いつか機会があれば訪ねてみたい美術館がある。
ベルギーのブリュッセルからタクシーで行くしかないようだが、2003年に開館したフォロン財団ミュージアムである。ジャン=ミシェル・フォロンは、幼少のある時期をこの近くのジャンバル湖畔で暮らした。フォロンにとって特別な思い入れのある土地であり、美しい自然に囲まれた城の建物は、1833年にCluysenaar(ブリュッセルの有名なガルリ・サン・チュベールを設計した建築家)の設計で完成したもので、リニューアルにあたっては建築当時の外観を忠実に再現したという。



フォロンは、亭主が仕事をした作家で遂に会うことのできなかった一人である。フォロンのなんともいえない暖かく柔らかな色彩とタッチは、詩と夢の旅と評される独特の幻想的な世界を確立した。オリベッティ社のポスターはCM界で一時代を画したといっても過言ではないだろう。

1980年代後半の数年間、縁あってフランス人経営の会社に勤めていた。つまり美術業界から離れていた期間だが、某印刷会社の依頼で海外作家によるポスターやカレンダーの制作に携わっていた。通常の著作権事務所を通していてはらちのあかない難しい作家が何人もおり、そういう作家たちを直接アタックして著作権許諾のOKをとる仕事だった。
某社のウォーホルのカレンダーのときはニューヨークの主なきウォーホル・スタジオを再訪した。まさかあんなに早く逝ってしまうとは思いもかけなかったが、春休み中の息子たちを同道できた嬉しい旅だった。
大阪の花博の公式ポスターのときは、デイヴィッド・ホックニーを追いかけてニューヨークからある港町の博物館までリムジンを飛ばし、ホックニー展のオープニングで彼を捕まえたのだった。
某化粧品メーカーのカレンダーでは、周囲の忠告に従い美人スタッフを連れてパリのカシニョールのアトリエを訪ねた(あのカシニョールを口説いたなんて、自分でも信じられない)。
そして某金融機関のカレンダーでフォロンの作品を使うことになり、その承諾を取るために悪戦苦闘した。手紙しか連絡手段がなく、電話は全くつながらず、本人を捕まえられないのである。パリの彼のアトリエをアタックするのだが不在ばかり、スイスやモナコなど探し回るのだが、とうとう会うことはできなかった。当時、亭主の通訳兼助手をしていたNさんの奮闘で、手紙のやりとりでやっと許諾はとれ、めでたくカレンダーは制作された。
フォロンにいつか会ってお礼を言いたかったのだが、白血病で2005年に亡くなってしまった・・・

(財団の紹介については日本語サイトもあります)

フォロンジャン=ミシェル・フォロン
「ニューヨークの雨 No.2
(カミュの小説挿絵)」

1984年
銅版
37.8x29.8cm
Ed.99 サインあり

DSCF5700フォロンThe Marionetteジャン=ミシェル・フォロン
「THEATER The Marionette」
1980年
銅版
29.8x37.4cm
Ed.100 サインあり

DSCF2798ジャン=ミシェル・フォロン
「Souvenir d'enfance
(少年時代の思い出)」

1981年
エッチング・アクアチント
Image size: 30.0x39.5cm
Sheet size: 50.0x66.5cm
Ed.90 サインあり

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◆ときの忘れものの2月前半の展示は「如月の画廊コレクション」です。
201502collection
如月の画廊コレクション
会期:2015年2月3日(火)~14日(土)
*日曜、月曜、祝日は休廊

出品:斎藤義重、岡本太郎、森下慶三、フォロン、恩地孝四郎、難波田史男、草間彌生、瑛九、舟越桂、その他いろいろ

◆福井県立美術館で開催された『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』の図録はときの忘れものが編集を担当しました。
福井の同展はじめ、勝山、金沢をめぐる「現代美術と磯崎建築~北陸の冬を楽しむツアー」を1月24日~25日に開催し、各地から15名が参加されました。参加された皆さんの体験記をお読みください。
石原輝雄さんの体験記
浜田宏司さんの体験記
酒井実通男さんの体験記
◆福井県勝山の磯崎新設計「中上邸イソザキホール」については亭主の回想「台所なんか要りませんから」をお読みください。