森本悟郎のエッセイ その後
第32回 井上洋介(1931~2016)(2) たくさんの抽斗
井上さんが意識的に絵を描きはじめたのは小学校5年生頃。亡くなった兄の残した油絵画材を使うようになってのことである。絵の具を買い足しにひとり文房堂へ通ったとは、じつに早熟な絵画少年ではあった。クレヨンや水彩と異なり、重厚なマチエール表現が可能な油彩は構築していくような感覚があり、初めの一筆から画家気分を味わうことができることを、経験者ならご存知だろう(大抵は途中からそれが錯覚だったことに気づくのだけれど)。この時分から井上少年は画家になる決意をしていたという。
当時はルオーに惹かれた。藤田嗣治のようには描けないが、ルオーのようになら描ける、という思いがあったようだ。後年の油彩画はルオーの色彩や宗教的静謐さはないものの、荒々しい黒く縁取られた形体や筆触にその片鱗を認めることができるだろう。そういえばイエローオーカーやバーントアンバーに黒色を混ぜたような、井上さんのタブローに見られる暗褐色の色調は、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科時代の教授である麻生三郎の影響があるかもしれない。ぼくが武蔵美に在学していた1960年代末から70年代初頃の油絵専攻学生作品にもそんな色遣いがずいぶんあった。
室内図
階段
油画の主要なモチーフとなっていたのは〈食〉〈穴〉〈行列〉〈室内〉〈電球〉などで、これらは戦中戦後に体験した飢餓、着弾跡、戦災で焼け出された人たち、空襲警報の恐怖、灯火管制などがベースとなっている。そんなテーマを扱うにはこの手法と色調がピタリだった。
戦後、井上さんは都立日本橋高校美術科で版画を学んでいる。先生が版画家で、版画しか教えてくれなかったのだそうだ(入学したのは夜間定時制で、日中は土方仕事に就いていた)。この経験がのちに独自の木版画を生むこととなる。力強く太い、黒々とした輪郭線で形づくられた画面は、素朴な外見に似合わず、まことに周到に構成されたものである。木版作品はそのメディウムの特性からか、油彩にない伸びやかな空気が漂っていて、仕事の合間の楽しみとして制作されたのであろうことが窺える。
『乱風図異』トムズボックス(2004)より
絵の好きな子供にはよくあるが、井上さんも漫画好きで、漫画を描いては雑誌に投稿していたようだ。大学在学中に読売新聞の漫画投稿欄で注目され、漫画家・小島功に誘われて独立漫画派に参加。画家と漫画家という二つの顔を持つことになる。初期の井上さんの漫画はベン・シャーンを彷彿させるようなペンのタッチが見られるなど、同時代美術の動向を意識しながら試行している様子が窺われる。この1950年代、中村宏・池田龍雄・河原温らによって手がけられたアヴァンギャルド芸術の一方法としてのルポルタージュ絵画が、漫画との親近性が強いものであったことも、井上さんの漫画表現に少なからず影響していることだろう。スタイルが確立したのは、60年代初めに「マンガをやめようと思い、しめくくりの意味」(『井上洋介の世界』立風書房)で自費出版した『井上洋介漫画集 サドの卵』だった、とぼくは見ている。以後そのスタイルを駆使しながら多様なテーマを深化させていくのだが、井上さんの芸術的な漫画は美術評論家や文士、編集者たちの注目するところとなり、展覧会開催や挿絵の仕事へと広がっていく。
「ツムジ」
『がんま』1号 独立漫画派(1956)
『井上洋介漫画集 サドの卵』(1963)
初の漫画集である『サドの卵』に先立つ1960年、井上さんは絵本『おだんごぱん』(福音館書店)を出している。これはロシア民話の邦訳に、木版画風の挿絵をつけたものである。井上さんが一般の人たちに知られているとすれば、絵本作家・挿絵家としてであり、わけても「くまの子ウーフ」(神沢利子・作)シリーズで育った親子は多いはずだ。
井上さんの活動の場は絵画・漫画・イラストレーション・絵本と幅広いが、同時にその手法も油彩・水彩・鉛筆・ペン・墨・木版・リノリウム版、さらに蠟画なるものまで多彩である。多くの作家はリニアに作風を変えていくが、井上さんは同時並行でさまざまな媒体と画材と技法を使い分ける(ついでながら、詩にも俳句にも味わい深い作品を残している)という、じつに豊かな抽斗をもったアーティストでありアルティザンだった。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、エド・ベイナードです。
エド・ベイナード
「花」
1980年 木版
作品サイズ:70.0×100.0cm
A.P.11/16 Singed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!
遂にナショナル・ミュージアムで実現した瑛九の回顧展示。担当されたのは大谷省吾さん、近美の主任研究員です。県立美術館などでは「学芸員」と言いますが、国立美術館(独立行政法人)の場合はなぜか「研究員」。先日分厚い研究書を出版したばかりです。もちろん瑛九にも触れています。
大谷省吾
『激動期のアヴァンギャルド
シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』
2016年 国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税別)
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
第32回 井上洋介(1931~2016)(2) たくさんの抽斗
井上さんが意識的に絵を描きはじめたのは小学校5年生頃。亡くなった兄の残した油絵画材を使うようになってのことである。絵の具を買い足しにひとり文房堂へ通ったとは、じつに早熟な絵画少年ではあった。クレヨンや水彩と異なり、重厚なマチエール表現が可能な油彩は構築していくような感覚があり、初めの一筆から画家気分を味わうことができることを、経験者ならご存知だろう(大抵は途中からそれが錯覚だったことに気づくのだけれど)。この時分から井上少年は画家になる決意をしていたという。
当時はルオーに惹かれた。藤田嗣治のようには描けないが、ルオーのようになら描ける、という思いがあったようだ。後年の油彩画はルオーの色彩や宗教的静謐さはないものの、荒々しい黒く縁取られた形体や筆触にその片鱗を認めることができるだろう。そういえばイエローオーカーやバーントアンバーに黒色を混ぜたような、井上さんのタブローに見られる暗褐色の色調は、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科時代の教授である麻生三郎の影響があるかもしれない。ぼくが武蔵美に在学していた1960年代末から70年代初頃の油絵専攻学生作品にもそんな色遣いがずいぶんあった。
室内図
階段油画の主要なモチーフとなっていたのは〈食〉〈穴〉〈行列〉〈室内〉〈電球〉などで、これらは戦中戦後に体験した飢餓、着弾跡、戦災で焼け出された人たち、空襲警報の恐怖、灯火管制などがベースとなっている。そんなテーマを扱うにはこの手法と色調がピタリだった。
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戦後、井上さんは都立日本橋高校美術科で版画を学んでいる。先生が版画家で、版画しか教えてくれなかったのだそうだ(入学したのは夜間定時制で、日中は土方仕事に就いていた)。この経験がのちに独自の木版画を生むこととなる。力強く太い、黒々とした輪郭線で形づくられた画面は、素朴な外見に似合わず、まことに周到に構成されたものである。木版作品はそのメディウムの特性からか、油彩にない伸びやかな空気が漂っていて、仕事の合間の楽しみとして制作されたのであろうことが窺える。
『乱風図異』トムズボックス(2004)より*
絵の好きな子供にはよくあるが、井上さんも漫画好きで、漫画を描いては雑誌に投稿していたようだ。大学在学中に読売新聞の漫画投稿欄で注目され、漫画家・小島功に誘われて独立漫画派に参加。画家と漫画家という二つの顔を持つことになる。初期の井上さんの漫画はベン・シャーンを彷彿させるようなペンのタッチが見られるなど、同時代美術の動向を意識しながら試行している様子が窺われる。この1950年代、中村宏・池田龍雄・河原温らによって手がけられたアヴァンギャルド芸術の一方法としてのルポルタージュ絵画が、漫画との親近性が強いものであったことも、井上さんの漫画表現に少なからず影響していることだろう。スタイルが確立したのは、60年代初めに「マンガをやめようと思い、しめくくりの意味」(『井上洋介の世界』立風書房)で自費出版した『井上洋介漫画集 サドの卵』だった、とぼくは見ている。以後そのスタイルを駆使しながら多様なテーマを深化させていくのだが、井上さんの芸術的な漫画は美術評論家や文士、編集者たちの注目するところとなり、展覧会開催や挿絵の仕事へと広がっていく。
「ツムジ」『がんま』1号 独立漫画派(1956)
『井上洋介漫画集 サドの卵』(1963)*
初の漫画集である『サドの卵』に先立つ1960年、井上さんは絵本『おだんごぱん』(福音館書店)を出している。これはロシア民話の邦訳に、木版画風の挿絵をつけたものである。井上さんが一般の人たちに知られているとすれば、絵本作家・挿絵家としてであり、わけても「くまの子ウーフ」(神沢利子・作)シリーズで育った親子は多いはずだ。
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井上さんの活動の場は絵画・漫画・イラストレーション・絵本と幅広いが、同時にその手法も油彩・水彩・鉛筆・ペン・墨・木版・リノリウム版、さらに蠟画なるものまで多彩である。多くの作家はリニアに作風を変えていくが、井上さんは同時並行でさまざまな媒体と画材と技法を使い分ける(ついでながら、詩にも俳句にも味わい深い作品を残している)という、じつに豊かな抽斗をもったアーティストでありアルティザンだった。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、エド・ベイナードです。
エド・ベイナード「花」
1980年 木版
作品サイズ:70.0×100.0cm
A.P.11/16 Singed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!
遂にナショナル・ミュージアムで実現した瑛九の回顧展示。担当されたのは大谷省吾さん、近美の主任研究員です。県立美術館などでは「学芸員」と言いますが、国立美術館(独立行政法人)の場合はなぜか「研究員」。先日分厚い研究書を出版したばかりです。もちろん瑛九にも触れています。
大谷省吾『激動期のアヴァンギャルド
シュルレアリスムと日本の絵画 一九二八-一九五三』
2016年 国書刊行会 発行
664ページ
21.7x17.0cm
8,800円(税別)
*ときの忘れもので扱っています。メールにてお申し込みください。
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
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