私の人形制作第75回 井桁裕子

展覧会開催中です

15日から「片脚で立つ森田かずよの肖像」展示が始まっています。
作品は時折、私の浅い思考や狭い視野を越えて、ずっと深い思いを持つ人からの共感を頂く事があります。
限られた展示期間に、そのような出会いを得ること一つひとつが作品と私にとって得難い幸運です。
いつも思う事ですが、作られたものは観た人の中でいろいろな形で完成するのだと思います。

前回の個展「加速する私たち」の開催は2012年12月でした。
制作は2011年の5月頃からで、震災・原発事故が濃く影を落とす作品となりました。
「鉄のゲージツ家・クマさん」こと篠原勝之さんが前回に引き続きご来場いただき、「ものすごい眼に見えない爆風の彫刻に続いて、今回も近未来的彫刻に度肝を抜かれた。」とTwitterで書いてくださいました。
こうして前作とのつながりで作品を観てもらえるのは嬉しいことです。
作品は時が過ぎれば制作時の動機から離れ、その時々の見え方で解釈されるものだと思うので、あの作品もただ高橋理通子さんの肖像というだけで良かったのですが、やはりそれだけには収まらないものとなっていきました。
「爆風」というのは、私がそこまではっきりと言葉にする勇気のなかった部分であって、経済原理ばかりが至上のルールとされる競争社会の中で、弱く美しい豊かなものたちが犠牲になっていくことの、その極限状況としての核の爆風、それを感じてためらいなく言葉にしてもらえたことが嬉しいです。
過去を置き去りにして走らされる、破滅へと加速して行く、そういう中でどのように理性を保ち未来を信じていくのか。
2012年の段階では、そういう「問い」を作ったその後に何を作れば答えになるのか私には判りませんでした。

blog75(1《加速する私たち》部分/写真:齊藤哲也


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森田かずよさんの特別な身体の、ごく個人的で難解な謎解きが次の制作となりました。
はからずもそれは、問いに対する答えとなる巡り合わせだったと、出会いから3年の時を経て私は思いました。
今、嵐のような時代の変わり目にこの作品が展示されている事も、何か意味のあることかもしれません。
しかし、そういったことも私が今ここで思う限りの事でしかないとも思います。
作品は時を越えてより良い未来に置かれるものと信じたいし、また観る人と響き合ってその意味を深めていってほしいと心から願っています。

このような儲けにならない作品の展覧会を開催してくださる「ときの忘れもの」綿貫ご夫妻に深く感謝しております。
展示は27日まで開催中です。また、26日はトークショー終了後の18時以降も、森田さんもご一緒にギャラリーにいます。
お時間がありましたら、どうぞ作品に会いにいらしてください。

blog75(4《片脚で立つ森田かずよの肖像》/写真:齊藤哲也


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(いげたひろこ)

*画廊亭主敬白
今日、親父誕生日だったんだ。知らんかった。
(関根 光才さんのfacebookより)
画廊には連日、井桁さんのファンが押し寄せています。ブログのアクセスも多いのですが、昨日は今年で一番のアクセス数でした。
アクセス解析でどの記事が読まれているかがわかるのですが、昨日のアクセス急騰は、実は「関根光才」さんのおかげでした。
冒頭に記した<今日、親父誕生日だったんだ。知らんかった。>を読んだ人たちがこぞって<関根伸夫73歳「日本美術オーラル・ヒストリー」>にアクセスしたらしい。
ブログの記事をシェアしてくれた関根光才さんは「もの派」のリーダー関根伸夫先生のご子息です。
今春久しぶりに関根先生と会食したとき、「キミたち、セキネコウサイって知ってる? 今じゃ俺より有名なんだ」とほんとうに嬉しそうに語ってくれたのがほほえましかった。
トンビが鷹を産んだというと、天才関根に失礼になりますがそのくらい才能豊かな若者です。60年代にまったく新しい地平を美術に築いたセキネが、21世紀の映像にまったく新しい世界を切り開きつつある天才を産んだといっていいでしょう。
光才さんのホームページ」でその片鱗(ショートフィルム)がご覧になれます。
因みに光才さんのコメントを読んだ人たちの反応が面白い。「え!」と皆さん絶句、親の七光りどころじゃあなく、そのうち息子の七光りを関根先生が浴びることになるかも。
ここで読者の皆さんにお詫びせねばなりません。亭主は関根先生の誕生日を9月19日とすっかり思い込んでいたのですが、オーラル・ヒストリーの記述によれば1942年9月12日生まれです。
お詫びして訂正します。