石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第20回
パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ
20-1 アトリエ・チサト
21世紀に入ると海外への書籍注文は、国際電話でのFAXからインターネットのメールに移った。ダイヤルアップ接続の為、料金を気にしながら利用していたのが、定額のブロードバンド接続に変わり、検索サイトも次第に充実していった。「Man Ray」と打ち込めば、たちどころに在庫品と価格が表示されるのだから面白く、円高の恩恵にあずかりながら熱心にパソコンに向かった。
通信の発達によって世の中は狭くなり、構造も変化したと思う。2001年9月にアメリカで同時多発テロ発生、日本では底の見えないデフレ不況の坂道。わたしの周りでは取引先の流通大手マイカル、続いて九州を地場とする寿屋の倒産といった激震。経済生活の面では最悪の環境となっていた。そうした中でも、収集にブレーキを掛けられないのだから、「マン・レイ狂い」とは、困った不誠実な人間なのだと、あらためて反省する。──家族の支えがあってこその人生です。
その頃、ツァイト・フォト・サロンのホームページにリンクが張られていた。「マン・レイ資料」として、わたしが紹介された他に、「シュールレアリズムについての資料: アトリエ・チサト(Paris)」とあるのに気付いて、「マン・レイの展覧会資料、パリの街にありませんか?」とすぐにメールで問い合わせた。チサトさんはわたしの事を知っていた様子で、アンドレ・ブルトンの初版本も扱ったと云う折り返しのメールには「お店は構えていないのですが1990年から独立して日本向けに主にフランスの版画、イラストブック、専門はシュルレアリスム」とあり、「欧米向けには日本のモダンフォトから70年代の写真集を扱っています。これから日本の写真もやってみようと奮闘しているところです。」と続けて、石原悦郎さんとはパリで時々お会いする間柄との事だった。
さっそく探求資料のリストを送ったところ、パリの国立図書館で1962年に開催された『マン・レイ写真展』のカタログをお持ちで、お願いすると廉価で提供してくださった。彼女とは不思議な赤い糸で繋がっているように思う。関心領域がお互い重なった関係からかスムーズに付き合いが始まったのは云うまでもないが、すでに拙著『封印された指先』(銀紙書房、1993年刊、限定20部)を求めておられたようで、この本で紹介した未収カタログのひとつが、今回、提供してもらうものだった。
20-2 赤いカタログ
リュシアン・トレイヤール氏のコレクションから文献資料が招来され、横浜美術館で展示された時(1991年4月)、赤い表紙にオリジナル写真が貼り付けられたカタログが、ひときわ目に付いた。写真は1926年とサインの入った「ウッドマン氏」の印画を複写したようで(右下にサインと年記)、球と円錐の間で倦怠感がただよっている。複写原版からとはいえ印画紙の光沢具合からオリジナル写真と言ってよく、モデル人形がベットサイドに居るようにも思えてエロテック。ここに自作絵画の写真に対する身に覚えのない劣等感、マン・レイの屈折した距離感を読み取ったのはわたしだけではないだろう。美術館の展示ケース越しに想像だけが膨らんで困ったのを覚えている。
カタログ
それから凡そ10年、拙宅のコレクションにこのカタログが加わる事になった。チサトさんからの書留便を開き、手に取ると表紙の赤い水彩紙に白インクで「国立図書館/マン・レイ/写真作品/パリ/1962」と刷られ、写真が糊付けされている。実測してみると7.4×9.4cmで微妙に曲がっている。鋏で切ったのだろうか? 糊の具合も気楽な案配で、フランス人の不器用さの証明のようになっている(失礼)。本紙に図版はなく、ロネオタイプ(輪転式謄写印刷機)による片面刷りテキスト18枚(36頁)。判型は26.2×20.9cm。序文をジュリアン・カーン、解説をジャン・アデマール、リスト補足には、エヴァン・パスケも加わって執筆。展示は76点で、I.前写真(クリシュベール、アエログラフ、レイヨグラフ)、II.写真、III.ドキメントの3章から成り、ファッション写真が含まれていない事などから、マン・レイが知ってもらいたい写真家としての自身の像がおおよそ理解できる。リストを確認するとアンドレ・ブルトンやトリスタン・ツァラから借りた写真も多い。展覧会は前年に開かれたヴェネチア・ビエンナーレでの金獅子賞受賞(写真部門)の流れから、パリへの凱旋展とする思惑があったのかもしれない。
図書館司書による手作り感あふれるカタログを書棚に収め、ニコニコしながら2002年を終えた。チサトさんとはメールを使って、情報のやりとりを行うようになり、パリの古書業界やオークションについて様々なご教示をいただいた。
20-3 京都の夜
わたしが出会い、長くお付き合いする事になる人には、シュルレアリスムや写真と云った共通する関心領域の他に、「お酒好き」と云う条件が加味される。翌年の8月、チサトさんが帰国された折、京都まで足をのばされたのでお会いした。指定された場所が二条通東洞院東入ルの日本酒バーだったので、「お仲間」だと予感。台風が近づいていた夜で、わたしは下駄履き、濡れる足と酒の酔いが気持ちよく、共通の話題で盛り上がった。チサトさんも「お酒好き」だが、同行のパートナー、古書店主のオザンヌさんも同じで、特に日本酒に関心があるようだった。翌日、拙宅にお招きしてささやかなコレクションを披露。マン・レイ資料の他に古書業界の事情なども直接お聞きした。
烏丸二条通東入ル
オザンヌ
---
木屋町・八文字屋
木屋町・たこ入道
お二人は、その後も何度か京都に来られ、木屋町や祇園などで歓談。── ある夏の夜、ほろ酔い気分で石塀小路から高台寺へ歩きながら、『マン・レイ写真集 1920─1934 巴里』の話になったところ、一番珍しいのは「初版で帯付き」と教えていただいた。わたしが架蔵しているのは第二版だが、同書は低調な売れ行きを隠すため、意図的に「第二版」として販売され(リング綴じなので差し替え)、オザンヌが扱った初版のタイトル頁は「PHOTOGRAPHS / BY MAN RAY 1920 PARIS 1933」だったと指摘された。年記のズレから出版事情を明かす貴重な資料を、彼はどんな売価にしたのだろうかと、売れてしまった品物の行き先を思った。闇に包まれた霊山観音では三人の他に人影はなく、わたしは夜空を見上げ「帯」の意匠を想像した。でも、ここは京都、パリは遠い。
祇園甲部・花見小路通
八坂・旧竹内栖鳳邸
20-4 珍品ポスター
インターネットの検索サイトも、古書だけでなくオークションにも拡大されるようになって、2007年10月5日、ドルオーでのポスターセールに、前述の国立図書館で開催された『マン・レイ写真展』のものが出品されるのを知った。ムルロー工房の刷りでサイズは55.5×45cm。落札予想価格の表示は高いけれど、是が非でも入手したいと思案。前回(連載第19回)報告したように、ドルオーのオークションに参戦すると、ピックアップに苦労すると予測されたので、チサトさんに相談。彼女は快く状態の確認とビットの代行を引き受けてくれた。それから「いくらまで入れましょう」と、なんどか作戦メールのやり取り……
---
さて、「入手した。」と連絡を受けた時ほどの喜びは他にありません。メールだと時差に悩まされないから大助かり。会場では電話入札のアメリカ人と、競り合った関係で、落札価格が跳ね上がったとの事。でも、資金の目処がつけば、価格は関係ない。
さっそく、チサトさんに「お早うございます。いや、そちらでは、お休みなさいですね。今日は有難うございました。わたしのように、このポスターに気付いた人物がいたのですね。世界でマン・レイ・コレクターは10人程度と思っていますが、紙モノまで視野に入れた本当のクレイジーは、わたしだけだと油断してはいけなかったですね(笑)。いつか、電話でビットしていたアメリカ人と出会うことがあるでしょう、世の中は狭いですからね。」とメールを送った。現物は10月6日パリ発で11日京都着、完璧な梱包で安堵した。
展覧会ポスター
取り出すと、ポスターもカタログと同じように手作り感あふれる仕上がりで、マン・レイの白ヌキ文字を入れたシルエットが、パトローネのようにも、暗箱カメラの蛇腹のようにも見える。だれがデザインしたのだろうかと、ほのぼのとした気持ちになり、部屋に飾って終日眺めて過ごした。
20-5 2名様まで
ポスターを入手した頃には、拙宅のパソコンもiMACに移行しており、回線スピードも高速になっていた。ホームページでのブログ書き込みも、SNSが主流となってミクシー、さらに2007年からはヤフーの「はてなブログ」を利用するスタイルに変へた。ブログ「マン・レイと余白で」を訪問してくれた方が、新しい資料を提供してくれる事もあって、楽しい毎日をおくっている。最近ではFBにも参加しているが、スマートフォンを持っていないのでLINEまでには手を拡げていない。振り返って思うのだが、情報収集のやり方を変えていかないと、マン・レイ資料の鉱脈は途絶する。一つのアプローチではおおむね5年かと経験的に思う。世界的な古書サイトであるAbeBooksも、アマゾンに回収され、ネットオークションへの出品も平凡なモノばかりとなった。新しい鉱脈を探しているけれど、これは難しい。
---
エマニュエル・ユタン書店(グーグル・ストリートビュー)
開会式招待状
3年程戻るが、AbeBooksにまだ魅力があった2012年2月、エマニュエル・ユタン書店の出品に開会式の招待状が現れた。オークションとは異なるので直ちにクリック。ストリートビューを覗きながらパリ8区のアルジャンソン通りの赤く塗られた書店に思いをはせた。数日して京都にやってきた現物は10.5×13.5cm。筆記体で示された「マン・レイ」の文字は緑色で、開会式は5月22日(火)15時「2名様まで」とある。可愛くてお洒落。こんな招待状を受け取るコレクターとしてパリに住んでいたら素敵だろうな、でも1962年だから、わたしは10歳か(笑)。
こうして、過ぎ去った展覧会を現代に蘇らせる三種の神器(カタログ、ポスター、カード)が揃った。チサトさんとオザンヌとの出会いがなかったら招待状までには至らなかったと思う。有難う。パリの街でもお話したいですね。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
------------------------------------------
●今日のお勧め作品は、マン・レイです。
マン・レイ
「ニューヨークのマルセル・デュシャン」
1921年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 28.0x21.0cm
裏面にスタンプあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ
20-1 アトリエ・チサト
21世紀に入ると海外への書籍注文は、国際電話でのFAXからインターネットのメールに移った。ダイヤルアップ接続の為、料金を気にしながら利用していたのが、定額のブロードバンド接続に変わり、検索サイトも次第に充実していった。「Man Ray」と打ち込めば、たちどころに在庫品と価格が表示されるのだから面白く、円高の恩恵にあずかりながら熱心にパソコンに向かった。
通信の発達によって世の中は狭くなり、構造も変化したと思う。2001年9月にアメリカで同時多発テロ発生、日本では底の見えないデフレ不況の坂道。わたしの周りでは取引先の流通大手マイカル、続いて九州を地場とする寿屋の倒産といった激震。経済生活の面では最悪の環境となっていた。そうした中でも、収集にブレーキを掛けられないのだから、「マン・レイ狂い」とは、困った不誠実な人間なのだと、あらためて反省する。──家族の支えがあってこその人生です。
その頃、ツァイト・フォト・サロンのホームページにリンクが張られていた。「マン・レイ資料」として、わたしが紹介された他に、「シュールレアリズムについての資料: アトリエ・チサト(Paris)」とあるのに気付いて、「マン・レイの展覧会資料、パリの街にありませんか?」とすぐにメールで問い合わせた。チサトさんはわたしの事を知っていた様子で、アンドレ・ブルトンの初版本も扱ったと云う折り返しのメールには「お店は構えていないのですが1990年から独立して日本向けに主にフランスの版画、イラストブック、専門はシュルレアリスム」とあり、「欧米向けには日本のモダンフォトから70年代の写真集を扱っています。これから日本の写真もやってみようと奮闘しているところです。」と続けて、石原悦郎さんとはパリで時々お会いする間柄との事だった。
さっそく探求資料のリストを送ったところ、パリの国立図書館で1962年に開催された『マン・レイ写真展』のカタログをお持ちで、お願いすると廉価で提供してくださった。彼女とは不思議な赤い糸で繋がっているように思う。関心領域がお互い重なった関係からかスムーズに付き合いが始まったのは云うまでもないが、すでに拙著『封印された指先』(銀紙書房、1993年刊、限定20部)を求めておられたようで、この本で紹介した未収カタログのひとつが、今回、提供してもらうものだった。
20-2 赤いカタログ
リュシアン・トレイヤール氏のコレクションから文献資料が招来され、横浜美術館で展示された時(1991年4月)、赤い表紙にオリジナル写真が貼り付けられたカタログが、ひときわ目に付いた。写真は1926年とサインの入った「ウッドマン氏」の印画を複写したようで(右下にサインと年記)、球と円錐の間で倦怠感がただよっている。複写原版からとはいえ印画紙の光沢具合からオリジナル写真と言ってよく、モデル人形がベットサイドに居るようにも思えてエロテック。ここに自作絵画の写真に対する身に覚えのない劣等感、マン・レイの屈折した距離感を読み取ったのはわたしだけではないだろう。美術館の展示ケース越しに想像だけが膨らんで困ったのを覚えている。
カタログそれから凡そ10年、拙宅のコレクションにこのカタログが加わる事になった。チサトさんからの書留便を開き、手に取ると表紙の赤い水彩紙に白インクで「国立図書館/マン・レイ/写真作品/パリ/1962」と刷られ、写真が糊付けされている。実測してみると7.4×9.4cmで微妙に曲がっている。鋏で切ったのだろうか? 糊の具合も気楽な案配で、フランス人の不器用さの証明のようになっている(失礼)。本紙に図版はなく、ロネオタイプ(輪転式謄写印刷機)による片面刷りテキスト18枚(36頁)。判型は26.2×20.9cm。序文をジュリアン・カーン、解説をジャン・アデマール、リスト補足には、エヴァン・パスケも加わって執筆。展示は76点で、I.前写真(クリシュベール、アエログラフ、レイヨグラフ)、II.写真、III.ドキメントの3章から成り、ファッション写真が含まれていない事などから、マン・レイが知ってもらいたい写真家としての自身の像がおおよそ理解できる。リストを確認するとアンドレ・ブルトンやトリスタン・ツァラから借りた写真も多い。展覧会は前年に開かれたヴェネチア・ビエンナーレでの金獅子賞受賞(写真部門)の流れから、パリへの凱旋展とする思惑があったのかもしれない。
図書館司書による手作り感あふれるカタログを書棚に収め、ニコニコしながら2002年を終えた。チサトさんとはメールを使って、情報のやりとりを行うようになり、パリの古書業界やオークションについて様々なご教示をいただいた。
20-3 京都の夜
わたしが出会い、長くお付き合いする事になる人には、シュルレアリスムや写真と云った共通する関心領域の他に、「お酒好き」と云う条件が加味される。翌年の8月、チサトさんが帰国された折、京都まで足をのばされたのでお会いした。指定された場所が二条通東洞院東入ルの日本酒バーだったので、「お仲間」だと予感。台風が近づいていた夜で、わたしは下駄履き、濡れる足と酒の酔いが気持ちよく、共通の話題で盛り上がった。チサトさんも「お酒好き」だが、同行のパートナー、古書店主のオザンヌさんも同じで、特に日本酒に関心があるようだった。翌日、拙宅にお招きしてささやかなコレクションを披露。マン・レイ資料の他に古書業界の事情なども直接お聞きした。
烏丸二条通東入ル
オザンヌ---
木屋町・八文字屋
木屋町・たこ入道お二人は、その後も何度か京都に来られ、木屋町や祇園などで歓談。── ある夏の夜、ほろ酔い気分で石塀小路から高台寺へ歩きながら、『マン・レイ写真集 1920─1934 巴里』の話になったところ、一番珍しいのは「初版で帯付き」と教えていただいた。わたしが架蔵しているのは第二版だが、同書は低調な売れ行きを隠すため、意図的に「第二版」として販売され(リング綴じなので差し替え)、オザンヌが扱った初版のタイトル頁は「PHOTOGRAPHS / BY MAN RAY 1920 PARIS 1933」だったと指摘された。年記のズレから出版事情を明かす貴重な資料を、彼はどんな売価にしたのだろうかと、売れてしまった品物の行き先を思った。闇に包まれた霊山観音では三人の他に人影はなく、わたしは夜空を見上げ「帯」の意匠を想像した。でも、ここは京都、パリは遠い。
祇園甲部・花見小路通
八坂・旧竹内栖鳳邸20-4 珍品ポスター
インターネットの検索サイトも、古書だけでなくオークションにも拡大されるようになって、2007年10月5日、ドルオーでのポスターセールに、前述の国立図書館で開催された『マン・レイ写真展』のものが出品されるのを知った。ムルロー工房の刷りでサイズは55.5×45cm。落札予想価格の表示は高いけれど、是が非でも入手したいと思案。前回(連載第19回)報告したように、ドルオーのオークションに参戦すると、ピックアップに苦労すると予測されたので、チサトさんに相談。彼女は快く状態の確認とビットの代行を引き受けてくれた。それから「いくらまで入れましょう」と、なんどか作戦メールのやり取り……
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さて、「入手した。」と連絡を受けた時ほどの喜びは他にありません。メールだと時差に悩まされないから大助かり。会場では電話入札のアメリカ人と、競り合った関係で、落札価格が跳ね上がったとの事。でも、資金の目処がつけば、価格は関係ない。
さっそく、チサトさんに「お早うございます。いや、そちらでは、お休みなさいですね。今日は有難うございました。わたしのように、このポスターに気付いた人物がいたのですね。世界でマン・レイ・コレクターは10人程度と思っていますが、紙モノまで視野に入れた本当のクレイジーは、わたしだけだと油断してはいけなかったですね(笑)。いつか、電話でビットしていたアメリカ人と出会うことがあるでしょう、世の中は狭いですからね。」とメールを送った。現物は10月6日パリ発で11日京都着、完璧な梱包で安堵した。
展覧会ポスター取り出すと、ポスターもカタログと同じように手作り感あふれる仕上がりで、マン・レイの白ヌキ文字を入れたシルエットが、パトローネのようにも、暗箱カメラの蛇腹のようにも見える。だれがデザインしたのだろうかと、ほのぼのとした気持ちになり、部屋に飾って終日眺めて過ごした。
20-5 2名様まで
ポスターを入手した頃には、拙宅のパソコンもiMACに移行しており、回線スピードも高速になっていた。ホームページでのブログ書き込みも、SNSが主流となってミクシー、さらに2007年からはヤフーの「はてなブログ」を利用するスタイルに変へた。ブログ「マン・レイと余白で」を訪問してくれた方が、新しい資料を提供してくれる事もあって、楽しい毎日をおくっている。最近ではFBにも参加しているが、スマートフォンを持っていないのでLINEまでには手を拡げていない。振り返って思うのだが、情報収集のやり方を変えていかないと、マン・レイ資料の鉱脈は途絶する。一つのアプローチではおおむね5年かと経験的に思う。世界的な古書サイトであるAbeBooksも、アマゾンに回収され、ネットオークションへの出品も平凡なモノばかりとなった。新しい鉱脈を探しているけれど、これは難しい。
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エマニュエル・ユタン書店(グーグル・ストリートビュー)
開会式招待状3年程戻るが、AbeBooksにまだ魅力があった2012年2月、エマニュエル・ユタン書店の出品に開会式の招待状が現れた。オークションとは異なるので直ちにクリック。ストリートビューを覗きながらパリ8区のアルジャンソン通りの赤く塗られた書店に思いをはせた。数日して京都にやってきた現物は10.5×13.5cm。筆記体で示された「マン・レイ」の文字は緑色で、開会式は5月22日(火)15時「2名様まで」とある。可愛くてお洒落。こんな招待状を受け取るコレクターとしてパリに住んでいたら素敵だろうな、でも1962年だから、わたしは10歳か(笑)。
こうして、過ぎ去った展覧会を現代に蘇らせる三種の神器(カタログ、ポスター、カード)が揃った。チサトさんとオザンヌとの出会いがなかったら招待状までには至らなかったと思う。有難う。パリの街でもお話したいですね。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、マン・レイです。
マン・レイ「ニューヨークのマルセル・デュシャン」
1921年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 28.0x21.0cm
裏面にスタンプあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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