芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」 第23回
第23話 レオン ~古代、中世、そして現代~
10/22(Mon) Leon (0km)
5月、イタリアはピンクに染まる。ジロ・デ・イタリアが行われるからである。
ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャと並び、グラン・ツールと呼ばれる世界3大自転車レースの一つであるジロ・デ・イタリアは、約一ヶ月かけて、イタリアをめぐる。最も過酷と言われるこのレースではリタイヤも続出する。人権団体が問題にしたとさえ伝えられる。
なぜ、それほどまでに過酷なのか。それは差別化のためである。ツール・ド・フランスより面白いレースにするにはどうすればいいのか。大会主催者が考えたのはコースを厳しくすること。過酷にすることであった。標高2,000mを超える山の頂上にゴールを持って行く。ドロミテ山塊のゴツゴツした山肌を選手たちは駆け上がる。
リーダージャージはピンク色に染まったマリア・ローザであり、これはガゼッタ・デッロ・スポルト(「スポーツ紙」というそのものズバリの名前)の紙面の色なのである。マリア(Maglia)とは人の名前ではなくメリヤス、ニットのことで、伸縮性の衣類の意味であり、聖母マリア(Maria)に捧げる薔薇のジャージという美しく素敵な名前ではないのである。残念ながら…。2013年にはこのジャージを世界的デザイナーのポール・スミスがデザインした。ポール・スミスをかつては自転車選手を目指したほどの自転車好きである。
今年は日本人では山本元喜選手が出場し、完走を果たした。将来、多くの日本人選手がイタリアを駆けることを一人の自転車ロードレースのファンとして願っている。
レオンはスペイン北西部、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都であり、人口約20万人の町である。その歴史は古く紀元前に遡る。ローマ帝国の第6軍団によって建設され、第7軍団(レヒオン・セプティマ・ヘミナ)が恒久的な軍事拠点としたことからその名前が付けられた。その後、西ゴート王国に属するが8世紀初頭にイスラム勢力が侵入し、大量のモサラベ(イスラム支配下のキリスト教徒)が流入した。9世紀後半にアストゥリアス王国による再植民が成功し、10世紀初頭オルドーニョ2世が首都をオビエドからレオンに移し、アストゥリアス王国はレオン王国となった。そして、レオンはイベリア半島のキリスト教勢力の都市として最重要の地となる。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の拠点の一つであり、その時代には最も多くの救護施設や宿泊施設のある町であった。最盛期には17もあったと言われる宿泊施設の中で最も有名なのが、現在、5つ星の国営ホテルのパラドールとなっているサン・マルコス修道院である。
レオン 街並み
サン・マルコス修道院は現在、国営ホテルのパラドールとなっている。その始まりは1152年、ドニャ・サンチャが巡礼のために建設した町外れの川の畔の教会と救護院である。1171年頃にはサン・マルコス(聖マルコ)の救護院として知られるようになり、1173年にサンチャゴ聖堂騎士団がここに屯所を設けて巡礼者の支援・救護活動を行うようになる。16世紀に入って改築が行われ、現在の教会堂が1541年に完成する。17、18世紀にも増改築が行われ、1869年に美術館が設置される。これが現在の考古美術館の始まりで、「サン・マルコス美術館」としてローマ時代、西ゴート時代の石碑を始めロマネスク時代の彫刻等を展示している。
パラドールとしても素晴らしく、5つ星のラグジュアリーなホテルである。しかし元は救護院であることを考えると、少しは巡礼者も泊めてくれてもよいのにと思う。とてもじゃないが宿泊費が高すぎる。スタンダードツインで一泊200ユーロというのは、一泊5ユーロが普通のアルベルゲなら40泊分、巡礼全部を賄える額である。もっともホテルとして考えれば、この歴史ある建物に2万5千円を支払うことで宿泊できると思えば決して法外な値段ではないのであろうが…。とはいえ、巡礼者には限定5人無料とか、70%offとかにしてもらいたいところである。
パラドール 外観
パラドール 回廊
パラドール 図面
レオンの現代建築についても触れておこう。
カスティーリャ・イ・レオン現代美術館(略称MUSAC)は数千枚のガラスパネルを用いることで生まれたファサードが圧倒的なインパクトを残す。カテドラルのステンドグラスの色からインスピレーションを受けたと思われるカラフルなガラスパネルを巧みに配置し、ヨーロッパの年間最優秀建築に与えられるミース賞を2007年に受賞した。中世の街並みが色濃く残るレオンの町に、フレッシュさを加え、カテドラルとともにレオンのランドマークの一つになりつつある。
カスティーリャ・イ・レオン現代美術館
外観
ガラスパネル
レオン市音楽堂は形、位置、大きさがバラバラの窓が絶妙なバランスで配置され、フロアを区切るラインと組み合わせた構成は見事である。ファサードでありながら奥があることによって視線の角度を変えることに成功している。今回は残念ながら内に入ることはできなかったが、内部空間の光の入り方にも奥行きが現れることだろう。
不規則性を水平線で統制し、一つの建築としてまとめ上げ、素晴らしいプロポーションを生み出していることから建築家の技量が現れている。
レオン市音楽堂
正面ファサード
開口部
設計はともにマドリッド建築学校を卒業し、モネオ事務所で修行を積んだルイス・M・マンシーリャとエミリオ・トゥニョンによる「マンシーリャ+トゥニョン」である。
現代のスペイン建築界を代表するデザイン・オフィスとして国際的に高い評価を受け、今後の活躍が期待されている矢先、2012年2月、ルイス・M・マンシーリャが52歳という若さで急死した。突然の出来事だった。バルセロナの天才建築家、エンリック・ミラーレスが45歳で亡くなったことを思うと才能あるものの急死には胸が痛む。
ホテルのレストランでランチをとり、のんびりとした時間を過ごす。ハガキを書き、郵便局まで散歩に出かける。ポストに投函すればいいのであろうが、なんとなく不安であり、郵便局まで足を運ぶ。おそらく届くのだろうが、ここはスペイン、ラテンの陽気な国と聞けば聞こえはいいが、結構いい加減なところがある。スペインの最高級ワインの産地であるリオハのバルでは、グラスの縁が欠け、下手をすると口の中がワインとは違う液体で真っ赤になりそうなグラスでワインをサーブ(というよりは注ぐと言った方が正しいか)していた。ワインは美味しいのだから飲めばいいのだと言った気持ちだろう。そういう経験をしていると、たとえ郵便局といえ、どうしても心からは信用できない。まあ、それなら窓口に出しても同じだと言われそうだが。
レストラン
スープ
ステーキ
夜はバルをはしごし、美味しいワインをひたすら飲み、色とりどりのタパスをつまむ。レオンの夜は更けていった。
パラドール前の十字架
佇む巡礼者
歩いた総距離1028.8km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第23回 時計
TIMEX Weekender タイメックス ウィークエンダー 8.300円
ミヒャエル・エンデは『モモ』の中で「時間とは生きるということそのものである」と表現している。時間とは何か。ここでその答えを求めるわけにはいかないが、今回の愛用品である時計とは密接に関わる。時計とは時間を刻むものだ。時間を可視化する道具が時計なのだ。
TIMEX(タイメックス)は150年以上の歴史を持ち、その生産量から全世界の3人に一人が所有するとも言われ、アメリカの歴代大統領の愛用品としても知られている。歴史は古く、創業は1854年までに遡る。1880年、世界初の安価なポケットウォッチを発表し、全米のみならず、ヨーロッパでもベストセラーになる。その後わずか1ドルのポケットウォッチ「ヤンキー」を発売し、20年間で4000万本を販売。作家のマーク・トゥエインから鉱山労働者、農夫から工員、オフィスワーカーまで、あらゆる階層の人々のポケットに納まった。
第一次世界大戦時には、軍からの要請を受け軍用腕時計を開発し、戦後、民間からも支持を集め、1920年代の大ヒット商品となった。
最初は権威の象徴として、次には高価な宝飾品として、王族や貴族のものであった時計-今もヨーロッパの機械式高級腕時計はそうしたオーラを放っているが-を、誰もが手にすることのできるものとした功績は計り知れない。しかし、日の出と共に起き日没と共に床についていた人間にまで、始業時間と終業時間を知らせ、単位時間生産量を気にさせ、戦闘開始時間を告げる機械を身に着けさせることが人間を幸せにすることであったがどうかは、エンデの「モモ」ではないが―なお考えなければならないことかも知れない。
ウィークエンダーは、タイメックスのミリタリーのテイストを残しながら、上品なケースとカラフルなナイロンストラップによってファッション性を獲得し、モダンに昇華させている。
本体とベルトは留め具ではなく、上下にベルトを通して装着することでメンテナンス性を高めている。もともと使い捨てを想定しているミリタリーウオッチとしての仕様なのだが、腕に付けたときにもヒヤッとせず、ストラップの付け替えが簡単で、気分によって様々なストラップに取り替えるという使い方も可能である。
巡礼でもナイロンストラップであれば軽く、気にならない。迷惑になるため部屋の電気をつけることのできない夜のアルベルゲでは携帯ライトが必要になる。その際にリューズを押すと文字盤全体が青く光るバックライト―かなり明るい―は懐中電灯の代わりになって便利である。
様々な機能を盛り込んだスポーツウォッチも便利だろうが、私は時間がわかれば十分である。ストップウォッチ機能などは巡礼では必要ないだろう。必要かつ十分な機能があり、シンプルなこと。私が巡礼時に時計に求めることは基本的にそれだけである。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧めは、瑛九です。
瑛九
「三人」
1950年
フォトデッサン
55.2x45.5cm
Signed
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◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」 第23回
第23話 レオン ~古代、中世、そして現代~
10/22(Mon) Leon (0km)
5月、イタリアはピンクに染まる。ジロ・デ・イタリアが行われるからである。
ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャと並び、グラン・ツールと呼ばれる世界3大自転車レースの一つであるジロ・デ・イタリアは、約一ヶ月かけて、イタリアをめぐる。最も過酷と言われるこのレースではリタイヤも続出する。人権団体が問題にしたとさえ伝えられる。
なぜ、それほどまでに過酷なのか。それは差別化のためである。ツール・ド・フランスより面白いレースにするにはどうすればいいのか。大会主催者が考えたのはコースを厳しくすること。過酷にすることであった。標高2,000mを超える山の頂上にゴールを持って行く。ドロミテ山塊のゴツゴツした山肌を選手たちは駆け上がる。
リーダージャージはピンク色に染まったマリア・ローザであり、これはガゼッタ・デッロ・スポルト(「スポーツ紙」というそのものズバリの名前)の紙面の色なのである。マリア(Maglia)とは人の名前ではなくメリヤス、ニットのことで、伸縮性の衣類の意味であり、聖母マリア(Maria)に捧げる薔薇のジャージという美しく素敵な名前ではないのである。残念ながら…。2013年にはこのジャージを世界的デザイナーのポール・スミスがデザインした。ポール・スミスをかつては自転車選手を目指したほどの自転車好きである。
今年は日本人では山本元喜選手が出場し、完走を果たした。将来、多くの日本人選手がイタリアを駆けることを一人の自転車ロードレースのファンとして願っている。
レオンはスペイン北西部、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都であり、人口約20万人の町である。その歴史は古く紀元前に遡る。ローマ帝国の第6軍団によって建設され、第7軍団(レヒオン・セプティマ・ヘミナ)が恒久的な軍事拠点としたことからその名前が付けられた。その後、西ゴート王国に属するが8世紀初頭にイスラム勢力が侵入し、大量のモサラベ(イスラム支配下のキリスト教徒)が流入した。9世紀後半にアストゥリアス王国による再植民が成功し、10世紀初頭オルドーニョ2世が首都をオビエドからレオンに移し、アストゥリアス王国はレオン王国となった。そして、レオンはイベリア半島のキリスト教勢力の都市として最重要の地となる。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の拠点の一つであり、その時代には最も多くの救護施設や宿泊施設のある町であった。最盛期には17もあったと言われる宿泊施設の中で最も有名なのが、現在、5つ星の国営ホテルのパラドールとなっているサン・マルコス修道院である。
レオン 街並みサン・マルコス修道院は現在、国営ホテルのパラドールとなっている。その始まりは1152年、ドニャ・サンチャが巡礼のために建設した町外れの川の畔の教会と救護院である。1171年頃にはサン・マルコス(聖マルコ)の救護院として知られるようになり、1173年にサンチャゴ聖堂騎士団がここに屯所を設けて巡礼者の支援・救護活動を行うようになる。16世紀に入って改築が行われ、現在の教会堂が1541年に完成する。17、18世紀にも増改築が行われ、1869年に美術館が設置される。これが現在の考古美術館の始まりで、「サン・マルコス美術館」としてローマ時代、西ゴート時代の石碑を始めロマネスク時代の彫刻等を展示している。
パラドールとしても素晴らしく、5つ星のラグジュアリーなホテルである。しかし元は救護院であることを考えると、少しは巡礼者も泊めてくれてもよいのにと思う。とてもじゃないが宿泊費が高すぎる。スタンダードツインで一泊200ユーロというのは、一泊5ユーロが普通のアルベルゲなら40泊分、巡礼全部を賄える額である。もっともホテルとして考えれば、この歴史ある建物に2万5千円を支払うことで宿泊できると思えば決して法外な値段ではないのであろうが…。とはいえ、巡礼者には限定5人無料とか、70%offとかにしてもらいたいところである。
パラドール 外観
パラドール 回廊
パラドール 図面レオンの現代建築についても触れておこう。
カスティーリャ・イ・レオン現代美術館(略称MUSAC)は数千枚のガラスパネルを用いることで生まれたファサードが圧倒的なインパクトを残す。カテドラルのステンドグラスの色からインスピレーションを受けたと思われるカラフルなガラスパネルを巧みに配置し、ヨーロッパの年間最優秀建築に与えられるミース賞を2007年に受賞した。中世の街並みが色濃く残るレオンの町に、フレッシュさを加え、カテドラルとともにレオンのランドマークの一つになりつつある。
カスティーリャ・イ・レオン現代美術館
外観
ガラスパネルレオン市音楽堂は形、位置、大きさがバラバラの窓が絶妙なバランスで配置され、フロアを区切るラインと組み合わせた構成は見事である。ファサードでありながら奥があることによって視線の角度を変えることに成功している。今回は残念ながら内に入ることはできなかったが、内部空間の光の入り方にも奥行きが現れることだろう。
不規則性を水平線で統制し、一つの建築としてまとめ上げ、素晴らしいプロポーションを生み出していることから建築家の技量が現れている。
レオン市音楽堂
正面ファサード
開口部設計はともにマドリッド建築学校を卒業し、モネオ事務所で修行を積んだルイス・M・マンシーリャとエミリオ・トゥニョンによる「マンシーリャ+トゥニョン」である。
現代のスペイン建築界を代表するデザイン・オフィスとして国際的に高い評価を受け、今後の活躍が期待されている矢先、2012年2月、ルイス・M・マンシーリャが52歳という若さで急死した。突然の出来事だった。バルセロナの天才建築家、エンリック・ミラーレスが45歳で亡くなったことを思うと才能あるものの急死には胸が痛む。
ホテルのレストランでランチをとり、のんびりとした時間を過ごす。ハガキを書き、郵便局まで散歩に出かける。ポストに投函すればいいのであろうが、なんとなく不安であり、郵便局まで足を運ぶ。おそらく届くのだろうが、ここはスペイン、ラテンの陽気な国と聞けば聞こえはいいが、結構いい加減なところがある。スペインの最高級ワインの産地であるリオハのバルでは、グラスの縁が欠け、下手をすると口の中がワインとは違う液体で真っ赤になりそうなグラスでワインをサーブ(というよりは注ぐと言った方が正しいか)していた。ワインは美味しいのだから飲めばいいのだと言った気持ちだろう。そういう経験をしていると、たとえ郵便局といえ、どうしても心からは信用できない。まあ、それなら窓口に出しても同じだと言われそうだが。
レストラン
スープ
ステーキ夜はバルをはしごし、美味しいワインをひたすら飲み、色とりどりのタパスをつまむ。レオンの夜は更けていった。
パラドール前の十字架
佇む巡礼者歩いた総距離1028.8km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第23回 時計
TIMEX Weekender タイメックス ウィークエンダー 8.300円
ミヒャエル・エンデは『モモ』の中で「時間とは生きるということそのものである」と表現している。時間とは何か。ここでその答えを求めるわけにはいかないが、今回の愛用品である時計とは密接に関わる。時計とは時間を刻むものだ。時間を可視化する道具が時計なのだ。
TIMEX(タイメックス)は150年以上の歴史を持ち、その生産量から全世界の3人に一人が所有するとも言われ、アメリカの歴代大統領の愛用品としても知られている。歴史は古く、創業は1854年までに遡る。1880年、世界初の安価なポケットウォッチを発表し、全米のみならず、ヨーロッパでもベストセラーになる。その後わずか1ドルのポケットウォッチ「ヤンキー」を発売し、20年間で4000万本を販売。作家のマーク・トゥエインから鉱山労働者、農夫から工員、オフィスワーカーまで、あらゆる階層の人々のポケットに納まった。
第一次世界大戦時には、軍からの要請を受け軍用腕時計を開発し、戦後、民間からも支持を集め、1920年代の大ヒット商品となった。
最初は権威の象徴として、次には高価な宝飾品として、王族や貴族のものであった時計-今もヨーロッパの機械式高級腕時計はそうしたオーラを放っているが-を、誰もが手にすることのできるものとした功績は計り知れない。しかし、日の出と共に起き日没と共に床についていた人間にまで、始業時間と終業時間を知らせ、単位時間生産量を気にさせ、戦闘開始時間を告げる機械を身に着けさせることが人間を幸せにすることであったがどうかは、エンデの「モモ」ではないが―なお考えなければならないことかも知れない。
ウィークエンダーは、タイメックスのミリタリーのテイストを残しながら、上品なケースとカラフルなナイロンストラップによってファッション性を獲得し、モダンに昇華させている。
本体とベルトは留め具ではなく、上下にベルトを通して装着することでメンテナンス性を高めている。もともと使い捨てを想定しているミリタリーウオッチとしての仕様なのだが、腕に付けたときにもヒヤッとせず、ストラップの付け替えが簡単で、気分によって様々なストラップに取り替えるという使い方も可能である。
巡礼でもナイロンストラップであれば軽く、気にならない。迷惑になるため部屋の電気をつけることのできない夜のアルベルゲでは携帯ライトが必要になる。その際にリューズを押すと文字盤全体が青く光るバックライト―かなり明るい―は懐中電灯の代わりになって便利である。
様々な機能を盛り込んだスポーツウォッチも便利だろうが、私は時間がわかれば十分である。ストップウォッチ機能などは巡礼では必要ないだろう。必要かつ十分な機能があり、シンプルなこと。私が巡礼時に時計に求めることは基本的にそれだけである。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧めは、瑛九です。
瑛九「三人」
1950年
フォトデッサン
55.2x45.5cm
Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
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