Q Ei's photo dessin "Bathing"
昨日と同じく二つの瑛九作品を見比べてください。
C)は今回、ときの忘れもので展示しているもの(出品No.21)、
D)は、63年前の雑誌『芸術新潮』1952年10月号に掲載された図版です。

C)瑛九
「浴み」
1952年頃
フォトデッサン(ゼラチン・シルバープリント)
26.5x21.6cm
*裏面にタイトル記載

D)瑛九「浴場」
『芸術新潮』1952年10月号に掲載
タイトルも「浴み」と「浴場」と良く似ています。
昨日紹介した「横顔」と同じく左右逆になっていますが、ほぼ同じ時期に同じ型紙を使って制作されたことが明らかです。
『芸術新潮』1952年10月号には瑛九自身による文章が掲載されていて、フォトデッサン制作の意図、技法が分かりやすく説明されています。
以下、全文を引用します。
~~~~~~~~~~~
印画紙をつかふデッサン
瑛九(寫眞家)
寫眞家は印画紙を新しい画用紙だなどと思つては駄目だろうが、寫眞家でない僕は、印画紙は新しい面白い画用紙だとしか思つていない。唯この感光する紙はペンやクレヨンではかけないので、そのかわりに光をつかわねばならない。光源そのものを大きくしたり小さくしたり、光をあたえる場所とさえぎる場所によつて黒や灰色を作らねばならない。光がインクである。ここにある作品にみられる様に、光のつよくあたつている所が最もくろく、灰色から白にかけて光はよわくなつている。具體的にいうと、最初普通のデッサン用紙に、作品にみえている様なかたちをかき、それをキリヌイて、この形紙を印画紙の上において、小さい光(懐中電燈など)でかたちのキリヌカれた所に光をあてる。うすい所は光がよわくあてられているわけ。この形紙をとつて、模様ガラスをのせて、メロンのはだの様に出ている部分に光をあてて、それで現像液につければおわりである。
エッチングの場合どんな方法でもかまわない、銅板にキズをつければそこがインクののこつた所で刷れば画像になるという理解にたつした時、表現意慾に應じて色々なテクニックが思いつかれるのと同じだ。印画紙に光をあたえた所が黒、あたらぬ所が白、それさえわかつていればあとは表現意慾によつて色々なものを光をさえぎるために發見する。
僕が印画紙のいたずらをはじめた一九三〇年代は、寫眞界ではモリ・ナギイなどの『フォトグラム(カメラなしの寫眞)は寫眞藝術をとく鍵』というのが常識だつたので、僕にはその様な意味はないので、それに背をむけて、フォトデッサンとよんだ。光でかくデッサンという意味と、むつかしい寫眞藝術と思つていないことをあらわしたつもりだつた。しかし今では『寫眞藝術をとく鍵』は必要ないとみえ、寫眞家の方々ではやる人はないようだ。
(『芸術新潮』1952年10月号より転載)
~~~~~~~~~~~~
瑛九(寫眞家)という肩書きは、瑛九自身がつけたのか、それとも編集者によるものか、不明です。
<印画紙は新しい面白い画用紙だとしか思つていない><光でかくデッサン>という瑛九の言葉は今でも新鮮です。
16日から開催している「第26回瑛九展 光を求めて」には、フォトデッサンを中心に展示しています。
昨日紹介した「横顔」と、この「浴み」はともに亭主が1980年代に入手し、その後長く某所に眠っていた作品です。
サイズも、年代も、印画紙もほぼ同じです。
ともに同時期の「みづゑ」と「芸術新潮」という美術雑誌によく似た作品が掲載されているのを発見したのは(気付いたのは)、つい最近です。
瑛九の資料は山とあり、例によって亭主の整理が悪いものですから、こういうことがよくおこる。
実は、上掲の「浴み」という作品は瑛九が海外に送った作品です。
つまり太平洋を往復して、日本に戻ってきた作品です。
なぜそれがわかるか。
「浴み」の裏面を見てみましょう。
「浴み」裏面
P.I.P. PHOTO BY
PLEASE CREDIT
ORION
QE-44 Bathing, Photo Dessin, by Kyu Ei
THIS PHOTO IS SOLD WITH
ONE TIME PUBLICATION RIGHTS ONLY
P.I.P. 173 WEST 81 ST. NEW YORK 24. N.Y.
鉛筆で「浴み」とあり
~~~~~~~~~
瑛九の夢は自分の作品(ことにフォトデッサン)が世界の舞台で評価されることでした。
一度も海外に行ったことのない瑛九でしたが、海外での作品発表の機会が生涯にただ一度ありました。
そのことを実証するのがこの「浴み」という作品です。
書き出すと長くなるので、詳しくは明日のブログで論じましょう。
*画廊亭主敬白
「明日のブログで論じましょう」と宣言した亭主ですが、実は寝込んでおります。
5月の連休明けから葉山、盛岡と遠出し、倉庫にも幾度か足を運び年甲斐もなく働いたせいらしい。先日帰宅途中の電車の中でもどすという失態を演じてしまいました。
「これくらいなら大丈夫」という思い込みと実際の体力の隔たりが激しいということですね。自重せねば・・・
というわけで明日のブログは別の記事になるかもしれません。お許しください。

◆ときの忘れものは2015年5月16日[土]―5月30日[土]「第26回瑛九展 光を求めて」を開催しています(*会期中無休)。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。
価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
昨日と同じく二つの瑛九作品を見比べてください。
C)は今回、ときの忘れもので展示しているもの(出品No.21)、
D)は、63年前の雑誌『芸術新潮』1952年10月号に掲載された図版です。

C)瑛九
「浴み」
1952年頃
フォトデッサン(ゼラチン・シルバープリント)
26.5x21.6cm
*裏面にタイトル記載

D)瑛九「浴場」
『芸術新潮』1952年10月号に掲載
タイトルも「浴み」と「浴場」と良く似ています。
昨日紹介した「横顔」と同じく左右逆になっていますが、ほぼ同じ時期に同じ型紙を使って制作されたことが明らかです。
『芸術新潮』1952年10月号には瑛九自身による文章が掲載されていて、フォトデッサン制作の意図、技法が分かりやすく説明されています。
以下、全文を引用します。
~~~~~~~~~~~
印画紙をつかふデッサン
瑛九(寫眞家)
寫眞家は印画紙を新しい画用紙だなどと思つては駄目だろうが、寫眞家でない僕は、印画紙は新しい面白い画用紙だとしか思つていない。唯この感光する紙はペンやクレヨンではかけないので、そのかわりに光をつかわねばならない。光源そのものを大きくしたり小さくしたり、光をあたえる場所とさえぎる場所によつて黒や灰色を作らねばならない。光がインクである。ここにある作品にみられる様に、光のつよくあたつている所が最もくろく、灰色から白にかけて光はよわくなつている。具體的にいうと、最初普通のデッサン用紙に、作品にみえている様なかたちをかき、それをキリヌイて、この形紙を印画紙の上において、小さい光(懐中電燈など)でかたちのキリヌカれた所に光をあてる。うすい所は光がよわくあてられているわけ。この形紙をとつて、模様ガラスをのせて、メロンのはだの様に出ている部分に光をあてて、それで現像液につければおわりである。
エッチングの場合どんな方法でもかまわない、銅板にキズをつければそこがインクののこつた所で刷れば画像になるという理解にたつした時、表現意慾に應じて色々なテクニックが思いつかれるのと同じだ。印画紙に光をあたえた所が黒、あたらぬ所が白、それさえわかつていればあとは表現意慾によつて色々なものを光をさえぎるために發見する。
僕が印画紙のいたずらをはじめた一九三〇年代は、寫眞界ではモリ・ナギイなどの『フォトグラム(カメラなしの寫眞)は寫眞藝術をとく鍵』というのが常識だつたので、僕にはその様な意味はないので、それに背をむけて、フォトデッサンとよんだ。光でかくデッサンという意味と、むつかしい寫眞藝術と思つていないことをあらわしたつもりだつた。しかし今では『寫眞藝術をとく鍵』は必要ないとみえ、寫眞家の方々ではやる人はないようだ。
(『芸術新潮』1952年10月号より転載)
~~~~~~~~~~~~
瑛九(寫眞家)という肩書きは、瑛九自身がつけたのか、それとも編集者によるものか、不明です。
<印画紙は新しい面白い画用紙だとしか思つていない><光でかくデッサン>という瑛九の言葉は今でも新鮮です。
16日から開催している「第26回瑛九展 光を求めて」には、フォトデッサンを中心に展示しています。
昨日紹介した「横顔」と、この「浴み」はともに亭主が1980年代に入手し、その後長く某所に眠っていた作品です。
サイズも、年代も、印画紙もほぼ同じです。
ともに同時期の「みづゑ」と「芸術新潮」という美術雑誌によく似た作品が掲載されているのを発見したのは(気付いたのは)、つい最近です。
瑛九の資料は山とあり、例によって亭主の整理が悪いものですから、こういうことがよくおこる。
実は、上掲の「浴み」という作品は瑛九が海外に送った作品です。
つまり太平洋を往復して、日本に戻ってきた作品です。
なぜそれがわかるか。
「浴み」の裏面を見てみましょう。
「浴み」裏面P.I.P. PHOTO BY
PLEASE CREDIT
ORION
QE-44 Bathing, Photo Dessin, by Kyu Ei
THIS PHOTO IS SOLD WITH
ONE TIME PUBLICATION RIGHTS ONLY
P.I.P. 173 WEST 81 ST. NEW YORK 24. N.Y.
鉛筆で「浴み」とあり
~~~~~~~~~
瑛九の夢は自分の作品(ことにフォトデッサン)が世界の舞台で評価されることでした。
一度も海外に行ったことのない瑛九でしたが、海外での作品発表の機会が生涯にただ一度ありました。
そのことを実証するのがこの「浴み」という作品です。
書き出すと長くなるので、詳しくは明日のブログで論じましょう。
*画廊亭主敬白
「明日のブログで論じましょう」と宣言した亭主ですが、実は寝込んでおります。
5月の連休明けから葉山、盛岡と遠出し、倉庫にも幾度か足を運び年甲斐もなく働いたせいらしい。先日帰宅途中の電車の中でもどすという失態を演じてしまいました。
「これくらいなら大丈夫」という思い込みと実際の体力の隔たりが激しいということですね。自重せねば・・・
というわけで明日のブログは別の記事になるかもしれません。お許しください。

◆ときの忘れものは2015年5月16日[土]―5月30日[土]「第26回瑛九展 光を求めて」を開催しています(*会期中無休)。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント