石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第19回

封印された星 1999年6月22日 パリ

manray19-1平木収氏 at 川崎市民ミュージム


manray19-2筆者 同上(撮影:平木収氏)



19-1 パリ6区モンパルナス大通り159番地

川崎市民ミュージアムへ学芸員(当時)の平木収さんを訪ねたのは、『写真家・濱谷浩』展が終わっていたから、1989年6月だったと記憶する。アッジェやマン・レイの話を学芸員室でしていると、フォトグラムの世界的研究者フローリス・ノイスス氏の仕事まで教えて頂く事になり、資料収集については連絡をとったら良いのではとの助言をもらった。さっそくカッセルにお住まいのフローリスへ、わたしが所蔵する『エレクトリシテ』の資料と古書店の住所を尋ねる手紙を送ったところ、氏からは瑛九についての問い合わせと共に、追記としてアメリカとフランスの古書店情報が送られて来た。
 その一つであるクロード・オッテルロー氏の書店については、パリの古書店が集まるカルチェラタンから離れた場所としか知らなかったので、モンパルナス大通りの159番地と分かって、直ぐに在庫品を問い合わせた。「書籍、写真、版画の他に、カタログ、ポスター、案内状と云った個展関連の品物を特に希望する」としたところ、氏から7点の回答があったので、1948年にコプリー画廊で開かれた個展カタログ『告示なしにあり続けるために』を注文した。最初に手紙を書いてから、受け取るまでに2か月を必要とする、ゆったりした時代だった。
 こうしてマン・レイ関連の入荷があると知らせてくれるようになったオッテルロー氏は、ダダ・シュルレアリスムのエキスパートで、エフェメラ類に市場価格を付した業績が評価されると、パリの関係者は言っている。── 価格が付かなければ、市場に現れないわけで、収集家としては、諸刃の剣。氏はドルオーでのオークション・カタログも定期的に手配して下さるようになって、毎回、楽しみに到着を待った。マルセル・デュシャンを中心とした1999年6月22日の売り立てにはマン・レイも76点出品され、電卓片手にどれだけ興奮したか。── メモによると1FFが19.56円、落札予想価格は低く抑えられているようだけど、手許資金と相談しつつ(自分にするのだから心許ない)、というか、図版で紹介されているロットは僅かで、説明文から想像しての検討になるのは、現地でオークションに参加できない者にはいたしかたない事だった。多くのロットに旧蔵ジュリエットとあるし、1912年の水彩裸婦など欲しい物ばかりだったが、展覧会のポスターでサイン入りと云うのが、ドルオー初参戦の身には妥当だと思え、予想価格の倍以上の指し値で臨む事にして、オッテルロー氏にFAXを入れた。

manray19-3ドルオー オークション・カタログ


---

 ロット番号226: マン・レイ 展覧会ポスター、ギャラリー『封印された星』、1956年。サイズ55×36cm, 額入り。有名な自画像をクラフト紙に印刷。表面に鉛筆サイン。

 説明文にあるギャラリー『封印された星』は、第二次世界大戦が終わってパリに戻ったアンドレ・ブルトンが関わった画廊で、中断を挟みながら1952年から56年までの間に、エルンスト、マン・レイ、ラムの他に、ブルトンのプロモートによって、シモン・アンタイ、トワイヤン、スワンベリ、モリニエなどの若い作家の展覧会も多数開いている。実は、ドルオーでオークションが開かれた前の年に、『マン・レイ 非・抽象』と黄色い紙に刷られた案内状を入手していたので、「室内の毛皮漁師」「シャッターの王子」「不動の遊戯者」と様々に友人マン・レイを讃えるブルトンの詩を読みながら、出品リストのタイトルから、展示構成を想像していた訳である。──詳細はいずれ報告するつもりであるが、狭い会場だったと聞く。

manray19-4『マン・レイ 非・抽象』展案内状


---


 オッテルロー氏の店とドルオーでの下見会を経て、オークションは火曜日午後2時開始。現物を確認しないままの不在入札は不安とはいえ、ポスターへの期待がたかまって、落札の結果を待った。

 さて、勝者となって指定された銀行へ送金したのは良いのだが、発送手配に関する見積もりがいつまで経っても送られてこない。催促のFAXをしても返事はなく、パリがバカンスのシーズンに入ってしまうと困ると思っていたら、数日して夜中の3時頃(時差があるから)に電話が鳴った。寝ぼけて受話器を取るとオッテルロー氏で、ポスターをどうするかの確認だった。一般的にオークションの開催者は落札品の発送代行をやらないので、不在入札の場合は業者を探さなくてはならない。これを、氏に上手く伝えられたかと、受話器を置いてから不安になった(ドルオーの初心者は、なにも知らなくていけません)。

---


manray19-5遠藤ビル
ON GALLERY(2F) ギャルリー・メゾン・ド・ヨウコ(3F)などが入居。



19-2 大阪市北区西天満4-5-8

大阪西天満の老松町には画廊や骨董店が多数並んでいる。その一つで西洋アンティークを扱うギャルリー・メゾン・ド・ヨウコを知ったのは雑誌『版画芸術』の広告欄にマン・レイが紹介されていた為だった。訪ねてみると美人姉妹が経営される店で、アール・デコやアール・ヌーボーのガラス製品を中心に扱っておられた。妹のYさんは、直接パリで買い付けをされる関係からか、画廊やオークションの情報に詳しく、マン・レイの市場動向についても有意義な話しを沢山聞く事ができた。「エフェメラが好きなんです」と伝えたところ、『マン・レイと女性達』をテーマとした展覧会の案内状(1993年)や、サザビーズの『マン・レイ』オークションの案内状(1995年)などを、「パリ土産です。」と下さったりした。いつも世間話をしながら珈琲を頂くばかりで、買う事のない「困った客」と迷惑がられていたと思う。

manray19-6ギャルリー・メゾン・ド・ヨウコ マン・レイの『釣人の偶像』も置かれている。


 1999年6月末も、たまたま顔を出して世間話をしていたところ、丁度、Yさんがパリに出掛ける予定と聞いたので、前述のオッテルロー氏の件を打ち明けてしまった。彼女は心優しくわたしの要望を聞いてくれた。そして、7月15日付けでパリから届いたFAXには、ポスターはそのままオークショナーの所にあり、日本へ郵送する準備はされていないと説明されていて、「行って良かったです。あのままではMan Rayのポスターはいつまで待っても石原さんのもとへは辿り着きませんでした。」「早速、オークショナーの所へ行き引き取ってきました。7月25日、日本着で、私が持って帰りますので、どうぞ、御安心下さいませ。」── 深夜に、FAXを受信してどれほど嬉しかったか。Yさん有難う、恋人の帰国を待ち焦がれる気分です。

---

manray19-7『マン・レイ展』ボスター at 封印された星


 7月31日(土)、対面したポスターに見入ると、前日内覧会を1956年4月24日(火)21時から始めると印刷した横に、手書きで会期を「5月16日迄」と補足し、マン・レイのサインが書き込まれている。「台紙に貼られた状態だったので、スーツケースに入れて。丁度、入る大きさでした。」とYさん。チープでありながら、茶色のクラフト紙には光沢があって、お洒落な仕上がりになっている、前日内覧会を告知するポスターに会期を補足するのは、掲示された上からだったのか、あるいは、確定が遅かったので、後に追記して掲示したのか、そんな経緯が妙に気に掛かる。これは、その場所にわたし自身も居たかった気持ちの現れだと思う。そして、Yさんはパリで見付けましたと、フランシス・トリニエ画廊(1972年)とアメリカン・センター(1977年)での『マン・レイ展』ポスターを見せてくれた。もちろん、有り難く購入させていただいた。幸せは続きます。

manray19-8『マン・レイ展』ボスター at フランシス・トリニエ画廊


manray19-9Yさん


---


19-3 京都市伏見区納所北城堀49

このように、多くの人たちに助けられながら、わたしは収集を続けている。改めて冒頭に掲げた平木さんの写真を見ながら、彼は誰と話をしていたのだろうかと想像した。写真の実作者として始めた独自の視点で論じられた評論や研究。美術館を辞した後の、若い人々への真摯な指導。国内のみならず世界中を軽快に移動された写真への関心は、人間へのそれと同じだったと思う。20年の後に京都写真クラブ(代表、森岡誠)の酒席で、アルル写真フェスティバルやマン・レイが滞在したイストリアル・ホテルの話題などを聞かせてもらいながら、出会いの不思議に感謝した。すでに、平木さんの体調はすぐれない様子だったが、ワインがお好きなのは変わらず、呑み始めると止まる事なく、いつまでもお話を聞かせていただけるものと安心していたところ、2009年2月、還らぬ人となってしまった。食道癌だったと云う。享年59。

manray19-10五條楽園歌舞錬場
「THE PHOTO ENKAI」舞台からパチリ
2005.12.25


manray19-11同上
中央に平木さん


---

 友人の写真家、金井杜道氏の呼びかけで、翌春から毎年、平木さんを偲び、伏見の古刹を訪ねるようになった。ある年などは桜吹雪が舞って、美しい事このうえない風情。線香の煙に包まれ、冷酒で語り合う「封印されない写真」の立ち位置。平木さんの笑顔が懐かしい。

manray19-12平木収さんを偲ぶ会
2015.3.29


続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
------------------------------------------

●今日のお勧め作品は、ジェリー・N・ユルズマンです。
20151005_uelsmann_02_Untitledジェリー・N・ユルズマン
「Untitled」
1982年(Printed later」
ゼラチンシルバープリント
34.5x26.7cm
裏面にサインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものは2015年10月1日[木]―10月10日[土]の短い会期ですが「秋のコレクション展~詠み人知らず」を開催しています(日曜、月曜は休廊です)。
20151001_5

普段ご紹介する機会の少ないちょっと渋めのコレクションを選びました。どうぞお出かけください。