本日は「細江英公写真展―ガウディの宇宙」の最終日です。夜19時までを開催していますので、どうぞお見逃し無く。

また本日25日は通常ならば小林美香さんのエッセイ「母さん目線の写真史」の更新日です。
先日の井桁裕子さんの締め切り遅延が伝染したか、今度は小林さんから「学校関係の仕事で忙しくしておりまして、今回は休載とさせて下さい。直前の連絡になりまして申し訳ありません。」という緊急メールが入りました。
ファンの多い小林さんのエッセイですが、まことに残念ながら今月は休載とさせていただきます。
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というような次第で急遽亭主が本日の穴を埋めなければなりません。
最近、歳で頭はボケる、人の名は思い出せない、何か書いてもミスが目立つ、という情けない状況で、今回は人様の文章を勝手に引用させていただきたいと思います。
先ずは、私どもの大事な顧客Iさんからのメール。

<ご無沙汰しております。横浜のIです。
横浜市民ギャラリーが新装オープンしたので、行ってきました。
クロニクル 1964-2014と題し、私は、伝説の、今日の作家展を、しつこく、3回も見に行 きました。
靉嘔、一原有徳、加納光於、清塚紀子、草間彌生斎藤義重、菅 木志雄、高松次郎、馬場彬、小野木学、村上善男、吉仲太造、吉田克朗、若江漢字らの版画、立体、タブローがあり、戦後日本の現代アート好みには、 たまらない企画でした。加納光於の版画は、私の所有している、1983年の、 耳あるいは西方へ、でした。
また、横浜市民ギャラリーのあざみ野にも、行きました。山口勝弘展 水の変容。
くだんのヴィトリーヌから東日本大震災が山口をして書かしめた三陸レクイ エムまで、山口勝弘のメディアアートから近作までを鳥瞰できるすばらしい 企画でした。

横浜市民ギャラリー、頑張れ〓

感動のあまり、古本屋で、横浜市民ギャラリー今日の作家展1964-1989を購入 し、今はなき美術評論家たちの当時の様々な思いを読んでいます。当時は、 千葉成夫も、ペーペーという感じで、討論に参加していた感じです。 それでは、また。>

横浜市民ギャラリー1964-2014
[開館記念展 横浜市民ギャラリークロニクル1964―2014]
会期:2014年10月10日(金)~10月29日(水) ※会期中無休
会場:横浜市民ギャラリー 
*入場無料

横浜wo発掘suru vol.5 山口勝弘展—水の変容あざみ野山口勝弘展
会期:2014年10月18日[土]-11月9日[日]
会場:横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1・2

Iさんの興奮が伝わってきます。
両方とも会期終了が近いのですが、何とか時間をつくって行かねば。
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話し変わって、建築家の石山修武先生が長年勤めた早稲田大学を定年で退かれたのは今春3月でした。
大隈講堂での盛大な記念の会についてはこのブログでもご紹介しました。
その後は自由人に戻り(もともとそうではありましたが)、世田谷村で建築設計もろもろのことに取り組んでおられます。
石山世田谷村全景
緑に覆われた世田谷村

その破天荒にして幅広い活動についてはご自身のブログで逐一報告なさっているので、皆さんもよくご存知と思います。

ときの忘れものでは、2004年9月2006年10月2008年7月と今まで3回の個展を開催してきましたが、来年の2月に4回目となる新作個展を計画しています。
いままで「コツコツ、カリカリと彫りこんだ」銅版が相当数ありますが、今回は全て新作でやりたいという決意で、忙しい中、時間を割いては制作に集中されています。
世田谷村にて20140910
石山先生との打合せに向かう亭主(世田谷村入り口にて)

「GAYA日記」から銅版制作に関する部分を抜粋してご紹介しましょう。
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9月10日は午後、綿貫不二夫とときの忘れものスタッフがGAYAに来所。来年の旧古河庭園・大谷美術館と同時期の、青山、ときの忘れものでの展覧会について相談する。
結果、2月24日近辺から2週間程を、「石山修武銅版画展」として、同時に何らかの出版を併行させることとなった。大谷美術館での展覧会が「窓の外、窓の内」なので、それに類するテーマとしたい。
又、GAYAの佐藤研吾のドローイング展も開催することとあいなった。2015年の初夏の二週間である。これで2015年は最も若い世代の才質とのサヤ当て興行が決まったので、頑張らねばならない。
早速、手許にあった10点程の銅版を、ためし刷りするとて持ち帰られた。

9月26日 カリカリと独り銅版を彫っていると、何かから解放されるなんて事は全く無い。それとは実に逆方向へと思考が傾斜してしまう。
つまり、自分で自身を彫り込んでいるようなのだ。いま夕刻19時過である。周りは秋の闇で、空気はひんやりと冷たい。
わたくしの銅版画は直接、建築とは関係らしきは薄い。できるだけの力を振り絞ってその方向へと持ってゆこうとはしている。どうしてなのかは自分でも良くわからぬのだけれど、わずかなりと言えども自分自身への誇りなのだろうとは思う。

9月27日 土曜日 6時過離床。快晴。庭の樹がゆれる位に風がある。なにをするでもなくしばし過ごす。
9時前、銅版2点に手をつけて作業を終える。どうやら、彫り込んでいるのは一番最初に銅版を彫り始めた時に戻った。すなわち、荒地と草原と遺跡群の風景である。新しいなと想われるのはそこにヒゲと髪の長い人物群が登場しているくらいか。何処とも特定できぬけれど、どうやら中央アジアからシリアも含めたアラブ諸国の風景だと想われる。

9月29日 10時半GAYA発、東村山正福寺へ。国宝地蔵堂見学、スケッチ。14時GAYAに戻る。小振りだが室町時代の禅宗様式の建築である。
実ワ、銅版画が全く手につかず、ボー然としているが、いよいよ彫るモノも無くなったかと我ながら恐い事を考えてしまっている。

9月30日 6時過離床。実に昨夜来銅版を前にして、なす術もなく、ジイッとしている。本当に彫るモノが無くなってしまったのかも知れない。紅茶を飲んだり、新聞を読んだり、何とか気持を切り替えようとするのだけれど、一向に何かを彫りたい気持が湧いてこない。つまり、彫るモノが無いのである。
昨日はまだ、彫るモノが無くなったのかも知れぬと、日記には記していたけれど、気持の奥では「そんなバカな!」とも思ってはいた。一夜、明けて、もう2時間近く銅板を前にして座っているが、相変わらず、ピクリとも彫れない。これは冗談ではなくって、才能らしきの、つまりは「作りたい」=「彫りたい」気持が涸れてしまったのかも知れない、と一向に気持ちは晴れないママなのである。

10月1日 7時過離床。曇天。うっとうしい空である。10月になった。今月は出掛けてみたい展覧会が目白押しである。自分自身の銅版画の行方がどうなるのかハッキリせぬままなので、一層に他人の展覧会の開催意欲らしきが気になるのであろう。
先ずは山口勝弘展(横浜)は外せない。
 10時40分、銅版2点を彫り始めて、一度休止。うまくいっているのか、とんでもなく失敗なのかはわからないが、ともかく昨日から少しずつは進んでいるような気がするが。手応えは全く・・・ない。

10月2日 6時半過離床。今日も寒い。曇天の日が続き気持もくすぶり続けている。紅茶を飲んで新聞に目を通す。世界は無数な出来事で埋め尽くされているのだろうが、一人一人の人間にとっての大事は決して新聞や、電波上には表現され得ぬものである。今、集中しようとしている銅版画の世界は、要するに自分も含めて一人一人の人間の側に立とうとする仕事である。普遍と呼びなれている集団的基準への近代化による偏向へ、いささかの異を唱えることに通じることでもあろう。一人一人の人間が内に抱え込んでいる生きることの困難さははてしもない。その困難さは何が困難であるのかさえも解らぬ類の困難さでもある。

10月8日 今日も青空が広がる。7時過離床。7日のGAYAサイトに佐藤研吾が「工作ノート」を独自に開設した。彼は来年、2015年の夏に自身の個展を開催する予定がある。わたくしとはほぼ45年の年齢の開きがあり、身近な協同者であり、弟子でもある。客観的に言えば、最も若い世代に属する創作者でもある。すなわちライバルでもある。であるから、サイトにONされているスケッチの類には全て眼を通している。
当然のことながら20代半端の人間の描くモノに歴然とした才質の片鱗などは視ることが出来ない。そんなモノがあるわけもない。彼のドローイングには磯崎新が言葉を寄せてくれている。ハンス・ホラインの、協同者でもあった建築家、ワルター・ピッヒラーのドローイングに通じるモノがある、との過分なモノであった。 これは磯崎新らしい評であった。たしか、その前触れにエットレ・ソットサスとのドローイングに関するおしゃべりのようなモノがあって、そこでピッヒラーのドローイングは数々の多くのドローイングの中では最高のモノであるとの評で一致したとの、小エピソードがあった。
磯崎新としたら、佐藤研吾のドローイングを視て、その本体なぞ見抜けるわけもなく、ドローイングならばピッヒラーが一番だから、よく学んだら良い位の事であったのだろう。若い佐藤はすぐに反応してワルター・ピッヒラーの高額なドローイング作品集を入手したようである。わたくし奴は、コイツ、ケチな男(金を惜しむ)ではないなと卑近な感想を得た。
(中略)
 この初歩的なドローイング(落書き)を来年までに、いかに作品らしきの連続に仕立てあげられるか?否かは、これは佐藤の問題であり、わたくしは傍観者である他はない。
 傍観者としての、わたくしはしかし、いささか緊張もするのである。何故なら、来年の年明けには、わたくし奴も小さな個展を開催するからだ。45才も若い青年の作品と対峙しなければならぬのである。
 その為に最近はコツコツ、カリカリと銅版彫りにはげみもしている。
 ドローイングや銅版の類は、作者のキャリアや年令は関係ない。そのモノ、ズバリで良し悪しが歴然とする。であるから、今年の暮れにかけては、わたくし奴も来年のサヤ当て興行に向けて、しばし閉じ込もる予定である。

10月9日 と、無駄きわまり無いことを記していたら8時過に「ときの忘れもの」から依頼していた銅版画の試し刷9点が送られてきた。すぐに開封する。少し柔らかいタッチで彫った筈の新しい奴がやっぱりカリカリの感じで刷り上がっている。
もっと軽く彫っても良いのかもしれぬ。綿貫さんに石山さん、これは線を少し整理しないとダメかもネと言われた竜巻みたいのを彫った奴が良かった。画廊のオヤジの言は信用ならない

10月10日 昨日は銅版画二点得た。頭のなかだけでこねくり廻しているやり方ではどうやら袋小路の入り込むばかりのようで、フッと気付いてやり方を変えてみた。詳細は記さぬが、そのやり方でアッという間に二点彫れた。この速さはそもそも銅版を彫るというのとは、つまり丹精を込めてコツコツ、カリカリとやるのとは逆である。その逆さ振りが面白いのかも知れず、二点は自分でも気に入りの二点となった。でも、このスタイルを続けるのは危険でもある。あと三点くらいで禁じ手としたい。
 7時40分、その三点をすませたわけではないけれど手をつけた。もう今日は彫るのは止めよう。
石山修武「GAYA日記」より抜粋)
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とまあ、たいへんな集中ぶりです。
敢えて試刷りは掲載しませんが、既に10数点は完成に近づいており、それらをどう選ぶか、作家と画商の間は微妙でありまして、「画廊のオヤジの言は信用ならない」と早くもバトル勃発であります。
石山修武 白井版画工房にて2006年
2006年白井版画工房にて自作銅版画の刷りをチェックする石山修武先生

画廊としては、面白い作品群が誕生するのを、期待と不安の中で待つ以外ありません。
どうぞ皆さんもご期待くださいますよう。

●今日のお勧め作品は横浜のIさんに敬意を表して、山口勝弘です。
山口勝弘「夜の進行」600
山口勝弘 Katsuhiro YAMAGUCHI
夜の進行
1981年
シルクスクリーン
47.0×40.0cm
Ed.50 Signed

DSCF0075
山口勝弘 Katsuhiro YAMAGUCHI
赤い街
1981年
シルクスクリーン
36.0×54.0cm
Ed.50 Signed

山口勝弘「Kinetic Fauntain」
山口勝弘
Kinetic Fountain
1981年 シルクスクリーン 
49×63cm
Ed.50 Signed

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