森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」 第2回
「模型千円札事件」
犯罪者同盟の諸富洋治が万引きを咎められ戸塚署で取り調べを受けていたら所持品より「赤い風船あるいは牝狼の夜」がみつかり、吉岡康弘の性器ドアップ写真をみつけられてしまった。
「捜査員が猥褻罪を立証するために乗り込んだ宮原安春宅から赤瀬川原平の千円札の作品がみつかった。警察はすぐに印刷所も洗った。」(今泉省彦)
犯罪者同盟が自費出版した「赤い風船」にも赤瀬川の千円札が印刷されていた。さらに宮原宅で押収された赤瀬川の千円札作品が問題となり、両者を印刷した近代印書館がマークされて、千円札原版も押収された。赤瀬川はこれら写真製版した千円札を封筒に入れて送付し、個展「あいまいな海について」案内状中では、「私有財産制度破壊」と書き、まさにマルクス主義者然としていた。それが当局から通貨及び証券模造取締法違反かどうかの疑義を掛けられたわけだ。
羽永光利
「赤瀬川原平」
1967
写真
このように赤瀬川の「ニセ千円札」事件は、官憲の左翼運動マークより始まっている。同時期に「チ-37号」という実際のニセ千円札が出回っていたこともあって、赤瀬川はその容疑者にもされかかったのだが、本人や関係者ははじめことをごく軽く見ていた。ところが半年後の1964年1月8日に赤瀬川は再度刑事の訪問を受け、1965年11月1日に正式起訴される。
裁判は1965年11月1日~1967年6月24日に及び、結局「懲役3年、執行猶予1年、印刷原版没収」の有罪判決を東京地裁で受けている。上告したが高裁からは「控訴棄却」され、さらに最高裁に上告するが「上告拒否」され、1970年、一審を受け有罪が確定。
ともあれこの事件は60年代前衛の側面を司法の手によって見事に記録し得たということにおいて、まれに見る芸術行為足りえたという皮肉な結果を生じている。だが、そればかりではなく、赤瀬川やハイレッド・センター自体が最初から「事件」性を前提として帯びている。それは、前述したが「イヴェント」という新たな芸術様式が“事件”に近似していたせいもあるだろう。ハイレッド・センターの発表自体、疑似事件(インチキ奇跡=非日常)とその現場検証、証拠物件の関係上にあることは再検証されるべきだ。そして、犯罪者同盟の文化的テロリズムのテーゼとハイレッド・センターは双子のようでもあり、どちらがどうというよりも安保自動承認時、政治的挫折の季節特有の表現手段とみれば合点がいく。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」
(1963年8月15日発行 犯罪者同盟/宮原安春・編 赤い風船・刊 近代印書館・印刷)
赤瀬川原平・千円札の頁。
左頁は、池田勇人の写真にハイレッド・センターのビックリマーク(!)。
「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」と「事実か方法か 1・2」。
第15回読売アンデパンダン展
1963
東京都美術館の再現展示。
「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡展」
2014年2月
渋谷区立松濤美術館にて
撮影:筆者
赤瀬川原平
「模型千円札裁判」
1965-1967
押収品1963-1966
「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡展」2014年2月 渋谷区立松濤美術館にて
撮影:筆者
模型千円札裁判での証拠品審議(赤瀬川原平)
1966年8月10日
東京地裁第13部701号法廷
地裁で約2年間かかった法廷闘争では、瀧口修造、石子順造、中原佑介、針生一郎、ヨシダ・ヨシエ、三木多聞、篠原有司男、池田龍雄、澁澤龍彦といったそうそうたる美術関係者が法廷で証言し、証拠物件としての現代美術作品(当時は反芸術作品)がまさに展覧された。この反芸術だが、東野芳明が読売新聞(1960)に工藤哲巳らの作品を評して反芸術といったことが発端であり(*工藤はこの時、自分は反芸術ではない、反芸術という意味も分からないと反論)、既成の近代美術の文脈に入りきれないといった程度の定義付けであって、半世紀以上にわたり拡張した現在の思考上に「反芸術」は持ち込めないため、筆者としてはこの語を乱用したくはないのでごく制限付きで記述することとしたい。
法廷ではたとえばウォーホルの「ダラービル」を例証として赤瀬川の千円札が芸術であるといった弁護側の答弁もあったが、一見して分かるとおり、ウォーホルのものはシルクスクリーンで大雑把に刷られており、実際の千円札を直接写真製版した赤瀬川に比べて云々することはできない代物だろう。
第一にこの時、権力は偽札事件の違法性を立証したくて赤瀬川をスケープゴートにしたきらいがあって、この権力が見せしめ的にアーティストを検挙するやり口は今日ではろくでなし子騒動でも確認できる。
赤瀬川が何故偽札を作品化しようとしたのか? 1963年の読売アンデパンダン展出品の「殺す前に相手をよく見る」という千円札の精巧な拡大ドローイングあたりにその原型を見出すことが可能だ。
赤瀬川原平
個展「あいまいな海について」案内状
1963
上質紙に活版印刷
赤瀬川原平
「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」
1963 紙にインク
90.0×180.0cm
名古屋市美術館蔵
赤瀬川原平
「模型千円札」
1963
紙に活版印刷
名古屋市美術館蔵
雑誌「形象 8号」
1963年12月頃発刊(形象編集部刊)
「直接行動論の兆」
(ハイレッド・センター 山手線のフェスティバル 1962)、千円札のコラージュが見える。
前回も書いたが、もともとが犯罪者同盟の一件より派生したもので、官憲としては、左翼のテロ組織(?)を捜査している過程でひっかかってきた案件でもある。赤瀬川自身は「ニセ札ではなく、あくまで模型千円札」と主張を続けたが、「資本主義の拝金主義的な社会が生む格差」に対し、制作意図は前提として国家と体制に反逆している節が見いだせる。
大体において60年代の前衛美術、アングラ芸術そのものが、この間の政治の季節を反映して反体制的なニュアンスを帯びているのだ。この時期は日本だけではなく、フランスやドイツの芸術運動も概ね反体制的であった。ドイツではゼーマンやボイス、フランスでは五月革命をはさんでヌーベル・バーグやとりわけゴダールの映画にそれは色濃く出ている。あるいはボブ・ディランやローリング・ストーンズにも反射しているし、のちのフラワーパワー、ヒッピー文化、政治的ヒッピーのイッピーまでそれは続いていた。
さて、赤瀬川は判決後、「櫻画報」や「零円札」でこの公判そのものをパロディー化してゆくという方法論を編み出す。
「一家に一枚、零円札」というコピーには、「傍目にはいかに本物に見えようとも、本物であることをご理解ください」といった謳い文句も付随している。順法闘争ならぬ順法絵画というのも国家権力に対する皮肉たっぷりだ。
赤瀬川原平
「大日本零円札(本物)」
1967
紙に活版印刷
しかし、日本の場合、そもそもが前衛や現代美術の市場などというものが欧米に比し存在してはいない。ためにこうした事件とスキャンダルが芸術家を有名にしてきたといった側面もある。赤瀬川がかりに偽札事件に連座しなければ、彼のアーティスト評価は今日のようなものだったかどうか?
おそらく、それは現在でも継続しており、ろくでなし子は、”マン・アート”によって有名性を獲得し、後世に名を残すかも知れないのだ。それは初めに事件ありきであって、問題の、当の芸術性の部分はどの程度問われているのだろう。
ここ数年の動向を見ても、こうした前例を逆手に取り、むしろスキャンダルを醸すことによってアーティスト生命をサバイバルさせる風潮は強まっているだろう。
たとえば、Chim↑Pomがそうだ。彼らは、広島の空にジェットで「ピカッ」という文字を書いて問題視され、その必要はなかったかと思うが謝罪、広島市立現代美術館個展を館側が自粛した。また、岡本太郎の「明日の神話」の「水爆の図」に福島第一事故の絵画をつけ加えたりして、むしろイタズラめいたやり方で新聞やマスメディアを騒がす。(*メンバーのひとりエリィの初期のピンクのゲロを吐き続けるパフォーマンスなどもその傾向にある。) Chim↑Pomは表現のブレーキをあらかじめ設定しているように映る。福一事故を作品化するものの、テレビ出演の際は放射能の話題は微妙に避けていたり巧みに情報操作している。彼らの方法論はブレイクするための「戦略」だろう。
60年代と現在との決定的な差異は、企画する側の美術館(またはフリーランスのキュレーター)と展示する美術家との間に「暗黙の了解」というか「検閲」というか、談合的な駆け引きが色濃く存在することだ。これは水際で作家サイドが突っぱねたが最近の会田誠作品改変問題をめぐる東京都現代美術館担当者との水面下での顛末や、Chim↑Pom「堪え難きを耐え ↑ 忍び難きを忍ぶ 展」(2015年 高円寺・Garter)での作品として展示された宣言文「まじで美術館や機関の検閲にクソみたいに屈し続けて来た最低の10年でもあった」といった部分にそれは表れている。
そこには大文字の「芸術」という大仰な問題を考える以前に今日の美術がすでに官僚制度に呑み込まれてしまったあとの様相を呈していることが理解できるだろう。“箱もの”が乱立したあまり、作家と美術館のやり取りだけで動いているような、鑑賞者・批評者不在の何か後味のよろしくない不気味さが付きまとっているといえまいか。
しかし、赤瀬川の問題がこれらと異なる点は、彼の本質はある種のディープな作家側の譲れない考え方に根ざしていたということだ。よって場合によっては即座に違法行為、「犯罪」となる。「思想的変質者」とは、赤瀬川自身、「当時の当局が思想的変質者を一掃しようとしたのですが、私もそう思われていたのです」と語っているように、60年安保後の状況が政治闘争から思想闘争への変換により改革を夢想する側面があり、そうした考えの一端を権力は「思想的変質者」と呼んでいた。それらは、犯罪者同盟の結成理由、「巷を騒がすことにより革命を起こす」云々のテーゼと妙にシンクロしていた。もっとも赤瀬川本人は「私は犯罪者同盟とは無関係だ」とその関連をさかんに否認していたものだが、冒頭で触れたように「赤い風船あるいは牝狼の夜」掲載から事件に発展していった経緯は決して無関係とは見えないのである。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、赤瀬川原平です。
赤瀬川原平
「ねじ式」
1969年
シルクスクリーン
51.7x75.5cm
Ed.100
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
「模型千円札事件」
犯罪者同盟の諸富洋治が万引きを咎められ戸塚署で取り調べを受けていたら所持品より「赤い風船あるいは牝狼の夜」がみつかり、吉岡康弘の性器ドアップ写真をみつけられてしまった。
「捜査員が猥褻罪を立証するために乗り込んだ宮原安春宅から赤瀬川原平の千円札の作品がみつかった。警察はすぐに印刷所も洗った。」(今泉省彦)
犯罪者同盟が自費出版した「赤い風船」にも赤瀬川の千円札が印刷されていた。さらに宮原宅で押収された赤瀬川の千円札作品が問題となり、両者を印刷した近代印書館がマークされて、千円札原版も押収された。赤瀬川はこれら写真製版した千円札を封筒に入れて送付し、個展「あいまいな海について」案内状中では、「私有財産制度破壊」と書き、まさにマルクス主義者然としていた。それが当局から通貨及び証券模造取締法違反かどうかの疑義を掛けられたわけだ。
羽永光利「赤瀬川原平」
1967
写真
このように赤瀬川の「ニセ千円札」事件は、官憲の左翼運動マークより始まっている。同時期に「チ-37号」という実際のニセ千円札が出回っていたこともあって、赤瀬川はその容疑者にもされかかったのだが、本人や関係者ははじめことをごく軽く見ていた。ところが半年後の1964年1月8日に赤瀬川は再度刑事の訪問を受け、1965年11月1日に正式起訴される。
裁判は1965年11月1日~1967年6月24日に及び、結局「懲役3年、執行猶予1年、印刷原版没収」の有罪判決を東京地裁で受けている。上告したが高裁からは「控訴棄却」され、さらに最高裁に上告するが「上告拒否」され、1970年、一審を受け有罪が確定。
ともあれこの事件は60年代前衛の側面を司法の手によって見事に記録し得たということにおいて、まれに見る芸術行為足りえたという皮肉な結果を生じている。だが、そればかりではなく、赤瀬川やハイレッド・センター自体が最初から「事件」性を前提として帯びている。それは、前述したが「イヴェント」という新たな芸術様式が“事件”に近似していたせいもあるだろう。ハイレッド・センターの発表自体、疑似事件(インチキ奇跡=非日常)とその現場検証、証拠物件の関係上にあることは再検証されるべきだ。そして、犯罪者同盟の文化的テロリズムのテーゼとハイレッド・センターは双子のようでもあり、どちらがどうというよりも安保自動承認時、政治的挫折の季節特有の表現手段とみれば合点がいく。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」(1963年8月15日発行 犯罪者同盟/宮原安春・編 赤い風船・刊 近代印書館・印刷)
赤瀬川原平・千円札の頁。
左頁は、池田勇人の写真にハイレッド・センターのビックリマーク(!)。
「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」と「事実か方法か 1・2」。第15回読売アンデパンダン展
1963
東京都美術館の再現展示。
「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡展」
2014年2月
渋谷区立松濤美術館にて
撮影:筆者
赤瀬川原平「模型千円札裁判」
1965-1967
押収品1963-1966
「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡展」2014年2月 渋谷区立松濤美術館にて
撮影:筆者
模型千円札裁判での証拠品審議(赤瀬川原平)1966年8月10日
東京地裁第13部701号法廷
地裁で約2年間かかった法廷闘争では、瀧口修造、石子順造、中原佑介、針生一郎、ヨシダ・ヨシエ、三木多聞、篠原有司男、池田龍雄、澁澤龍彦といったそうそうたる美術関係者が法廷で証言し、証拠物件としての現代美術作品(当時は反芸術作品)がまさに展覧された。この反芸術だが、東野芳明が読売新聞(1960)に工藤哲巳らの作品を評して反芸術といったことが発端であり(*工藤はこの時、自分は反芸術ではない、反芸術という意味も分からないと反論)、既成の近代美術の文脈に入りきれないといった程度の定義付けであって、半世紀以上にわたり拡張した現在の思考上に「反芸術」は持ち込めないため、筆者としてはこの語を乱用したくはないのでごく制限付きで記述することとしたい。
法廷ではたとえばウォーホルの「ダラービル」を例証として赤瀬川の千円札が芸術であるといった弁護側の答弁もあったが、一見して分かるとおり、ウォーホルのものはシルクスクリーンで大雑把に刷られており、実際の千円札を直接写真製版した赤瀬川に比べて云々することはできない代物だろう。
第一にこの時、権力は偽札事件の違法性を立証したくて赤瀬川をスケープゴートにしたきらいがあって、この権力が見せしめ的にアーティストを検挙するやり口は今日ではろくでなし子騒動でも確認できる。
赤瀬川が何故偽札を作品化しようとしたのか? 1963年の読売アンデパンダン展出品の「殺す前に相手をよく見る」という千円札の精巧な拡大ドローイングあたりにその原型を見出すことが可能だ。
赤瀬川原平個展「あいまいな海について」案内状
1963
上質紙に活版印刷
赤瀬川原平「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」
1963 紙にインク
90.0×180.0cm
名古屋市美術館蔵
赤瀬川原平「模型千円札」
1963
紙に活版印刷
名古屋市美術館蔵
雑誌「形象 8号」1963年12月頃発刊(形象編集部刊)
「直接行動論の兆」
(ハイレッド・センター 山手線のフェスティバル 1962)、千円札のコラージュが見える。
前回も書いたが、もともとが犯罪者同盟の一件より派生したもので、官憲としては、左翼のテロ組織(?)を捜査している過程でひっかかってきた案件でもある。赤瀬川自身は「ニセ札ではなく、あくまで模型千円札」と主張を続けたが、「資本主義の拝金主義的な社会が生む格差」に対し、制作意図は前提として国家と体制に反逆している節が見いだせる。
大体において60年代の前衛美術、アングラ芸術そのものが、この間の政治の季節を反映して反体制的なニュアンスを帯びているのだ。この時期は日本だけではなく、フランスやドイツの芸術運動も概ね反体制的であった。ドイツではゼーマンやボイス、フランスでは五月革命をはさんでヌーベル・バーグやとりわけゴダールの映画にそれは色濃く出ている。あるいはボブ・ディランやローリング・ストーンズにも反射しているし、のちのフラワーパワー、ヒッピー文化、政治的ヒッピーのイッピーまでそれは続いていた。
さて、赤瀬川は判決後、「櫻画報」や「零円札」でこの公判そのものをパロディー化してゆくという方法論を編み出す。
「一家に一枚、零円札」というコピーには、「傍目にはいかに本物に見えようとも、本物であることをご理解ください」といった謳い文句も付随している。順法闘争ならぬ順法絵画というのも国家権力に対する皮肉たっぷりだ。
赤瀬川原平「大日本零円札(本物)」
1967
紙に活版印刷
しかし、日本の場合、そもそもが前衛や現代美術の市場などというものが欧米に比し存在してはいない。ためにこうした事件とスキャンダルが芸術家を有名にしてきたといった側面もある。赤瀬川がかりに偽札事件に連座しなければ、彼のアーティスト評価は今日のようなものだったかどうか?
おそらく、それは現在でも継続しており、ろくでなし子は、”マン・アート”によって有名性を獲得し、後世に名を残すかも知れないのだ。それは初めに事件ありきであって、問題の、当の芸術性の部分はどの程度問われているのだろう。
ここ数年の動向を見ても、こうした前例を逆手に取り、むしろスキャンダルを醸すことによってアーティスト生命をサバイバルさせる風潮は強まっているだろう。
たとえば、Chim↑Pomがそうだ。彼らは、広島の空にジェットで「ピカッ」という文字を書いて問題視され、その必要はなかったかと思うが謝罪、広島市立現代美術館個展を館側が自粛した。また、岡本太郎の「明日の神話」の「水爆の図」に福島第一事故の絵画をつけ加えたりして、むしろイタズラめいたやり方で新聞やマスメディアを騒がす。(*メンバーのひとりエリィの初期のピンクのゲロを吐き続けるパフォーマンスなどもその傾向にある。) Chim↑Pomは表現のブレーキをあらかじめ設定しているように映る。福一事故を作品化するものの、テレビ出演の際は放射能の話題は微妙に避けていたり巧みに情報操作している。彼らの方法論はブレイクするための「戦略」だろう。
60年代と現在との決定的な差異は、企画する側の美術館(またはフリーランスのキュレーター)と展示する美術家との間に「暗黙の了解」というか「検閲」というか、談合的な駆け引きが色濃く存在することだ。これは水際で作家サイドが突っぱねたが最近の会田誠作品改変問題をめぐる東京都現代美術館担当者との水面下での顛末や、Chim↑Pom「堪え難きを耐え ↑ 忍び難きを忍ぶ 展」(2015年 高円寺・Garter)での作品として展示された宣言文「まじで美術館や機関の検閲にクソみたいに屈し続けて来た最低の10年でもあった」といった部分にそれは表れている。
そこには大文字の「芸術」という大仰な問題を考える以前に今日の美術がすでに官僚制度に呑み込まれてしまったあとの様相を呈していることが理解できるだろう。“箱もの”が乱立したあまり、作家と美術館のやり取りだけで動いているような、鑑賞者・批評者不在の何か後味のよろしくない不気味さが付きまとっているといえまいか。
しかし、赤瀬川の問題がこれらと異なる点は、彼の本質はある種のディープな作家側の譲れない考え方に根ざしていたということだ。よって場合によっては即座に違法行為、「犯罪」となる。「思想的変質者」とは、赤瀬川自身、「当時の当局が思想的変質者を一掃しようとしたのですが、私もそう思われていたのです」と語っているように、60年安保後の状況が政治闘争から思想闘争への変換により改革を夢想する側面があり、そうした考えの一端を権力は「思想的変質者」と呼んでいた。それらは、犯罪者同盟の結成理由、「巷を騒がすことにより革命を起こす」云々のテーゼと妙にシンクロしていた。もっとも赤瀬川本人は「私は犯罪者同盟とは無関係だ」とその関連をさかんに否認していたものだが、冒頭で触れたように「赤い風船あるいは牝狼の夜」掲載から事件に発展していった経緯は決して無関係とは見えないのである。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、赤瀬川原平です。
赤瀬川原平「ねじ式」
1969年
シルクスクリーン
51.7x75.5cm
Ed.100
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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