<徳島のHです。毎回、素敵な企画に感動しています。今回、心が揺れる作品に出合えました。豊かな人生を送る友を得た想いです。サンキュウです。「赤いかたち」を心の窓の一つとして、新鮮な空気を送り続けます。平日は、仕事上振込が不可能なので、休日にします。よろしくお願いします。次の、新たな出合いを待っています。>
長年のお客様であるHさんかメールをいただきました。
6月3日から「元永定正 もこもこワールド」を開催しますが、会期前からたくさんのお問い合わせやご予約のメールをいただいています。
初日前に赤丸がつくなんてめったにないときの忘れものにしては大事件で、そんな経験の無い若いスタッフの驚くこと、しきりであります。

会期=2015年6月3日(水)~13日(土)
会期中無休
スペースの関係から全ては展示できませんが、用意した50点のうち43点は1977~1984年にかけて現代版画センターがエディションした作品で刷りは石田了一さんです。
私たちが現代版画センター時代(1974~1985年)にエディションした版画は約90作家、700点(正確には1番から724番までと番外作品)ですが、その中で最も多いのが元永先生で60数点を制作していただきました。
額装、シートなどでご覧いただけますが、出品リストには全50点の画像とデータを掲載しました。
私たちが関根伸夫先生の強力な推薦で「現代と声」(実行委員長:北川フラム)という企画に元永先生を招き、初めて版画をエディションしたとき、元永先生は次のように述べておられます。
<10数年前フランスの美術評論家、ミシェルタピエが来日して、今は解散したが私たちのグタイグループをアンホルメル運動の中に組みいれた。私はそのとき初めてそして偶然にそんなイズムの中の自分を体験したのだったが、それからキネティックやオプチカル、ポップ、スーパー、コンセプチュアルなど種々な流行が私の上を通り過ぎて消えて行った。そんな歴史を体験してくると、自分は自分の世界だけを追究せねばならない、などとごくあたりまえのことをいまさら強く考えている。勿論版画の制作もその辺の考えから生まれるのは当然のことである。
元永定正>
(1977年 現代版画センター「現代と声」パンフレットより)

「現代と声」出品作品
元永定正 Sadamasa MOTONAGA
《オレンジの中で》
1977年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0×61.0cm
シートサイズ:50.0×65.0cm
Ed.100 Signed
~~~~~~~~~~~~~~
あれから随分と時間が経ち、元永先生も2011年秋に88歳で天寿を全うされました。
しかし、作っていただいた版画作品は古びることもなく、今でも多くの人々の心を打ち続けています。
おかげさまでときの忘れものも6月5日に開廊20周年を迎えます。
昨日終了した「第26回瑛九展 光を求めて」に続き、元永定正先生の作品を久しぶりに展示します。
どうぞユーモアと明るさに満ちた元永ワールドをご堪能ください。
26日のブログでいまダラス美術館で開催中の「白髪一雄・元永定正展」をご紹介しましたが、共催者の国際交流基金のサイトには元永先生の略歴が次のように記載されています。
●元永定正(1922~2011年)
独学で絵画を学んでいたが、「具体」の創設者である吉原治良との出会いによって、抽象画を知る。伝統的な「たらしこみ」技法から着想し、何層ものエナメルペイントが乾かないまま不規則な形を生み出す画法を確立した。1958年にアメリカを巡回した「具体」展に出品。1960年にマーサ・ジャクソン・ギャラリーと契約してからは、アメリカでの展開が始まった。1966年、ジャパン・ソサエティーの招待により、ニューヨークで1年間のレジデンス・プログラムに参加。滞在中にエアブラシを使った制作を開始し、作風は大きく変化した。色彩と輪郭を伴い明らかな形を成す作品は、形を持たない作品に新たな意味を与えることとなった。帰国後はシルク・スクリーンと絵本の制作を行い、最も著名な現代作家として人気を博したが、美術史家による後年の作品への取り組みはまだ行われていない。
~~~~~~~~~~~~
末尾に<帰国後はシルク・スクリーンと絵本の制作を行い、最も著名な現代作家として人気を博したが、美術史家による後年の作品への取り組みはまだ行われていない。>とあり、まことにその通りなのですが、昨今の「具体」の異常なブームの中で「たらしこみ」技法がいかにも初期の元永作品の全てであるかのように(つまり、例によって「モトナガは初期はいいけれど、その後のマンガみたいのはね・・・・」という誤解に基づく見解が)喧伝されていることには、いささか違和感を覚えます。
今回、具体解散(1972年)から間もない時期から本格的に開始されたシルクスクリーンによる版画表現をじっくりとご覧いただきながら、元永芸術の本質を明快に論じた以下の二つの文章もぜひお読みください。著者のご了解を得て、このブログに再録掲載させていただきます。
●一つは、詩人谷川俊太郎さんによる「元永定正点描」(1977年執筆)
6月7日のブログに掲載します。
●もう一つは、美術評論家高橋亨さんによる「元永定正のファニーアート」(1980年執筆)
長文なので6月2日(第1回)、4日(第2回)、6日(第3回)にわけて掲載します。
ともに私たちの依頼によってお二人が書き下ろしてくださったもので、30数年前の執筆ですが、今の若い人たちにもきっと伝わる明晰な文章です。
特に高橋亨さんの「元永定正のファニーアート」は関西美術界の重鎮であり、吉原治良、元永定正らと親しく交わり、具体と元永の歩みをリアルタイムで見ていた人ならではの実に説得力ある論考です。

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
元永定正・中辻悦子ご夫妻

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
左から、元永定正さん、谷川俊太郎さん、金関寿夫さん、一柳慧さん

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
大岡信さん(右)と亭主(まだ毛がある)
壁面は「さんかく」

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
サム・フランシスさんと亭主
壁面には「ふにゃらくにゃら」
出品リストは既にホームページに掲載しました。価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●昨夜の地震は大きかったですね。
私たちは瑛九展の最後のお客様Iさんを送り出して後、青山一丁目のビルの地下で食事中でした。かなりの揺れで3.11の恐怖を思い出しました。幸い、地下鉄などの遅れはありましたが、無事10時過ぎには帰宅することができました。
南の火山噴火や最近頻繁に起こる地震、そういうものを無視して進行する原発再稼動。
何か末世のような気がします。
長年のお客様であるHさんかメールをいただきました。
6月3日から「元永定正 もこもこワールド」を開催しますが、会期前からたくさんのお問い合わせやご予約のメールをいただいています。
初日前に赤丸がつくなんてめったにないときの忘れものにしては大事件で、そんな経験の無い若いスタッフの驚くこと、しきりであります。

会期=2015年6月3日(水)~13日(土)
会期中無休
スペースの関係から全ては展示できませんが、用意した50点のうち43点は1977~1984年にかけて現代版画センターがエディションした作品で刷りは石田了一さんです。
私たちが現代版画センター時代(1974~1985年)にエディションした版画は約90作家、700点(正確には1番から724番までと番外作品)ですが、その中で最も多いのが元永先生で60数点を制作していただきました。
額装、シートなどでご覧いただけますが、出品リストには全50点の画像とデータを掲載しました。
私たちが関根伸夫先生の強力な推薦で「現代と声」(実行委員長:北川フラム)という企画に元永先生を招き、初めて版画をエディションしたとき、元永先生は次のように述べておられます。
<10数年前フランスの美術評論家、ミシェルタピエが来日して、今は解散したが私たちのグタイグループをアンホルメル運動の中に組みいれた。私はそのとき初めてそして偶然にそんなイズムの中の自分を体験したのだったが、それからキネティックやオプチカル、ポップ、スーパー、コンセプチュアルなど種々な流行が私の上を通り過ぎて消えて行った。そんな歴史を体験してくると、自分は自分の世界だけを追究せねばならない、などとごくあたりまえのことをいまさら強く考えている。勿論版画の制作もその辺の考えから生まれるのは当然のことである。
元永定正>
(1977年 現代版画センター「現代と声」パンフレットより)

「現代と声」出品作品
元永定正 Sadamasa MOTONAGA
《オレンジの中で》
1977年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:47.0×61.0cm
シートサイズ:50.0×65.0cm
Ed.100 Signed
~~~~~~~~~~~~~~
あれから随分と時間が経ち、元永先生も2011年秋に88歳で天寿を全うされました。
しかし、作っていただいた版画作品は古びることもなく、今でも多くの人々の心を打ち続けています。
おかげさまでときの忘れものも6月5日に開廊20周年を迎えます。
昨日終了した「第26回瑛九展 光を求めて」に続き、元永定正先生の作品を久しぶりに展示します。
どうぞユーモアと明るさに満ちた元永ワールドをご堪能ください。
26日のブログでいまダラス美術館で開催中の「白髪一雄・元永定正展」をご紹介しましたが、共催者の国際交流基金のサイトには元永先生の略歴が次のように記載されています。
●元永定正(1922~2011年)
独学で絵画を学んでいたが、「具体」の創設者である吉原治良との出会いによって、抽象画を知る。伝統的な「たらしこみ」技法から着想し、何層ものエナメルペイントが乾かないまま不規則な形を生み出す画法を確立した。1958年にアメリカを巡回した「具体」展に出品。1960年にマーサ・ジャクソン・ギャラリーと契約してからは、アメリカでの展開が始まった。1966年、ジャパン・ソサエティーの招待により、ニューヨークで1年間のレジデンス・プログラムに参加。滞在中にエアブラシを使った制作を開始し、作風は大きく変化した。色彩と輪郭を伴い明らかな形を成す作品は、形を持たない作品に新たな意味を与えることとなった。帰国後はシルク・スクリーンと絵本の制作を行い、最も著名な現代作家として人気を博したが、美術史家による後年の作品への取り組みはまだ行われていない。
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末尾に<帰国後はシルク・スクリーンと絵本の制作を行い、最も著名な現代作家として人気を博したが、美術史家による後年の作品への取り組みはまだ行われていない。>とあり、まことにその通りなのですが、昨今の「具体」の異常なブームの中で「たらしこみ」技法がいかにも初期の元永作品の全てであるかのように(つまり、例によって「モトナガは初期はいいけれど、その後のマンガみたいのはね・・・・」という誤解に基づく見解が)喧伝されていることには、いささか違和感を覚えます。
今回、具体解散(1972年)から間もない時期から本格的に開始されたシルクスクリーンによる版画表現をじっくりとご覧いただきながら、元永芸術の本質を明快に論じた以下の二つの文章もぜひお読みください。著者のご了解を得て、このブログに再録掲載させていただきます。
●一つは、詩人谷川俊太郎さんによる「元永定正点描」(1977年執筆)
6月7日のブログに掲載します。
●もう一つは、美術評論家高橋亨さんによる「元永定正のファニーアート」(1980年執筆)
長文なので6月2日(第1回)、4日(第2回)、6日(第3回)にわけて掲載します。
ともに私たちの依頼によってお二人が書き下ろしてくださったもので、30数年前の執筆ですが、今の若い人たちにもきっと伝わる明晰な文章です。
特に高橋亨さんの「元永定正のファニーアート」は関西美術界の重鎮であり、吉原治良、元永定正らと親しく交わり、具体と元永の歩みをリアルタイムで見ていた人ならではの実に説得力ある論考です。

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
元永定正・中辻悦子ご夫妻

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
左から、元永定正さん、谷川俊太郎さん、金関寿夫さん、一柳慧さん

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
大岡信さん(右)と亭主(まだ毛がある)
壁面は「さんかく」

1983年6月23日
於:代官山ヒルサイドテラス
元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会
サム・フランシスさんと亭主
壁面には「ふにゃらくにゃら」
出品リストは既にホームページに掲載しました。価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●昨夜の地震は大きかったですね。
私たちは瑛九展の最後のお客様Iさんを送り出して後、青山一丁目のビルの地下で食事中でした。かなりの揺れで3.11の恐怖を思い出しました。幸い、地下鉄などの遅れはありましたが、無事10時過ぎには帰宅することができました。
南の火山噴火や最近頻繁に起こる地震、そういうものを無視して進行する原発再稼動。
何か末世のような気がします。
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