン語で「道」という意味である。スペイン国内からはロンセスバージェスが起点で、プエンテ・ラ・レイナ、ブルゴス、レオンを経てサンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く。この道はカミーノ・フランセス(フランス人の道Camino Frances)と呼ばれ、歩く巡礼者が最も多い。巡礼者用のアルベルゲ(巡礼宿Albergue)や道案内の黄色い矢印が整備されているため、最もスタンダードな道といえるだろう。初めての巡礼の場合はこの道がオススメである。他にもスペインの南、セビージャからメリダやサラマンカなどを経てアストルガに至る「銀の道(ビア・デ・ラ・プラタ)via de la Plata」(約960km)、イベリア半島北部のサン・セバスチャン、サンタンデールなどの海沿いの道を進みアルスーアまで続く「北の道(カミーノ・デル・ノルテ)Camino del Norte」(約840km)、ポルトガルのリスボンから始まり聖ヤコブに縁のあるパドロンを通る「ポルトガルの道(カミーノ・ポルトゲス)Camino Portu-gues」(約600km)など様々である。

01巡礼ルート


出典:日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
   http://www.camino-de-santiago.jp/junreiro/junreiroot.html

 6時45分に起床。外はまだ暗い。サマータイムのため日本とは一時間のずれがあるためだ。その関係上、この地方は9月を過ぎると空が明るくなるのは7時過ぎになり、10月には8時頃まで薄暗い。当然、外は真っ暗なのだが出発の準備を進める。

 今日の目的地であるロンセスバージェス(Roncesvalles)に向かう道は2つあり、その一つは山岳地帯を歩く通称「ナポレオンルート」、もう一つは国道沿いにバルカロス(Valcarlos)を経由するルートである。ナポレオンルートとは、「ピレネーを越えたらそこはアフリカである」と言ったといわれる皇帝ナポレオンがスペイン遠征の際に通ったと言われる由緒ある道。国道沿いのルートに比べるとはるかに険しいのだが、ほとんどの巡礼者はこちらからスペインに入る。なお、冬になるとナポレオンルートでは腰の高さまで雪が積もるため巡礼者は国道経由でピレネーを越えることになる。

 サン・ジャン・ピエ・ド・ポー旧市街の門をくぐり、私のサンティアゴ巡礼スペイン編が始まった。シャルルマーニュやナポレオンもこの門を通ってイベリア半島へ向かったのである。ピレネーの麓から徐々に登り始めると、バスク特有の白壁に赤い屋根の家がぽつりぽつり点在している。巡礼路はこの先ピレネー山脈を西に越えていくことになる。長い登り道が続き、最も標高が高くなるレポンデール峠までの登り道はスペイン側の最初の難所である。
 
02ピレネーの麓 


03峠への入り口


04Huntto(ウント)の宿


 標高が高くなるにつれ気温が下がり、だんだんと寒くなってくる。雲が広がりはじめ、灰色の空模様。荒々しいピレネーの山々が空をこの色に染めているのではないかとも思えてくる。自分の中ではアルプスは澄み渡るブルーの空、ピレネーはどんよりとしたグレーの空のイメージなので予想通りではある。あちらこちらで草を食んでいる羊が点在するピレネーの山岳地帯を歩いていくと、途中で羊飼いに遭遇した。羊たちを導き、一体となって群れの一部でもあるかのように見える。この光景は中世の巡礼の頃と変わっていないだろう。パウロ・コエーリョの小説『アルケミスト』の主人公サンチャゴが頭に浮かぶ。

「少年は起き上がると、柄の曲がった杖を手にして、まだ寝ている羊を起こし始めた。彼は自分が目を覚ますと同時に、ほとんどの羊たちも動き始めるのに気がついていた。それはまるで彼の生命から湧き出る不思議なエネルギーが、羊たちの生命に伝わるかのようだった。彼はすでに二年間、羊たちと一緒に生活し、食べ物と水を求めて、田舎を歩きまわっていた。」
『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ、山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫)

 この人と羊の関係は今から約2000年前、馬小屋で生まれたイエス・キリストを最初に訪ねた羊飼いたちの頃から変わっていないに違いない。そして、この原始的な共同体は遥かな未来においても変わることなく存在していることだろう。

05羊飼い


06羊たち


 岩の上の聖母マリア像の前で休憩し、歩みを進める。そして、歩き始めて15km、出発から約5時間が過ぎた頃、古い石造りの十字架があった。十字架の足下には無数の巡礼者たちが無事を祈って石を置き、祈願の布が巻かれ、黄色いラゲージタグまで巻き付けてある。まるでヒマラヤのタルチョのようであった。こういう祈りの行為は国を越えて世界共通なのだろう。そしてこのケルンの十字架から多くの巡礼者が勇気と希望を受けたに違いない。周りには見渡す限りの原野が広がり、そこには空と大地しか存在していない。その限りなく無に近い世界の向こう側へと巡礼路は続いている。

07岩の上のマリア像


08十字架のケルン


09果てしなく続く山道


 頂上に近づくにつれて霧がかかり視界が悪くなる。嫌な予感が漂う風景に変わってきた。毎年遭難者が出るといわれているピレネー越えはやはり天候が悪化すれば危険である。
 国境には石碑が置かれていた。柵もなければ検問所もない。当然パスポートチェックをされることはない。これがヨーロッパの国境というものかと思う。この先はスペイン・ナバーラ州となる。ここからは黄色い矢印が私たち巡礼者を聖地まで導いてくれる。
 むき出しの岩肌に囲まれながら、登り下りを繰り返す。ピレネーの厳しい山々を肌で感じた。道端の緊急時避難所がその厳しさを無言のうちに告げている。そして、今日の最高地点、標高1430mのレポンデール峠に辿り着く。眼下には遠く灰色のロンセスバージェス修道院の尖塔が見える。

10緊急時避難所


11国境の石碑


12レポンデール峠より下る


 ロンセスバージェスにたどり着いたのは午後2時半。約7時間半でピレネーを越えてきたことになる。標高1450m、約26kmの道であった。今まで約一ヶ月歩いてきて、私は体が巡礼になれているからいいが、今日から歩き始めた巡礼者には相当きついだろう。ル・ピュイから歩き始め、初日で足に肉刺をつくりあたふたしていた頃がなんだか情けなく、また懐かしくも感じる。
 ロンセスバージェスは切り立つピレネーの山々の麓、深い森に囲まれたひっそりとした村である。住民30人ほどの小さな集落であるが、スペイン側の巡礼路の起点である。スペイン人の多くはここからサンティアゴへの巡礼をスタートさせる。巡礼事務所にはクレデンシャルを求める多くの巡礼者が列を成していた。
 「クレデンシャル」とは、巡礼手帳のことであり、自分が巡礼者であることを証明するという意味で巡礼者の「パスポート」といえる。まだ国家というものが存在していなかった中世において、人の身分を証明するのは教会であり、巡礼者であることを示すため、出発地の教会が正式な身分証明書として発行したのが「クレデンシャル」である。現在は巡礼路上の主な教会、観光案内所、各地の巡礼事務所などで入手でき、日本では「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会が発行しているものが入手しやすい。このクレデンシャルに氏名、国籍などを記入し、これを示すことで巡礼宿(アルベルゲ)に宿泊できるようになる。
 現代のクレデンシャルは巡礼者のパスポートというだけではなく、巡礼の記録帳という側面もある。巡礼路にある主な教会や宿泊施設、バルなどには、それぞれの地域性や工夫を凝らした個性的なスタンプが置かれている。立ち寄った場所でスタンプを押してもらいながら巡礼を進めていくため、ある種スタンプラリーのような意味合いを持たせることが出来る。自分自身の歩みによってクレデンシャルが自分だけのオリジナルのものになるのである。その意味では「巡礼手帳」なのである。
 このスタンプは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で巡礼証明書を手に入れるために必要な、「最後の100キロを徒歩か馬で、または200キロを自転車で巡礼する」という条件の証明となる重要なもので、いくつものスタンプの押されたクレデンシャルは、まさに自分が巡礼者として歩いたことの証明である。

13クレデンシャル 
右から日本版、フランス版、スペイン版


14スタンプ


 町の標高は950mと比較的高く高原のような気候のため、朝と夜は冷える。オランダの巡礼友の会によって運営されているロンセスバージェス修道院付属のアルベルゲは近年改装され、真新しいベッドが並ぶ。

15アルベルゲ 受付


16ベッドルーム


17ラウンジ


18


 荷物をおいてローランの石碑とチャペルを見にイバニェタ峠へ歩く。ロンセスバージェスはフランス最古の戦争叙情詩『ローランの歌』の舞台である。778年のロンセスバージェス(ロンスヴォー)の戦いを元に、シャルルマーニュ(カール大帝)の甥で12勇将のひとりであるローランの奮戦とその最後を描いている。
 最期の地となったこの場所で死を覚悟したローランが聖剣デュランダルを敵に渡すくらいなら折ってしまおうとを三度岩に打ち付けるが岩のほうが砕けてしまったという逸話のある場所である。

19ローランの記念碑


 そしてローランの記念碑のすぐ近くにチャペルのような小さい三角屋根の礼拝堂があった。冬になると多くの雪が積もる地域であり、特徴的な急勾配の切妻屋根は雪の重みで屋根が落ちないようにするための形状である。内部はカラフルなガラスから入る光が空間を美しく引き立てる。

20イバニェタ峠の礼拝堂 外観


21礼拝堂 内観


22色ガラス


 ロンセスバージェスは修道院を中心にした発展した巡礼者のための村でもある。修道院の回廊は黒くくすんだ粗い石が積み重ねられた重厚な空間であった。修道院のすぐ側には聖マリア教会、少し離れて聖ヤコブ教会と聖霊礼拝堂がある。この聖ヤコブ教会は13世紀にサンチョ・デ・ロッサ司教によって巡礼者のために建てられたものである。霧や雪の際には、この教会の鐘が鳴らされて道に迷う巡礼者を道案内したと言われ、救護院でもあった修道院と共にピレネー越えの難所を支える巡礼救護の要であった。

23ロンセスバージェス修道院 中庭


24回廊


25聖ヤコブ教会 内部
正面に巡礼の杖を持つヤコブ像


26聖霊礼拝堂
12世紀のものと言われている


 午後8時から始まる巡礼者のためのミサの前に夕食を摂ることにする。町には店がバル兼レストランの2件しかないため、巡礼者はこのどちらかで夕食を取ることになる。巡礼路沿いのバルにはMenu el Peregrino(メヌー・エル・ペレグリノ)と呼ばれる巡礼者用メニューがある。一食10ユーロ前後で前菜、メイン料理、デザートがセットになった巡礼者の懐に優しいメニューである。パンとワインもついてこの値段だからありがたい。ここロンセスバージェスでの巡礼者メニューはテュルーチャ・ア・ラ・ナバーラ(ナバーラ風鱒)と呼ばれるマス料理。近くの川で採れたマス(おそらくニジマスに近い)の腹を開き、生ハムを挟んでから薄く小麦粉をふってソテーにした料理である。ポテトフライと一緒に皿に盛りつけられることが多い。アーネスト・ヘミングウェイはこの近くの常宿に滞在し、ます釣りを楽しんだといわれている。おそらく彼も自分で釣り上げた鱒を料理し、食べたことだろう。

27ナバーラ風鱒料理 ポテトフライを添えて


 午後8時、聖マリア教会(Igresia de Santa Maria)で巡礼者のためのミサが行われた。ミサのあとに巡礼者への祝福がスペイン語、フランス語、英語と多言語によって行われた。ル・ピュイのカテドラルで受けた祝福から約40日。心を新たにして北スペインを横断する巡礼路を歩くことを意識すると、自然と気持ちも高まってくる。難所であるピレネー越えを果たし、安堵の気持ちでアルベルゲの真新しい二段ベッドの上で就寝。密度の濃いスペイン側最初の1日であった。

28聖マリア教会 巡礼者のためのミサ


歩いた総距離766.5km

(はがげんたろう)

参考
「聖地サンティアゴ巡礼」NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
私が持参した日本人のための日本語で書かれた公式ガイドブックである。
初めてのサンティアゴ巡礼の際にはこのガイドブックを持参することを強くオススメする。


コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第7回 ウインドブレーカー
THE NORTH FACE (ザ・ノース・フェイス) Swallowtail Jacket(スワローテイル・ジャケット) ¥16,800


 だんだんと涼しい季節になってきた。朝晩は一段と涼しくなり、雨の日も多くなってきた。秋を感じる今日このごろである。この肌寒い季節にピッタリなのがこのノース・フェイスのスワローテイル・ジャケットである。
 軽量でコンパクトになるウインドブレーカーでありながら、耐水性・撥水性が高いため、少しの雨ならば弾くので薄手のシェルジャケットとしても使用できる。また、ウインドジャケット特有のシャカシャカしたごわつきはなく、適度な伸縮性のある素材を使用し、マットな生地感で肌にしっとりとなじむ。ジップをフルで閉めると襟高になるため防風、防寒性も高い。ハンドポケットは内部がメッシュ生地で換気できるので蒸れにくいのもいい。また、チンガードがあり、あごにジッパーが当たることのないように工夫されている。
 巡礼中は休憩中や夜の肌寒くなる時間帯の上着としてはもちろん、歩いている時でも少し寒いなと思ったときにはこれを羽織った。ポケッタブルで、収納時には手のひらサイズになるため、バックのポケットに入れておく必需品である。日々の生活の中でも、自転車に乗るときやちょっと肌寒いと感じる日に着用している。また、夏場のエアコンの効きすぎた部屋の中などちょっとしたときにこのジャケットが助けてくれる。いつもバックの中に忍ばせておく。街でも違和感のないシンプルなデザインなのも気に入っている理由である。このスワローテイル・ジャケットはノース・フェイスのスタッフたちが、色違いで複数持っているという噂もある逸品である。
 このジャケットに余計な機能は無く、無駄なデザインもされていない。もし仮になにかを減らすとすればロゴマーク以外思い当たらない。定番と言われるものはシンプルである。結局のところ、あったらいいなという機能は無くてもいいのだ。このジャケットのシンプルさは多くの不要なものを減らした結果であり、シンプルさとは洗練されたということと同義なのだと思う。「ベストなスタイルとは、シンプルで洗練されたルックであること」というアンディ・ウォーホルの言葉をふと思い出した。

29ザ・ノース・フェイス スワローテイル・ジャケット


30着用


31収納


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。

◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。

●今日のお勧め作品は森下慶三です。
森下慶三油彩森下慶三 Keizo MORISHITA
<想像の風景>より
油彩・キャンバス
20.0×20.0cm
サインあり

森下慶三水彩1<想像の風景>より
水彩
イメージサイズ:25.4×35.3cm
シートサイズ:25.4×35.3cm
サインあり

森下慶三水彩2森下慶三 Keizo MORISHITA
<想像の風景>より
水彩
イメージサイズ:20.1×29.5cm
シートサイズ:35.0×44.0cm
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから