森本悟郎のエッセイ その後・第22回
赤瀬川原平(1930~2012)とライカ同盟(2) 名古屋上陸
C・スクエア開設1周年となる第10回企画は「秋山祐徳太子展[ブリキ男爵の園遊]」(1995年10月16日~11月11日)で、会期中の10月20日(土)に「戦後前衛美術の軌跡」と題して、秋山さんと赤瀬川さんの対談を開いた。
対談前の昼食時だったか、「いまライカ同盟というのをやっていてねえ……」と話題を振ってきたのは赤瀬川さんである。年初に名古屋市美術館で開催された「赤瀬川原平の冒険─脳内リゾート開発大作戦」展でライカ同盟の活動に興味を持ち、前年に出た赤瀬川さんの『ライカ同盟』(講談社)も読んでいたので、「オッ、来たな!」とぼくは内心昂奮を覚えた。赤瀬川さんと秋山さんの話しぶりから、どうやら展覧会を開きたい、そのために三人一緒に写真を撮りたいという思いが伝わってくる。C・スクエアでは5月に植田正治展を開催しており、次の写真展をどうするかと考えていた矢先のことであり、年末の次年度予算申請を前に、そろそろ展覧会ラインナップを決めなければならない時期でもあった。即座に「やりましょう」と答えたが、具体的な内容は高梨さんとも相談して、となった。
家元の提案は「名古屋で発表するなら名古屋を撮ろうよ」だった。そこでまずは実地検分をと、多忙なお三方のスケジュールを調整し、暮れの2日間、名古屋市内ロケハンを敢行した。秋山さんはライカM2、高梨さんはR型ライカ、意外なことに赤瀬川さんは試し撮りとのことでフジの中判カメラ持参だった。同盟員の感触はよかったようで、本番撮影への期待が膨らんだ。
ライカ同盟の名古屋撮影は翌96年3月上旬。天候にも恵まれた。撮影のスタートにはちょっと仕掛を施した。名古屋港から屋形船に乗り、名古屋城築城時に掘鑿されたという運河の堀川を遡上して市内中心部まで行き、再び名古屋港に戻るというもの。まずは水際から、街の裏側を見てもらおうという趣向だった。これは三人に絶賛され、家元からは「名古屋は最初の入りかたがよかった」と今も言われている。
この撮影では、はじめは3人行動を共にし、後半はそれぞれ分かれて動くことにした。自分好みの場所に行けること、撮影のエリアが広がることを期待してのことである。各同盟員には、後に「従軍カメラマン」と呼ばれることになるコマーシャルフォトグラファーの二塚さん、ライカ同盟の写真集を出そうという出版社の劉さん、そしてぼくの3人がサポートについた。夜はその日の戦果報告会と称する反省会。酒も話題も尽きないのが頼霞流だった。
第14回企画「ライカ同盟名古屋を撮る」展は6月15日に幕をあけた。展示は2会場に分け、第1会場には名古屋を撮った新作を、第2会場には銘々が用意した作品をならべた(赤瀬川さんは「猫」シリーズ12点、秋山さんは概ね身辺をモチーフとした写真、高梨さんは人物写真)。初日には南伸坊さんをゲストに迎え、トークイベントを開いた。南さんにとって、赤瀬川さんは美学校時代の恩師、秋山さんは高校の大先輩、高梨さんは「最もよく撮ってくれた」カメラマンである(南伸坊「ライカ同盟へ」『ライカ同盟名古屋を撮る』展パンフレット)。会場には美術家の谷川晃一さんも姿を見せ、3人を喜ばせた。
この展覧会を機に、初の写真集『ライカ同盟 NAGOYA大写撃』(風媒社)が刊行され、ライカ同盟はいよいよ活動を本格化させていくことになるのである。
展覧会パンフレット
解説・南伸坊
図版・各15(4+サムネイル11)点
赤瀬川「只今猫町通過…」緑区有松
以前、有松を歩いたことがあるのをすっかり忘れていた赤瀬川さんだが、石の招き猫を発見するにおよんで、それを撮ったことがあることを思い出す。再会を記念してパチリ。別バージョンが『奥の横道』(日本経済新聞出版社)カバー写真に。
秋山祐徳太子「グッドマンの窓」中区大須
撮影場所は秋山さんの旧友で、赤瀬川さんの高校同級生でもある元前衛美術家・岩田信市さん宅。透明のオブジェは岩田さん作「走れサラリーマン」。〈グッドマン〉は岩田さんが経営していたジャズ喫茶の店名である。
高梨豊「しゃっちょこ丸」堀川
〈しゃっちょこ〉は屋形船の屋根に乗っているシャチホコの東京訛り。高梨さんのことばは江戸好みで、たとえば〈醤油〉は〈御下地〉となる。堀川沿いの建物は路面に向けては装うが、川面の裏側はまことに素っ気ない。
ポスター、パンフレット表紙に使った作品。
『ライカ同盟 NAGOYA大写撃』(風媒社)
ライカ同盟の初写真集。ドイツ文学者の種村季弘さんと知己のある出版社社長から持ち込まれた企画。全作品がカラーにならなかったのは残念。
戦果報告会の記録は撮影時の気分がよく伝わってくる。
解説・村松友視
図版・カラー45点(展覧会出品作)、モノクロ83点
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、赤瀬川原平です。

赤瀬川原平
「ねじ式」
1969年
シルクスクリーン
51.7x75.5cm
Ed.100 signed
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赤瀬川原平(1930~2012)とライカ同盟(2) 名古屋上陸
C・スクエア開設1周年となる第10回企画は「秋山祐徳太子展[ブリキ男爵の園遊]」(1995年10月16日~11月11日)で、会期中の10月20日(土)に「戦後前衛美術の軌跡」と題して、秋山さんと赤瀬川さんの対談を開いた。
対談前の昼食時だったか、「いまライカ同盟というのをやっていてねえ……」と話題を振ってきたのは赤瀬川さんである。年初に名古屋市美術館で開催された「赤瀬川原平の冒険─脳内リゾート開発大作戦」展でライカ同盟の活動に興味を持ち、前年に出た赤瀬川さんの『ライカ同盟』(講談社)も読んでいたので、「オッ、来たな!」とぼくは内心昂奮を覚えた。赤瀬川さんと秋山さんの話しぶりから、どうやら展覧会を開きたい、そのために三人一緒に写真を撮りたいという思いが伝わってくる。C・スクエアでは5月に植田正治展を開催しており、次の写真展をどうするかと考えていた矢先のことであり、年末の次年度予算申請を前に、そろそろ展覧会ラインナップを決めなければならない時期でもあった。即座に「やりましょう」と答えたが、具体的な内容は高梨さんとも相談して、となった。
家元の提案は「名古屋で発表するなら名古屋を撮ろうよ」だった。そこでまずは実地検分をと、多忙なお三方のスケジュールを調整し、暮れの2日間、名古屋市内ロケハンを敢行した。秋山さんはライカM2、高梨さんはR型ライカ、意外なことに赤瀬川さんは試し撮りとのことでフジの中判カメラ持参だった。同盟員の感触はよかったようで、本番撮影への期待が膨らんだ。
ライカ同盟の名古屋撮影は翌96年3月上旬。天候にも恵まれた。撮影のスタートにはちょっと仕掛を施した。名古屋港から屋形船に乗り、名古屋城築城時に掘鑿されたという運河の堀川を遡上して市内中心部まで行き、再び名古屋港に戻るというもの。まずは水際から、街の裏側を見てもらおうという趣向だった。これは三人に絶賛され、家元からは「名古屋は最初の入りかたがよかった」と今も言われている。
この撮影では、はじめは3人行動を共にし、後半はそれぞれ分かれて動くことにした。自分好みの場所に行けること、撮影のエリアが広がることを期待してのことである。各同盟員には、後に「従軍カメラマン」と呼ばれることになるコマーシャルフォトグラファーの二塚さん、ライカ同盟の写真集を出そうという出版社の劉さん、そしてぼくの3人がサポートについた。夜はその日の戦果報告会と称する反省会。酒も話題も尽きないのが頼霞流だった。
第14回企画「ライカ同盟名古屋を撮る」展は6月15日に幕をあけた。展示は2会場に分け、第1会場には名古屋を撮った新作を、第2会場には銘々が用意した作品をならべた(赤瀬川さんは「猫」シリーズ12点、秋山さんは概ね身辺をモチーフとした写真、高梨さんは人物写真)。初日には南伸坊さんをゲストに迎え、トークイベントを開いた。南さんにとって、赤瀬川さんは美学校時代の恩師、秋山さんは高校の大先輩、高梨さんは「最もよく撮ってくれた」カメラマンである(南伸坊「ライカ同盟へ」『ライカ同盟名古屋を撮る』展パンフレット)。会場には美術家の谷川晃一さんも姿を見せ、3人を喜ばせた。
この展覧会を機に、初の写真集『ライカ同盟 NAGOYA大写撃』(風媒社)が刊行され、ライカ同盟はいよいよ活動を本格化させていくことになるのである。
展覧会パンフレット解説・南伸坊
図版・各15(4+サムネイル11)点
赤瀬川「只今猫町通過…」緑区有松以前、有松を歩いたことがあるのをすっかり忘れていた赤瀬川さんだが、石の招き猫を発見するにおよんで、それを撮ったことがあることを思い出す。再会を記念してパチリ。別バージョンが『奥の横道』(日本経済新聞出版社)カバー写真に。
秋山祐徳太子「グッドマンの窓」中区大須撮影場所は秋山さんの旧友で、赤瀬川さんの高校同級生でもある元前衛美術家・岩田信市さん宅。透明のオブジェは岩田さん作「走れサラリーマン」。〈グッドマン〉は岩田さんが経営していたジャズ喫茶の店名である。
高梨豊「しゃっちょこ丸」堀川〈しゃっちょこ〉は屋形船の屋根に乗っているシャチホコの東京訛り。高梨さんのことばは江戸好みで、たとえば〈醤油〉は〈御下地〉となる。堀川沿いの建物は路面に向けては装うが、川面の裏側はまことに素っ気ない。
ポスター、パンフレット表紙に使った作品。
『ライカ同盟 NAGOYA大写撃』(風媒社)ライカ同盟の初写真集。ドイツ文学者の種村季弘さんと知己のある出版社社長から持ち込まれた企画。全作品がカラーにならなかったのは残念。
戦果報告会の記録は撮影時の気分がよく伝わってくる。
解説・村松友視
図版・カラー45点(展覧会出品作)、モノクロ83点
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、赤瀬川原平です。

赤瀬川原平
「ねじ式」
1969年
シルクスクリーン
51.7x75.5cm
Ed.100 signed
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