夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第五回◇エルメティック(神秘的)な邂逅-シュルレアリスムの画家平沢淑子

どんよりとした灰色の冬空の下、のどかなフランスの田園地帯が列車の車窓をよぎっていく。ぼんやりと過ぎゆく風景を眺めていると「なぜここにいるのだろう」という不思議な気持ちが湧いてきた。会社を50代前半で早期退職した翌年の2005年12月1日早朝、筆者はパリ・モンパルナス駅からTGVでボルドーに向かっていた。ある画家との出会いが不可思議な旅へと導いたきっかけだった。不意打ち的な出会いと旅。「貝原益軒は『旅路のことは知り尽すまで出発を待っていては旅行はできなくなる』と言っているが、そうしておとずれた予定外のところこそ、旅では欠かせない何かをもたらす」(「日本人の旅・雑考」山本さとし著 エナジー叢書)。偶然の出来事や未知の人への遭遇に身をゆだね、咄嗟に「予定外」の旅に出ようと思いたったのだった。その年の11月8日、当時東京・有楽町にあったフジテレビギャラリー(東京都千代田区有楽町1-12-1、現在は閉廊)で開催された「平沢淑子 -瀧口修造へのオマージュ展」を訪れた時のこと、パリでシュルレアリスム精神を受け継ぐ画家平沢淑子さんと言葉を交わす機会があった。当時シュルレアリスムに傾倒していた筆者は、瀧口修造やピエール・ド・マンディアルグ、アンドレ・ブルトンの娘オーブや寺山修司らと交流のあった平沢さんと話すうち意気投合、12月にボルドーで開かれる平沢さんの個展のお手伝いをすることになった。「言葉(ランガージュ)なき人が詩人と意志疎通するのは、こうした内部の音域 によってである」(ヘンリー・ミラー『ランボー論』小西茂也訳)。詩人(画家)と響きあうある種の通底音を持ち合わせていたのかもしれない。

hirasawa012005年11月、東京・有楽町のフジテレビギャラリー(当時)で開催された「平沢淑子-瀧口修造へのオマージュ展」


平沢淑子さんは慶應義塾大学を卒業後、1963年、NHKのアナウンサーとして入局。エドワード・ケネディや米俳優マーロン・ブランドら著名人とのインタビューをするなど活躍し3年後に退社した。その後パリを訪れたことをきっかけに画家を志し渡仏、独学で油彩技術を身につけ、1975年にリヨンアートセンター・国際現代美術展で大賞を受賞するなどいくつもの賞を受賞した。パリでアンドレ・ブルトンとも近い距離にあった美術批評家ジョゼ・ピエールと出会ったのをきっかけに、シュルレアリスム周辺の人たちとも親しくなり、1977年にシュルレアリスム系の画廊『ル・トリスケル』で初めての個展「妖精の距離」を開いた。個展にはアンドレ・ブルトンの未亡人のエリザや娘のオーブ、チェコのシュルレアリスムの画家トワイヤン、作家のピエール・ド・マンディアルグやミッシェル・レリスら錚々たる人たちが訪れたという。

hirasawa02初個展が開かれたパリの「ル・トリスケル画廊」、ピエール・ド・マンディアルグらの姿も


hirasawa03画家平沢淑子さん(写真2と3は、いずれも画集『Yoshiko』 Somogy éditions d'art ,Paris 1999より)


平沢さんはあらゆる出会いは「偶然の必然」なのだという。平沢さんの著書『月時計のパリ』(講談社 1984年)の中で、フランスの生物学者ジャック・モノ―の「すべての偶然は必然による。それは生物による実験で実証されている」という言葉を引き合いにだし「『偶然』と思えるさまざまな出会いが、じつは『必然』の糸に操られている…」(『月時計のパリ』)と考えている。筆者との出会いについても「偶然にみえて必然の出会い」で、「エルメティック」(神秘的)な出来事のひとつと彼女は言って、1999年にパリで出版された平沢さんの画集『Yoshiko』(Somogy éditions d'art ,Paris 1999)に「Dans l'espace d'hermétique」(神秘的な空間のなかで…)とサインしてくれた。

hirasawa04画集『Yoshiko』(Somogy éditions d'art ,Paris 1999) のサイン(写真右)


個展期間中、フジテレビギャラリーに毎日のように通い、平沢さんの絵を繰り返し見ているうちに、どうしても作品を手元に置いておきたいという気持ちが強まり、展示されていた大作「帰還-詩人・瀧口修造へのオマージュ」(111×100cm)の購入を即決した。「この作品では、ずっと心がとらわれていた形、六芒星の中に海を描いた。瀧口修造には、錬金術において黄金の一歩手前の形とされる『賢者の石』の平面図としての六芒星を捧げたかった」(『月時計のパリ』)と自作を解き明かす。「瀧口先生が亡くなった後、ショックを受けてしばらく絵が描けなくなった。やっと筆をとって描き始めたのが『帰還-S.Tに』だった。私にとっては、この絵が瀧口修造の顔のない肖像画だった。生々しくて瀧口先生の写真も見ることもできず、顔が描けなかった。わたしにとって遊戯の空間であるチェス盤に封印された星の中に(象徴的な)海を描いた」と筆者に語ってくれた。作品をじっと眺めていると、精神の闇の宇宙の浪間に、見えない瀧口修造のポートレートが浮き上がってくるかのようにも思える。平沢さんの作品群を見ていると、ノヴァーリスの「我らは目にみえるものよりも、目に見えざるものと、より近く結ばれている」(『断片』)という言葉が浮かぶ。

hirasawa05平沢さんの作品(画集『Yoshiko』 Somogy éditions d'art ,Paris)-左側は『妖精の距離2』 1980年)。中央は当時入手した『帰還-詩人・瀧口修造へのオマージュ』(1983年)。右側は幼少時の記憶をモチーフにした『砂時計のなかの蝶』(1980年)


hirasawa06ギャラリーの会場でアンドレ・ブルトンの声に耳を傾ける平沢淑子さん-平沢さんによると、亡くなる前の手紙で、瀧口先生がしきりに「アンドレ・ブルトンの声を記録したレコードがほしい」と書いていた。レコード番号も書いており、本当にブルトンの声を最後に聞きたいのだなと思ったが、その望みを生前にかなえることができなかったという。この思いをかなえようと、筆者はブルトンの声が収められたCDを家から持ってきて、個展会場に飾られていた瀧口修造の写真の前で平沢さんや、ギャラリーのスタッフらで聴いた。


hirasawa07平沢さんとの「偶然の必然」の出会いから、訪れることになったボルドー。ローマ時代の遺跡が残り、古い建物が並ぶボルドーの街並みは整然としている。女性的な感じのする流れのセーヌ川にくらべると、ガロンヌ川は流れも雄大で男性的だ。


曇天で肌寒い冬のボルドーは思いのほか華やいでいた。12月に入るとノエルの夜店が広場に立ち並ぶ。夜になると色とりどりのイルミネーションの光の中で、子供たちが目を輝かす。2005年12月1日、パリからTGVで到着後、宿とかなり離れた建物にフロントがある奇妙な安宿を確保して、トラムで展覧会場のあるタランスの 美術館「LE FORUM DES ART」へ向かった。現地で平沢さんと合流し作品展示の設営を手伝った。
平沢さんの作品の展示はボルドー大学が企画した国際会議のプロジェクトの一環で美術館との共催。翌2日開かれた国際会議には「シュルレアリスムと性」の著書で知られるグザヴィエル・ゴーチエ氏ら英米仏独など十数カ国の研究者、作家、アーティストらが参加した。個展が終わった5日、フランスで「カミヨン」と言う小型トラックに作品を載せ、平沢さんの達者な運転でパリへ向かった。パリまで600キロ以上の長距離ドライブ。車中で、寺山修司のこと、瀧口修造のこと、娘菜月さんのこと、マンディアルグ、トリスケル画廊、NHK時代の事などを問わず語りに聞いた。

hirasawa08ボルドー郊外タランスで開かれた平沢淑子展の会場の様子。未発表作品を含む計十六点が展示された。


hirasawa09帰国後、東京とボルドーでの平沢淑子展の様子や作品、旅の記録を一冊にまとめた私家版記録写真集『TOKYO-BORDEAUX』を限定3部で手作りした。


hirasawa10平沢さん周辺の著名人。左上・瀧口修造、左下・アンディ・ウォーホル、中央・ピエール・ド・マンディアルグ、右・作曲家武満徹


平沢淑子さんの周辺には様々なアーティストや詩人、音楽家らが吸い寄せられるように集まった。中でも、平沢さんの作品を深く理解していた詩人、美術評論家瀧口修造との結びつきは強く、パリと東京間で30通もの手紙のやり取りをしたという。
平沢淑子さんの初個展のカタログに瀧口修造が「エクスプレスで」というタイトルの詩的な序文を寄せた。「絵画とは、なんという物理の落とし子でしょう。この突っ立っている面は!…けさも、きのうのように、あなたは流れの早い潮の絵具に手を染めるでしょう。だから、私は水しぶきが描く三つ巴の虹の贈物を、ここから、速達でお送りしたいものです。(原文仏語)」。1979年、パリで瀧口修造が亡くなったとの知らせを受けて、平沢さんが東京の瀧口の自宅に電話したところ、綾子夫人が電話口にでて「瀧口は今、パリに行きました」と話したそうだ。平沢さんは瀧口が亡くなった後、「ショックを受けてしばらく絵が描けなくなった」という。平沢さんによると、瀧口修造が亡くなる数日前、アンドレ・ブルトンの娘オーブさんのところに瀧口から電話があった。「瀧口は電話口でエモーショナルになり感動したのか声にならず、会話にならなかった」との秘話も明かした。

hirasawa11平沢淑子さんの周辺の著名人・寺山修司(『月時計のパリ』 講談社 1984年より)。バックの写真は若き日の平沢淑子さん(画集『Yoshiko』 Somogy éditions d'art ,Paris 1999)


シュルレアリスムの画家平沢淑子と昭和のアンダーグラウンド世界を疾走した奇才・寺山修司、不思議な結びつきである。演劇実験室『天井桟敷』を主宰し、実験映画、前衛短歌、評論、脚本など多彩な才能の寺山と平沢さんが出会ったのはNHKアナウンサーの駆け出し時代で、インタビューしたことがあったという。用意した質問の意味が分からず躊躇していると、寺山が「ぼくが代わって質問してあげようか」と切り出されたことも。その後、偶然パリで再会し、急速に接近していった。寺山は、当時新進の画家だった平沢さんを優しく見守る姿勢で、演劇公演でパリに行くたびに平沢さんを訪ねることがあったという。「寺山がパリを離れるとき、家に帰ってみると、アトリエが赤いバラの花でいっぱいになっていた。真ん中に一輪うなだれている赤いバラが一輪。(別れの寂しさを表す)寺山の演出に驚いてしまった」と平沢さんは寺山とのエピソードを明かした。
寺山の「もしも自由を手に入れようと思ったら、それは『時に威嚇的に、時に優しく頭上にあるもの―天空的なもの』といつも関わっていなければならない」(『映写技師を撃て』 寺山修司)というスタンスが、形而上的で精神性の高い絵画世界を描く平沢さんとどこか共通するところがあったのかもしれない。寺山が47歳で急逝したとの知らせが日本からあった時、平沢さんは「その知らせは受け取れません」と答え、動揺を隠せなかった。その後、寺山の劇団『天井桟敷』にパリから電話して、劇団関係者に「電話機をできるだけ寺山の(遺体の)近くに置いて」と頼み、無言の時間がしばらく続いた後、電話を切ったという。

hirasawa12平沢淑子関係の本、資料の一部。写真右端上は、限定三部で手作りした東京とボルドーの平沢淑子展と「不意打ち的」に訪れた旅を記録した写真集「TOKYO-BORDEAUX」 。平沢淑子さんの作品には、水をテーマにした「ウォーター・ピラミッド」、「プリズム化する水」シリーズ、絵画的実験の「妖精の距離」、「遊戯の空間」を描く「ラ・マレーヌ」のシリーズなど抽象的で精神性を求める作品が多い。細密画のポートレートや、発光ダイオード”により波動する実験的な「緑の光線」のシリーズもある。


hirasawa13ボルドーの個展会場で自作を語る平沢淑子さん(2005年12月)。平沢さんはある時、パリのカフェで「絵を描く行為は(天上に通じる)<縦軸>しかない。神との対話かもしれない。描いていると、いつも(神と)会うからこわい。(神に)近づこうとしたときの(アトリエでの)修練はすごいものです」と創作に取り組む姿勢を筆者に語ってくれたのが印象的だった。


秋田県出身の平沢さんは剣道の祖で剣聖・愛須移香の十九代目の末裔として陰流の教えを大切にしている。「月と影。もし誰かが影に取り組まなければ、光は現れないだろう」(平沢淑子さんのWeb略歴より)。創作の姿勢にもその考えが反映されている。「影」のなかに存在する「見えないもの-アンヴィジーブル(invisible)の力」を信じる平沢さん。「独学した人は、他人が見えないものを見ることができる」(『ル・コルビジェ』 C・ジェンクス 『コルビジェの手紙』 佐々木宏訳 鹿島出版会)のかもしれない。
創造とは神秘的で錬金術的な世界。「『死んでいる』物質と『生きている』物質とが錬金術によって止揚されるので ある。…錬金術は…『すべてのもの』が、生きていたところの…あのカオスの根源状態にさかのぼっていくのである』」(「金と魔術」ハンス・クリストフ・ビンスヴァンガー 法政大学出版)。絵画とはエルメティック(神秘的)な空間の中での精神遊戯、人間の古層の記憶の果てしない召喚作業と言えないだろうか。平沢淑子さんの作品世界に身をゆだねていると、そう思えてくるのだ。
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●今日のお勧め作品は、駒井哲郎です。
20160805_komai_11駒井哲郎
「嵐」
1962年
エッチング(亜鉛版)
18.5×18.5cm
Ed.20 Signed
※レゾネNo.175(美術出版社)

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