石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第18回

1929 1998年9月17日 東京

manray18-1『1929』



18-1 神田神保町

神田の古書店街を教えてくれたのは連盟の先輩、杉山茂太氏だった。「写真集は源喜堂、雑誌なら下のブックブラザー、美術洋書だと松村書店」と説明する先輩の後について歩いた。18歳だった。通りには店が並び、それぞれのウインドウには気になる品物が飾られている。パトリシア書店刊の土門拳写真集『筑豊のこどもたち』の少女の表情と赤い色面。朝日新聞社刊の『アンリ・カルティエ=ブレッソン作品集』の帽子を被った髭の紳士の横顔。本を探す者に繋がるような視線を感じながら、誘われるように店に入った。先輩は棚毎の商品構成を知っている様子だけど、わたしの方は圧倒的な量と質にびっくり。しかし、店内の会話が喧嘩をしているように聞こえ、棚から写真集を取り出すのを躊躇する有様だった。──江戸言葉に慣れたのは随分経ってからである。

manray18-2神田祭 神輿


 東京へ出掛ける度に時間を見付け、歩くようになった。探したのは写真集とダダ・シュルレアリスムに関する本。マン・レイに絞るようになってからは、展覧会やオークションのカタログ類。店先で珍本と出会うのはまれとはいえ、長い間には、教えてもらった源喜堂でブラッサイの『夜のパリ』、松村書店で『フオルム・ヌード集』と云った成果をあげた。本と出会った時に源喜堂が仮店舗で営業していた事や松村書店の帯表記が「マン・レー」だったのを思い出す。

 店頭のワゴンや黄色い値札が活気を伝え、西脇順三郎などの近代文学や、20世紀の独仏文学に定評のある田村書店にも通うようになった。一階奥の棚から福澤一郎の『シュルレアリスム』や瀧口修造の『超現実主義と絵画』を最初の頃に購入してはいたが、ご主人に顔を覚えていただいたのは、友人の土渕信彦氏に紹介してもらったお陰だった。出張の仕事が終わった夕方や、マン・レイの展覧会を観た後などに、田村書店で待ち合わせ、その日の収穫や研究の進捗を、近くの焼鳥屋か蕎麦屋で語り合うのが楽しみとなった。──お酒が呑めるからです。

manray18-3田村書店
東京都千代田区神田神保町1-7-1


manray18-4同上
階段回りの値札


manray18-5同上
二階(洋書部)


manray18-6同上
奥平禎男氏



18-2 『1929』

1989年9月17日午後、出張で東京へ出た折、取引先が内神田にあったのを幸いに仕事の後、閉店間際の田村書店に寄った。二階に上がって話をしていると、奥平禎男氏が「最近入りました」と革装の保護ケースからシンプルな洋書を取り出された。表紙下段に数字が4文字。この本の復刻版を9年前に池袋のアール・ヴィヴァンで購入していたので、中身についての予測が瞬時にひろがった。原書の国際価格についても知識があった。これは是か非でも欲しい本。幾らかしらと思うまもなく、わたしの表情から「真剣度」を察してくれたのか、「国内から出たのです」と穏やかな値段を提示して下さった。これは嬉しかった。

 詩集『1929』は、パンジャマン・ペレとルイ・アラゴンの詩にマン・レイがエロティックな写真4点を寄せたもので、性表現の革新性が物議をかもし発禁処分となった事でも知られている。第一幕のペレの少女愛と、第二幕のアラゴンの絶叫語など、身体の喜びと女体への食い入る眼差しが続く仏語を理解する能力も経験も持ち合わせていないわたしは、マン・レイ写真の隅々に眼をこらしてしまった(そんな場面を想像する訳です)。

manray18-7『1929』「夏」


 本書の奥付によると限定215部。内訳は7部(1-7)が日本の局紙、48部(8-55)がオランダのゲルダー・ゾウネン紙、残りの160部(56-215)が仏蘭西のモンバル紙となっている。本好きにとって興味深いのはグレー色の表紙(28×22cm)から下に2cm程、本文用紙(30×20cm)がはみ出している事だが、自家装丁を前提とする文化では、仮綴本でのサイズ不揃いはよくあるらしい。刊行者が、発禁処分に備えて限定部数以外の情報を表記していないので、補足しておきたい(推測もあります)。──表紙にあるように刊行は1929年で、アンドレ・ブルトンが詩の選択を行い、ブリュセルで発行されていたシュルレアリスム雑誌『ヴァリエテ』のE.L.T.メゼンスが協力。一節には運動の国際化と「愛についてのアンケート」に照応、資金援助の側面もあって刊行されたと云う。マン・レイの写真提供は、ルイ・アラゴンからの要請によったようで、愛人だったキキ・ド・モンパルナス(以下キキと表記)をモデルに、性行為の場面をクローズ・アップ手法で捉えた写真。撮影時期と男性は不明だが(女性の側は、フェラチオの場面でキキの唇が登場することから確信がもてる)、ポール・エリュアールとする意見が大方を占めている。

 フランス本での地下出版はベルギーで行われる事が多いと聞くが、持ち込む前に国境で押収されてしまったらしい(内通があったと聞く)。写真が貼付けられた頁には、小さなマン・レイの名前と「春」「夏」「秋」「冬」の表記。そのために詩集を『四季』と呼ぶ事もあるようだ。本書は、普及版で限定番号168番。トラックに載せられていたのだろうかと、想像が闇を進んでこまってしまう(笑)。

 日本中の稀覯本が神田に集まってくる。年に数回しか探索できない京都在住者としては、あせる事ばかりだが、出逢いは情熱によって作られると感謝、帰りの最終新幹線で、こっそり頁を拡げて記念写真。車内検察があったら大変だけど、撮らずにはいられない。幸せな気持ちは、アルコールの力で強くなるばかり、性欲ですかね。

manray18-8新幹線「のぞみ」車内



18-3 キキ・ド・モンパルナス

わたしは露骨な性表現が苦手である。マン・レイのエロテイシズムには、対象への醒めた眼があって、写真家の距離感と物語性が共存する。セックスに精神性を求めるのは日本人に共通する感情であるが、アンドレ・ブルトンもヘアー解禁に異議を唱えたように、性的魅力は脱衣の行為に潜んでいると思いたい。しかし、写真家の東松照明氏と話した時、「ストリップは脱ぐまでが…」と言うと、「今は、そんな事はない。」と否定されてしまった。わたしなど、リアリズムが突き進むと皮膚を超えて内蔵まで行ってしまい、困惑するばかりなのである。前述の詩集に提供されたのが、元、恋人による「暴露的写真」であるとしたら、アンリ・ブロカと恋仲になったキキと、美しいアシスタント、リー・ミラー登場との微妙な時間差を解明せねばならない。しかし、その資料を持ち合わせていないので、ここではキキに関した、いくつかの個人的な出来事を書いておきたい。

 マン・レイの写真作品を代表する『アングルのヴァイオリン』や『白と黒』で、モデルを務めたのがキキだと知ったのは、何歳の時だったかはっきりしないが、『マン・レイ肖像集』(フリッツ・グルーバー編、エディション・プリスマ、1963年刊)の頁で、手で前を押さえている恥ずかしげな表情の彼女に親近感を持った事は、覚えている。ポーズがアングルの油彩『泉』を連想させる為か、肉感的な身体と、流れ落ちる水のイメージが、隠された性器からほとばしっているような印象だった。写真を見ているとモデルと写真家の関係と云うより、冷静さを失った男の眼差しを強く感じた。「私写真」の原型のようなものがマン・レイとキキによって作られていた。代表作を支えて、こうした写真があった事を知ったのは、「愛」を撮る写真家に続きたいと願っていたわたしにとって勇気付けられる事柄だった。

manray18-9『マン・レイ肖像集』キキ



 キキを捉えたオリジナル写真で、特に覚えているのはツァイト・フォト・サロンに掛けられていたベールを被った一枚だった。それは『MAN RAY’S WORLD』展(1980年)の時で、すでに、写真の下に赤い売約済みのピンが押されていた。石原悦郎さんにお聞きすると、高名な写真家が購入されたとの事で、自室に飾って、うっとり恋心をいだくチャンスを逃し残念に思った。写真を買うのは、美しい女性と共に暮らす「勘違い」を求めるからだろうね(わたしの場合)。──この写真は後に朝日新聞社が刊行した写真集の巻頭頁を飾った。

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 高校2年で写真に目覚めた時、写真部の友人S君は、実作で土門拳、理論で名取洋之助だった。わたしの方は、東松照明と吉村伸哉。特に写真集『日本』(写研、1967年刊)での問題提起は社会認識の手段として写真が有効であると知る機会となった。網目印刷の画像で鳥肌がたったのは、後にも先にも、この写真集だけである(マン・レイの場合はちょっと違うのです)。吉村さんから影響を受けたのは『現代写真の名作研究』(写真評論社、1970年刊)で紹介されている写真集や雑誌の魅力に取り憑かれてしまった事で、写真集の頁を具体的に示した研究書は高校生にとって刺激的だった。神田の古書店で写真集を探す道案内となった。わたしが手許に確保したのは僅かであるけど、連盟時代からの友人Y君は、紹介されている24冊全てを入手して「時代の可能性」を書棚に展開、45年の後も青春を生きている。


18-4 『キキの回想』

キキの話題が「横道にそれてしまっている」と指摘されそうなので、話を戻す。ポンピドゥセンターの学芸員(当時)だったアラン・サヤック氏が来日して、日本の写真家たちを調査されていた1984年、たまたま東松照明氏が京都で取材中だった関係で、お二人がそろって拙宅に来られた。──東松氏とは、それまでに何度かお会いしていたが、氏がコルビュジエを好きだと聞いたのはこの時だった。心許ない家人の通訳にサヤック氏も困惑されたと思うが、記念のスナップ写真をお送りしたところ、折り返しブルターニュの海岸で太陽を浴びながら眩しく微笑むキキの写真が届いた。これは恐らくマン・レイのカメラを借りてキキの女友達テレーズ・トレーズが撮った1924年頃の写真。送られて来たのはモダンプリントであるけど、暗室の赤い光に反射する現像液の中から、ゆらゆらと「全裸」が現れてくるのには、ラボの担当者も興奮しただろうと思った。じっくり拝見するとキキの身体にはボリュームがあり、恥毛も可愛らしい。

manray18-10(故)東松照明氏とアラン・サヤック氏(右)


manray18-11ブルターニュのキキ


 藤田嗣治やキスリングと云ったモンパルナスの画家たちに愛されたキキは、マン・レイと出会ってカメラの前でもポーズをするようになった。彼女はマン・レイを愛したようだが、男の方は冷ややかであったと多くの研究者が指摘している。彼女もマン・レイと同じように多才でモデルの他に、歌手、画家、自伝作家として活躍したが、才能を浪費してしまうタイプ。晩年は酒とクスリに溺れ、貧しいまま亡くなった。享年52。

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manray18-12『キキの回想』キキの献辞とデッサン


manray18-13同上
108-109頁


 後にキキの自伝『キキの回想』(アンリ・ブロカ、1929年刊)を入手した。マン・レイが提供した写真を見ていると(原書でなくてはいけません)、素直な田舎娘からエレガントな貴婦人、妖艶な美女へと様々に表情を変えるキキの魅力の虜になった。先の写真集を重ねながら、彼女が押さえていた手を払いのけると『1929』が現れると夢想。──還暦を過ぎた身には、拝見させていただけるだけで有り難い。書いちゃいけないけど、「若い時のキキは綺麗だね」。

続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、森村泰昌です。
20150905_morimura_06_hepburn森村泰昌
「セルフポートレイト(モノクロ)ヘプバーンとしての私・2」
ゼラチンシルバープリント
43.5x29.0cm
Ed.10
サインあり


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