芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第17回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.17
第17話 休息日 ~ブルゴスでの休日~
10/14(Sun) Burgos (0km)
サント・ドミンゴ・デ・シロスの帰り、思い立ってタクシーの運転手にウエルガス修道院に行ってもらうよう頼む。ウエルガス修道院の正式名はサンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラス・ウエルガス(Monasterio de Santa María la Real de Las Huelgas)、「レアル(王立)」という言葉から分かるように、1187年にカスティージャのアルフォンソ8世によって建てられたシトー派の女子修道院である。墓所にはアルフォンソ8世と妻レオノールを始め、カスティージャの名門貴族たちが祀られている。アルフォンソ11世やエンリケ2世が戴冠式を行った場所でもる。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途上にあり、長い期間に渡ってヨーロッパ各地から伝えられた様々な音楽を14世紀に集成・編纂した歌曲集、通称「ラス・ウエルガスの写本」は有名である。
石は白く、フランスの修道院のようなイメージを受ける。特に回廊はフランスのモワサックを思い起こさせる、繊細で美しい。それぞれの部屋には現在も織物や工芸品など様々な芸術品がある。これらもまた音楽と同様ヨーロッパ各地からもたらされたものなのであろう。そしてその器とも言うべきこの修道院の建築のスタイルや技術もまた同様であったに違いない。礼拝堂の空間では、かつてどんな音楽が響いていたのだろうかと思いを馳せた。
ウエルガス修道院
ウエルガス修道院
ブルゴスのカテドラルはスペインを代表するゴシック建築である。旧市街の中で圧倒的な存在感を放っている。この巨大なスケールで人々を惹きつけ、畏怖させるのだろうか。スペインゴシックの最高傑作である。天井が高いのは外観を見ただけで容易に想像できるが、天井の透かし彫りは本当に美しかった。吸い込まれたように視線が止まった。人々はその先の天上の世界を意識するのだろう。内部の彫刻も数多くあり、特にイエス・キリストの受難の彫刻は繊細ながらも大胆な構図で、イエスのゴルゴタまでの道行きを表現していて見事だった。
スペインというとロマネスク建築を連想するが、実際には純粋なロマネスク建築というのはそれほど多くはない。特に巡礼路沿いの教会は巡礼者の増加に対応して収容人数を増やすために度々増改築が行われている。そもそもゴシック様式は構造上より広い内部空間を確保するために産み出されたわけだから、改築に際してロマネスク様式の教会がゴシック様式に作り替えられるのは不思議なことではない。さらに完成までに百年どころか数百年かかる大きな教会となると、会堂はロマネスク様式なのに塔がゴシック様式とか、塔も一層目の部分はロマネスク様式なのに二層目はゴシック様式、さらに三層目がルネサンス様式などということも珍しくない。じっさい、ロマネスクだバロックだと言い立てるのは後の時代の人々で、建てている時には、それが最新で人気のスタイルだということで建てているはずなのである。その中でこのブルゴスのカテドラルは、初めからゴシック様式で建てることを前提に建てられたものである。スペインのゴシック建築の傑作と言われるゆえんである。トレド、セビーリヤと並ぶスペイン三大カテドラルの一つとされ、1984年に世界遺産に登録されている。
ブルゴスは、13世紀にはカスティージャ王国の首都であり、司教座(カテドラ)が置かれていた。イングランド出身の司教マウリシオは、当時ドイツやフランスで流行していたゴシック建築の聖堂をこの町にも建設すべきことをフェルナンド3世に提案。そして王の命令のもと建築が始まった。
1221年、以前のロマネスク様式の聖堂があった場所に基石が据えられて着工。一時中断を余儀なくされるも祭壇が1260年に聖化され教会として用い始められる。建築的には会堂の交差部上部の尖塔の完成をもって1567年に完成ということになる。建築期間は300年以上である。
建設に際しては、ゴシック様式の経験に長けていた諸外国の建築家や工人たちが大量に用いられ、13世紀にはフランス人、15世紀にはドイツ人が建設の責任を担った。たとえば、1417年、当時のブルゴス司教アロンソ・デ・カルタヘナがコンスタンツの公会議に出席した折、ケルンからヨハンという職人を連れ帰り、石造りのトラセリー(窓上部の狭間飾り)のある塔を建設させている。そのため、同じゴシック様式でも国毎、時代毎に違いのある様々なスタイルが取り入れられることになった。
西正面は15世紀に造られた北フランス風ゴシック様式。石造りのトラセリーで覆われている六角形の尖塔をもつ塔が立つ。壮麗な六角形の礼拝堂はフランボワイヤン・ゴシック様式である。騎士・天使・紋章といった装飾が並ぶトラセリーで彩られる。
華麗な装飾を施された聖堂の内部には23もの礼拝堂があるが、中でもスペインの至宝といわれる「元帥(コンスターブレ)の礼拝堂」が有名である。そう呼ばれるのは、この礼拝堂が、1492年、グラナダ攻略の指揮をとったベラスコ元帥を記念して建てられたため。礼拝堂の天井のステンドグラスから降り注ぐ光が、幻想的に内部を照らし出している。
このブルゴスのカテドラルに墓所があり、街に銅像が建つのがエル・シッドである。エル・シッドとはあだ名で、国土回復運動(レコンキスタ)時代のスペインの英雄である。その名を有名にしたのが「エル・シッドの歌」で、「ローランの歌」と並ぶ中世の武勲詩の代表である。、17世紀フランスの劇作家コルネイユもこれを題材に悲劇『ル=シッド』を書いた。その他にも多くの文学作品や映画になっている。文字通りスペインの英雄なのだ。
カテドラル
天井 透かし彫り
イエスの受難
バラ窓
回廊
天井のリブが特徴である
日曜日、体調は優れない。モチベーションもなかなか回復しない。いわゆるBad Dayである。そのため、自分はもう1日ブルゴスで休息することにして、Paulには先に行ってもらうことにした。ここまで共に巡礼路を歩いてきて別れるのはとても辛い思いだったが、きっとまた会えると信じ、握手をして別れた。寂しくなるが、一人になることも必要なのかもしれないと思うことにし、気持ちを切り替える
お昼になり、レストランでランチを食べることにする。元気を出すため、ソパ・デ・アホ(にんにくスープ)を頼む。このカスティージャ地方はこのソパ・デ・アホというスープが有名である。地元の郷土料理のようなものである。にんにくをオリーブオイルで炒め(ベーコンが入ると豪華である)、水を注いで煮立てて溶き卵を回し入れ、塩で味を調えて完成。昔巡礼者には、これに固くなったパンを浮かせて提供したという。実に簡単で、日本に帰ってから何度も作ったのだが、どうしても巡礼中に飲んだあの味にはならない。単に気分の問題かも知れないが、これがソウルフードというものだと思う。
世界には数多くの料理があるが、スープのない料理はない。そしてスープはそれぞれの風土が生み出すものだ。その土地の食材をその土地の調味料で調理する文字通りのソウルフードである。日本なら味噌汁だろうか。体が温まる。ブルゴスでリフレッシュして明日に備えることにする。
レストラン
ソパ・デ・アホ
午後はホテルでゆっくり過ごす。「星の巡礼」を読み進める。外は寒く外出する気が起きない。日本にはがきを書き、少し心の整理をする。
夜になって、モチベーションが下がっているのを感じる。体調が良くないと心にも影響するものだ。2日、歩かずに休んでしまって、緊張の糸が切れてしまったようにも思う。
明日から気持ちを切り替えて、歩いていこうと自分に言い聞かせるが、はたしてどうなることやら。
エル・シッドの像
歩いた総距離966.9km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第16回 寝袋(シュラフ)
モンベル スーパー・スパイラル・ダウンハガー♯5
旅に出ると睡眠時間は増える。なぜなら、夜にはやることがないからである。テレビは目のチューインガムだと言葉を残したのはF・L・ライトだが、まさしくその通りであり、夜が更けてもいつまでも見ていられるテレビも巡礼中はそうはいかない。アルベルゲは基本的に10時消灯である。6時に起きたとしてもたっぷり8時間睡眠である。そして、睡眠は重要な体力の回復時間である。睡眠の質が巡礼の質になる。スペインのアルベルゲでは寝袋は必須である。アルベルゲがとんでもなく安く泊まれるのは、アルベルゲにはベッドしかなく、布団がないためでもある。ベッドの枠組みにマットが敷いてあるだけで、乱暴に言えば寝袋を使うためのスペースである。しかもそれが長期にわたって毎日なのであるから、寝袋の質は決定的に重要なのだ。
寝袋については大きく分けてダウンと化学繊維がある。ダウンは軽いし(化学繊維の約半分)、小さい(化学繊維の6割程度)、何よりふかふか感がある。一方水に弱く(濡れると膨らまない、カビが生える)、扱いも手間がかかり(洗濯には専用洗剤が、保管時には膨らませたまま保管するためスペースが必要)、何より値段が高い(約2倍)。化学繊維は水に強く、扱いは簡単(普通に洗濯でき、収納状態で保管できる)、何より安い(約半額)が重く(約2倍)、かさばる(約1.5倍以上)。
それぞれに良さがあり、また弱点もあるが、一番の違いはその重さと価格である。ダウンは化学繊維の半分、値段は倍である。私は贅沢にもダウンのシュラフを買った。別に寝心地を求めたわけではない。たとえ値段が倍であっても、車が使えるキャンプと違い、自分で背負うことを考えると、軽さには代えられなかったのだ。
モンベルはコストパフォーマンスが高い。そもそも、アイガー北壁日本人第二登などの実績をもつトップクライマーの辰野勇さんがモンベルを創業したのも、当時、まだ貧弱だったアウトドア用品を少しでも良いものにという願いからであり、その最初の製品がシュラフだった。こうした背景もあり、モンベルのシュラフには非常に高いこだわりがある。その特徴は「生地の繊維方向を斜め(バイアス状)に配置することで生地本来の伸縮性を最大限に生かした「スパイラルストレッチシステム」と、さらにステッチ部分に糸ゴムを使用することで、抜群のストレッチ性を実現した「スーパースパイラルストレッチシステム」である。「モンベルのシェラフは伸びる」と言われ、「寝袋の中であぐらがかける」と言われている。
さらに重要な保温性能は段階に分かれており、グレードは#0~#5で数字が小さくなるほど使用可能温度が低くなり(つまり暖かくなる)、ダウンの量が増える(つまり高くなる)。当然のことながら購入したのは(できたのは)#5。別に極地や冬山に行くわけではないのでこれで充分(充分以上)である。
ふわふわのシュラフに体を入れると、心地よく、疲れと相まってすぐに眠ることができる。何も考えずにただ眠ることができた巡礼路のシェラフでの眠りは、ある意味では最も心地よい眠りだったのかも知れない。
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2008年 芝浦工業大学工学部建築学科入学。
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了。
2013年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業。
2015年 立教大学大学院キリスト教学専攻キリスト教学研究科博士課程前期
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行う。
●今日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔
「つる」
2002年
シルクスクリーン
22.0x16.0cm
Ed.200
サインあり
※中上エディション
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◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第17回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.17
第17話 休息日 ~ブルゴスでの休日~
10/14(Sun) Burgos (0km)
サント・ドミンゴ・デ・シロスの帰り、思い立ってタクシーの運転手にウエルガス修道院に行ってもらうよう頼む。ウエルガス修道院の正式名はサンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ラス・ウエルガス(Monasterio de Santa María la Real de Las Huelgas)、「レアル(王立)」という言葉から分かるように、1187年にカスティージャのアルフォンソ8世によって建てられたシトー派の女子修道院である。墓所にはアルフォンソ8世と妻レオノールを始め、カスティージャの名門貴族たちが祀られている。アルフォンソ11世やエンリケ2世が戴冠式を行った場所でもる。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途上にあり、長い期間に渡ってヨーロッパ各地から伝えられた様々な音楽を14世紀に集成・編纂した歌曲集、通称「ラス・ウエルガスの写本」は有名である。
石は白く、フランスの修道院のようなイメージを受ける。特に回廊はフランスのモワサックを思い起こさせる、繊細で美しい。それぞれの部屋には現在も織物や工芸品など様々な芸術品がある。これらもまた音楽と同様ヨーロッパ各地からもたらされたものなのであろう。そしてその器とも言うべきこの修道院の建築のスタイルや技術もまた同様であったに違いない。礼拝堂の空間では、かつてどんな音楽が響いていたのだろうかと思いを馳せた。
ウエルガス修道院
ウエルガス修道院ブルゴスのカテドラルはスペインを代表するゴシック建築である。旧市街の中で圧倒的な存在感を放っている。この巨大なスケールで人々を惹きつけ、畏怖させるのだろうか。スペインゴシックの最高傑作である。天井が高いのは外観を見ただけで容易に想像できるが、天井の透かし彫りは本当に美しかった。吸い込まれたように視線が止まった。人々はその先の天上の世界を意識するのだろう。内部の彫刻も数多くあり、特にイエス・キリストの受難の彫刻は繊細ながらも大胆な構図で、イエスのゴルゴタまでの道行きを表現していて見事だった。
スペインというとロマネスク建築を連想するが、実際には純粋なロマネスク建築というのはそれほど多くはない。特に巡礼路沿いの教会は巡礼者の増加に対応して収容人数を増やすために度々増改築が行われている。そもそもゴシック様式は構造上より広い内部空間を確保するために産み出されたわけだから、改築に際してロマネスク様式の教会がゴシック様式に作り替えられるのは不思議なことではない。さらに完成までに百年どころか数百年かかる大きな教会となると、会堂はロマネスク様式なのに塔がゴシック様式とか、塔も一層目の部分はロマネスク様式なのに二層目はゴシック様式、さらに三層目がルネサンス様式などということも珍しくない。じっさい、ロマネスクだバロックだと言い立てるのは後の時代の人々で、建てている時には、それが最新で人気のスタイルだということで建てているはずなのである。その中でこのブルゴスのカテドラルは、初めからゴシック様式で建てることを前提に建てられたものである。スペインのゴシック建築の傑作と言われるゆえんである。トレド、セビーリヤと並ぶスペイン三大カテドラルの一つとされ、1984年に世界遺産に登録されている。
ブルゴスは、13世紀にはカスティージャ王国の首都であり、司教座(カテドラ)が置かれていた。イングランド出身の司教マウリシオは、当時ドイツやフランスで流行していたゴシック建築の聖堂をこの町にも建設すべきことをフェルナンド3世に提案。そして王の命令のもと建築が始まった。
1221年、以前のロマネスク様式の聖堂があった場所に基石が据えられて着工。一時中断を余儀なくされるも祭壇が1260年に聖化され教会として用い始められる。建築的には会堂の交差部上部の尖塔の完成をもって1567年に完成ということになる。建築期間は300年以上である。
建設に際しては、ゴシック様式の経験に長けていた諸外国の建築家や工人たちが大量に用いられ、13世紀にはフランス人、15世紀にはドイツ人が建設の責任を担った。たとえば、1417年、当時のブルゴス司教アロンソ・デ・カルタヘナがコンスタンツの公会議に出席した折、ケルンからヨハンという職人を連れ帰り、石造りのトラセリー(窓上部の狭間飾り)のある塔を建設させている。そのため、同じゴシック様式でも国毎、時代毎に違いのある様々なスタイルが取り入れられることになった。
西正面は15世紀に造られた北フランス風ゴシック様式。石造りのトラセリーで覆われている六角形の尖塔をもつ塔が立つ。壮麗な六角形の礼拝堂はフランボワイヤン・ゴシック様式である。騎士・天使・紋章といった装飾が並ぶトラセリーで彩られる。
華麗な装飾を施された聖堂の内部には23もの礼拝堂があるが、中でもスペインの至宝といわれる「元帥(コンスターブレ)の礼拝堂」が有名である。そう呼ばれるのは、この礼拝堂が、1492年、グラナダ攻略の指揮をとったベラスコ元帥を記念して建てられたため。礼拝堂の天井のステンドグラスから降り注ぐ光が、幻想的に内部を照らし出している。
このブルゴスのカテドラルに墓所があり、街に銅像が建つのがエル・シッドである。エル・シッドとはあだ名で、国土回復運動(レコンキスタ)時代のスペインの英雄である。その名を有名にしたのが「エル・シッドの歌」で、「ローランの歌」と並ぶ中世の武勲詩の代表である。、17世紀フランスの劇作家コルネイユもこれを題材に悲劇『ル=シッド』を書いた。その他にも多くの文学作品や映画になっている。文字通りスペインの英雄なのだ。
カテドラル
天井 透かし彫り
イエスの受難
バラ窓
回廊天井のリブが特徴である
日曜日、体調は優れない。モチベーションもなかなか回復しない。いわゆるBad Dayである。そのため、自分はもう1日ブルゴスで休息することにして、Paulには先に行ってもらうことにした。ここまで共に巡礼路を歩いてきて別れるのはとても辛い思いだったが、きっとまた会えると信じ、握手をして別れた。寂しくなるが、一人になることも必要なのかもしれないと思うことにし、気持ちを切り替える
お昼になり、レストランでランチを食べることにする。元気を出すため、ソパ・デ・アホ(にんにくスープ)を頼む。このカスティージャ地方はこのソパ・デ・アホというスープが有名である。地元の郷土料理のようなものである。にんにくをオリーブオイルで炒め(ベーコンが入ると豪華である)、水を注いで煮立てて溶き卵を回し入れ、塩で味を調えて完成。昔巡礼者には、これに固くなったパンを浮かせて提供したという。実に簡単で、日本に帰ってから何度も作ったのだが、どうしても巡礼中に飲んだあの味にはならない。単に気分の問題かも知れないが、これがソウルフードというものだと思う。
世界には数多くの料理があるが、スープのない料理はない。そしてスープはそれぞれの風土が生み出すものだ。その土地の食材をその土地の調味料で調理する文字通りのソウルフードである。日本なら味噌汁だろうか。体が温まる。ブルゴスでリフレッシュして明日に備えることにする。
レストラン
ソパ・デ・アホ午後はホテルでゆっくり過ごす。「星の巡礼」を読み進める。外は寒く外出する気が起きない。日本にはがきを書き、少し心の整理をする。
夜になって、モチベーションが下がっているのを感じる。体調が良くないと心にも影響するものだ。2日、歩かずに休んでしまって、緊張の糸が切れてしまったようにも思う。
明日から気持ちを切り替えて、歩いていこうと自分に言い聞かせるが、はたしてどうなることやら。
エル・シッドの像歩いた総距離966.9km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第16回 寝袋(シュラフ)
モンベル スーパー・スパイラル・ダウンハガー♯5
旅に出ると睡眠時間は増える。なぜなら、夜にはやることがないからである。テレビは目のチューインガムだと言葉を残したのはF・L・ライトだが、まさしくその通りであり、夜が更けてもいつまでも見ていられるテレビも巡礼中はそうはいかない。アルベルゲは基本的に10時消灯である。6時に起きたとしてもたっぷり8時間睡眠である。そして、睡眠は重要な体力の回復時間である。睡眠の質が巡礼の質になる。スペインのアルベルゲでは寝袋は必須である。アルベルゲがとんでもなく安く泊まれるのは、アルベルゲにはベッドしかなく、布団がないためでもある。ベッドの枠組みにマットが敷いてあるだけで、乱暴に言えば寝袋を使うためのスペースである。しかもそれが長期にわたって毎日なのであるから、寝袋の質は決定的に重要なのだ。
寝袋については大きく分けてダウンと化学繊維がある。ダウンは軽いし(化学繊維の約半分)、小さい(化学繊維の6割程度)、何よりふかふか感がある。一方水に弱く(濡れると膨らまない、カビが生える)、扱いも手間がかかり(洗濯には専用洗剤が、保管時には膨らませたまま保管するためスペースが必要)、何より値段が高い(約2倍)。化学繊維は水に強く、扱いは簡単(普通に洗濯でき、収納状態で保管できる)、何より安い(約半額)が重く(約2倍)、かさばる(約1.5倍以上)。
それぞれに良さがあり、また弱点もあるが、一番の違いはその重さと価格である。ダウンは化学繊維の半分、値段は倍である。私は贅沢にもダウンのシュラフを買った。別に寝心地を求めたわけではない。たとえ値段が倍であっても、車が使えるキャンプと違い、自分で背負うことを考えると、軽さには代えられなかったのだ。
モンベルはコストパフォーマンスが高い。そもそも、アイガー北壁日本人第二登などの実績をもつトップクライマーの辰野勇さんがモンベルを創業したのも、当時、まだ貧弱だったアウトドア用品を少しでも良いものにという願いからであり、その最初の製品がシュラフだった。こうした背景もあり、モンベルのシュラフには非常に高いこだわりがある。その特徴は「生地の繊維方向を斜め(バイアス状)に配置することで生地本来の伸縮性を最大限に生かした「スパイラルストレッチシステム」と、さらにステッチ部分に糸ゴムを使用することで、抜群のストレッチ性を実現した「スーパースパイラルストレッチシステム」である。「モンベルのシェラフは伸びる」と言われ、「寝袋の中であぐらがかける」と言われている。
さらに重要な保温性能は段階に分かれており、グレードは#0~#5で数字が小さくなるほど使用可能温度が低くなり(つまり暖かくなる)、ダウンの量が増える(つまり高くなる)。当然のことながら購入したのは(できたのは)#5。別に極地や冬山に行くわけではないのでこれで充分(充分以上)である。
ふわふわのシュラフに体を入れると、心地よく、疲れと相まってすぐに眠ることができる。何も考えずにただ眠ることができた巡礼路のシェラフでの眠りは、ある意味では最も心地よい眠りだったのかも知れない。
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2008年 芝浦工業大学工学部建築学科入学。
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了。
2013年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業。
2015年 立教大学大学院キリスト教学専攻キリスト教学研究科博士課程前期
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行う。
●今日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔「つる」
2002年
シルクスクリーン
22.0x16.0cm
Ed.200
サインあり
※中上エディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
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